第1ステージ:探し物【2】
【小惑星名"コレント":支配貴族フレスノール男爵家】
宇宙船の操縦席にあるモニター画面に映し出された情報。
クルドはその情報に黙って目を通す。
「……」
それと同時に、宇宙船にあらかじめ設置されたドロイドボイスの女性の声が、毎度抑揚のない調子で淡々と情報を読み上げる。
「惑星階級:下流貴族
惑星環境:普通
生存する人種と生物:人間、エププロンテス、猫、ゴリラ
惑星総資産:庶民よりちょっと裕福な程度
物流:まぁまぁ
天然資源:ほぼ無し
戦果率:五百年ほど前で停戦。以降平和」
「……」
クルドの膝元から黒猫が身を乗り出し、モニターパネルに前足を置く。
ぽつりと。
「猫の手だとさすがにパネルは打てないか」
クルドはそれを半眼で見つめ、溜め息を吐く。
「お前に改良を頼んだのが間違いだった。
なんなんだ、この情報は」
「以前ここに登録してやった情報で文句を言うからだ。
馬鹿にも分かりやすく改良してやったんだが?」
「あーそうかい。次はこれと以前の中間辺りの情報で頼む」
黒猫が小馬鹿にしたように鼻で笑う。
クルドはそれを慣れた感じに横に流した。
その後。
クルド達の乗る宇宙船は、小惑星コレントに入るゲート関門を黒猫の力で難なく突破し、ゲートからの案内に従って駐船スペースの一角に停泊させた。
◆
交易街を離れて、上空の宇宙船も無く静かな草原の敷地内。
フレスノール家からの出迎えとして来た高級リムジンに乗って、舗装された一本道をひたすらに突き進む。
屋敷への忍び込みなら慣れたものだが、貴族の車内でご優待扱いなんてクルドにとっては馴染みがなかった。
そわそわと車の窓から外を見ようとする度に黒猫に小声で叱責される。
やがて車が止まり、後方の車のドアが開かれた。
そこに立ち並んで出迎えてくれたのは数十体のアンドロイド。
内、代表するアンドロイド老人執事が生々しい声で辞儀をする。
「ようこそ。ご案内いたします」
降りるのを躊躇うクルドの腕を黒猫が爪で引っ掻く。
内心で悲鳴を上げながらもクルドはなるべく平静を装って車から降りた。
◆
客室へと案内するアンドロイド老人執事の後ろで、クルドは肩に乗せていた黒猫に小声で毒づく。
「わざわざ貴族を装わなくても、夜に隠れて忍び込めば済む話だろ。なぜ俺が貴族の小娘と見合いなんてしないといけないんだ?」
平然と黒猫が答えてくる。
「貴族のプライベートを探るなら貴族の身分として探りを入れた方が、後々裁判沙汰の面倒がなくて済む」
「で? それのどこをどう捻ったらお前の中で『見合い』って言葉に発展したんだ?」
「貴族の身分である以上、知り合いでもない男が訪問してくる目的といえば見合いか商談だ。フレスノール卿と商談ができるなら話は別だが?」
「無理だ」
「それじゃ残された選択は二つ。女装と見合いはどっちがいい?」
「見合い」
「だろ?」
「『だろ?』じゃねぇよ。バレたら冗談じゃ済まされねぇぞ、これ」
「やればわかる。オレがいるから大丈夫だ」
二階の客室の入り口で、老人執事が足を止める。
「こちらでございます」
部屋の中へと通されると。
中にいた夫人と二十歳の女性――長女のシンシアが椅子から立ち上がった。
夫人が、向かいの長椅子へ座るようクルドに勧める。
勧められるがままに。
黒猫を下ろして長椅子に腰を掛け、クルドは物珍しそうに部屋を見回した。
生まれ初めて目の当たりにする貴族の世界。
一言でいうならば荘厳な客室だった。
高級で清潔感漂う白で統一された壁と天井。
天井には黄金のシャンデリアが吊るされており、眩いほどに輝いていた。
きっとかなりの値がするに違いない。
ふと、鋭い視線を感じて視線を巡らせば、部屋の隅には一体の長槍を持った空っぽの甲冑が佇んでいた。
まるで何かあったら襲いかかってやろうかとこちらを睨んでいるかのように。
かちこち、と。
暖炉の上に置かれた小さな白い女神像が、右手に天秤を揺らして優しく微笑んでいる。
クルドは今犯している罪の重さを感じ、その女神から生命の時間を刻一刻と削られていっているようで生きた心地がしなかった。
時折、真っ白いカーテンを揺らして吹き入る風。
どこ吹く風も一緒なのだろうが、ここに入る風はなぜか理由なき気品のようなモノを感じた。
今座っているこの長椅子も、本当は座るのも遠慮したい心地よい高価な長椅子だ。
靴が埋まりそうなほどの分厚くふかふかの赤い絨毯に、新しい靴であることを願いながら小さく爪先だけをちょこんと載せて。
……何か言うべきであろうか。
向かいの椅子に座っている夫人とシンシアが、先ほどからずっとこちらを見ている。
クルドは隣にいる黒猫へと視線を送った。
呆れるように半眼で黒猫。
小さく口を開いて何かを伝えようとしている。
クルドにはそれがさっぱりわからなかった。
やがて黒猫は苛立つように舌打ちして顔を背けた。
まぁいいか。と、クルドはちょいと肩を竦め、向かいにいる夫人とシンシアに視線を戻した。
「…………」
夫人とシンシアは一向に口を開こうとしない。
なんとなく、ぎこちない雰囲気。
クルドは少しでもその雰囲気を和ませようと、思いつくままに話題を振ってみた。
緊張に強張る声で、
「りりり、り、立派なお屋敷でいぃっ――!」
言葉途中で、隣に座っていた黒猫が平静とした顔で彼の腿に鋭い爪をくい込ませた。
シンシアが目をぱちくりとさせる。
口元に手を当て、首を傾げて問いかけてくる。
「お屋敷で、い?」
痛みが顔に出ないよう、ぎこちない笑みで取り繕いながらクルド。
「い、いえ、ははは……。なんでもありません」
シンシアの隣から夫人が辛辣な表情で問いかけてくる。
「ところで、クルドさんは男爵階級の貴族でいらっしゃるそうですね。
クルドさんの惑星のお話を少しお聞きしても?」
「ぅぐっ……!」
まるで追い詰められた子供のような顔でクルドは言葉を失った。
事前に台本が用意されていたわけではなく、ぶっつけ本番の全てがアドリブ。
クルドの入ったことがある惑星は数あれど、どれも反星府組織として犯罪まがいに侵入しては逃げ出していたくらいで貴族目線で惑星を語ったことなんて一度もない。
詰問してくる鬼刑事のような厳しい表情の夫人にクルドの心臓は高鳴っていく。
緊張に蒼白した顔で挙動不審に目を泳がせ、
「そ、それは……」
「――ステイヤとして有名なくらいです」
と、バレないよう顔を俯けて黒猫が答える。
おや? 夫人は眉間に皺を寄せて首を傾げ、周囲を見回した。
「今誰か、別の男性の声が……」
「い、いえ、あの、緊張のあまり声が裏返いぃっ!」
「……い?」
また、シンシアが目をぱちくりとさせる。
黒猫の前足を叩き払って、クルドは不自然な笑顔でなんとか場を取り繕った。
「い、いえ、ははは。な、なんでもありません」
黒猫がクルドの腕を尻尾で叩いて合図する。
唯一打ち合わせしていた作戦。
クルドは黒猫を膝元に置いて説明する。
「それにつきましては、私のこの優秀なアンドロイド黒猫が説明します」
しばらくは黒猫が機械っぽく場を和ませ繋いでくれた。
すっかりこちらに気を許してご機嫌な夫人が、ほほほとおしとやかに笑う。
「お話の限りにクルドさんは本当に素晴らしいお方ですわ。
アンドロイドの黒猫もとても優秀で、惑星の技術力の高さが窺えますの。
ぜひとも我が娘と話していてくださいまし。
我がフレスノール家自慢の娘ですわ。──ほら、御挨拶なさい」
夫人に促され、シンシアは少しはにかむ笑みを浮かべて透き通るような美しい声音で答えた。
「フレスノール・シンシアです。クルドさんの住む惑星にとても興味を惹かれます。
ぜひ、そのお話を聞かせてください」
◆
「フレスノール・シンシアは黒だ」
「いや、オレは白だと思う」
その夜。
宇宙船内のコックピット内で。
操縦席の画面モニターを馴染みの酒場と通信で繋いで、黒猫とクルドは画面を無視するように互いに会話をする。
外はもう暗く、酒場が賑わう時間帯。
しかし、今日だけはやけに静まり返っていた。
扉にかけられた『本日貸切』のプレート。
店内は、客が一人とカウンターに亭主の二人だけ。
店内の中心の席で、ふんぞり返ってテーブルに足を組み置く中年の男が一人。
赤い外套。襟首にはファーが付いている。
両の指には溢れんばかりの宝石をつけ、キラキラと装飾のついた白い革靴。
顔に似合わぬ真っ白の高級スーツに、頭に乗っけた下顎のない大熊の剥製。
――これでも彼は、裏の世界では名の知れた空賊団の頭領である。
頭領がビール瓶をあおって、クルドに向け言葉を投げる。
「だったら俺様は赤だ」
ははは、と。一人上機嫌に笑う。
「パンツの色のことだろう? 黒や白より――」
「俺の勘が信じられないというのか?」
黒猫はカウンターを叩いてクルドに迫った。
「あの化け物の狙いは彼女じゃない!」
疎外を雰囲気で察した頭領。
笑いが尻すぼみに消えていく。
ぼそりと、いじけるように小さく、
「一人は寂しいなぁ……」
――黙。
きゅっきゅっと、亭主が磨くコップの音だけが店内に響き渡る。
孤立した人間を見るような目でちらりと、黒猫とクルドは頭領を見やった。
クルドが尋ねる。
「会話に入れて欲しいのか?」
「おぅよ」
強気な即答が返ってくる。
クルドはため息をついて、後頭部をぼりぼりと掻いた。
「だったら、それなりの情報を持っているんだろうな?」
「『ヴァンキュリア公家の新情報』と『化け物の新たな動き』と言えば、一緒に飲む気になるか?」
ほぉと感嘆ついて、クルドは目を細めた。
黒猫が身を乗り出すようにしてモニター画面に食い入る。
そんな黒猫の頭を撫でながら、クルドは頭領に言う。
「お前の話を聞いてやる。会話に入ってこい」
ワクワクと嬉しそうに頭領が話を始める。
「それで? どっちを先に聞きたい?」
クルドはモニター画面を頭領にアップして告げる。
「ヴァンキュリア公家が先だ」
ふーん。と面白がるように笑いながら、頭領がテーブル下に置いていたマイボトル瓶の蓋を開けながら答えてくる。
「ヴァンキュリア・E・クレイシス伯爵は、本日正式に侯爵階級に上がった」
ぶっ。思わずクルドは噴き出した。
モニター画面に食いつき、目を丸くして叫ぶ。
「な、なんだそりゃ! 正式にって、本人はここにいるぞ!」
と、膝元に座っている黒猫を指差す。
頭領は瓶の中身を一口飲んで、
「それほど追い込まれているってことよ。両親はどうやら息子の失踪をもみ消したがっているようだ」
「失踪をもみ消すだと? 今更になってどういうことだ?」
頭領がモニター画面の向こうにいる黒猫へと声を投げる。
「お前にはこの意味がわかっているんだろう? ヴァンキュリア・E・クレイシス侯爵殿」
皮肉を込めて名を呼んで、頭領は瓶の口を向けた。