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 平穏はどこにもないとおもうようになったエルジーオは、この町を出て行きました。

 そうしてエルジーオは歩き疲れた足でようやく町外れの古家に辿り着きました。だれも住んでいない家でした。扉はあいていましたが、エルジーオは玄関前の段に腰をおろしていました。

 ――生きるには、疑うこと、だますこと――

 エルジーオはそう考えました。相手を疑い、だましていかなければ、自分が損をし、傷つくのだと知ったのです。

 この場所に来る前に、最後の指輪と交換しておいたパンを食べようとしたとき、一匹の猫がエルジーオの足元へやってきました。

 エルジーオはとっさにパンを隠して、「あっちへ行って! これはぼくのパンだよ!」と言いました。

「まあ! 意地悪ね!」猫はおどろいて言いました。

「意地悪してるんじゃないよ。こうしないとぼくが損をするんだ」

「なんですって? あなた、王子の偽物ね」

 猫にそう言われると、エルジーオはむっとして、「なに、ずいぶん変なことを言う猫だな。偽物もなにも、ぼくはもう王子じゃない、ただのエルジーオだよ」と言い返しました。

「まあ! 猫、ですって! 名前をくれたのに! すっかり忘れちゃったのね!」

 猫は、前からエルジーオを知っているかのようでした。

「きみのこと、知らないよ」エルジーオはおぼえていなかったので、そう答えました。

「あなたに名前をもらったのよ。とってもうれしかったんだから」

 けれど、知らないものは知らないのです。「ぼくはあげなきゃよかったと思ってるよ」と、ふてくされて言いました。

 しかし、猫は気にするようすもなく、「それはきっと空腹のせいね」と返しました。

「ぼくをばかにしにきたんなら帰ってよ!」エルジーオは猫の言い草を不快に思ったのです。また次に猫がなにか言ってきたらどう言い返してやろうかと、頭に血がのぼっていました。

 けれども猫は、こう言いました。「ばかになんてするもんですか。わたしは名前を返しにきたの。あなたの国では1より2のほうがいいんでしょ?」

 それでもエルジーオは、「いらないよ、もう」と言って、猫に背を向けました。

「そんなこと言わないでよ。わたし、みんなに頼まれて来たのに」猫はエルジーオの悲しい背中を見て言いました。

「みんな?」エルジーオは聞き返します。

「ええ、みんなあなたを心配しているのよ」

「どうして?」

 猫はエルジーオの正面に移動して、言いました。「だって、自分の者を分け与えてくれるようなやさしいひとは、あなただけだったんだから」



 猫に連れられ、エルジーオはかつて過ごしていたお城の近くの森に辿り着きました。

「全員は見つけられなかったけど、わたしを含めて82匹、あなたに名前を返すつもりでいるわ」

 エルジーオが現れると、次々と森の奥から生き物があつまってきました。かつて名前をあげた蝶や鳥や犬やねずみ……エルジーオは全員の顔を覚えていないことを情けなく思いました。

 猫の話によると、名前があるおかげでいいおもいをしていた者は当然返したくなく、逃げてしまった恩知らずもいたようです。そのなかにはあの芋虫もいたようです。

 前よりいくらかすくないですが、82個の名前を取り戻せたエルジーオは、ふたたび王子として迎え入れられました。



 それから数年経ちました。名前をひとより多く持っているからといって、自分を偉いなどとはまったく思わなくなったエルジーオはある日、弟たちのけんかに遭遇しました。

「だって、ぼくの宝石は16個だよ!」

「ばかだな。ぼくの靴は9足、数で言えば18個じゃないか!」

「そんなのずるい! 靴は1足で1だ!」

「そんなわけあるもんか! それに歳で言ったらぼくのほうが多いんだ! 偉いのはぼくのほうだ!」

「なんだと!」

 弟が、もうひとりの弟に殴りかかろうとしたので、エルジーオは止めにはいりました。「そういう考え方はおよし。ひとの偉さはものの多さでは決められないのだよ」

 弟たちは一瞬静かになりましたが、すぐに標的をエルジーオに変えました。

「悪いけど、兄さんとは口をきくなって言われてるんだ」

「兄さんはおかしなことばかり言うからさ」

 弟たちが言う評判をエルジーオは知っていましたが、それでも意見は変わりません。

「おかしいのはきみたちのほうだよ。靴や宝石の数で、そのひとのなにがわかると言うんだ」

 エルジーオがそう言うと弟たちの表情が変わり、心底ばかにしたような態度で、「それだからおかしいって言われるのさ」と言いました。「いいかい、兄さん。ぼくらはこの国に住んでいるんだ。多いほうが偉いという決まりのある国に。この国にいる以上、ぼくらの考え方のほうが正しいんだよ」

 エルジーオは呆れました。しかし、自分もこの弟たちと同じ歳のころには同様に感じていたのも事実で、恥ずかしく思いました。

「いつまでも幸運は自分のものだと思っているんだね」

 いつ、どんな失敗で自分の生活が狂うかもしれない。そう気づいてもらいたく、エルジーオは弟たちに問いましたが、まだ世界が自分の味方だと本気で信じているかれらの返答は、じつに生意気なものでした。

「そんなの当然さ。王子として生まれたぼくらは恵まれているんだ」

「これこそが、だれよりも多くの幸運だよね」



 きょうだいたちからはすっかりばかにされ、相手にもされなくなったエルジーオの部屋には、あのときの猫がいました。猫は長いこと傍にいましたので、エルジーオときょうだいたちの確執は知っていました。

 猫はある日、こう言ってみました。「元のあなたに戻ったらいいじゃない。名前を82個持っているんだから、自分のほうが偉い、って。隠さずにそう言えばいいのよ」

 するとエルジーオは、「とんでもない。もう懲り懲りだよ」と、猫に本心を打ち明けました。「ぼくはもう昔の自分にはもどりたくないよ。与えられたものだけで偉ぶったところで、ぼくはまったくのひとりでは無知で臆病で、なにもできやしなかったんだから」

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