①
ある日王さまは「なにごとも多いほうが偉い」という決まりをつくりました。王さまはすでに多くの土地やお金や家来を持っていたので十分偉かったのですが、さいきん生まれた王子にはまだなにもありません。これでは我が子に恥をかかせてしまうと思った王さまは、王子の誕生日に名前を10個ずつ贈ろうと決めました。
王子はすくすくと育ちました。そして11歳になると120個もの名前を持っていたので、だれからも崇められていました。
さて、11歳になった王子が庭で遊んでいたとき、一匹の芋虫に出会いました。
王子は偉かったものですから、ちいさな芋虫をばかにするように、こう言いました。「やあ、きみみたいなちいさな生き物がだれよりも多くものを持っているなんて、ないだろうなあ」
すると芋虫は、「その通りです。わたしはよく人間に嫌われる、ただの芋虫ですから……ちっとも偉くなんてなれません」と答えました。
芋虫のへりくだった態度に気を良くした王子は会話をつづけました。「そうだろうね。でもぼくは偉いよ。なんてったって、名前を120個も持っているんだからね」
王子があんまり得意げに自慢するものですから、「わあ! なんておおいんだろう!」と、芋虫はおどろくふりをしました。だって、そんなことは森じゅうの噂でとっくに知っていたのですから。
しかし、王子は芋虫が心からおどろいていると思ったので、さらに調子を良くして、「来年になったらまた10個増えるのさ」と自慢しました。
「わあ! なんてすごいんだろう!」と、芋虫はまた、おどろくふりをしました。
王子は、話し相手になってくれたこの芋虫と友だちになってあげようと思い、名前をたずねました。
けれども芋虫は急にしょげてしまいます。「わたしには、名前なんてひとつもないんです」
「へえ! 名前がひとつもないなんてかわいそうだね。それじゃいったいきみは何と呼ばれているんだい?」
まだ子どもだからとはいえ、王子の言葉は無神経です。ますます元気をなくした芋虫は、たいして面白くもない身の上話などもう終わりにしたかったのですが、なにしろ相手は名前をいくつも持っている偉い王子さまです。自分の意見など、言えるはずもありません。
「わたしはだれからも呼ばれませんから……」
「家族はいないの?」王子は芋虫の心境をまったく気に掛けず、質問しました。
「はい。みんな鳥に食べられてしまいました。いえ、一番下の子に限っては、溺死しました」
芋虫は王子の手前、それだけしか言いませんでしたが、ことの真相は王女――王子の6歳下の妹です――にいたずらか、もしくはほんとうに殺意があったのかはわかりませんが、ある日突然、このお城にある広い池に放り込まれたのです。それでもなんとか生き延びようと、必死に体をくねらせ、陸地に這い上がろうとしたのですが、王女は近くにあった小枝を拾い、水面でもがく下の子の体をつつくものですから、とうとう力尽き、あえなく深い暗闇のなかに沈んでいった、という次第でした。
そんな事件が妹のせいだとは知らない王子でしたが、だんだんと芋虫がかわいそうになっていきました。
「芋虫は、わたし一匹ぽっちなのです」芋虫は、せっかく話したのだからもっと同情してもらおうと、精一杯のかなしみを声にのせて言いました。
すると王子はすこし悩んだあと、「そうだ!」と言って、手を叩きました。「ぼくの名前をひとつあげるよ。ぼくは120個も持っているんだもの。ひとつくらいなくなったって、ちっとも困らないよ」
これには芋虫もおどろいて、王子は冗談を言っているのか、もしくはからかわれているのではないか、何度も確認しましたが、どうやら本気のようです。
そうして芋虫は王子が120番目にもらった「カータ」という名前をもらいました。
「王子さま、わたしはこんなにうれしいことは生まれてはじめてです。きっとこれで、名前をもつわたしを食べに来る鳥なんていなくなるでしょう」芋虫は声を弾ませて言ったあと、「あいつらはひとつもなにも持っていないんだ。いまではわたしのほうが偉いんだ」と独り言を言いました。
芋虫のよろこびようを見てうれしくなった王子は、その日一日、とても良い気分で過ごせました。
感謝されるよろこびを知った王子は、名前がなくてかなしんでいる生き物に次々と、ひとつずつ、自分の名前を譲ってあげました。魚にも、蟻にも、花にも、小鳥にも、てんとう虫にも、蝶にも、猫にも、バッタにも。
「きみはハバン、きみはキイナ、きみはリロ、きみはコット。ほかに名前の欲しい子はいない? ぼくはたくさん持っているからね、すこしくらいなくなったって、ちっとも困りはしないんだ」
王子はこうして次の日も次の日も、かなしんでいる生き物に名前を譲ってあげました。
しかし、こんな日は長く続きませんでした。王子があちこちに名前をばらまいているのを、王さまが知ってしまったからです。
「おまえが名前を捨てているという噂について、答えよ」
王子さまは王さまの部屋で、そう問われました。
「捨ててなどいません! あげたのです……でも……あんまりかわいそうだったから……」
王子はすこしだけ嘘をつきました。本当は、感謝されるよろこびに浸りたかっただけなのですから。しかし、理由はどうであれ、名前を失っていることに変わりはないのです。120個あった王子の名前はいま、たったのひとつしかありませんでした。
「理由などどうでもよい」王さまは、多くの名前を失った王子を軽蔑し、「なにも持たないおまえなど、わたしの息子ではない。もう王子でもなんでもないのだ。この城から出ていけ」と冷たく言いました。
王子は、その非情な通告をすぐには受け止められませんでしたが、なにを言っても王さまの態度は変わりませんでしたので、重い足を引きずりながらお城を出ました。
王子はお城のまわりのおおきな庭を歩き回っていました。もしかしたら王さまの気が変わって、温かく迎え入れてもらえるかもしれないと期待していたからです。そんなとき、ふたたびあの芋虫を見つけました。
「やあ」と、王子は芋虫に声をかけました。
「これはこれは、お元気でしたか、王子さま?」芋虫は陽気な口調で答えました。
「きみはずいぶん元気だね。なにかいいことでもあったの?」自分がひどく落ち込んでいるときに、浮かれた声を聞くのはあまり良いものではありません。
そんな王子の心境には気をとめず、芋虫はだれかに話したくてうずうずしていた出来事を話し始めました。「それがですね、王子さま。いえ、その前に、わたしは王子さまに感謝を伝えなければなりません。それというのも、あいつら――鳥どものことですが――あいつらがいつものようにわたしを食べに、わたしの住まいを荒らしに来たときのことです。毎回逃げるのに苦労していたのですが、今回ばかりはわたしに強みがある。名前ですよ、例の、うるわしき王子さまから友情のしるしにいただいた、カーターという名前。あいつらに言ってやったんです。おまえらはなにかひとつでもものをもっているか、と。そうしたらあいつらは目をまるくしたのです。わたしなんかがいきなり大声をだしたものですから、びっくりしたのでしょう。そしてつづけて言ってやりました。わたしには名前がある! わたしは名前を持っているのだ! するとやつらは怖気づいたのか、すぐに去っていきました。わたしは勝ったのですよ、王子さま。こんな気分は味わったことがない! なんてすばらしいのでしょう!」芋虫は勝利の栄光に酔いしれていました。
自分のあげたもので意気揚々と自慢話をする芋虫を、王子はねたましく思いました。すこし昔の自分でしたら、芋虫のちいさな自慢などなんともおもわなかったでしょうが、どうにもいまの絶望的な状況では、心に余裕など生まれるはずもありませんでした。
芋虫がさらに話を続けようとするので、王子はうんざりしてこう言いました。「でも、それはぼくがあげたものだよね? 返してくれないかな。ぼく、いますごく困っているんだ」
「なんですって?」芋虫は聞き返しました。
「だから、ぼくはきみが困っていたから名前をあげたんだ。ほんとうはぼくにとっても大切なものだったけれど。でもいまはちょっとした事情でぼくは困っているんだ。だからそれを返してほしいんだよ。もちろんきみだけじゃない。みんなにも返してもらうつもりだよ。元々はぼくのものなんだから」
王子は自分がいい加減な要求をしているとはすこしも思いませんでした。いままでそうでしたから、皆が自分の要求を聞いて当然だと思っていたのです。
調子に乗っていた芋虫は、王子の発言を不快に思いました。ですので、王子の弱点をつこうとして言いました。「はて、王子さまはいまいくつの名前をお持ちでいらっしゃいますか?」芋虫は森じゅうの噂で勘付いていたのです。
王子は同情してもらおうと思い、これまでのいきさつをすべて打ち明けました。しかし、返ってきた芋虫の言葉は王子にとって大変意地悪なものでした。
「そうすると王子さま、わたしたちは対等ではありませんか?」
「対等だって!」はじめてとられた失礼な態度に王子は腹を立て、「きみはぼくにそんな口がきけるくらい偉いのかい?」と、声をあげました。
「だって王子さま。王子さまの名前はひとつ、わたしの名前もひとつ、おなじ数です。これは対等でしょう」芋虫は怯みませんでした。
たしかに、芋虫の意見は間違ってはいません。しかし王子は納得できませんでした。「でも、それは元々ぼくのものだったじゃないか! ぼくがあげたからきみはいまとてもいい思いをしているみたいだけど、そもそもきみが困っていたからあげたんだ。いまはぼくが困っているんだよ、なのにきみはなんて恩知らずなんだ!」
どう言われようとも芋虫の心は変わりませんでした。「王子さま、わたしはようやく平穏な生活になりつつあるのです。一度味わってしまった幸福を、いまさら簡単には手放せません。王子さまには感謝しています。けれど、現在わたしたちが対等である以上、わたしが王子さまに従わねばならないという決まりはありません。わたしでなくても、ほかの親切な者が王子さまの願いを聞いてくれるでしょう」そう言って芋虫は去ってしまいました。
王子は芋虫の態度にひどく傷つき、これ以上ほかの者に頼もうという気になれませんでした。同じ思いをしたくなかったのです。
かつての友人に裏切られ、すっかり意気消沈した王子は、もうどこにも自分の居場所はないのだと望みを失い、城を出て行きました。