100話 キレてないですよ
「なんですか、これは……?」
剣を高く頭上に振り上げたまま、エリゴスは戸惑っていた。
確かに先程まで、自分が攻撃し、殺害しようとしていたのはソロモン王の生まれ変わりである少年――それと、下級の魔神であった筈。
だが現在、エリゴスの目の前にいるのは根来尊とビフロンスではなく……彼女が引き連れていた獣人兵達である。
「エリゴス様、正気に戻られたのですか!?」
「正気に……? この、私が?」
混乱から動きを止めたエリゴスを見て、獣人兵の一人が声を掛ける。
その発言を受けてエリゴスはますます困惑を深めたが、周囲の環境を少しずつ把握していくと共に……おおよその事情を飲み込み始めた。
「ここは、ヴァルゴルの外じゃねぇですか……」
エリゴスが立っているのは、ヴァルゴル大森林を抜けて、レオアードへと続く方面のあぜ道。そこに、彼女だけではなく大勢の獣人兵達が集まっており……ぐるりと一周、エリゴスの周囲を囲っていた。
「は、はい。作用でございます。私達はいつの間にか、ヴァルゴル大森林の外に出てしまっていたようでして」
「案内役の女が姿を消していた為に、森の中へ戻る事も叶わず……ここで待機していたのですが」
「つい今しがた、エリゴス様が森の外に飛び出してきたかと思うと……いきなり、暴れ出されて」
「全員総がかりで、お止めしようとしていた次第でございます」
「…………」
矢継ぎ早に語られる、周囲の兵達からの証言は……エリゴスが認めたくはない事実を肯定するのに十分なものであった。
「まさか、この私が……幻影に、騙されて……」
エリゴスがビフロンスを憑依した尊を斬り付け、ラウムを殺害した瞬間。
確かに彼女の手には、人を斬り付けた感触が伝わっていた。
それだけではない。動いた時に頬を撫でた風の感触、辺りに散らばった血の匂いまで――確かにエリゴスは感じ取っていた筈なのに。
「やってくれやがりましたね……」
それは、一体いつからか。
最初にビフロンスと遭遇した時から?
いや違う。あの時は間違いなく、エリゴスは幻影を見抜く事が出来ていた。
だとすれば、尊がビフロンスを憑依して能力を発動した直後――あそこしか考えられるところは無い。
「ソロモンの生まれ変わり!! ビフロンスッ!!」
ビフロンスのイリュージョラルヴァによる幻影は、今まで視覚にしか作用しないものであった。
それを尊が覚醒させる事で、五感全てに作用する幻影へと強化したのだろう。
そしてエリゴスはそんな事にも気付かずに、自身の能力である予知さえも――幻影によって上書きされてしまう。
その結果。彼女はまんまとヴァルゴルの森の外へと追い出され、挙句の果てには自分の部下を斬り殺してしまいそうになっていたのだ。
「全員、いますぐ森の中へ引き返しやがれです! 奴らをこのまま、逃がすわけにはいかねぇんですよっ!!」
「し、しかしエリゴス様! 案内役がいなくては――!」
事実を全て正しく認識したエリゴスは、怒りに燃えながら部下達に指示を出す。
自分は完膚なきまでに敗北した。それも、格下と侮っていた下位の魔神に。
紛れもないその事実が、上位魔神の地位と名誉に固執するエリゴスにとっては、どうしても耐え難い屈辱だった。
「だったら今すぐに、レオアードへと伝令を送りやがれ! バティンを一刻も早く、この私の前に連れて来いっ!!」
「「「「は、はいっ!!」」」」
すっかり頭に血が上ったエリゴスは、もはやその口調にほんの僅かな品性も残されていない。
ちぐはぐだった敬語の皮すら剥がれ、怒りに満ちた魔神としての本性が、その口調と声色に強く滲み出ていた。
「おのれ、ソロモンの生まれ変わり――! この私に、よくも恥をかかせやがったな!!」
血が滲む程に強く拳を握り締め、唇を噛み締めるエリゴス。
「この屈辱は絶対に忘れねぇ!! ぶっ殺してやる!!」
彼女は視線だけで人を殺せそうな程に殺意を迸らせながら、全てを飲み込むように暗い森の入口を――ただジッと見つめ続けていた。
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本編100話目に主人公が一切出ないという暴挙。
まだまだこのシリーズは続きますので、今後とも何卒お付き合いをお願い致します!