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蜜酒6

 婚儀をあげてからもう半月は過ぎている。こうして夜毎、蜂蜜酒を一緒に飲むのもあと半月と気づき、イブリンは落ち着かない気分になる。

 アレックスは礼儀正しいし優しい。でも日を追うごとによそよそしくなっていく。

 昼間は互いに多忙で気は紛れる。アーチボルトも、イブリンがお菓子を食べようと誘い、一緒に遊ぶ時間を増やしたことであからさまな敵意はなりを潜めている。

 むしろイブリンの方がアーチボルトの無邪気さに、救われていた。

 それだけに寝室での気まずさが際立つ。

 初めての夜と同じように杯をきつく握りしめて、イブリンは隣に座るアレックスを意識する。

 侍従がさがり二人きりになるのを待って、イブリンは思いきってアレックスの寝衣の袖をつかんだ。


「陛下、お話が」

「なにか」


 腰を浮かしかけていたアレックスはぎょっとした表情になったものの、イブリンの真剣な表情になにかを察したのかまた寝台の端に腰を下ろした。

 とっさに袖をつかんだものの、どう言えばいいかイブリンは迷う。ただこれ以上、塞ぎこみたくない。

 手を腿の上に組み勇気をもって話し始める。


「わたくしに思うところがあれば、おっしゃっていただきたいのです」

「いや、別に。あなたに含むところなどないが」


 嘘だ。イブリンは瞬間的にそう思い、きっとアレックスを見上げた。


「ではなぜ、わたくしに背を向けられるのですか? お忙しいのは承知していますが、早く寝台を抜け出してしまわれるのは、わたくしに至らないところがあるからではないのですか? 陛下のお体も心配ですし、憂慮を深められているのをどうにかならないかと、わたくし……」


 語尾は頼りなくなったが、とりあえずの思いは告げられた。必死なイブリンと対照的に、アレックスはきまり悪げだ。

 イブリンから視線を外して、口ごもる。


「至らないなどと。あなたは、よくやっていると思っている。ただ……」

「ただ?」


 いよいよ核心に触れられる。イブリンはひたすらにアレックスを見つめ、続きを待った。

 アレックスは額にうっすら汗を浮かべ、ますます挙動不審になっているが、どうしても聞きたい。イブリンはアレックスに躰を寄せ、すがるような眼差しを向けた。

 低くうめき、アレックスはイブリンから顔をそむけた。のみならず、勢いをつけて立ち上がった。


「陛下?」

「私とあなたの婚儀は――正式には成立していない」

「え? あの、それはどういうこと、でしょう」


 理解が追いつかず、イブリンはアレックスを凝視する。ためらうそぶりの後で、アレックスが切り出した。


「婚儀をあげた夜の、立ち会いの儀が完遂されていないのだ。だから」


 半月前を思い返し、イブリンは眉をひそめる。確かに『無理に立ち会いの儀を行う必要はないだろう』と言っていた。

 では、と血の気が引いていく。婚儀が成立していない以上、わたくしは正式な王妃ではない。そんなわたくしが大きな顔をしていれば、アレックスがよそよそしくて当然だ。

 お情けの王妃、にせものの王妃と自嘲していたが、実際もそうだったのか。

 知らないうちに躰が小刻みに震える。しかし、確かめなければ。


「では、どうしたら、立ち会いの儀が成立するのでしょうか」

「それは。あなたの決心しだいだと」

「わたくしの決心が必要なのですか? 陛下がよいようになさってください。わたくしは、陛下と婚儀をあげたのですから」


 正式な王妃になれないままだと、キアーラとラフォレーゼの同盟も成立しないことになる。

 政略でここまで来たのに同盟がうまくいかないなんて、本末転倒だ。最初は公爵夫人になるつもりだったが、事態がかわった後では婚儀を成立させ正式に王妃になるのはイブリンの義務で、絶対的な存在意義だった。

 アレックスとの婚儀が決まった時から、王妃になる覚悟はあった。今さら決心を迫られても困る。


 必死なイブリンの前で、アレックスは立ち上がったまま近づこうとはしない。


「では尋ねるが、あなたはアレクシスをどう思っていたのか」

「アレク殿下ですか。わたくし、婚約できて嬉しく思っておりました」

「つまり、あれを想っていたのか?」


 なぜここでアレク殿下の話題が出るのだろう。いぶかしく思いながらイブリンは素直に答えた。想っていたのか? の問いに勝手に頬が赤くなる。

 その表情や顔色の変化をアレックスにつぶさに観察されていたが、気を回す余裕はなかった。


「アレク殿下はわたくしの……初恋の方でしたので」

「そうか。――ならば、立ち会いの儀は完遂しない。目を通したい書類があるので、執務室に行く」


 イブリンを拒絶し、アレックスは立ち去った。

 残されたのは力なく寝台に腰掛けるイブリンのみ。震える肩を抱いて前屈みになり、ぎゅっと目を閉じる。

 アーチボルトからにせもののははうえ、と言い放たれた時より胸が痛い。アレク殿下が出奔したと聞かされた時と同じか、それ以上に痛い。

 婚儀が中途な自分は、王妃ではない。アレックスには拒絶されてしまった。


「わたくし、なんのためにラフォレーゼに来たのかしら。陛下のご不興をかっているのに、どうしたらいいかわからないなんて」


 アレク殿下の出奔は神への信仰ゆえだったから、はじめからイブリンに勝ち目などない。加えてアレックスからも拒まれた。

 立て続けに拒絶されるのは自分に問題があるのだろう。ただ問題の原因も対処もわからない。


 前王妃のようになれないばかりか、そもそも同じ立場ではなかった。しょせん小さな国の田舎者の王女だったから、婚儀が成立しない理由を理解できないのだろうか。

 あるいは、自分を正式な王妃にしないことでアーチボルトの地位を安泰にするためか。このままいくとアレックスの正式な子はアーチボルトのみだ。

 正式な婚姻ではない以上、自分に子ができても嫡出子にはなりえない。

 それを見越してアレックスは婚儀を完遂させなかったのなら、よく考えられている。イディナへの面目は立つし、キアーラは国力が小さいので抗議もできない。

 そうか、とすんなり納得できた。

 

 ただ胸の痛みはなくならず、棘が抜けないままイブリンは熱を出して寝込んでしまう。



 快方に向かうまで、アレックスはイブリンに近づかない。

 セレストが看病してくれるが熱はなかなか下がらなかった。ラフォレーゼにいる意味が見いだせず、よくなりたいという欲求に乏しいせいかもしれない。

 浅く細切れの眠りに現れるアレックスは、いつもイブリンに背中を向けて去って行く。にせもののははうえ、という声がこだまする。

 合間に心配そうなセレストがのぞき込んでは、いろいろと話しかける。熱に浮かされぼんやりとしているうちに、時間だけが過ぎていく。



 寝台に起き上がれるようになるまで、七日を要した。高熱が続いたために消耗し、すっかり食欲もおちてしまう。

 セレストが食べろとうるさいが、果物だけでもういいとイブリンは盆を押しやる。


「王妃様。もう少し召し上がってください」

「わたくし、王妃ではなくてよ」


 熱のせいでイブリンの意識が混濁しているのかと考えたが、イブリンは静かな声でくりかえした。


「婚儀が成立していないのですって。だからわたくしは正式な王妃ではないの」

「なにをおっしゃるのです。婚儀なら、あんなに盛大に、荘厳に執り行われたではないですか」


 気色ばむセレストに、イブリンはよけいなことを言ったと後悔した。キアーラ側に伝われば、兄王は心を痛めるだろうし同盟の行方を憂慮するのは確実だ。


「このことは、誰にも言わないで」

「そんな訳にはまいりません。どういうことか、私に教えてください」


 セレストが諦めるはずもなく。病み上がりのイブリンに遠慮しながらも、きっちり追求してくる。イブリンには抗しきれなかった。


「――つまり、立ち会いの儀が完遂していないと。そして、陛下に完遂するおつもりがないということですね」

「ええ。でもほら、これで陛下のお子はアーチボルト殿下お一人だし、王位継承への余計な争いはないでしょう」

「ですが」

「わたくしに子ができても、正式な子でないから」


 認めるのは惨めで悲しいが、事実は事実。枕にぐったりと頭をのせてイブリンは力なく肯定した。

 それまで怒気をにじませていたセレストが呆気にとられ、まじまじとイブリンを見つめる。


「あのう、そもそもお子はできないと思うのですが」

「でも、半月同じ床にいたのだもの。できているかもしれなくてよ」

「――でも立ち会いの儀は完遂していないのですよね。王妃、姫様はどうやってお子ができると思っていらっしゃるのですか?」


 おかしなことを聞く。イブリンはそう思いながらも、セレストに応じた。


「どうやってって。婚儀をあげて同じ床で眠ればできるのでしょう? お父様とお母様もずっとご一緒に眠っていらしたわ」

「眠れば。確かに眠ればですが、ただ眠るのではなくて……」


 セレストの顔つきがそれは恐ろしくなり、侍医と入れ替わりにイブリンの側を去っていく。

 侍医に腕をとられ手首の脈を確認されながらイブリンは疲れを覚え、目を閉じる。

 ずっと熱が続けばよかったのに。そんな風に投げやりになる自分がいとわしいが、回復しても事態はかわらない。熱が続けば療養と称して王城やアレックスから距離をおける。アレク殿下からもアレックスからも望まれないのなら、ひっそり生きていきたい。

 病のせいか思考が後ろ向きになっている。薬湯を飲んでうつらうつらしながら、イブリンは夢を見ない眠りに落ちた。



 ぐっすりと眠り、久しぶりに穏やかな気分で目覚めたイブリンは、セレストから一冊の本を手渡される。


「これに、姫、いえ、王妃様が知るべきことが書かれています。すみずみまでお読みください」

「わたくしが知るべきこと」

「陛下にお任せすればよいと送り出した私も悪かったのです。陛下がどんなおつもりなのかはわかりかねますが、これで立ち会いの儀の意味が理解できるかと」


 ぱらりと頁をめくり、イブリンは文字列に目を走らせる。ただ読んだだけではわからなかいことがらが、挿絵があるので理解できる。

 読み進めるうちにだんだん頬が赤くなる。頁をめくる指も震える。最後まで読み終えて、イブリンは呆然と本を閉じた。


「――これ、これをする必要があったのね。でもわたくしは、アレク殿下から陛下に婚儀をあげる方がかわったのについていけなかった」

「その通りです」

「わたくしを思いやって、陛下はひいてくだっさったのね。そういえば無理強いはしたくないと、おっしゃっていたわ」


 婚儀をあげた夜を思い出し、イブリンの声は震える。

 世俗にまみれたことを教えず、深窓の王女として育ててしまったとセレストは反省するが、まさかイブリンが幼い誤解をしていたとは思いもよらず。

 

「なんてこと。陛下にお詫びしなければ」

「お見舞いの花をいただいていますから、お礼を書かれてはいかがでしょうか」


 頷きながら、しかし、事態は好転しないかもとうっすらと感じていた。

 最初はイブリンを思いやって、途中からはイブリンの無知故に行動に移せなかったのだろう。

 ただ最後の夜は違う。アレックスは自分の意思で立ち会いの儀は完遂しないと宣言した。つまり、本に書かれていることをイブリンとするつもりはない。

 従って立ち会いの儀も完遂されないし、子もできない。

 この先ずっとにせものの王妃のままかもしれない。


 礼状を書きながら、イブリンの気は晴れなかった。

 




 

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