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蜜酒5

 思ったよりも王妃という立場には馴染めたような気がする。なにもかもがキアーラとは規模が異なるが、内容としては王女時代と変わらないせいだろう。

 ただ比べものにならないほどに気を張っていて、ついセレストしかいないとため息をついてしまう。

 それをたしなめるのは、しっかり者のセレストだ。


「王妃様、お見苦しいですよ」

「気をつけるわ。でも、ね。陛下もアレクサンダー殿下もよそよそしい上に、アーチボルト殿下が……」


 ああ、とセレストは頷いた。まだ蜜月の期間中なので夜毎、床を共にするためにイブリンの身支度を調えるのがセレストの役目だ。

 はじめの頃は陛下がお優しいと感激しきりだったイブリンが、日を追うごとに元気をなくしていくのが気がかりだった。環境が激変したので無理もないと思っていたが、どうもそれだけでないと薄々感じている。王妃としての公の振る舞いより、むしろ私的な部分で苦労しているようだと。


「焦っても仕方ありません。ゆっくり関係を深められては?」

「わたくしもそう思うのだけれど」


 ゆるく髪を編んでいる最中に、イブリンがうつむく。しおれるイブリンの姿はセレストも見たくない。あれほどアレク殿下との婚姻を楽しみにラフォレーゼに赴いたのに、と不憫さが増してしまう。


「陛下がわたくしを娶ったのを後悔なさっているのではないか、そんな気がするの」

「まさか。この婚儀は陛下からのお申し出ですよ。たやすくお気持ちを違えるはずはございません」


 美しくイブリンの支度を調えて、さあと寝室へと促す。イブリンも重い足取りながら、すっと表情を改める。その姿は寝衣に上着なのに威厳を漂わせている。扉が閉まるまでお辞儀をして、セレストはあれこれ考えを巡らせる。

 これはギーズの力を借りなければ。イブリンからの聞き取りだけでは、どんな状況なのかつかみにくい。

 重厚な扉の向こうでは、今宵も蜂蜜酒を飲み干して二人で過ごす。どうかお二人の仲が睦まじくありますように。

 セレストは誰にともなく、祈る。



 杯を干して、いつものように寝台の端と端に横たわる。イブリンが頭を横向けるとアレックスの広い背中が目に入る。

 ここ最近、アレックスはイブリンに背を向けて眠る。そしていつの間にか寝室を抜け出すのだ。政務が多いので、と断りを入れられ納得はした。

 それでも背中を向けられると、拒絶されているような気がしてしまう。

 ただ親しく会話を交わせるのは、今しかない。イブリンは唇を湿して、背中に語りかける。


「陛下。あの、いつも綺麗な花をありがとうございます」


 ごそりと姿勢が変わり、アレックスが仰向けになった。顔を向けられイブリンは、ほっとする。


「気にいってもらえたなら、なによりだ」

「こちらの庭園もそうですが、温室も見事でつい時間を忘れてしまいます」

「そうか」


 それきり、話の接ぎ穂がなく沈黙が落ちる。

 アレックスは天井を見つめ、というよりにらんでイブリンに声をかけた。


「朝が早いので、これで。おやすみ」

「おやすみ、なさい」


 そうしてアレックスは背を向ける。イブリンの憂慮が、また少し深まった。


 寝不足ぎみに朝を迎え、イブリンは寝台から降り立つ。アレックスはとうに起き出している。寝台を回って、アレックスが横になっていた場所に手をすべらせた。

 伝わる感触はつめたくて、夜明け前には寝台を抜け出たのだろうと推察される。少しの間そのままでいて、イブリンは羽織った上着をきゅっと握りしめた。


 一連の行事も一段落してイブリンは温室でお茶を楽しんでいた。異国情緒あふれる空気と鮮やかな花々は、かぐわしい香気をたたえている。

 ふと出入り口の付近が騒がしくなった、と思ったら侍女や侍従、近衛に囲まれた小さな王子がやってきた。

 先客のイブリンを認め、ぴたりと足を止める。

 優雅に立ち上がり、イブリンは微笑む。


「おはようございます。アーチボルト殿下」


 ぷいと横を向くのは、おなじみの反応だ。双方のおつきがはらはらしているが、イブリンはつとめて平静を保つ。


「殿下も花がお好きでいらっしゃいますか?」

「ここは、ははうえが作ったおんしつだ。にせもののははうえは、出ていけ」


 誰にどう吹き込まれたのか、アーチボルトはイブリンを『にせもののははうえ』と呼ぶ。継母だから、本当の母ではない。ほんものでないものは、偽者。そんな解釈だろう。さすがにアレックスやアレクサンダーの前では言わないが、こうしてイブリンと顔を合わせると頬を膨らませる。

 つきり、と胸が痛んだが、イブリンは唇には笑みを浮かべたままアーチボルトの目線まで腰を落とす。


「出て行け、はよい言葉遣いではありません。殿下はいずれラフォレーゼの国王となる身。お好きに命令できるお立場になりますが、言い方次第で人は傷つきます」

「うるさい。にせものはいなくなれ」


 足を踏みならすアーチボルトに、イブリンの矜持――王女であり、王妃となった矜持がこのままではいけないとささやく。


「殿下は五歳におなりですもの、そのような振る舞いはもっと小さいお子がなさることです」


 アーチボルトはむっとするが、足は止める。幼くても誇り高く、聡いのだとイブリンはにっこりする。

 周囲の花を見回してアーチボルトに話しかける。


「殿下のお母様がこの温室を作られたのですね。ではイディナの花も植えられているのでしょうか」

「もちろん。あそこのあかいのと、こっちのしろいのは、ははうえのお国の花だ」

「まあ、なんて綺麗なのでしょう。こんな花々が咲くイディナは、きっと素敵なところなのでしょうね。わたくしに教えてくださいませんか?」


 腕をのばし花を指さしていたアーチボルトは、イブリンのお願いにえっという顔をした。次に幼い顔に浮かんだのは優越感、だ。


「しらないのか? とっても大きくてたくさんの民がいる国なんだぞ」

「殿下はイディナのことをよくご存知ですのね。わたくしも殿下のように詳しくなりたいです」


 にこにこと感心していると、アーチボルトの機嫌もよくなる。地図をもってこさせて、イブリンにむっちりした指でイディナを指し示す。


「ここがははうえの国。こっちがちちうえとぼくのいる国」

「どちらも大きくて、立派です。では殿下、わたくしの国をご存知でしょうか。キアーラです」

「えっと……」


 得意げだったアーチボルトの指が地図の上をさまよう。イブリンはそっと、地図上の生国、キアーラを指さした。


「ここです。イディナやラフォレーゼと比べると小さいですが、海や山が美しいところです」

「ほんとうだ、ちいさい」


 国の境界を指でたどり、アーチボルトは呟いた。それでもイブリンの話聞かせるキアーラの様子が珍しいのか、耳を傾ける。

 イブリンが面白おかしくキアーラの馬祭りの話を終えると、見たいと目をきらきらさせた。


「よい馬が多いんです。わたくしは馬に乗るのと木に登るのが大好きでした」

「きにのぼるの?」

「ええ。お行儀が悪いと叱られましたが、とても楽しいのですもの、やめられませんでした」


 そう、兄の後をついて外で遊ぶのが好きだったイブリンは、おてんばだった。

 木に登ったもののうまく下りられずにべそをかいていたのを助けてくれたのは――。


「そういえば、殿下の叔父上にあたられるアレクシス殿下とは、木登りが縁でお会いしたのです」

「おじうえと? どうして?」

「木に登ったのはいいのですがおりられなくなってしまって。そこに、キアーラにいらしていた殿下が現れてたすけおろしてくださいました。泣いたわたくしに、綺麗な花冠をつくってくれたのです。お優しい方でした」


 物語の、塔に閉じ込められた姫を助け出す騎士。あの時のアレク殿下は、イブリンにとっての英雄だった。

 イブリンの頭に花冠をのせ、薄青い瞳は優しい光を宿していた。

 ――あれがイブリンの初恋だったのだ。



 身内を褒められたアーチボルトはすっかり気をよくしている。出て行けと言ったのも忘れて、イブリンとお菓子を食べながら夢中でアレクシスの話をする。

 イブリンにしてもアレク殿下のことを聞けるのは新鮮で嬉しい。一緒に過ごしてアーチボルトの敵意や警戒心は、少し薄れたらしい。


「にせもののははうえ、きのぼりをしよう」

「ええ、でもこの素敵な温室にいるのですもの。かくれんぼはいかがでしょうか」


 アーチボルトが隠れてイブリンが探す。花々や木々が繁る温室は、容易に人の目を遮る。小さいアーチボルトが隠れるのだ、なかなか見つけられずにやっと大きな葉の陰に潜んだアーチボルトを見つけた時には、イブリンは心底安堵した。


「ああ、殿下は隠れるのがあまりにもお上手ですから、わたくし見つけられないかと思いました」


 ふふん、と自慢げなアーチボルトはかわいらしく、イブリンは繕わない笑みを誘われる。

 またイディナや王城のことを教えてくださいね、と頼みアーチボルトと別れる。

 王城に戻る道すがら温室を振り返りその立派さ、豪華さにアレックスの前王妃への想いの大きさや深さを推し量る。


「陛下はご立派でお優しい方ね。わたくしにも花を贈ってくださる」

「そうでございますね。ときに王妃様、殿下と仲良くなられて」

「賢い殿下だと思うわ。きっと、王妃陛下も素敵な方だったのでしょう」


 急に地図のキアーラの領土の小ささが脳裏に浮かぶ。ラフォレーゼとイディナの大きさも。

 お情けの王妃。にせもののおうひ。あんなに優しかったアレク殿下にも逃げられた――。

 胸になにかがつかえて、居座っている。イブリンは足取り重く王城へと戻った。







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