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蜜酒4

 侍女の前では寝衣でいることも裸になるのさえ全く抵抗はなくても、異性の前でしかも立会人もいる前ではさすがに羞恥を覚える。この後どうなるかよくわかっていないので、余計に怖いのかもしれない。

 隣に腰掛けるアレックスには圧倒的な存在感があり、ほのかに体温すら感じられそうだった。

 すべて陛下に任せておけばいい。頭ではわかっていても、躰は別だ。


「顔色が悪いようだが、大丈夫か?」

「だいじょうぶ……です。ご心配には、およびません」


 単なる返事でさえ喉に絡んで、声が震える。しっかしなさいと叱咤しても、ままならない。情けないことだとイブリンはきゅっと杯を握りしめる。

 不意に杯こと大きな手で包まれて、びくりと肩が揺れる。こわばったイブリンの手から、ゆっくりと杯が抜き取られた。

 アレックスは杯を侍従に渡し、立会人に視線をやった。


「立ち会いの件だが、私は子をなせるのを先の婚姻で証明している。これなる花嫁も申し分なく健やかだと、侍医が断言している。よって無理に立会いの儀を行う必要はないだろう」


 イブリンにとって思いがけない文言に、慌てて見上げるとアレックスは表情を崩さない。

 立会人も異例の要請に小声で話し合っていたが、おそれながら、と低姿勢に意義を述べようとした。それをまたもアレックスが遮る。


「花嫁にとって、ここにこうしているのは予想外の事態だ。まだ認識が追いついていないかもしれない。こちらの事情による婚姻だ、無理強いはしたくない」


 まるで心の中を読まれているかのように、アレックスはイブリンの抱いている葛藤や抵抗に理解を示し立会人に対峙してくれている。なんと洞察力に優れ、的確に判断なさるのだろう。これこそが大国のラフォレーゼを統べる国王の資質なのかもしれない。

 尊敬、畏敬の念を抱くイブリンと静かな表情のアレックスを交互に見やり、立会人は再度協議する。そして、アレックスの意向にそうと頭を下げた。


「ただし慣例に従い、一ヶ月蜂蜜酒を飲んで、同じ床には入っていただきます」

「無論、承知している。――首尾良くいったあかつきには、それと知れるだろう」


 では、と立会人と侍従は寝室を出て行く。後にはイブリンとアレックスが残された。

 イブリンは何と言うべきか、どう振る舞うべきか決めかねる。経験のなさはどうしようもない。

 今度もアレックスが動く。すっと立ち上がりぐるりと寝台の反対側へと周り、上掛けをめくった。


「寝台は広い。私はこちらの端で休むので、あなたはそちらの端で眠るとよいだろう」

「あ……そう、ですね」


 上着を脱ぎ寝衣ができるだけアレックスの目に触れないようにと、慌てて寝台に横たわる。自分のものでない衣擦れの音や気配に、ただただ緊張した。

 それでもイブリンを思いやってくれたことは嬉しく、礼は申し述べなくてはとアレックスの方を向く。


「あの、陛下。さきほどのご配慮、ありがとうございます」

「いや。今日は疲れただろう。ゆっくり休んで」

「はい」


 穏やかな口調にほっとして、ゆるりと上掛けの下で手足を伸ばす。初夜としては異例の展開のようだが、本音としてはありがたい。

 ほっとすると先ほどの蜂蜜酒が、ゆるやかな酔いを運んでくる。とても眠れないと思っていたのに、アレックスの言うとおり疲労もあったのだろう。

 イブリンはいつ眠ったのか覚えていないほどに、すみやかに眠りに落ちてしまった。



 自分以外の気配が動き、イブリンはもぞもぞと寝返りをうつ。セレストだろうか。もう起きる時間かと重い瞼を開く。

 ぼんやりとした視界の向こうに、広い背中、がっしりとした体躯が立ち上がろうとしていた。賊かと一気に眠気が飛ぶ。悲鳴をあげるか逃げようとしたその時、振り返ったのは。


「おはよう。起こしてしまったか」

「へい、か」


 黒褐色の髪を寝乱れさせ、寝衣の下でも鍛えられた体躯を誇るかのようなアレックスだった。

 悲鳴をあげなかった自分を褒めたい。イブリンは慌てて寝台に起き直る。そうだ、婚儀をあげて、アレックスと床入りしたのだった。

 胸に上掛けをたぐり寄せたイブリンに、アレックスはふ、と眼差しを和らげる。


「よく眠れたか?」

「はい、おかげさまで。いつ眠ったのか覚えておりません」

「それならよかった。――昨夜述べたように、あなたに無理強いするつもりはない。ゆっくりとここに馴染んでほしい」

「ありがたい、お心遣いに感謝いたします」


 目覚めたのだからとイブリンも起き出す。しばらくは式典や公務などで忙殺される。身支度もより大変になるだろう。

 朝食の間で会おうとアレックスはあっさり寝室を出て行く。もそもそと上着を着込みながら、立場は変わったがイブリン自身は変わっていないように思う。イブリンは自分の躰をそっと抱きしめた。

 予想外のなりゆきだったが、ともかく婚儀は済んだ。国王陛下には感謝するばかりだと機嫌のよいイブリンを、支度をしながらセレストは探るように見つめる。


「あのう、昨夜はいかがだったのでしょうか」

「え? 特に問題なく過ぎたけれど」

「そうですか。でも、あの……お躰の具合は」


 はきはきと話すセレストにしては、歯切れが悪い問いかけにイブリンは小首をかしげる。


「傷みなどありませんか?」

「いいえ。まったく」

「まったく、ですか。苦痛を感じられなかったのですか。それは陛下の手際なのでしょうか、それとも問題なのでしょうか」


 謎かけのような言葉にイブリンはなおも首をかしげる。苦痛がなかったのはよいことなのに、セレストはなぜ深刻な顔をしているのだろう?

 望んで苦痛を受けるなんて誰もしないだろう。

 悩みながらも手は正確で、イブリンはきっちりと結われた髪と自分を引き立てる化粧に満足する。


「陛下をお待たせしてはいけないわ。参りましょう」

「かしこまりました」


 国王陛下がお優しいとわかったのが収穫だと、イブリンは軽やかに王城を歩く。

 同じ床で眠るのは少し恥ずかしいが、一ヶ月のことだ。きっと乗り切れると楽観視する。

 ただ相手がアレク殿下だったら、と未練がましく考える。アレク殿下にはお子はいないので、立ち会いの儀とやらを済ませただろう。どんな儀式だったのだろう。


 ぼんやりと想像の世界をさまよいそうになって、イブリンは気を引き締める。

 だめ、しっかりしなければ。わたくしは公爵夫人ではなく、王妃なのだ。このラフォレーゼの。

 意識して顔をあげ、流れるような歩みでイブリンは朝食の間に入る。

 そこにはアレックスのほかに王弟アレクサンダーと、イブリンの兄王と義姉の王妃、そして小さな男の子がいた。くりくりとした茶色の髪に薄青い瞳。前王妃の忘れ形見、アーチボルト殿下だ。

 イブリンを目にした途端にアーチボルトは顔をしかめる。……仲良くなる道のりは遠いようだ。


 少し緊張をはらんだ空気の中、アレックスの向かいに座りイブリンは朝食をとる。近くに兄と義姉が座り、穏やかに会話ができる。

 婚儀にも出席してもらえたのが嬉しくて、イブリンはできるだけ会話した。兄王たちが帰国すれば、今度はいつ会えるか。考えると胸がいっぱいになるが、きちんと食べなければ。イブリンの一挙手一投足は注目を集めているのをひしひしと感じるから。



 様々な宴や紹介を兼ねた公務など、婚儀の前よりも忙しくイブリンは一日を短く感じていた。

 兄王を見送り、湯浴みから夕食をとればもう眠気におそわれる。疲れた躰に蜂蜜酒は禁断の果実だった。口当たりはよいのに、度数は高い。

 飲んで寝台に横たわると酔いがまわり、とろとろと眠くなる。

 アレックスとはこの短いひとときに私的な会話を交わす。といってもイブリンがすぐに眠ってしまうので、会話の量は多くない。

 

「おやすみ」

「おやすみ……なさ、い」


 おやすみと告げてくれる声は優しい。この声のせいで、よけいに眠くなるのかも。

 そう思うイブリンには笑みが浮かぶ。アレックスが苦虫をかみつぶした表情でため息をつくのには気づかなかった。




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