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蜜酒3

 婚約が宙に浮いたイブリンは、ラフォレーゼに客人として滞在している。美しい王城も慰めにはならない。歓迎の式典や大小とりまぜての宴や茶会も、中止されたままだ。

 今はキアーラからの返書を待っている。


「姫様、ご気分はいかがですか?」

「いつもと同じよ」


 ラフォレーゼは規模の大きな図書室を有していて、貴重な本がそろっている。何冊か借り受けたそれらをイブリンはひたすら読んでいる。

 ここに来なければ読めなかったかもしれない本は、ほんの少しイブリンのともすれば湖の底まで沈みそうな心を浮き立たせてくれる。


「セレストも読まない? とてもためになってよ」

「私は軽い、読み物で充分です」


 恋物語、と言いかけてセレストは言い換える。侍女にまで気を遣わせて、とイブリンの胸はじくりと痛んだ。

 しかしなんでもないように振る舞う。午後は絵を描くか刺繍でもして過ごそうと、セレストに伝える。婚約が決まってから、いや初恋を覚えた時からイブリンは『素敵なお姫様』になるべく努力したのだ。

 苦手だった針も何度も指をさしながら上達したし、淑女に必要とされる教養も身につけた。

 神話や冒険譚、それにキアーラでは眉をひそめられた政治や歴史の本を読むのが大好きだけれども、人前では自重している。

 それもこれも初恋の王子様に嫁ぐためだった……。無に帰した今では、何をしても気が抜けてしまう。


「返書はまだなのかしら」

「もう間もなくかと思われますが」

「セレストはわたくしがラフォレーゼの王妃になるかもしれないなんて、どうかしていると思わない?」


 親しく過ごしてきた侍女にイブリンは笑いながら本音を漏らす。

 王女といってもラフォレーゼから見れば田舎者だ。なくなった王妃はラフォレーゼと釣り合う大国の王女だったと聞いている。

 国王が、王妃をなくしてすぐに再婚しなかったのは不思議だが、今になって娶ろうとするのがイブリンとは不釣り合いもはなはだしい。


 セレストはきゅっと眉をひそめた。


「なにをおっしゃいます。姫様はどこに嫁がれても立派にやりとげられる、私ども自慢のお方です。むしろどさくさまぎれに子持ちのくせに十も年下の、こんなにお綺麗な姫様を娶ろうとする国王陛下の方がずうずうしいですわ」

「セレスト、口をつつしみなさい」

「いいえ。言わせていただきます。姫様がラフォレーゼへの輿入れを受けられたのは、お相手がアレク殿下だったからです。そうでなければキアーラの国王陛下も姫様を公爵夫人などにはさせなかったでしょう。姫様は王妃陛下になるべき方ですもの」


 自嘲まじりのはずが予想以上に反論されてしまい、イブリンはセレストの剣幕に口をつぐまざるをえなかった。

 身びいきだろうが王妃にふさわしいと褒めてくれるのは、面はゆい。アレク殿下に逃げられ捨てられたことで傷ついた自尊心も、少しは慰められるようだった。


「それにラフォレーゼの王妃といっても再婚ではありませんか。いろいろ難しいと思われます」

「そうね、セレストの言うとおりかも」


 前に奥方がいらっしゃった方なら何かにつけて比べられるかもしれない。それにお子。なさぬ仲になるので、うまくやっていけるかわからない。

 確か五歳くらいと聞き及んでいる。物事もわかり始める頃なので、余計に難しいだろう。

 義理の甥としてなら他意なく可愛がれても、義理の息子となると。

 主従そろって先行きに不安を覚えて黙り込んでしまう。


 

「失礼いたします。陛下からの花が届いております。あと国元からの書簡も、です」


 温室咲きらしい見事な大輪の花々が、イブリンの客室にかぐわしい香りと甘い色彩をもたらす。

 数日おきに届けられる花々は、イブリンの憂慮を深めていた。花はどうしてもアレク殿下との思い出につながってしまう。しかし要らないと突き返すような不敬はおかせない。きちんと飾っておかないとラフォレーゼ側の使用人の目が恐ろしい。

 イブリンは礼を申し述べてセレストに飾るようにと、花々を手渡す。その後でキアーラの人間を呼び集めた。


「兄様、国王陛下からの返書が届きました。読み上げます」


 緊張の中、イブリンは書簡に目を落とす。なつかしい兄の筆跡、そこにはイブリンを気遣う文字があふれている。

 ただ、やはりというべきか国王として判断を下している箇所は明快だった。


「諸事情を鑑みるに、ラフォレーゼの国王陛下との婚姻に勝る案はないと思われる……ですって」


 誰かが息をのみ、そしてイブリンを除く全員が深々と頭をさげた。この瞬間、イブリンの運命は決まったのだった。



 ラフォレーゼの国王、アレックス・ハロルド・レイランドはイブリン宛とは別のキアーラからの書簡を読み終え顔を上げる。

 前に控えている宰相と弟に一つ、頷いた。


「あちらは婚姻を選んだ。そのように取り計らってくれ」

「おめでとうございます、と申すべきなのでしょうか」


 弟の口調に割り切れないものを感じて、アレックスはぎしりと椅子にもたれた。軍の総帥に就任したばかりのアレクサンダーは、兄に射すくめられておちつかなげだ。


「どういう、意味だ」

「面倒なことにならないかと。アーチボルトのこともそうですが、イディナの意向もあるでしょう」


 なくなった王妃の生国の名を出され、アレックスは胸がざわつく。死してなお影響力を行使する、王妃とその国に対しての思いは複雑だ。


「それ以上の面倒を回避するためだ。それにイディナは代替わりして内紛が起こっている、こちらに口を出す余裕はないだろう」

「ですが」

「くどい。キアーラとの同盟の重要性は理解しているだろう? 今回の件は完全にこちらの落ち度だ。最小限の傷で済まさねばならない」


 成人したばかりの、線のまだ細い弟を一にらみするとそれ以上の反論はなかった。

 にわかに慌ただしくなる空気の中で、アレックスは未来の花嫁の姿を思い浮かべた。十も下の、魅力的な顔立ちと輝く金の髪。弟が出奔したと聞かされた際の、ひどく傷ついた青い瞳。

 低くうめいて、アレックスは瞼を閉じる。イブリンの面差しがいっそう鮮明になるだけだった。

 


 もともと王弟に嫁ぐために準備し、携えてきた品々は相手が国王になっても見劣りがしないほどに見事だった。

 特に宝石を細かく縫い付けた花嫁衣装は、ラフォレーゼの衣装係からも絶賛された。


「なんてお美しい。夢のようです」


 書簡を記した後に、キアーラからは国王夫妻がラフォレーゼに向かっている。当初より規模は大きくなり、イブリンもやらなければならないことの多さに目が回りそうだった。

 婚姻と決まった日から侍女は増えて一挙手一投足に目が配られ、折衝項目や確認事項は膨れ上がり、合間にラフォレーゼの歴史や儀礼についての講義が組まれる。

 だから気楽な王弟に嫁ぎたかったのに、とイブリンは内心ではため息ばかり。


 それでも国教会の祭壇の前に進み出た時には、輝くような花嫁になっていた。兄王と腕を組み、祭壇へと進んで、夫となるアレックスに手を取られる。

 ――これがアレク殿下のお手だったら。

 意外に大きくてごつごつとたこのある手に、らちもない考えがよぎる。最善と考え選んだ道だ。

 悔いのないように生きなければ。


 長い宣誓の後で署名を済ませれば、イブリン・オーレリア・ウィッカムはイブリン・オーレリア・レイランドになる。

 祝福の鐘と降り注ぐ花びらの中、イブリンは人生が大きく変わったのにまだついていけない。

 王妃の戴冠と続く盛大な祝宴の後で、イブリンの恐れる時間がやってきた。


「どうぞ、蜂蜜酒です」


 婚儀をあげた二人は一ヶ月の間蜂蜜酒を飲んで、一つ寝台で休む。加えて王侯貴族の婚姻には立会人が首尾を確認するのだ。

 セレストに夜の支度をしてもらいながら、イブリンは情けない顔を鏡に見いだしていた。

 最善と考え婚儀はあげた。今の自分は信じられないが、ラフォレーゼの王妃で花嫁だ。この一ヶ月を乗り切るのも、もちろん義務なのだが。


「姫……王妃様。お顔がこわばっていらっしゃいますよ」

「緊張のせいよ。おなかの中がひっくり返りそうなのだもの」

「すべて陛下にお任せすればよろしいのです」

「ええ、わかっているの。わかって、いるの」


 緊張にまみれながら寝室に足を踏み入れる。立会人が二人、酒肴を整えている侍従、そして。


「いらしたか」

「お待たせしてしまい、申し訳ないことです」


 婚約者に逃げられた王女から、自分を王妃へと拾い上げてくれたアレックス。普段着や正装姿は威厳があり、いかめしささえ感じさせるが、今は手が込んではいるがずっとくだけた部屋着姿だ。

 情けないがアレックスを認めた途端に、うるさいほどに鼓動が早まる。

 いよいよ、初夜が始まる。わたくしはアレク殿下ではなく、国王陛下と床を供にするのだ。

 覚悟もし、何度も想像してはいたが実際その場になると足がすくんでしまう。心のどこかで、この期に及んでも初恋の王子様の幻影が拭えない。


「いや、こちらに。杯を交わそう」


 寝台に並んで腰掛け、侍従の注いでくれる蜂蜜酒が杯にみたされてゆく。

 アレックスに続いて、杯に口をつけ、とろりと余韻を残す甘みを有した酒を飲み下す。


「では」


 アレックスの落ち着いた声に、イブリンは知らないうちに身をすくめてしまっていた。







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