蜜酒13
寝室にはアレックスが先に来ていた。自分から近づいて寝台にいるアレックスの隣に腰をおろすのが、なんとなくきまりが悪い。
杯に蜂蜜酒を注がれる間、誰も何も言わない。さあ口に運ぼうかとしたその時に、アレックスが囁く。
「あまり飲み過ぎないように」
「……はい」
一瓶あけたのを思い出し、イブリンは杯を両手で握りしめて頷いた。
急いで飲んで酔わないように、少しずつ干していく。アレックスはひといきにあおって杯を侍従が捧げていた盆にのせ、イブリンの手からも杯を抜く。
ああ、また陛下が触れた。
その事実に、蜂蜜酒が回るより早く、躰が熱くなる。
「アーチボルト殿下が、とても喜んでいました。早く上達して陛下のような大きな馬に乗りたいそうです」
「そうか。私も楽しみだ」
「わたくしも、楽しみです」
馬場のことを話題にして、イブリンは気詰まりな空気をどうにかしたかった。しかし失敗だった。
相乗りしたのを思い出してしまい、アレックスの腕や手を痛いほど意識してしまう。結果、赤面してしまう。
「イブリン? 顔が赤いがまた熱でも?」
「いいえ。熱はありません。お気遣いありがとうございます」
「しかし」
ぐっと顔を寄せられイブリンが身を引くより早く、手が額に当てられる。
「陛下」
「熱く感じられるが、本当に熱はないのか?」
「あの、それは陛下のお手のせいだと、思うのです」
焦って自分でも何を言っているのかわからない。確実なのはアレックスが触れているから、イブリンの躰が熱くなるということ。落ち着かなくなり動悸もしてくる。
アレックスが手をはなして距離をとってくれれば、自分を保てる気がするのに。
つまり、現在の状況はイブリンにとっては最悪だった。
「私の手のせいだというのか?」
「わたくし、陛下の寛大なお心に安心しておりましたのに……。このなさりようはお言葉とは裏腹ではありませんか」
「待つとは言ったが触れないとは言った覚えはない」
「そんな……」
額からはずれた手はイブリンの肩に移っている。
寝衣と上着を身につけているのに、アレックスの熱と感触がイブリンに染み入るようだった。
否応なく、イブリンはアレックスに引きずられる。これ以上アレックスを意識したくないのに、自分の躰も制御できない現状が恐ろしい。
両肩にアレックスの手が置かれ、そうしたくないのにアレックスと至近距離で見つめ合う。
「確かに私は待つつもりだ。だが、待つ時間を短くしたいと思っている」
「へいか……。わたくし、忘れるのには――お時間をいただかなければならないと申しましたのに」
「忘れるのは無理だろう。弟の存在をなかったことにすることなど私にもできない。ただ、なんとも思わなくなるのなら可能だ」
アレク殿下のことをなんとも思わなくなる。
イブリンはそんなことは不可能だと反射的にかぶりをふろうとして、とどまった。
イブリンがアレク殿下のことをかばったり、態度に出したりするのはアレックスの激情を誘う。
動揺を押し隠して、アレックスに問いかける。
「そのようなことが、できるのですか?」
「私にも未来を見通すなどできない。だが、あなたが私を意識すればあるいはと、浅はかだが行動に移している」
セレストの言葉が脳裏によみがえる。
――最大限に王妃様の意向を尊重されています。でも男性の心理やお躰はまた別なのです。
だから、こんなことを? セレストには陛下に問えと突き放された。聞けば、こたえは得られるのだろうか。
イブリンは、アレックスのささいな変化も見逃さないように、慎重に口を開く。
「陛下、わたくし、陛下を焦らしていますの?」
アレックスの反応は驚くべきものだった。かっと目を見開き、イブリンの両肩においていた手に力が込められる。
そのまま引き寄せられきつく抱きしめられた。均衡を崩して二人して寝台にもつれこむ。
性急すぎるなりゆきにイブリンの頭は真っ白で、ただただ躰をかたくするしかなかった。
アレックスはイブリンを抱きしめている。が、それ以上は何もせずじっとしていた。
どれくらい時間が過ぎたのか。腕の力が緩み、イブリンはアレックスから解放される。
アレックスの表情はイブリンにとって初めてのものだった。額はうっすら汗ばんでいるし、顔が、赤らんでいる。
おそらくイブリンも同じようなありさまなのだろうけれど。
「へいか……」
「イブリン、あなたは私を焦らしに焦らしている。弟の婚約者で、婚約を破棄された今も弟を想っているあなただから、傷が癒えるまで待とうと決意したのに。毎夜同じ寝台にいるのに、何もできない。私の苦悩も少しは察してほしい」
ああ、セレストの指摘どおりだったとイブリンは呆然としながら、アレックスの告白を聞く。
アレックスの忍耐に甘えて、苦悩を与えていたのだ。焦れたアレックスがイブリンに意識させるべく、接触を増やしていた。
事情はあきらかになったが、解決の道は困難を極める。
「ごめんなさい……」
子供のような謝罪が、いつの間にか漏れていた。
アレックスには謝ってばかりだと自分が情けなくなりながら、イブリンは思いの丈を述べる。
「陛下のことは、十分に意識しています。寝室も、その……わたくし、少しずつ努力いたしますので、陛下のご要望をおっしゃってください」
顔から火がでるようなせりふを吐いてから、イブリンは手で顔を覆う。
あの本に書かれていることを最後までと望まれたらどうしよう。さすがにそれは今は無理。
内心では怯えに怯えているが、アレックスの苦悩もできうるならば癒やしたい。
しばらく表情を消したアレックスの要望により、その夜イブリンはアレックスと手をつないで眠った。