蜜酒12
陛下は待ってくださるとおっしゃたのに、
礼拝の最中、イブリンはふと思う。
王族専用の席で神に祈りを捧げる。華麗で荘厳な空間で、民の幸せを願っているのにふと余計なことも浮上する。
アレク殿下への恋情を断ち切り、忘れてしまいたいこと。婚約破棄の傷みを引きずっていること。
なによりアレックスに対して。
アレックスに名を呼ばれると、そのたびに落ち着かない気分になる。これまで親しくイブリンと呼んでいたのはキアーラの家族だったから、名を呼ばれるのは自然だった。
でもアレックスは違う。初めてイブリンの名を呼ぶ存在だからか。
アレックスの口調や息づかい、なによりその際の眼差しがイブリンを動揺させる。
目を閉じ手を組み合わせて祈りながら、イブリンは自分で自分がよくわからないと情けない。
間違いなく今もアレク殿下を想っているし、忘れていない。それなのに、アレックスを意識してしまう。
――わたくし、浮気者だったのかしら。
雑念だらけの礼拝を終え、イブリンは自己嫌悪に陥っていた。
朝食の間に赴くまでアレックスの腕に手をかけて歩く。心持ちが定まっていない状況での接触は、苦行に近い。
触れあうことで馬場でのことが否応なく思い出されるから。イブリンの戸惑いを知ってか知らずにか、普段なら肘をはりイブリンと一定の距離を保ってくれるアレックスがきゅっと脇を閉じてしまった。
偶然かと思ったのに、アレックスはそのままの姿勢を崩さない。
イブリンは手を肘とアレックスの脇腹に挟まれる。内心では驚くが、声を上げるのも歩みを止めることもできない。
沈黙のうちにともに歩く。手が次第に汗ばむのを自覚する。どんなつもりかと、わずかに顔を向けてアレックスをうかがう。アレックスはイブリンを見つめていた。
至近距離でのふれあいに、馬場での感覚がよみがえる。
――どくどくと血が巡り、アレックスに触れている手が熱い。喉がからからだ。
何か言うべきなのだろうか。でも唇は震えるだけだ。代わりに頬が熱くなる。
朝食の間に着いたとき、イブリンは疲れを覚えていた。
一つ一つは大したことではない。イブリンが大げさに捉えすぎているのかもしれない。
でもアレックスは意の振る舞いに結果、イブリンは振り回されているのだ。
「陛下のお考えはよくわからないわ」
まるで食べた気のしない朝食を終え、自室でイブリンはうめく。
「待ってくださるとおっしゃったのに、あんな……」
「王妃ざまが陛下を焦らしていらっしゃるのですから、仕方ないのではありませんか?」
「わたくしが? 陛下を焦らす?」
セレストにぴしりと指摘され、イブリンは顔を上げる。その内容には納得いかない。
「わたくしは陛下を焦らしてなどいないわ」
「――毎晩一つ寝台でお休みになる。その状況であの本に書かれているようなことをなさらないのです。十分に焦らしていると思いますよ」
棚に隠してある本のことを持ち出され、とたんにイブリンは赤面する。
「で、でも、それは」
イブリンがアレク殿下を忘れるまで待つとおっしゃってくれたから。
「ええ、ラフォレーゼも自国の不手際がありましたから、最大限に王妃様の意向を尊重されています。でも男性の心理やお躰はまた別なのです」
「そうなの?」
「そうです」
この分野に関してはイブリンは無知に等しい。セレストに断言されれば、そんなものかと納得せざるをえないのだが。
男性の心理や躰は別とはどういうことだろう。
「セレスト、教えてくれない?」
「陛下にお尋ねなさいませ」
突き放されて途方にくれるイブリンには、寝室は試練の場のように思えるのだった。