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蜜酒11

 久しぶりにぐっすり眠れた気がする。イブリンが目覚めるとアレックスは寝台に横たわっていた。

 ああ、陛下も朝まで眠ったのだ。多忙なアレックスが夜半に寝室を抜け出すのを繰り返していたので、体調を崩すのではと心配だったのでほっとする。

 昨夜を思い返すとお互いに謝りあって、なんとなく歩み寄ったような気がする。それだけでもずいぶんと気が休まる。ここしばらくの憂鬱がアレックスの言動でかなり薄れたから、感謝の念も沸き起こる。


 しばらくアレックスの寝顔を見つめていた。男性的な顔立ちに、大きな躰。目をつぶっているので、アレク殿下を思い起こさせる薄青い瞳は見えない。

 絵姿のアレク殿下とは、あまり似ていない。でも、立派で威厳がある顔立ちだ。


「そろそろ起きる時間かしら」

「おはよう、イブリン」


 ひとりごとのつもりだったのに少し低めの声でかえされ、イブリンは目を見張る。つい今し方まで眠っていたアレックスが、しっかりした眼差しを向けていた。

 なんて素早い目覚めだろう。感心するが、それより名を呼ばれた衝撃の方が、少々大きい。


「おはようございます」


 イブリンの方はまだアレックスとは呼べない。それでも寝台の上で朝の挨拶を交わした事実は、歩み寄りをいっそう実感させる。

 ゆるく編んでいた髪の毛がほどけたのをかきあげ、イブリンは寝台に起き直る。アレックスの目がまぶしげに細められたのには気づかず、一礼して自室に戻る。

 セレストとしては、朝のイブリンから緊張や萎縮を感じない。どころか、ほのかな華やぎを振りまいている。これは、寝室で何かあったに違いない。もしかすると正式に婚儀が成立したのだろうかと、セレストは内心気がはやっていた。


「王妃様、何か良いことでもありましたか?」

「いいえ……ええ、そうね。陛下にわたくしの失言を謝罪できたわ」

「そうですか。他には、なにか……?」


 着替えて髪の毛を整え、化粧の途中だったイブリンの頬がほんのり赤らむ。この反応はまさしく、と鏡越しのセレストの目が輝く。

 しかし、イブリンの答えは意外なものだった。


「陛下がイブリン、とわたくしの名を呼んだの」


 それだけですか? と目で問うセレストに頷いて肯定をしめし、イブリンは朝食の間に赴いた。

 朝食はなにごともなく終わり、イブリンは公務に赴く。そつなくこなしながら、頭の中では延長された蜜月のことが浮かんでいた。

 延長されたのは素直に嬉しいし、アレックスが待つと言ってくれたのもありがたかった。

 あとはわたくしの心持ち次第なのだけれど、と結論づけてひとまず考えるのをやめる。


 午後はアーチボルトにせがまれて、馬を見に行く。厩舎の匂いを嫌う女性は多いがイブリンは好きだ。美しく手入れされた馬を見ているだけで楽しいし、訓練を見学して個性を知るのも意義深い。

 あの馬は東方からのだの、あちらの馬は元気が良くて乗りこなせれば楽しいが御するのが大変だとアーチボルトに説明する。

 アーチボルトは興奮を隠さず馬に夢中だった。馬に乗りたがるが、まだ幼いのでと小さな品種をすすめられて頬を膨らませた。


「ちゃんとのれるから、あっちの馬がいい」

「殿下、あれには鐙に足が届かないと無理です。わたくしでも乗れないと思います」

「え? あぶみ?」

「そうです。陛下なら大丈夫でしょうが」


 厩舎の担当がアレックスの愛馬のところまで案内してくれた。一目で素晴らしいとわかる。この特徴は、とある疑念がわくがイブリンは沈黙を保つ、

 アーチボルトはぽかんと口を開けて見上げていた。


「……すごい」

「わたくしも賛成です。この馬にお乗りになった陛下はさぞご立派なことでしょう」


 二人でその様子を想像し、どちらからともなくにっこりしてしまう。普段でさえ威厳があるのだ、馬上にあればなおさらだろう。日の光を浴びて自在に駆ける姿は雄々しく、立派に違いない。


「いつか拝見したいですね。それまでに殿下も乗馬の練習をしなくては」

「れんしゅうする、父上をびっくりさせるんだ」


 たちまち計画に夢中になるアーチボルトは、素直でかわいらしい。好奇心が旺盛で負けん気が強いので、熱心に取り組むのは幼くても素晴らしいと思う。

 アーチボルトの周りの人間はイディナの出身だそうだが、アーチボルトが危ないことをするのをよしとしないようだ。

 乗馬の必要性は理解していても、積極的ではない。ラフォレーゼにとっても大切な王子だが、イディナにとっては亡き王妃の忘れ形見な上に、アーチボルトが王位を継ぐことでイディナの影響力が発揮できるのだから無事に成長させたいのはやまやまだ。

 だから危ないことを認め勧める、と思われているイブリンへの視線は好意的ではない。


 イブリンにしてみれば大切に、危険から遠ざけて育てればいずれは本人が苦労するのではと考える。

 馬に乗れない王は、万が一戦になった場合どうするのだろう。危険から逃げる際には馬が一番早い。悠長に馬車に乗っている場合ではない。

 同様の理由でアーチボルトの剣術や体術の練習も、イブリンは賛成している。


 練習した内容を懸命にアレックスに話す様子は、ほほえましい。王子は、ことにラフォレーゼのような大国の王子は年齢よりも上の振る舞いを求められることが多い。

 実際にアーチボルトの礼儀作法や知識は、なかなかのものだ。

 ただそれが子供らしさを消しているともいえるので、乗馬や剣術に興奮して顔を真っ赤にしているのは好ましい反応だと思う。


「ちちうえ、馬にのれるようになりました。まだなみあしですが、早くはしるようにれんしゅうします」

「そうか。馬に乗るのは楽しいか?」

「はい、とってもたのしいです。にせ、ちがった、にいははうえといっしょにれんしゅうしています」


 その夜に、アレックスから『にいははうえ』について聞かれた。


「にせものの母上、から新しい母上に格上げされましたの。新母上だから、にいははうえだそうです」

「格上げされたか」

「はい、とても嬉しいです。乗馬も筋がよろしくて、この調子ならば狩りにも同行できるのではないでしょうか」


 敵対視からだんだんと心を開いてくれたのが嬉しくて、イブリンの声は弾む。

 アレックスもイブリンの嬉しい様子に満足したのか、優しい声でお休みを告げる。



 数日後アレックスが朝の公務を早めに切り上げて、イブリンとアーチボルトが乗馬をしている馬場に現れた。傍らにはアレックスの馬を従えている。


「ちちうえ」

「ああ。そのままで。アーチボルト、ずいぶん上達したではないか」


 アレックスのいる柵の側まで軽やかに馬を操ったアーチボルトは、褒められて輝くような笑顔になった。

 そんなアーチボルトをアレックスは自分の馬に乗せる。すぐさま自分も鐙に足をかけ、またがる。アーチボルトを前にしてゆっくりと馬場を巡り始めた。


「ちちうえ、ちちうえ。すごくたかいです」

「そうだな。眺めがいいだろう?」


 子馬とは視線の高さがまるで異なる。アーチボルトはぶんぶんと頷いて、アレックスとの乗馬を喜んだ。

 一巡りして、アーチボルトを侍従に抱き取らせる。軽やかに地面におりたったアレックスは、イブリンに手を差し出した。


「イブ、王妃もどうだ?」

「わたくしですか?」

「そうだ。相乗りしよう」


 突然の提案にまごまごしていたイブリンは、アレックスに抱き上げられた。両脇に手を差し入れたアレックスは、ひといきにイブリンを鞍に乗せる。

 力強く揺るぎない動きを見せたアレックスは、俊敏さも併せ持ちすぐにイブリンの後ろに乗る。

 さすがにイブリンは鞍をまたげないので横乗りの姿勢のまま、アレックスが手綱をとった。


 半身が密着し、イブリンはにわかに緊張した。こんなにアレックスに近づいたことはなかった。揺れる馬上は時に不安定で、そのたびにアレックスに触れてしまう。


「へいか……」

「いい馬だろう? キアーラ産だ」

「やっぱり。そうではないかと思っていたのです」


 キアーラの馬と聞いて誇らしく、イブリンは馬を撫でた。そんなイブリンにかぶさるように、アレックスが身を寄せた。


「イブリンの乗馬の腕前はなかなかだ」


 囁きが、息づかいが耳をくすぐりイブリンを落ち着かせない。

 密やかに名を呼ばれたのもなぜか気恥ずかしさに拍車をかける。ぴったりとアレックスと密着しているから、なおさらだ。

 喉がからからだ。イブリンはやっとの思いで口を開いた。


「お褒めくださって、ありがとう、ございます」

「いずれ一緒に遠乗りでもしようか」

「は、い。是非」


 アレックスの誘いに頷いたら、腰に腕が回された。躰がアレックスによりいっそう押しつけられる。どくどくと血が巡り、アレックスに触れている側が熱い。何か言うべきなのだろうが、頭は真っ白だった。

 アレックスも無言で、ただ腰に回した腕の力は緩めない。ゆっくりと一巡して、イブリンを地上に抱き下ろす。


「私は戻る。また今度乗馬の成果を見せてもらおう」


 とても満足したアーチボルトの話を聞きながら、目は遠ざかる背中を追っていた。

 アレックスはどういうつもりで相乗りをしたのか。意図はよくわからず、ただいつまでも躰が熱かった。





 

 


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