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蜜酒10

 会談、式典、訪問など公務はつきることがない。イブリンが伏せっていたこともあり、いっそ過密なほどだった。

 アレックスもイブリンも表向きは問題なくこなす。ゆったりとした空気をまとい、イブリンは優雅に微笑む。ただイブリンは傍らのアレックスを痛いほど意識して、息苦しささえ覚える。

 祝福されて礼を述べながら、その空々しさがイブリンの中に堆積していく。しかしイブリンはキアーラの王女で、ラフォレーゼの王妃としてここにいる。外交的に侮られてはならない。その思いはアレックスも同様で、鷹揚に頷いては威厳を漂わせていた。

 

 退室して廊下に出た途端、アレックスのまとう空気が変わった気がしてイブリンはうつむく。

 頭上からの声はすこし、かたい。


「疲れただろう」

「いえ、陛下こそ」


 よそよそしくいたわりの言葉を交わしながら、こころもち距離がひらく。

 蜂蜜酒の酔いは抜けているはずなのに、胃がよじれるような気がした。それ以上会話は弾まず、自室に到着したイブリンはどっと疲れを覚えた。


「王妃様。いかがなさいました?」

「いいえ、緊張からか少し疲れただけ」


 美しく装われた衣装を脱がせてもらいながら、イブリンはアレックスのことを考える。

 穏やかで優しく鷹揚だと思っていたアレックスは激情も備えていた。枕をつたっての拳の振動は強く、その感触はイブリンに刻み込まれている。

 今夜はできれば寝室には赴きたくない。などというわがままは、セレストには通じない。


「どうぞ、お召し上がりください。今日はお忙しかったので、ここで食べられるようにいたしました」


 イブリンの好きなものばかりが並べられた食卓は、セレストの心遣いだろう。

 さあ食べろ、もっと食べろと言わんばかりのセレストに圧倒され、イブリンはなんとか食事を終える。

 食べればすぐに湯浴みだ。丁寧に洗われ優しく拭かれ、刻一刻と試練の時がやってくる。

 寝室の扉をくぐる際、イブリンは緊張で息をとめていた。きっとアレックスはいないだろう、もしかしたら現れないかもしれない。

 その予想はいずれも間違いだった。イブリンより早くアレックスは寝室にいた。


「遅くなりまして、申し訳ないことです」


 慌てて頭を下げるイブリンを制し、アレックスは気まずげに目をそらした。

 一歩一歩意識して足を動かし、イブリンはアレックスの隣に腰を下ろす。それぞれの杯に蜂蜜酒が注がれる。美しい色合いと甘い口当たりは変わらないのに味わう余裕なんてない。

 侍従がいなくなって、アレックスと二人きりになる。いっそう空気が重くなり、全身を押さえつけられた気がしてイブリンはアレックスの方を向けずにいた。

 沈黙はずいぶんと続き耐えがたい。とにかく昨夜のことを謝らなければ。

 何度か自分を励まして、勇気を奮い起こしイブリンは顔を上げる。


「昨夜は失礼いたしました」

「昨夜はすまなかった」


 同時に謝罪が飛び出して、イブリンはひどく驚いた。思わずアレックスに顔を向けると、アレックスもイブリンを見つめている。まともに目が合い、視線が外せない。アレックスの強い眼差しが注がれ、イブリンは息苦しく喉に何かがつかえているような心持ちになる。

 アレックスが躰をずらしイブリンに近づく。圧倒され、イブリンは身動きができない。薄青い瞳に吸い込まれそうで、瞬きも忘れて魅入られる。


「わたくしが、悪かったのです」

「いや、私が」

 

 また口をひらくのが同時になり、ふっと緊張がとける。

 

「陛下、昨夜のことは幾重にもおわびいたします。わたくしは幼い頃の夢を見ていて、その延長で呼びかけてしまったのです」

「そうか……。枕をたたいてしまったのは、私の狭量さゆえだ。怖かっただろう。本当にすまない」


 そう、確かに恐ろしかった。でもイブリンの失言がきっかけだったのだ。

 イブリンはかすかに首を横にふり、微笑んだ。


「このあたりで切り上げませんと、一晩中謝罪しあうことになります」

「あなたと話すなら、謝罪よりも有意義な会話をしたい」

「わたくしも、そう思います」


 微笑みを交わしあとは休みながら話そうと寝台の端と端に横たわり、ただ顔はお互いに向けてなんとなくくつろいだ雰囲気の中にいる。

 

「あなたさえよければだが、あなたが伏せっていた分蜜月を延長したいのだが」

「はい。――陛下、正直わたくしがアレク殿下のことを忘れるのには、お時間をいただかなければなりません」

「承知、している。貴方は弟と婚約していたのだから、そうたやすく切り替えられないだろう」


 アレックスからアレク殿下のことをもちだされて、ちりっと胸が痛んだ。イブリンは婚儀を成立させる必要性から、必ず切り替えなければならない。

 そんな日が来るかは疑問だけれど。アレク殿下のことを忘れるのはもっと難しいに違いないが。

 

「ありがとうございます。陛下、話題を変えませんか?」

「とはいえ、何かあるかな」

「アーチボルト殿下のことをお教えいただければ嬉しいです。聡明な、よいお子だと思います」

「あなたをわずらわせているのではないか? あれの……周囲はイディナ出身者が多いから」


 その後はアーチボルトの話に時間を費やし、さすがにもう休もうということになる。

 いつにない和やかさに安心したら、眠気に襲われる。うとうとしかけたイブリンの耳に、アレックスの潜めた声が届いた。


「私は待つつもりだが、あなたを、名前で呼んでいいだろうか」

「陛下?」

「イブリンと。そう呼んでいいだろうか」


 初めて名前を呼ばれ、どくんと動悸がした。その後も動悸はおさまらずに、躰が熱を帯びる。

 イブリンは唇を湿し、口を開く。


「もちろん、陛下のお心のままになさってください」

「ありがとう。――私のこともアレックスと呼んでほしい」

「陛下を呼び捨てにですか? とてもそんな不敬なまねは」

「すぐには難しいかもしれないが、私はあなたの夫だ」


 夫。イブリンの頬が熱くなる。そしてイブリンは妻なのだ。

 上掛けを握りしめ無意識に引き上げていた。


「努力、いたします」

「お休み、イブリン」

「お休みなさいませ」


 陛下と続けようとしてついさっきの会話を思い出し、口をつぐむ。

 アレックスは目を閉じ、しばらくして寝息が聞こえてきた。イブリンの方は眠気が吹き飛んで、天井をにらむ。

 いつまでアレックスを待たせることになるのか。イブリン自身にも判然としない。

 でもアレックスとは、ほんの少しだが歩み寄れた気がする。

 よかった。本当に、よかったと安堵する。

 






 


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