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蜜酒1

 その朝、イブリン・オーレリア・ウィッカムの胸は期待にはち切れそうだった。前途を祝福するかのように空は晴れ渡り、緑がまぶしい。

 イブリンは見送りの兄王の前で優雅に礼をとる。


「では、陛下――お兄様」

「息災で。アレク殿によろしく」


 若くしてキアーラの王位を継いだ兄は、嫁ぐ妹に笑みを向ける。対する妹もこれが永の別れになるかもしれないと感傷をにじませた。国の威信をかけ、また婚儀が二年延びたせいでいっそう立派に整った支度とともにイブリンは馬車に乗り込む。

 窓から見やれば兄はずっと自分を見つめている。涙をにじませながら、イブリンは後方を振り返った。


「どうぞ、これを」


 侍女のセレストが差し出した手巾で目元を押さえ、イブリンは居住まいを正す。


「泣かないって決めていたのに、ままならないわ」

「生国を離れられるのですもの、当然です」


 王女として生まれたからには政略で嫁ぐのは決められていたこと。

 本来なら十六で城を離れるはずが、急な父王の死でごたごたしたため二年延びた。その間にも思い出を作ることができたのだから、不満もない。

 かわいらしい甥も誕生して顔も見られた。だから、悲しむことなど、ないのだ。


「そうね」

「それにアレク殿下に嫁がれるのですから、今後は楽しいことばかりでしょう」


 セレストにからかわれ、イブリンは頬を赤らめる。

 絵姿でしか相手を確かめられないまま嫁ぐことも多いのが政略に伴う婚姻だが、イブリンは幸運にも相手と面識がある。

 イブリンが六歳、ラフォレーゼのアレク殿下――アレクシス・ヘクター・レイランドが十二歳の時分だが。

 しかも、イブリンの初恋の王子様だ。想う相手に嫁げる、しかも友好的な政略なので本当に幸運だとイブリンは思う。

 アレクシスの国までは途中の国を越えて一月あまり。来月にはアレクに会えると、イブリンは国を離れる淋しさと期待を胸に宿す。

 こんなに長い旅は初めてだし、それも楽しみだ。

 蜜のような金髪と美しい青い瞳を花嫁の興奮でよりいっそう輝かせ、イブリンは外を眺めやる。



 幸いにも旅路に支障はなく、城の外の自然や珍しい外つ国の風俗がイブリンを楽しませる。ただ、長時間の馬車の旅には疲れていた。


「明日はいよいよアレク様の国に着くのね」

「とはいえ、国境です。そこから王都までまだしばらくかかりますよ」


 こわばったイブリンの躰をほぐしながらセレストはやんわりと忠告する。早くと気が急くイブリンも、付き従ってくれている者たちより快適に移動できているのを自覚している。馬車で座ったまま移動できている自分は恵まれているのだ。


「誰か不調を訴えたりしていない?」

「いいえ。明日大勢が引き返します。姫様こそ心細くないですか?」


 イブリンは肩に置かれたセレストの手を取る。国を離れ、ずっと側にと決めてくれた侍女、それに文官のブランドン・ギーズはどちらもイブリンにとって頼りになる側近だ。従者の多くはラフォレーゼの国境で、少数の外交担当の者は婚儀が成立すれば帰国する、

 自分は初恋の方のもとに行くのだから希望しかない。ただ、二人は……。


「セレストとギーズがいてくれるのだから、わたくしは平気よ。それよりあなたこそ、別れを惜しむ方がいるのではなくて? ここはもういいから、挨拶をしに行ったらどうかしら」

「姫様を残してですか?」

「わたくしはもう十八だし、婚儀をあげる身なの。一人でも大丈夫」


 今後は国に帰ることはまずないだろう。明日、別れればそれっきりだ。親しい友人もいるだろう。最後の夜をゆっくり過ごさせてやりたい。

 イブリンの思いをセレストはくみ取り、寝室まで付き従ってから部屋を出て行く。女性どうしのおしゃべりも楽しいだろう、思い出を語り合ってしんみりするかもしれない。

 そう思いながらイブリンは、そっと絵姿を取り出し寝台の上で見入る。

 国に送られたものは大きすぎたので、画家に細密画にしてもらった婚約者の絵姿だ。

 金色の髪、薄青い瞳の優しげな男性が微笑んでいる。いや、優しげではなく彼が本当に優しいことをイブリンは知っている。


「アレクシス・ヘクター・レイランド、殿下」


 自分と婚姻すれば公爵になるだろう婚約者の名を呟き、イブリンは細いため息をもらした。

 かつて国を訪れたアレク殿下は庭を散策中にイブリンと出会った。嫌な顔もせずに六歳のイブリンに付き合い、きれいな花冠を作ってくれたのは忘れられない思い出だ。

 婚約が正式に決まった時はどんなに嬉しかっただろう。国力の差があり王女が国王や王太子ではなく王弟に嫁ぐのは、兄王としては不本意でもイブリンにはむしろよかった。公爵夫人なら気が楽だし、相手がアレク殿下なら言うことはない。


 いよいよ明日になれば対面できるのだと、寝台に横たわりながら待ち遠しくてしかたない。


「明日、いよいよ明日」


 寝不足は顔色を悪くする。イブリンは興奮を制し、眠りについた。



 イブリンの期待と興奮のせいか、従者が国元に引き返すせいか。一行はざわざわと落ち着かない。

 念入りに支度をして、イブリンは馬車に乗り込んだ。特に障害もなく、国境に到着する。整然と並ぶ騎士たちが一行を出迎える。

 国境の砦に案内され、いよいよ対面となった。


「イブリン・オーレリア・ウィッカム王女殿下。ようこそおいでくださいました。歓迎いたします」

「ありがとうございます」


 にこやかに挨拶をしてくれたのは、――婚約者では、なかった。よく似てはいるが若い。もう一人の王弟、アレクサンダー・ジェローム・レイランドだろうと見当をつける。


「王女殿下を王都までお連れする、栄えある任を受けております。どうぞなんでもおっしゃってください」

「では、婚約者のアレクシス・ヘクター・レイランド殿下はどちらにおいでなのでしょう」


 てっきりアレク殿下が出迎えに来るだろうと予想していたのに、そうではなかった。

 イブリンは個人的にも、外交上でも疑問を覚えてたずねる。何か理由があるのか。単に、見下しているのか。

 果たしてアレクサンダーの顔には、ほんのわずか動揺が走る。まだ若いからか、表情を繕うのになれていないようだ。それでもにっこりと笑い、イブリンに応じる。


「兄は少し体調を崩しまして、王都で王女殿下を待っています。申し訳ない」

「体調を? 病名はわかっているのですか?」


 大切な婚約者が体調不良と聞かされ、イブリンも思わず勢い込んでしまった。軽い風邪なので問題ない。ただ大事をとっているのだと深刻な様子もなくアレクサンダーは返した。

 仮にも王弟だ。最高の治療を受けているのは疑いない。手ずから看病したいのはやまやまだが、それをぐっとこらえる。


「ではできるだけ早く王都に参りたいのです」

「お心に沿うようにいたします。ただ、ここまでも長旅でした。お疲れもたまっているでしょう。どうぞゆっくりお過ごしください」


 他国を横断する緊張からやっと解放された。ここから先はラフォレーゼ国内の移動で安全だ。

 無骨な砦ながらと謙遜されながら、国境とは思えないほどのもてなしも用意されている。イブリンは義理の弟になるアレクサンダーに頷いた。

 数日逗留してから、軍勢を従えてイブリンたちは王都へと進む。婚儀をあげれば辺境となる地にはそうそう足をのばせないだろうと、街道から外れた風光明媚な場所に寄っては歓待される。

 心遣いはありがたいのだが。


「これではあまりにゆっくりしすぎではないかしら」


 イブリンのもとに毎日の夕刻顔を出すギーズに不満を漏らす。有能な文官でラフォレーゼと多岐にわたって折衝しているギーズは、どんな時も生真面目な表情を貫いている。

 その彼にしても不審を覚えているようだ。


「確かに。何か事情があるのではないかと、探らせております」

「そう、なの」


 キアーラにも密かに使いを出していると報告され、イブリンはほっとする。早馬で往復するのは大変だろうが、正しい情報を得るのはなにより強大な武器になる。

 何らかの意図をもって、王都への到着を遅らせているのは間違いない。理由を知りたいとイブリンは心に決めた。

 アレクサンダーは礼儀正しくイブリンに接してくれる。事情を知っているのは彼だ。


「ときにアレク殿下の病状はいかがなのでしょうか」

「ええ、問題ないと聞き及んでいます」

「それなら」


 なぜ、アレク殿下はいらっしゃらないのかという言葉を飲み込む。。政略結婚なのは間違いないが、イブリンにとっては不満はない婚儀もアレク殿下にはどうなのか。

 病気なら仕方ないが回復したのに来ないのは、深読みしようと思えばいくらでもできる。

 ただ口に出せば軋轢を生むので、イブリンは引く。


「いえ、なんでも。アレクサンダー殿下は、王都にわたくしを連れていってくださったら、どうなさるのですか? 慣例にそって国教会に入られるのですか?」


 男性が三人いれば長男は王位に、次男は軍に、三男は聖職位につく。アレクサンダーも成人になっているから、そろそろ立場が変わる頃だ。

 イブリンの疑問に、少し間を置いてアレクサンダーが応じる。


「そう、ですね」


 そこから当たり障りのない話題に移り、イブリンははっきりしたこたえを得られなかった。



 ゆっくり、ゆっくりすぎるほどに進んでも王都は逃げないためようやく到着する。

 キアーラとは異なるつくりの建物も珍しく、イブリンは馬車からの眺めに夢中になる。それでも王城に近づくにつれて、緊張が取って代わる。

 いよいよアレク殿下にお会いできる。おかげんはいかがだろう。わたくしのことは覚えているだろうか。


「長かったわね」

「姫様。でも楽しみですね」


 セレストも馬車の旅が終わることに安堵を隠せない。もう一生分の馬車に乗った気分だと、めずらしくぼやいていたから。

 イブリンも衣装に不備がないか確かめながら、王城を見やる。

 やっと旅が終わる。そして自分の立場も変わるのだ。

 荘厳な正面扉の前に到着した馬車は外から恭しく扉が開けられる。

 さあ、国を代表するのだ。威厳と優雅さをもって臨まなければ。イブリンは背筋をのばし、馬車から降り立つ。

 ずらりと迎えの姿。それに頷いてアレクサンダーに礼を述べる。後でお目にかかりましょうと、アレクサンダーは手の甲に接吻した。

 案内され通されたのは豪華な客室だった。キアーラよりも壮大で堅牢な王城に、イブリンは心奪われる。


「美しい城」


 現在この国、ラフォレーゼを統べているのはアレックス・ハロルド・レイランド。二十八歳で他国の王女を迎え一子を得たものの王妃とは死別している。

 婚約者アレク殿下の兄で、広大で強大なラフォレーゼの王。

 義兄、義弟とうまくやっていかなければ。親しくなれれば嬉しいことと、旅の疲れを取り去り美しく装いながらイブリンは思う。

 この後の対面の儀で、顔を合わせる。

 以後は自分が過ごす国になるのだ。友好を保ちたい。


 対面の間で、しかしイブリンの前に現れたのは国王アレックスと、王弟のアレクサンダーだけだった。薄青い瞳は兄弟共通だが、アレックスの髪色は黒褐色で体躯も大きい。

 作法に則った礼をしながら、イブリンは驚きを禁じえない。

 ――いったいどういうことだろう。

 申し分なく丁重に接せられながら、イブリンの内心は混乱している。

 この期に及んでもアレク殿下は姿を見せない。


 イブリンの混乱は国王アレックスの言葉で最高潮に達する。


「我が弟、アレクシス・ヘクター・レイランドとの婚約を破棄、というより解消してほしい。その上で、私の妃になっていただけないだろうか」




 

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