第二話「皇女殿下のはじめてのおつかい」①
それから。
半ば追放同然に最前線の城塞都市グランドリアにやってきたわたしだけど。
父上の旧知の友人アレクセイ・ガーランド氏とやらに会っていけと言う言葉を思い出し、まずはその人を尋ねることにした。
と言うか、ワイバーンで舞い降りた要塞は無人で、司令官就任もへったくれもなかった。
……初っ端からこれだった。
休戦条約の一環で、緩衝地域には一切の戦力は置かないと言う協定が割と最近になって成立して、帝国のグランドリア駐留軍は、大きく後退することになった話を思い出したのは、司令官執務室の椅子にポツーンと座ってからだった。
……要塞と言うからには、駐留軍とかいるはずで、皇族の強権発動で部下とかまとめてゲットとか思ってたんだけど、そうは甘くなかった。
と言うか、前に読んだ話の主人公がそんな感じだったんだけどね。
辺境に追放されたお姫様が、現地の要塞司令官と恋仲になって、覇道の道を歩む……同じ立場になったからには、そんな感じでやれたら、ちょっと素敵……とか思うじゃない?
実際は箱物だけで、中身はドンカラ……まさに名ばかりの司令官様。
小一時間ほど、誰か来たりするんじゃないかとポツーンと待ってたけど、結局誰も来なかったし、お腹も減ったから、諦めた。
諦めて、初めての街を探索して、まずはご飯ゲットの旅に出ることにした。
「って……良く考えたら、一人で街を歩いたことなんてないような……」
初めて歩く街の人混みに思わず圧倒されながら、呟くのだけど、誰も答えてくれない。
あたりを見渡すと、古の魔王が住んでいたと言われる……魔王城を擁する通称魔王山脈が迫るように見えていた。
「うーん、写真とかで見た光景だけど、実物はすごい迫力……」
思わず、感動を覚える……上のほうが灰色なのは、植物が生えなくなる森林限界を超えているかららしい。
今でも、中腹に魔王の居城だった城の遺跡が残っていると言う話なのだけど……さすがにそこまでは見えない。
山脈を越えれば、その向こうには果てしなく続く外洋とだだっ広い砂浜が広がっているらしいけど、2000m級の山を超えるとか普通に無理……夏でも氷点下近くまで下がるような死の世界。
大陸でも最高峰クラスの山……これより高い山は……北方平原の内海沿いにあると言う半分が断崖絶壁になってると言うヘルナデス大峰くらい。
ああ、でも途中に温泉が湧いてるとか書物に書いてあったなぁ……古の魔王様が手ずから掘り出し愛用してたとかなんとかで、入るものに無限の魔力と若さと美貌を……とか胡散臭いことが書いてあった。
お外に勝手に湧いてるお風呂とか……どんなだろ? うーん、興味湧くなぁ。
でも、外で裸になって、お風呂……山の中で?
ハ、ハードル高いね……。
……わたしって、こう言うムダ知識だけは豊富。
ちなみに、その魔王温泉とやらに触れていた「魔王国珍百景」とかふざけた名前の書物の著者は、エーリカ姫とかいう魔王戦争時代を生きたわたしと同じ皇族様。
つまりは、ご先祖様……この人の著書は帝国書庫には、多数存在していて、中には禁書指定のものもあった。
いったい、何をしでしかした人なんだろう……帝国の闇の一つだった。
ちなみに、禁書の中には何というか……ゴニョゴニョな……描写で埋め尽くされたような娯楽小説もあった……禁書指定された理由も解らないでもなかった。
それはさておき、周辺の地図を思い出す……北の方は果てしなく続く樹海……その先は馬鹿みたいに広い内海が広がる。
この城塞都市は樹海と山脈の間の僅かな平原地帯……通称魔王回廊を塞ぐように築かれていた。
かつては、この地に魔王が降臨し東西の両方に戦争をしかけた……なんて事もあったらしい。
ここ百年ほどは、国境線が西方側に伸びていた関係で、そこまで要衝地ではなかったようだけど。
休戦協定で、ここら一体を含めて中立緩衝地域になっちゃったから仕方ない。
本来はこのグランドリアも空白地として放棄するはずだったんだけど、戦災難民が行き場がないって、勝手に集まって居座っちゃったから、帝国管理の非武装都市とすることで、落ち着いた。
この辺は、書庫の記録書でも曖昧な記述に終始されてたんだけど、実際に現地で見ると……だいたい理解できた。
要塞は空っぽで帝国兵も一人もいない……最低限の治安維持組織の軽武装の警務隊とかが居る程度。
ちなみに、要塞まで乗せてきてくれたワイバーン君は、適当にご飯とか食べててと言ったら、山の方に飛んで行っちゃった。
側にいたとしても、無駄に人目を集めるだけだし、餌とか用意しろと言われても無理な相談だから、自主調達してくれるなら別にいいんだけど……移動したい時とかどうしよう……と思わなくもない。
本来なら、帝都からここまで一月はかかるのにワイバーンなら一日で着いてしまった。
あの便利さはちょっと捨てがたい。
大戦でも共和国の飛行機械には、地上からでは手も足も出なかったらしいし……これからの時代は空だね……空!
まぁ、そのうち戻ってくると思うから信じてみよう……畜生だから、あまり当てにしないけどね!
一応、父上からは、アレクセイ氏のいる冒険者ギルドとやらを示した地図と封蝋の施された信書を渡されていた。
地図の読み方とかは解るし、実際に地図と自室からの光景を照らし合わせて、街中を散歩してるつもりになったりとかしてたので、ぶっつけ本番でもなんとかなると思ってたんだけどー!
自信満々でチャレンジしたら……そもそも自分の現在地が解らないと、話にならないという事に気付いた。
と言うか、地図の北は解っても、自分がどっち向いてるかも解らない……いきなり、詰んだ。
とりあえず、メインストリートに沿って歩いてれば、なんとかなると思ったけど……この街の道はグチャグチャでもう訳がわからなかった。
かくして、もはや目的地はおろか、自分の現在地も解らなくなり、今に至る。
人通りが少ない怪しげなところじゃなく、商店とかが連なる商店街っぽいところだけど……どこ、ここ?
所詮、世間知らずの引き篭もりお嬢様……と自嘲したくもなる。
なにせ一人で買い物すら出来なかったのだから、笑えない。
……お腹が空いて、美味しそうな匂いのする串焼き肉を売ってる屋台を、文字通り指を咥えて眺めてたら、店主が見てないで食えとか言って、串焼きをくれた。
まさかの施しである……でも、毒入りじゃない食べ物とか、涙がでるほど美味しかった。
皇城で最後に食べた夕食なんて、もうありとあらゆる毒物が混ざってた……味については、意外と美味だったけど。
毒物ってやつは、旨味と紙一重なので、案外美味しいと言う話を聞いていたけど、本当。
でも、本来は食べたら普通に死ぬ……決して味わってはいけない天国行きの味……なるほど、納得。
毒抜きとか、毒物を無理やり調理して食べるための技法は、きっとそんな理由で生まれたんだろうね。
それにしても、暗殺攻勢はホント凄かった……一回失敗して諦めないその執念は、買っても良いかもしれないけど、料理人が自分で作った毒料理を自分で毒味して、勝手に死んで、それを食べろとか勘弁して欲しかった。
と言うか、料理から漂う揮発成分だけで人死が出てるとか、そんなのもう暗殺とかじゃないだろ……。
何故、諦めなかったのか……ベストを尽くす姿勢は立派だけど、全く意味がなかった。
とにかく……施しされるほど、落ちぶれてないと、代金を払おうと手持ちの金貨を出したら、釣り銭がないし、そんなものを往来で出すなとめっちゃ怒られた。
串焼き屋のおっちゃんに怒られる皇族って、きっと帝国史でも類を見ないだろう。
でも、怒られたのはおっちゃんの立場からすると、むしろ当たり前。
……串焼き肉一本、お値段銅貨5枚。
銅貨100枚で銀貨1枚……銀貨100枚で金貨1枚が基本的な通貨交換相場なのは知ってる。
実際の相場は、流通量とか鋳造元とかで微妙に増減するんだけど、概ねそれが基本。
東西で通貨のデザインは違っても、貴金属の含有量などはだいたい一緒なので、この街ではどっちでも使える。
経済学の本だって、ちゃんと読んだんだからそれくらい知ってた。
でも、実体験の伴わない知識なんて、そんなもん。
単純にお釣り銀貨99枚、銅貨95枚……銀貨も銅貨も持ってないから、両替ついで程度に考えてたんだけど。
銅貨の買い物に金貨を出すとか非常識を通り越して無茶苦茶だった。
要するに、金貨一枚あれば、串焼き2,000本ほど買える計算になる訳。
そりゃあ、お釣りだって出せる訳がない……在庫全部どころか、店主付きで屋台ごと買えるぞ……とか言われてしまった。
串焼き一本買って、代金として金貨で払う時点で、もう頭がおかしい……そんな事も解ってなかったわたしは文字通り話しにならなかった。
もう……無理かもしんない。