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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒の救済者

作者: S.U.Y

 ふらりと入ったのは、見知らぬ町の酒場だった。いらっしゃい、と中年男のマスターがちらりと目を向けてくる。黙って、カウンターの空席に腰掛けると背負っていた荷物を隣の席に置いた。

「お一人ですか?」

 マスターが、置いた荷物に目を向けながら問いかけてくる。うなずくと、マスターは少し眉を動かし、それから注文を聞いてきた。

「酒と、食べ物を少し」

 短い言葉で伝えると、マスターはカウンターの奥へと行って酒瓶と皿を手に戻ってきた。皿には、干し肉とドライフルーツが盛られていた。とん、と目の前に置かれた透明のグラスに、琥珀色の酒が注がれた。

「銀貨、三枚だ」

 手を差し出してくるマスターに、銀貨三枚を握らせる。それで、マスターはカウンターの奥へと姿を消した。閑散とした店内には、まばらに他の客の姿もある。彼らに出す料理を仕込んでいるのか、カウンターの奥からリズミカルに包丁を動かす音が聞こえてくる。

 一口、グラスの酒を含んだ。水の混ざった、質の悪い酒だった。だがそれでも、値段相応だ。気にすることもなく空いた右手を伸ばし、干し肉をひとかけらつまみ上げた。

 入口のドアベルが鳴り、振り返ると客が一人入ってくるのが見えた。無精ひげと眼帯をした、屈強そうな男の客だ。こちらを見て、その男は眼つきを鋭くした。

「新顔だな。この町は、初めてか?」

 馴れ馴れしい物腰で、男は隣に腰掛けて話しかけてくる。反対側に置いた荷物に、男の視線がわずかに向けられた。

「そこ、俺の指定席なんだ。どけてくれるか?」

 肩に手を置かれ、そこに力が込められる。男の表情から、軽い挨拶程度のものだと思われたが、言われるままに荷物を足元へと移した。

「すまねえな。旅で、疲れているだろうに。マスター、こいつに、もっと良いのを飲ませてやってくれ」

 荷物の退いた席に座り直しながら、男はテーブルの上に金貨を二枚置いて言った。

「いえ、結構です」

 男に、そう言った。とたんに、再び肩へと手が回された。

「俺の酒が、飲めないってのか?」

 隻眼で、男が睨み据えてくる。

「……いただきます」

 すぐにカウンターの向こうから差し出されてきたグラスを受け取り、男に言った。男もグラスを受け取ると、軽く掲げて見せる。

「素直でいいな、あんた。どこから来た?」

 男の問いに、通り過ぎてきた町の名を告げる。男は、興味深そうな顔をした。

「何か、でっかい事件があったそうじゃねえか、あの町で。あんた、何か知ってるか?」

 問いかけに、首を横へ振った。

「詳しいことは、何も。ただ、人が死んだそうですね」

 男にそう言うと、探るような視線が返ってくる。

「本当に、何も知らないか? 黒い、外套を着た男の話とか……」

「……はい。知りません」

 男はしばしこちらを見つめ、やがて興味を失ったように目をそらして息を吐いた。

「そうか……あんたはまあ、怪しい奴には見えないな。この町へは、何をしに?」

 男の問いに、足元に置いた荷物の封を少し開ける。

「薬の、行商に来ました」

 中に入っているのは、当たり障りのない薬草を煎じて作った薬だ。紙に包んだ丸薬をひとつ、男へ渡す。

「へえ、何の薬だ? 精力増強とかか?」

 男がにやにやと笑いながら、丸薬を手のひらで転がして言った。

「切り傷、刺し傷、それから腹痛にも効用のある、万能薬です。一個、銀貨一枚です」

 薬の値段を聞くと、男は丸薬を紙へと包み直して懐へと仕舞った。

「そりゃ、いい。一個くれ」

 そう言って男が渡してきたのは、一枚の金貨だ。

「これで、充分です」

 男に、先ほどのグラスを掲げて見せる。最初の一杯とは違い、こちらは安酒ではない。

「それは、さっきの詫びだ。俺は、泥棒じゃない。ちゃんと、お代は払わせてくれ。釣りは、いらねえ」

 言いながら男は、無理やりにポケットの中へと金貨をねじこんでくる。突き返すことは、できそうにない強引さだった。

「何故、ですか?」

 問いに、男は自分のグラスから酒を呷って一気に飲み干した。

「明日一日、行商を見物させてくれ。旅人は、この町じゃ珍しくてな」

 男の答えに、うなずいた。

「それくらいなら、容易いことです。見物料としては、多すぎるくらいですが」

「気に入った。マスター、もう一杯だ! こいつにも、やってくれ!」

 カウンターに向かって男は叫び、それからこちらへ向き直る。薄く笑みを浮かべた、獰猛な笑顔だった。

「俺は、スレッド。この町で、用心棒みたいなことをしてる。あんた、名前は?」

 問われて、グラスを置いた。男が、右手を差し出してくる。

「……スー、といいます」

 男の右手を取って、名乗った。ぐっと、握り込んでくる男の手に力が込められる。

「何だか、気の抜ける名前だな。まあいい。この町にいる間、面倒があったら相談してくれや」

 力強く男の手が上下に振られ、それから解放される。

「すごい力ですね」

 男に向けて言うと、豪快な笑い声が返ってきた。

「鍛えてるからな。だが、あんたも大したもんだぜ、スー」

 男は、不敵な笑みを浮かべてこちらを見やる。

「俺は、握り潰すつもりでやったんだ」

 顔を下げて、見上げるような姿勢の男をじっと見下ろした。しばらく、沈黙が流れる。こつん、とカウンターの上に、酒のグラスがふたつ、置かれた。

「……なんてな、冗談だよ、冗談!」

 弾けたように笑う男に、何とか苦笑を返した。それからスレッドという男は隣で飲み続け、夜半過ぎになって千鳥足で去って行った。

「もう、看板ですよ」

 マスターに促され、席を立つ。荷物を背負い歩き出すと、頼りなく足元がふらついた。宿に戻る道すがら、見上げると欠けた月が陽炎のように揺れて、二つ、三つと分裂して見えた。


 荷物の中から、折りたたんだ幟を出して組み上げる。町の広場の一角で、そこそこに良い場所だった。朝の、人通りの多い時間だ。何事かと、町の人間が集まってくる。その中に、スレッドの姿は見当たらない。だが、酒の上での約束だ。頃合いを見計らって、集まった群衆を前に息を大きく吸い込んだ。

「さて、お集りの皆さま! 本日はご足労いただき、誠にありがとうございます! 足を止めて下さった皆さまには、決して損はさせません! 本日お見せするのは、とある秘境にて採れた、効用満点の丸薬でございます!」

 口上を述べながら、丸薬を一包取り出した。

「切り傷、刺し傷、腹痛なんでもござれ! これ一個で、何でも治ります! 水で薄めて、使っても結構! まずは、効用をお見せしましょう!」

 次に、小刀を取り出す。鞘を払い、刃を軽く左腕に当てて引く。ぷつり、と刃が肌に入り込み、血が流れた。群衆から、どよめきが上がる。

「はい! うっかり傷を付けてしまいました! でも、ご安心! こちらの薬を練りつぶし、傷口へと塗ります……少し、染みますが、そこは我慢いただきたい!」

 大げさに顔をしかめて、丸薬を指先で潰して傷へと塗った。群衆が、瓢げた仕草にわっと沸いた。そうしていると、とろとろと流れ出ていた血が、止まる。

「はい、効用は、ご覧のとおりでございます! こちらの丸薬、万能薬でございますが、普段は万金を積んでも買えません! ですが、せっかくここへお集りの皆さまなれば、本日限り、銀貨一枚でご提供させていただきます!」

 長い口上を終えて、一礼する。群衆たちの反応は上々で、薬はすぐに売り切れとなった。

「なかなか、景気が良いじゃねえか」

 何気ない足取りで、男が近づいてくる。顔を向けると、手を挙げてスレッドが立っていた。

「来て、いらしたのですね」

「ああ。後ろのほうで、見ていた。さっきの小刀、見せてもらっていいか?」

 スレッドの問いに、うなずいて鞘に納めた小刀を差し出す。スレッドは鞘を抜いて左手に持ち、右手で刃の表面を見つめる。

「……仕掛けがあるのかと思ったが、こりゃ、本物じゃねえか」

 鞘に戻した小刀を、スレッドが返してくる。受け取って、荷の中へと仕舞った。

「薬の、行商ですから」

 そう言うと、スレッドはこちらの左腕をじっと見つめてきた。売り口上が終わった時点で、血は綺麗に拭ってある。一本の線が、皮膚の上に走っているだけだ。

「……本当に、効くんだな」

「ええ。効かない薬は、売りません」

 答えに、スレッドは小さく笑った。そこへ、小さな足音が近づいてくる。

「おにいさん、おくすり、まだありますか?」

 幼い少女の声が、側で上がった。

「すみません。さっき、売り切れてしまったんです」

 膝を曲げて、少女の目線に合わせて言った。少女の顔が、悲しげに歪む。

「おいおい、本当に無いのか?」

 スレッドが、横合いから割り込んで言う。

「はい。何しろ、予想外の売れ行きでしたから……」

 スレッドに向けて言うと、少女が鼻をすすりあげた。

「……おねえちゃんの、びょうき、なおせるとおもったのに……」

 少女の瞳に、涙が盛り上がる。

「ああ、おい、泣くな! おじちゃんが、いいものあげるから!」

 そう言ってスレッドはズボンのポケットを探り、丸薬の包みをひとつ取り出した。

「昨日の、薬ですか」

「ああ。ポケットに入れたまま眠っちまったが、別に何ともないだろう?」

 スレッドの問いに、うなずきを返す。それから、スレッドから薬を受け取り礼を言う少女の顔を、じっと見た。

「……君の、お姉さんの病気はどんなものですか? この薬には、治せるものと治せないものがあります」

「万能薬だろ?」

 横やりを入れてくるスレッドを無視して、少女の目を見つめる。大きな瞳の端には、先ほどの涙の痕が見えた。

「なんか、せきがこほこほーって、でるんです。これ、のんだらなおりますか?」

 少女は胸を押さえ、咳をしてみせる。

「……一度、お姉さんに会わせてもらっても、いいですか?」

 少女は少し、首を傾け不思議そうな顔をする。

「おいおい、ナンパでもしようってのか?」

 横合いから、スレッドがまぜっかえす。それには応えず、ただじっと、少女を見た。

「……うん、わかった」

 しばらくして、少女はそう言った。

 少女に連れられて、町の中を歩いた。ほどなく見えてくるのは、古びた教会だった。

「なあ、スー。お前、医術の心得でもあるのか?」

 少女を挟んで反対側から、スレッドが声をかけてくる。

「薬の商いをしていますから。少しくらいは、わかります」

 当然のような顔で同行するスレッドに苦笑を向けながら、そう伝えた。

「少しくらい、ときたか。何とも、頼もしいこった」

 肩をすくめるスレッドが、少女と並んで足を止める。古びた教会の敷地の中に、小さな家が一軒建っている。そこが、目的の場所だった。

「おねえちゃん、ただいま! おくすり、もらってきたよ!」

 入口を開けてすぐに、薄い寝具に横たわる女性が見えた。少女が呼びかけ、飛び込んでいく。

「……お、かえり、なさい」

 寝転がったまま、女性が顔を横へ向ける。はっと、隣でスレッドが息を呑む音が聞こえた。

「おい、スー。どう見る?」

 小声で、スレッドが問いかけてくる。だが、それは意識の上に些細な波すら立てることは無い。目の前の女性の、頬がげっそりと削げて眼が落ちくぼみ、ぼさぼさの艶が失われた髪を、ただ黙って見つめた。

「あのおじちゃんが、おにいちゃんのおくすりをわけてくれたの!」

 少女がこちらを向いて、笑顔で言う。こちらを見た女性と、眼が合った。

「こほっ……ど、どなたかしりませんが、あ、ありがとう、ございます……」

「おねえちゃん、ねてなきゃダメ!」

 身を起こそうとする女性に、少女が声を上げた。

「そ、そうだ。俺たちは別に、大したことをしたわけじゃねえ。安物の万能薬を、お嬢ちゃんにプレゼントしただけだぜ、なあ?」

 同意を求める言葉をかけてくるスレッドの横を通り、少女の側で身をかがめた。女性の額へ、手を伸ばす。かさかさとした感触の肌は、普通の体温よりもかなり熱く感じられた。

「お、おい、スー」

 咎めるような声が、背中から降ってくる。だがそれに、答えることはしない。

「……医師には、診せられたのですか?」

 口を滑り落ちた言葉に、女性はゆっくりと首を横へ振った。

「ただの、風邪です……季節の、変わり目に、よく……」

 言葉を途切れさせて、女性がまた咳をした。空気の漏れるような、肺から全てを絞り出すような、そんな咳だった。

「……こちらで、医師を手配します。今晩、ここへ寄越しますのでそれまで我慢していてください」

 言って、立ち上がった。足元で、かすかに肯定の返事があったが、すぐに背を向けた。

「その丸薬は、水で薄めて少しずつ飲んでください。お姉さんと、あなたも」

 背を向けたまま言って、歩き出した。入口で佇んでいるスレッドの腕を引いて、女性の家を辞する。

「ちょ、引っ張るなよ、おい!」

 腕を振りほどいたスレッドが、何度も振り返りながらも付いて来る。

「ありがとう、おじちゃん、おにいちゃん!」

 少女の大きな声が、背中に聞こえた。

「一体、どうしたってんだ、スー?」

 町の通りに戻ったとき、スレッドが声をかけてきた。充分に、あの教会から離れた。それを確認してから、スレッドに身体を向ける。

「どう見るか、と聞きましたね?」

 問うと、スレッドは戸惑いながらうなずいた。

「あ、ああ。あのやつれた姉ちゃんのことだな。どうだった?」

「死病です。もう、長くはありません」

 スレッドの顔が、驚愕に固まった。

「お、おい、本当か? ただの風邪って」

「幼い妹には、聞かせたくはなかったのでしょう。風邪ではないことくらい、当人には解っているはずです」

「何て……こった」

 呆然とするスレッドを置いて、通りを宿へ向けて歩き始めた。

「……どこへ、行く?」

 背後で、低い声が呼びかけてくる。

「医師を、手配します。出来ることは、それくらいですから」

 言い置いて、再び足を進める。突き刺さるような視線を背中に感じたが、もう足音は追っては来なかった。


 外套を羽織り、宿を出た頃には夕刻を過ぎていた。酒場通りを歩く人の数はまばらで、灯の落とされた家々からは静寂の気配が感じられた。重い荷を背負い、古びた教会へ向かって早足に歩く。ほどなく、目的の家の前までたどり着いた。

「夜分遅くに、失礼します」

 ノックをして声をかけると、すぐに入口が開いて少女が顔をのぞかせる。

「……おいしゃさま? ほんとうに、きてくれたの?」

 問いかけにうなずきを返すと、少女が大きく戸を開けて振り返った。

「おねえちゃん! おいしゃさまが、きてくれたよ!」

 少女の頭越しに、寝具に横たわる女性がこちらを向いたのが見えた。

「失礼します」

 少女に続いて、女性の側へ腰を下ろす。

「あ、りがとう、ございます……でも」

 口を開いた女性に、首を振って見せる。

「事情は、理解しています」

 そう言って、荷の中から黒い紙に包まれた薬を取り出した。

「本当に苦しくなったときに、それを」

 寝具の中から女性の手を引き出して、薬包を乗せる。爪は黒ずんで、張りの失われた手だった。

「三粒、あります。あなたには、一粒で充分でしょう。残りをどうするかは、お任せします」

 女性の目を、じっと見つめて言った。

「わ、かり、ました……」

 手を震わせながら、女性はかすかにうなずいた。目の端に涙を浮かべた女性の瞳は、遠くの何かを見つめるように視線を彷徨わせていた。

「おいしゃさま、おねえちゃん、なおりますか?」

 隣で神妙にしていた少女が、顔を上げて問いかけてくる。

「……あなたは、お姉さんが好きなのですね」

 少女に顔を向け、そう言った。きょとん、とした表情の後で、少女がにっこりと笑う。

「うん! いっつも、いっしょなんだよ!」

 昼間の太陽を思わせる、元気な笑顔だった。少女の頭へ、そっと手を伸ばす。柔らかな髪が、手のひらの上で滑った。

「あなたは、どうしたいですか?」

 唐突な問いに、少女は少し黙り込んだ。

「おねえちゃんと、ずっとずーっと、いっしょにいたいです!」

 やがて返ってきた答えに、少女の頭から手をどけて立ち上がる。

「そうですか。そうなると、いいですね」

 言いながら、女性の顔を見やった。

「……ありがとう、ございます」

 女性は虚空を見つめたまま、礼を述べる。

「ユーナ、台所から、あの箱を、持ってきて」

 途切れ途切れの声で、女性が少女に言った。

「はーい! おいしゃさま、ちょっとまっててね!」

 少女は元気よく立ち上がり、かまどのある部屋の隅へと行って蓋付きの小箱を取って戻ってくる。

「中身は、もう、私たちには、必要のないものです……好きなだけ、持って、行ってください」

 少女が戻る前に、女性がかすかな声でそう言った。

「おいしゃさま、どうぞ!」

 少女が差し出してくる箱の蓋を開けると、中には数枚の銅貨と銀貨が入っていた。

「……では、これを」

 箱の中から、一枚の銅貨を摘まみ出した。外套のポケットにそれを入れて、二人に背を向けて歩き出す。

「ありがとうございます! くろいふくのおいしゃさま!」

 少女の元気な声に送られて、家を出た。そのまま早足で、町の西門へと歩いてゆく。門番に門を開けてもらい、町の外へと出た。夜道を、風に吹かれてしばらく歩く。町の姿が遠くなり、見えなくなったところで行く手を遮られた。

「よお、黒いの。待ってたぜ」

 隻眼に無精ひげの、スレッドが目の前に立っていた。

「……別に、あなたとは約束はしていませんが」

 道の真ん中へ立つスレッドを避けて端を通ろうとするが、スレッドが横に移動して立ちふさがる。

「約束は、してないけどよ……こっちは、あんたに用があるんだぜ、薬屋」

 にやり、と無精ひげの口元を歪めてスレッドが言う。

「……何の用でしょうか?」

 息を吐いて、そう答えるとスレッドが笑い声を上げた。

「見事な変装だが、子供は騙せても俺は騙せないぜ、スー」

 言いながら、スレッドが腰に提げた剣を抜いた。よく手入れのされた切っ先が、月光を照り返してこちらを向いている。

「これは、何の真似ですか?」

「何、別に、身ぐるみ置いてけ、なんて言わねえ。あんたにはここで、死んでもらうだけだ」

 銀の剣先が、こちらの頬をかすめるように動いた。

「鋭いですね。良い腕です」

「あんたも、大したもんだな。眉ひとつ、動かさねえなんてよ」

「反応が、出来ないだけです。それよりも、何故、と聞いても?」

「あんたが、人殺しだからだ」

 首筋に、冷たいものが当てられた。

「あなたが、今まさにやろうとしていることも、そうですね」

「ちっ、平然としてやがる。だが殺す前に、答えろ! 何でコリーを殺した!」

 スレッドの問いに、しばらく黙り込んだ。

「……コリー、ですか。それは、一体誰のことですか?」

 問いかけると、さっとスレッドの顔に朱が差した。

「とぼけるな! てめえが、スランの町で殺した退役軍人の名前だ!」

 その言葉に、通り過ぎて来た町の名を思い浮かべる。遠い記憶の中に、そんな町の名があったのかも知れない。だが記憶は曖昧で、鮮明な像は浮かんでは来なかった。

「……あなたは、彼の関係者だった、と?」

 問いかけると、刃が少し首筋に食い込んできた。

「忘れていやがったのか……! あのとき、コリーに雇われて、護衛をしていた俺のことも!」

 激昂したスレッドが、片手で引きむしるように眼帯を外す。隠されていた眼には、深い傷跡が斜めに走っていた。

「……あのとき、ですか。申し訳ありません。過去のことは、覚えていないのです」

「てめえ……!」

 スレッドが剣の柄に両手を添えて、剣先を少し引いた。首筋に、ちり、と痛みがあった。

「あれから一年……俺はてめえのことをずっと追いかけてきた。人殺しのヤブ医者野郎に、天誅を下してやるためにな!」

「……私は、殺してはいません」

「今更、言い逃れか? てめえ、あの町の女も同じように殺して来たんだろう!」

「あなたが言うコリーという人物については何も思い当たりませんが、私はただ、薬を渡しただけです」

「薬、だあ?」

「はい。安息丹、という薬です。人を苦痛から解放し、安息へと導く薬です」

「……飲んだら、どうなる?」

「神経が麻痺を起こし、苦痛を感じなくなり、そして、死に至ります」

「だったら、てめえが!」

「私は、薬を渡すだけです。使うかどうかは、当人の意思によります。あなたの言うあの町の女にも、薬を渡しただけです。彼女が、あれを自分で使うか、それとも残される妹に使うかは、私の知るところではありません」

「な、に……!」

 首筋から剣が離され、カランと地面に落ちた。

「私の診立てだと、今夜が恐らく彼女の限界でしょう。多少の蓄えがあるようですが、妹のほうにも病の初期症状が診られました。大きな都市の、一流の医師に診てもらうには、あの家の蓄えでは足りません。ですから、薬を渡しました」

「馬鹿野郎!」

 目の前に、いきなり火花が散った。地面が迫り、衝撃があった。殴られたのだ、と理解が及んだときには、スレッドの身体はすでに町の方角へ向かって奔り始めていた。

「畜生!」

 身を起こしながら、スレッドの叫びを聞いた。小さくなってゆく背中を見送り、しばらくその場に座り込んでいた。

 荷の中から、丸薬を取り出した。指の中で練りつぶし、首の傷に塗る。それから立ち上がり、外套の土を払う。町へ向けて、大きく息を吐いた。

 スレッドの落としていった剣を、道の端へと蹴飛ばした。そして、月の明かりを頼りに暗い街道を再び歩き始める。今度はもう、邪魔が入ることは無かった。


 新しい町に、たどり着く。酒が、欲しい気分になっていた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

御意見、御感想などありましたらお気軽にお寄せください。

お楽しみいただけましたら、幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なかなか考えさせられました。 救いには違い無いのでしょうが、やるせないですね。 [一言] 新たな作風にチャレンジ中でしょうか? 素敵ですが、ダークサイドに堕ちてしまったようで、我輩心配であ…
2017/05/23 18:42 退会済み
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