7話
「えっと、このお店で良いはずだけれど」
翌日の朝食後にダッテン伯爵から一枚の地図を渡されて、港近くにある商人を訪ねるように言われていた。
ユウキとカリーナちゃんと合流して地図を頼りに三十分、目的地を前にして誰にでもなく聞いてしまった。
「伯爵様から頂いた地図によれば間違いないと思いますにゃ」
念の為に町の人に確認してくれたジョニーが言う。このまま立ち尽くしているのもどうかと思うから扉に手を掛ける。
「おはようございます、ダッテン伯爵から紹介された者ですが」
入口で挨拶をするとそこそこ身なりが良い男性が歩いてきた。何だろうか?見覚えがある。
「おや、これはこれは。まさか貴女にお手伝い頂けるとは考えていませんでしたよ。コーヒーはお楽しみ頂いていますか?私はエンシュアと申します」
「あ!門の前で買い物した商人さんだ。シーディーアの商人さん達のまとめ役?」
検問の順番待ちをしている時に、まあまあのコーヒーを試飲させてくれた太っ腹な人。私の質問に首を縦に振る。
「若輩者ながら大役を任せてもらっております。普段は商会の幹部に代役を押し付けて行商に勤しんでいるのですが、今はクラーケン共の為に商人ギルドから動けないのですよ」
エンシュアさん自身も被害者だろうに、他人の陳情を聞かなければいけない立場か。大変だね。
「大変だよね。でも僕達が」
「そうだぜ!俺達がきたからにはクラーケンにこれ以上暴れさせたりしないぜ!安心してくれエンシュアさん!なあ、皆?」
シンちゃんが言おうとしただろうセリフを途中で奪い取って、ユウキがドヤ顔で得意気に話す。私達の返事はバラバラで曖昧なものになってしまった。
「ケイ様達に勇者様…まで揃っているのであれば、怖いものなどないですね。詳しい状況をお話ししましょう」
勇者の所で微妙な間があったけれど、見事な商人スマイルで誤魔化したエンシュアさん。彼に案内されて船着き場へ行く。
「これは三日前に襲われた船です。辛うじて沈没を免れましたが…御覧の有り様です」
目の前にはメインマストがへし折れて、船体に何かで突いたような穴が無数に開いている船がある。
「エンシュアさん、クラーケンの他にはどんな魔物がいるんですか?」
「流石はケイ様。それが重要なのです。半魚人のような取り巻きが際限なく湧いてきて、どれだけ頑張っても数で押し負けてしまうのです」
「半魚人のような?」
「銛を使って攻撃してくるのですよ。足なのかヒレなのか判断出来ない見た目にもかかわらず、器用にペタペタと歩きます。最近は夜中に港の中にまで現れて、徘徊している姿が目撃されました」
夜中にペタペタ徘徊する半魚人?町を歩いていると生臭い匂いと足音がセットなのかな?ふと思い浮かぶ何かがあって、思わず呟いてしまう。
「いあ、い…むぐぐ!」
「いけない!それは禁断の呪文だ、忘れるんだ嫁さん」
旦那さんに素早く口を押さえられた。つい口にしたとは言え自分でも危険な気がするから、大人しく頷いて離してもらう。
「ダメだよ?ケイ。名状しがたい何かを招くのは。海の底でひたすら眠っていて欲しいね」
「もしも拾ってしまったら元の場所に戻して下さいにゃ」
シンちゃんやジョニーにまでダメ出しされた。
「誰も私の心配をしてくれない。SAN値直葬になったらどうする?ジョニーに至っては小動物扱いだし」
あの神々の姿を目にすると、普通は精神が耐えられないから廃人になる。そう言われていた気がするから聞いてみたけれど、皆の返事の方にダメージを受けた。
「嫁さんだからな、きっと大丈夫だろう」
「向こうが直葬かもね」
「散歩させて周囲を地獄絵図にしそうですにゃ」
酷過ぎる!私を何だと思っているのか、じっくり小一時間ほど問い詰める必要がある。
「相手が良く分かんないけれど、ケイの方が強そうだよな」
「産地直送ですか?新鮮なイメージですね」
ユウキとマロはズレた事を言って、オリバーさんとカリーナちゃんとエンシュアさんは首を傾げるだけだった。
「もういいよ…本題に戻ろうか。要は雑魚が多くて本丸に辿り着けないって事でしょう?最初から好物でクラーケンだけを引き寄せると楽だよね」
皆は頷くけれどエンシュアさんは非常に渋い顔だ。
「もしや試したけれど失敗したとか?」
「いいえ…クラーケンの好物が判明しましたが…その」
歯切れの悪いエンシュアさんに思うところがあったのか、シンちゃんとジョニーが離れた場所へ拉致していく。
「何でしょうか。入手困難な物という可能性がありますよね」
「カリーナは良いところに気がつくな。魔物のレア素材とかだったら、俺がゲットしてくるさ!」
「ユウキ様、素敵です」
余所でやってくれるかな?と私達の顔に書いてあるのは見えないようだ。二人の世界に入っているから放置しよう。
オリバーさんを手招くと小さい声で聞く。
「クラーケンって他の魔物を食べる?家畜が海に引き込まれるなら理解出来るけれど」
「少なくとも俺は聞いた事がないな。牛や羊は前例があるがな」
「エンシュアさんが何か知っているみたいだから待つとしようか」
旦那さんの意見に賛成して待つこと数分で、シンちゃんとジョニーが戻ってくる。
「聞き取り終わった?難しい素材とかだったら、我等が勇者のユウキ君が頑張るらしいよ」
「完全に馬鹿にしているだろう?まあ、あれを見ると同感なのだがな。それでどうなのだ、ケイ殿が言う通りなのか?」
内緒話を終えたシンちゃん達に声を掛ける。シンちゃんはニマニマ笑っていてジョニーは思案顔だ。エンシュアさんだけが暗い表情をしている。
「オリバー殿の質問は半分正解と言えますにゃ。難しいと言えば難しい素材ですからにゃ」
「大丈夫だよ!我等が勇者…プクク!ユウキ君がいるからさ。きっと最前線で頑張ってくれるよ、ウフフフ」
うん、恐らく非道い内容だろう。主にユウキにとって。二人の口調でエンシュアさんの顔色が更に悪くなる。土気色に近いけれど倒れたりしないよね?
「旦那さんはどう思う?まあ、ユウキだから何とかなるでしょって思っているけれどね」
「嫁さんと大差ないよ、死ぬ事はないさ。それよりもエンシュアさんの具合が悪そうだな、マロ頼んだよ」
「はい、フミ様。体から力を抜いて楽にして下さいね?彼の者に精神の安定を、マインドキュア。いかがですか?エンシュアさん」
マロの癒やしで少し顔色が良くなったみたい。
「ありがとうございます、かなり気分が良くなりました。万事上手くいくような気がしてきました」
「船や資材をお願いしますね。後は任せて下さい」
「船を出すだけに、大船に乗ったつもりでいきますよ!」
マロよ、実は危ない魔法じゃないよな?テンションが高くなっているエンシュアさんにちょっとだけ引きつつ、後からミニドラで連絡しますと告げて別れた。
「さて、何が必要なの?教えて」
「エンシュア殿の顔色が微妙だったのは、こういう理由ですにゃ」
ジョニーの説明にオリバーさんだけが苦い表情だった。未だに二人の世界に浸っていたらしい、ユウキとカリーナちゃんを現実に引き戻して飲食店を探す。
のんびりとジュースを飲みながら打ち合わせ。ユウキには重要なポジションを任せるから、今日は体力を消耗しないように言い含めておく。
「それじゃあ夕方に桟橋に集合だからな?遅れたら魔法でぶっ飛ばすから」
「大丈夫だよ、俺にしか出来ない役割があるんだろう?早めにスタンバイしておくさ!」
どんな未来が待っているのか知らないのは、ある意味幸せだろうな。私と旦那さんにシンちゃんもいるから、万が一という事態にはならないので詳細は言わなかった。
デートに行くという二人を見送って買い物に向かう。
「おう、客か…ここは海の荒くれ者御用達の店だ。可愛い物なんて扱っていねえから、家へ帰んな」
とあるお店に入るなり店主らしき親父から入店拒否された。商品を見ていたお客からも失笑が聞こえる。
普段なら帰るところだ。今日のクラーケン討伐にどうしても必要な物があるから、ズカズカと店の奥にあるカウンターを目指す。
「ダッテン伯爵から依頼されているから帰らないよ。いくら海の男でも伯爵様には逆らったりしないよね?」
「食えねえ嬢ちゃんだな、何が欲しいんだ?」
カウンターに陣取っていた親父は嫌そうな顔をしたけれど、話を聞いてくれるみたいだ。
「大型の魚を釣るための釣り針が欲しい。可能だったら鯨とかいけるくらいの大きい物」
「待て、何を釣る予定だ。それを確認してからじゃないと話は出来ねえな」
不審がられている。私が親父の立場だったら同じ対応になると思うので、クラーケン退治に来た事を話す。
「ほう、あの化物共を退治してくれるのか。だがよう、相手はレベルの高い魔物だぜ?嬢ちゃんが噂に聞いた事がある、女帝くらい強くなきゃあ無理じゃねえか?」
「心配してくれるの?ちなみにその女帝っていうのは私の事だよ」
親父もお客も笑い出した。これだから噂だけが広まるのは嫌なんだよな。納得してくれるまで話すか、物理的に説得するか迷う。
手をワキワキさせているとオリバーさんが前に出る。
「店主、悪い事は言わんから真面目に聞け。彼女は間違いなく女帝だ、疑うのならばダッテン伯爵様に問い合せても良い。それでも納得出来ないのなら、バン国王の書状を取り寄せよう」
「伯爵様の次は国王様かい、そういうあんたは何者だ?」
「私は王国騎士団団長のオリバーだ。王都から離れていてもこの剣に刻まれた紋章は知っているだろう?」
オリバーさんがベルトから剣を外して鞘ごと店主に渡す。店主は柄に刻まれた紋章を見て目を見開いた。
「疑って申し訳なかったよ。何でも言ってくれ、可能な範囲で協力するぜ」
オリバーさんに剣を返しながら親父が私を見た。
「さっきも言ったけれど、この店で一番大きな釣り針を見せて」
「冗談半分で作った鯨用があるから今持ってこさせよう。おい、地下の倉庫からアレを運んでくるんだ!」
親父の声に何人もの店員が走って行った。
「代金について話をさせて頂きたいですにゃ」
ジョニーが財布を持って話し掛けると親父は首を横に振った。
「誰も使えなかった代物だ。金は要らねえからあの化物共をやっつけてくれ」
「任せて、きっちり殲滅してくるから!」
私が宣言すると親父はさっきとは違う笑顔を見せてくれた。暫くして運ばれてきたマロの身長くらいある、巨大な釣り針を受け取りお店から出た。