WIN-WIN
歩くたびにサラサラと揺れる黒い長髪を追いかけて、塩原北斗と宇都宮真央の二人は先導する少女の案内のもと、鍵を開けてからとある部屋に通された。
「ここは……?」
「山岳部の部室です」
思わず呟いた北斗の疑問に簡潔に答える。
言われてみれば、それらしき装備がズラリと壁や棚に陳列している。部室というからには他に誰か居そうなものだが見当たらず、ここに居るのは彼ら三人だけ。
中央の長テーブルを囲むように配置してあるパイプ椅子数脚とホワイトボードが一つ置いてあるくらいで、他は全て見たこともないようなものが並んでいる。中には靴やリュックなどの見慣れたものも含まれているが、登山用の物なのでゴツくて高価そう。
遭難しても発見しやすいようにか、蛍光色が多く目がチカチカしてくる。
「適当に座ってください。——ウ、ウツノミヤサンもドウゾ」
「あ、うん……」
勇気を出して勧めてくれたのは痛いほど伝わってくるのだが、誰がどう聞いたとしてもカタコトで、緊張しているというよりは接し方が分からないといった風だ。
「それじゃあ遠慮なく……っと」
北斗は言われた通り適当なパイプ椅子を引き寄せて座り込む。真央もそれを見て、適当に座った。
ギシリとパイプが軋む音を響かせて、気付かれぬように美南へ目配せ。
(あの内気な足利さんが声掛けてくるとか、今日は雪か?)
真央にそう思わせるほど、彼女の行動は意外なものだったと言える。いつもは自分勝手な北斗の言動に合わせるばかりで、自らの想いや意思を表へ見せることはあまりなかった。
だがそんな印象もさっきまで。内気なのは変わらないが、歩み寄るための一歩を踏み出す〝勇気〟を持っている。
「それで、足利さん。僕たちをここに連れて来た訳は?」
何と言い始めればいいのか分からないらしく、モジモジとしていて話が進まないと踏んだ真央は、切り出しやすいように訊く。
助け舟をもらった美南は恐る恐る、口を開いた。
「あ、その……さ、山岳部に……入ってみませんか……?!」
消え入りそうな声で、しかしそれでもしっかりと二人の鼓膜に届く。
「しおば——北斗さん言ってましたよね。話し合いの出来る場所が欲しいって」
「そうね、確かに言ったわ。〝栃木県同好会〟の活動のために拠点として使える場所、ね」
数日ほど前、いつもの通り三人で昼食を取っていた時に北斗が発した言葉に間違いない。まだまともな活動が出来ていないから、そろそろ本格的に動き出したい、と。
(……そういうこと、か)
さりげなく山岳部部室を見回して察したのは真央。
時刻はすでに放課後。外からは運動部の掛け声や楽しそうな笑い声が響いてきている。しかしこの部室には他に誰かがやってくる気配は無いし、鍵を開けてから入ったことから、先に誰かが来ていた訳でもないだろう。
つまり、山岳部の部員は足利美南ただ一人。
憶測ではあるが、この見立てが正しいのであれば彼女が言いたいことはこうだ。
「もしかして、僕たちが山岳部に入部することによってこの部室が使えるようになるよ、って言いたいのかな?」
「ソ、ソウデス!」
首を縦にブンブンと振って肯定。躍り狂う長髪はヘッドバンキングを彷彿とさせるほどに激しく動き回る。
「でも私たち、山岳部とかよく分からないわよ。山登りとかするんでしょ? 自慢じゃないけど、体力の無さには定評あるんだから!」
自信ありげに胸を張って言うものだから、真央の口から思わず「……うそだぁ」と呟きがこぼれる。
「何か言った?」
「何でもございません」
昼食の時間が来るたびに大声あげて教室に堂々と入ってきて、万力のような力で引っ張っていくのに乙女チックに体力無いなどとよく言えたものだ。
他にも、長いこと一人でもお喋りし続けられるのだから、間違いなく体力はある方だろう。喋り続けるということがどれだけ疲れる行為なのかを真央は理解している。
「えと、その点は心配しなくても大丈夫、です。お二人は山岳部の活動はしなくても……」
「名前だけ、ってやつね」
「話は分かったけど、それって足利さんの迷惑にならないかな? 毎日のようにここを使うことになるかもしれないんだよ?」
放課後になるたびにここへ集まって、いまだハッキリとしない〝栃木県同好会〟の活動が行われることになる。美南は山岳部の部活動をするのだから、明らかに邪魔になるだろう。
「ちょっと引っかかる物言いだけど……コイツの言う通りよ美南ちゃん。使える物は使っていく主義だから、遠慮はしないわよ?」
「それで良いです。お互いにメリットのある話なので……」
(お互いに?)
どう考えてもこの話、山岳部側に利点は無い。こっちに有利な条件ばかりに思えるし、それどころか山岳部は悪条件ではないかとさえ思えてしまう。
塩原北斗といううるさい女子生徒を招き入れるのだから。
(部員を増やすことによって生まれるメリット……と言えば、考えるまでもないか?)
部員を増やすために躍起になってる光景はよく見る。その多くが、戦力強化や部費の増額が目的。
そして忘れるなかれ、もう一つの目的。
(廃部の阻止だ)
部員が少なく、目立った成績を残せていない部活は部費削減のため遠慮なく切られてしまうことが多い。
山岳部はこの条件に当てはまっているのではないか?
「ひとつ聞きたいんだけど良いかな?」
「ハ、ハイ……っ!」
「もしかして、山岳部には足利さんの他に部員はいないんじゃない?」
「ハ、ハイ……」
「なるほどね、やっぱり」
部員がいないのであれば、やはり真央の読みは正しい。たった一人の部員を放っておくほど、この学校の生徒会は甘くない。……という噂だ。
「ちょっと、何が『なるほど』なのよ」
「つまり足利さんは、WIN-WINな提案をしてるってこと」
「はぁ? 分かるように説明しなさいよ! さてはアンタ頭良いわね!?」
「そんな怒られ方したの初めてだよ!——僕たちが入部すれば部室を使えるようになる。そして廃部の危機にあった山岳部も救われるってこと。だよね、足利さん?」
「ソ、ソウデス……っ!」
真央への返答パターンをひとつ増やして、肯定の意を示す美南。何から何まで読み通りで、ちょっとすっきりした気分になる真央。もしこれで違ったらただの恥ずかしいやつだが、実は内心でホッとしていたのは秘密。
「廃部の阻止……? あーそういうこと! それならそうと言ってくれれば、いくらでも協力してあげたのに! 美南ちゃんのためならそんな条件なくても名前くらい貸してあげたわよ!」
(ま、この人ならそう言うと思ったけど)
美南一直線な姿勢はどんな状況になろうが曲げるつもりはないらしい。そんなところに感心はしたくないが、安心はした。
北斗(百合疑惑確定?)の宣言を聞いて、真央も首を縦に振る。
「そう言うことだから、その申し出は受けるって方向で——」
「ちょっと私のセリフだから! もちろんオッケーよ美南ちゃん! 私と〝こんなヤツ〟でいいなら、力になるわよ!」
親指を立てて全力のウインクを見せてくれる北斗。「こんなヤツ」という言葉に棘と毒が含まれていたような気がするが、いつの間にか抗体が出来ていたらしい。心へのダメージは意外にも小さかった。
(この扱いに慣れてきてる自分がイヤ……)
とはいえ。
(親父には女性に優しくしろって教わってきたからな……)
耳にタコができるほど、幼少期から刷り込まれていた。結果として、よく言えば紳士的、悪く言えば押しにめっぽう弱い宇都宮真央という男子生徒の出来上がり。
「入部してくれたら色々と特典が付くので、前向きな返事が聞けてよかったです……」
胸に手を当てて一息つく美南。彼女にとってはなけなしの勇気を振り絞った話だったのだ。よく頑張ったと褒めてやりたいくらいだが、硬直する姿が目に見えているので自重した。
それよりも聞き捨てならぬ言葉がさらっと流れたが、北斗は聞き逃さなかった。
「な・に・そ・れ! 色々な特典っ!? なぁにその甘美な響きは! 詳細希望!」
突然の大絶叫が響き渡る山岳部部室。
(また一波乱ありそうだな……)
ちゃっかり耳を塞ぎながら、肩をすくめる真央だった。