役に立ちたい
放課後。
大きな校庭を、他の運動部の邪魔にならない程度に避けて大回りに延々と走り続ける女子生徒がいた。
彼女の名は足利美南。白い肌に黒い長髪、華奢な手足と控えめな性格も相まって、守ってあげたくなるような深窓の令嬢を思わせる。
(どうしよう……)
美南は一人きりでゆっくりと走り続けながら、悶々と考える。
その内容は、昼食時に話していたこと。
〝栃木県同好会〟なるものに勧誘してくれた、塩原北斗が発した言葉。
——活動内容はともかく、まずは場所が必要なのよね。
北斗の頭の中にはどんな活動をするのか、ビジョンは浮かんでいるらしいのだがそれを実現するためにはまず腰を落ち着けて話し合いを行える場所——いわゆる部室のような空間が欲しい、と。
学校内に空いている部屋があっても、同好会では貸し与えられない。普段使っている教室も吹奏楽部のパート練習とやらで埋まってしまう。だからと言って話し合いの度にファミレスにお世話になっていてはお財布事情に響く。
などの理由から頭を悩ませていた。
「はっ……はっ……」
規則正しい呼吸法で、何周目かもわからない校庭を走り続ける。彼女の細い手足のどこにそのような地力が隠れているのか。周囲から「あの子ずっと走ってるよ……」と囁きが聞こえてくる。
何かの罰で延々と走らされているのではと疑いたくなってしまうが、そんなことはない。
もちろん自発的に走っているだけ。
これも立派な部活動だからだ。
(もしかしたら……なんとかできる、かも)
周りの視線も声も届かないくらい、美南は自分の世界に没頭してひたすらに考える。
——自分なら居場所を提供できるかもしれない、と。
気付けば部活の時間はとうに終わっていて、完全下校時刻が迫っていた。
美南は汗を入念に拭い、着替えてから帰路に着いたのだった。
*
それから数日後。
「スゥ〜……ハァ〜……」
自分の教室で大きく深呼吸をして、高鳴る鼓動を鎮めようと静かに努力する美南。いつも通りであれば、そろそろやって来るはず。
「おっ待たせ美南ちゃん! コイツがチンタラしてるから遅くなっちゃった!」
「引っ張らなくても自分で歩けるって。地味に痛いから……!」
(きたっ……!)
その口からは喧騒を、その手には影も幸も薄い男子生徒——宇都宮真央を引き連れ、毎度お馴染みの快活さで北斗が現れた。
あれ以来、昼食は自然とこの三人で取るようになった。原因の全ては北斗にあるが、誰も文句を言わずに受け入れているので恒例の眺めとなりつつある。
毎回北斗の教室に集まるのでは大変だろうということでクラス順にローテーションを組むことになり、今回は美南の教室。
美南は豪華そうな重箱、北斗は餃子弁当+α、真央は普通の弁当という相も変わらずな光景で一人、美南は緊張で身体が強張っていた。
「見てみて! いつもは餃子にオニギリなんだけど、今日はかんぴょう巻きにしてみたの!」
+αのお弁当を開けて、子供のように鼻を鳴らして自慢してくる北斗。いつも自分で作っていると苦労を語っていたし、努力の結晶を披露したいのだろう。
だが、かんぴょう巻きだけのシンプルな絵面に真央は思わず口走る。
「……地味だね」
「アアン?」
「美味だね! 食べなくても美味しいってわかるよ!」
「そうでしょうそうでしょう。特別に一つ恵んであげるわ」
「わーい……」
苦し紛れの言い訳を笑顔で受け入れ、そのうちの一つを彼の弁当へ移した北斗。戻り際にさりげなくウインナーを攫っていったのは、見て見ぬフリ。
「美南ちゃんもひとつどお?」
「う、うん……ありがとう」
どのタイミングで、どうやって切り出そうか。
言いたいことがあっても上手く言葉に出来るのか心配で、なかなか言い出せない美南。
とりあえず気持ちを落ち着けようと、北斗からもらったかんぴょう巻きを口へ運んでみた。
「あ、おいしい……」
思わず舌つづみを打つ。
歯ごたえを残しつつもしっかりと味の染み込んだかんぴょう。ほんのり味の移ったご飯にしなしなの海苔の香りが何とも言えないハーモニーを奏でていた。
「へぇ、どれどれ……」
彼女の反応を見て、真央も続くようにかんぴょう巻きを口へ運んだ。
「……お、ホントだ美味しギャアアアアアァッ?!」
「ひぃ?!」
2、3度咀嚼した途端、謎の悲鳴をあげる真央。その目には涙が浮かび、慌てて飲み物で流し込んでいる。
いきなりでつい引きつった声が出てしまった美南だが、いったい彼の身に何が起こったのか。
「アッハッハ! 引っかかったわね! アンタのには特別に大量のワサビを仕込んでおいたのよ!」
……と、いうことらしい。
いつだったかの〝しもつかれ〟のお返しを、ドッキリで敢行したのだった。猪突猛進、豪放磊落な性格だと思っていたが、意外に根に持つ性分のようだ。
「だ、だいじけ〜?」
彼のあまりもの悲鳴に心配そうな声音が出てしまう。
そして自然と鈍った発音になってしまって、言ってから慌てて自分の口を押さえる美南。
(しまったやっちゃった……嗤われる……!)
意識せず肩身に力が入ってしまうが、そんな心配など無用の長物となる。
彼はちっとも嗤うことなく、
「ああ、らいじょうぶらよ、平気平気。あいがとう」
軽く手を振って無事をアピールするだけ。
全然平気そうではないけれど、辛くて嗤う余裕すらなかっただけかもしれないけれど、それでもやはり美南にとってはこの上なく嬉しいことだった。
そしてはたと気付く。
(男の子と話せた……?)
緊張で強張って視線すら合わせられなかったのに、初めて自然と声をかけることができた。そんな自分の内面の変化に驚きを隠せない。
僅かなものではあるが、確実に良い方向へ変わっていると、自信が持てた。
何も心配することはなかったんだ。
周りの人にはいまだに嗤われてしまうけれど、この二人は当たり前のように受け入れてくれる。
そう思ったら、胸のつかえが取れたように気持ちが軽くなる。
——役に、立ちたい……!
「あ、あの……その……」
「ん? どうしたの美南ちゃん?」
言い出してしまえばこちらのもの。あとは要件を言うだけ。
ほんの一言。たった一言。
「お二人とも……今日の放課後、お時間ありますか……!?」
「も、もしかして美南ちゃんからデートのお誘いっ!?」
「『お二人とも』って言ってたでしょうに……」
「えっと……連れて行きたい場所というか、紹介したいところがありまして……」
少しばかり間違った受け取り方をしてしまったが、伝えたいことは伝えられた。
あとは、二人がどんな答えを導き出してくれるか。
どんな返事でも、もちろん構わない。
それでも……少しばかり期待してしまう美南だった。