お弁当
三つの机を突き合わせてお弁当を広げる三人。
「何よアンタその弁当。普通ね、面白くない」
鎖骨あたりで揺れるおさげが愛らしい女子生徒、塩原北斗がいきなり文句を放り込んできた。
「餃子しか入ってない人に言われたくないんですけど……」
普通との評価を受けた弁当の卵焼きを口に運びながら答えるのは影も幸も薄い男子生徒、宇都宮真央。作っているのは母親であるし、ただの男子高校生に面白い弁当を求められても困るというものだ。
「それと比べて美南ちゃんはすごい豪華ね! 学校に重箱ってなかなかないわよ!」
「ご、ごめんなさい……」
俯き加減に答えたのは、足利美南。人見知りで内気だが、重箱を学校に持ってくるとは意外に大胆なところもあるらしい。恥ずかしがっているあたり、彼女もまた親が作った弁当なのだろう。
「これはまるで御節ね……もしかして美南ちゃん家ってお金持ち?」
聞き辛いことをこうもあっさりと聞いてしまうのだから、傍若無人を地で行く彼女は伊達じゃない。
だが北斗の評価も間違ってはいなかった。御節さながらの神々しさを感じてしまうほど色とりどりの内容。どこからお箸を付けていいのかわからないし、そもそもお箸を付けることすらおこがましく思えてしまう。
「普通ですよ。お母さんお料理好きで、講師もしてるんです」
「なんと! じゃあ高クオリティのキャラ弁とか作れちゃうの? とちまるくんとか、カンピくんとか、さのまるとか!」
「え?……っと、やろうと思えばできると思いますよ、たぶん……」
そこそこ有名なゆるキャラを羅列するもポカンな美南。
二人のそんなやりとりを、卵焼きを咀嚼しながら真央は黙って聞いていた。
(学校にキャラ弁とか、それこそ死んでしまうのではなかろうか)
観察眼にはそこそこ自信があると自負する彼。フレンドリー過ぎる北斗だからああしてそつなく会話できているが、美南は異常とも思えるほど人見知りだ。特に男性に対しては。
「親が料理できるってやっぱいいわね。私なんか弁当、自分で作ってるんだから」
焼き餃子、揚げ餃子、水餃子という餃子しか入ってない中身を摘み上げて、そのまま口内へ。でもサイコー、などと言って満面の笑みを浮かべているので、内容物が餃子だけでも問題はないらしい。
もちろんお弁当とは別におにぎりが用意されている。
「包むところから?」
と、卵焼きを飲み込んだタイミングでイタズラに聞いてみた。
「当たり前じゃない。なんなら皮から作ってるわよ」
さもありなん、当然でしょ、それくらい出来なくてどうするの。
と、彼女の表情がわかりやすく物語っていた。
真央からすればただの興味本位以上の意味はなかったのだが、とんでもないスイッチを押し込んでしまったらしい。
「もしかして餃子の素晴らしさをご存知でない?」
「へ?」
「『宇都宮』という名前でありながら、餃子のなんたるかを理解していらっしゃらない?」
「名前は関係ないかと……」
口調すら変わり、北斗は餃子がいかに至高の食べ物であるか、悠々と語り出す。
スイッチを押し込むどころか、地雷のど真ん中を踏み抜いてしまったようだ。
「いーい? 餃子っていうのはね、我々庶民にとって非常に心強い〝正義の味方〟なの。美味しいし、作るのも簡単だし、値段もお手頃価格!」
餃子一色の弁当箱を突き付けて、北斗は力強く言葉を続ける。
「オマケに焼いて良し揚げて良し茹でて良しの三拍子! ちょっと調理法を変えるだけでこの通り! 三種類の食感を楽しめるから飽きることもないし、餡とか使う材料をちょこっと変えるだけでもだいぶ味だって変わっちゃうんだから」
どれもこれも一緒に思われがちだけど、結構繊細なところもあるのよ! などと矢継ぎ早に言われても、餃子にそこまでの思い入れがない彼はただ北斗の迫力に圧倒されるばかりだった。ついには「宇都宮餃子のそもそもの始まりは1940年に——」と歴史まで語り出す始末。
「塩ば——北斗さん、お昼休み終わっちゃうよ? 早く食べたほうがいいんじゃないかな……?」
うまくタイミングを見計らって、美南が助け舟を出してくれる。
「ム? それもそうね。布教活動も大切だけど、残しちゃっては餃子に失礼ってもんね。醤油、ラー油、酢についても語りたかったんだけど残念、また今度にしましょう」
(ホッ……助かった)
立ち上がって語り始めてしまうほど熱が入っていたが、美南の一言で一気にクールダウン。
助けてくれてありがとう、とアイコンタクトで伝えようとしたのだが、視線を向けた途端にスイッと俯いてしまった。
(控え目で人見知り……けど塩原さんに対しては普通に喋れてるあたり、対人恐怖症というわけでもないんだよね……)
お得意の人間観察で美南の特徴を見抜くが、さすがに対処法までは見出せない。今までの人生の中でこのタイプの人間とは関わったことがない。
(うまくやってけるのかなぁ……)
北斗が勧誘したということは、彼女に秘められた魅力的な部分を感じ取ったということ。自分の目にかなりの自信を持っていたし、間違いなく北斗の心に刺さる何かを美南は持っている。
それが何かわかれば、歩み寄るきっかけくらいにはなるかもしれない。
「あ、それ」
その時、美南の豪華な重箱の中に見覚えのある料理が。小中学時代の給食でたまに出てきたのだが、大量に余るのでよくおかわりして食べていた——
「しもつかれ?」
しもつかれとは、栃木県の郷土料理。鮭の頭と野菜の切り屑などの残り物に、大根おろしと酒粕を共に混ぜて煮込んだもの。
見た目のグロテスク加減とその味から、地元民ですら好んで食べる人は少ない。
「ハ、ハイ……っ!」
「平気なんだ? 好きなの?」
「ハ、ハイ……っ!」
「なんか懐かしいな。中学の給食の時、残す人多かったからおかわりし放題だったんだよね」
「うぐっ」
謎の呻き声を漏らしたのは北斗。
美南がしもつかれを食べられる少数派の人間だったり、お弁当にしもつかれ入れてきたり色々と気になることはあるが、何よりも気になったのは北斗の反応。
「さては——」
「馬鹿言わないで頂戴! この私がしもつかれごとき食べられないわけないでしょ!?」
「まだ何も言ってませんが?」
ニヤリと笑みを歪める真央。カマをかける前から盛大に自爆してくれた。
「ヤ・ラ・レ・タ! 嵌められた!」
「勝手にすっ転んだだけでしょうに」
「ええそうよ!『栃木大好き』とか豪語しておきながら歴史ある郷土料理を食べられない裏切り者はこの私よ! 笑えばいいでしょ、笑いなさいよ! こんちきしょう!」
オロロロロ〜ン……! と泣き崩れて机に突っ伏してしまう北斗。見かねた美南がすかさずフォローを入れる。
「食べられない人のほうが多いんだし、そんなに気にしなくても……」
「グスン……ありがとう美南ちゃん。そう言ってくれるだけで心が救われるわ……」
妙に芝居がかっているというか、若干のわざとらしさを感じていたら、キッ! と鋭い視線を向けられる。
「それに比べてアンタは何? 乙女の弱みを握って踏み躙ったりして、良心の欠片も無いの?」
「欠片くらいはあるから!」
ちょっとからかってやろうと思ったことは事実だが、行動に移す前に盛大に自爆したのは向こうだ。真央は「さては——」しか言っていないのにこの言われようは理不尽極まりない。
「確か、しもつかれって地域によってなんか色々違うんだっけ?」
「あらその通りよ。よく知ってるわね」
ケロッと通常運転に戻った北斗が、揚げ餃子をパリパリ食べながら解説してくれた。
正直うるさいかと思っていたが、こちらが喋らなくても勝手に喋り続けてくれるので、これはこれで楽だということを発見した。
「なるべくたくさんの種類のしもつかれを食べると無病息災になるとか、そういう言い伝えもあるくらい、地域……というか家庭によって味が違ったりするらしいわ」
「へぇ〜……」
鈴を転がしたような、可愛らしい納得の吐息を漏らす美南。
自分の家と他人の家で違いがあることを知って興味でも湧いたのかもしれない。
「もしかしたら北斗さんでも食べられるしもつかれがあるかもしれませんね」
「うっ……美南ちゃんに言われると逃げられないわね……」
真央は、ここでふと妙案を思いついたので提案してみようと口を開いた。
「そうだ、とりあえず足利家のしもつかれを試食してみたら?」
「えっ? いや、ちょ、それは……どうかなぁ? ほら、もったいないって言うかさぁ?」
あからさまに適当言って逃げようとしているので、真央は逃げられないように手を打つ。ついさっき自分で言っていた弱点だ。
「足利さん、塩原さんにちょっと分けてあげられないかな?」
「ハ、ハイ……っ!」
「だってさ。許可が下りたよ。よかったね」
「アンタァ! 嵌めたわねぇ!?」
「『美南ちゃんに言われると逃げられない』んでしょ? 食べず嫌いはよくないよ」
だんだん面白くなってきた真央は、後が怖いことを理解しつつも途中でやめることはできなかった。
「足利さん、アーンとかしてあげられないかな?」
「ハ、ハイ……っ!」
「マ・ジ・で・か!?」
苦手な食べ物でも、好きな人にアーンされるのであれば美味しく感じられるのかもしれない。
北斗は悲鳴の涙を流しながら、嬉しそうに美味しそうに……しもつかれを頂いたのだった。