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栃木弁

 ようやくたどり着いた下駄箱で上履きに履き替え、教室までの廊下を歩く三人。


「それじゃあ、また後でね美南みなみちゃん」

「は、はい」


 鎖骨あたりで揺れるおさげが愛らしい塩原しおばら北斗ほくと(百合疑惑浮上中)に見送られ、美南は自分の教室である1年1組へ。影のように後ろをついてきていた宇都宮うつのみや真央まおは3組へ、それぞれ別れた。


「ふぅ……」


 着席して華奢な体を落ち着けると、ため息と共に緊張の糸が解ける。そのままズリズリと木製の板からお尻が滑っていく。艶やかな長い黒髪が背もたれに絡まるのも構わずに、そのまま目を瞑る。


(お友達……できちゃった、かな)


 入学してから一週間。

 すでに周囲にはいくつものグループが出来上がり、美南の入り込む隙間などとうに無くなっていた。今も周りでは数人で誰かの机を囲って楽しそうに歓談してる。


 それとなく話題に耳を傾けてみるが、何を言っているのかさっぱり分からない。横文字だか略語だかが飛び交って、日本語なのかすら怪しい。

 完全に田舎育ちの美南にはついて行けそうもない話題。


(無理して合わせるよりは……いいよね)


 愛想笑いを浮かべるような堅苦しい空気に耐えられる自信はない。おちゃらけた空気に染まるつもりもない。友達は選べとおばあちゃんにも母親にも釘を刺されている。


 その点、偶然にも声をかけてくれた北斗は違う。引っ込み思案の美南を笑顔で引っ張ってくれるし、自然とこちらも笑顔になれる。多少強引なところはあるけれど、それを不快に感じることは不思議となく、むしろ心地好いくらいだった。


「美南ちゃーん! さっそく遊びに来ちゃった!」


 そう、こんな感じで周りの目も気にせず元気に声を上げて——、


「美南ちゃーん? スカート捲れてるよ? シワできちゃうよ? 綺麗な脚見えてるよ?」

「はれぇ!? 塩原さん、どどどっっどどうしてここに——いててっ!?」


 目を瞑っていたため気付くのが遅れたが、すぐ目の前に先ほど別れたばかりの北斗の姿が。

 浅く座りすぎた身を慌てて起こそうとして、背もたれに絡まった髪が後頭部にチクリと刺すような痛みを与える。


「ああ動かないで! 私が取ってあげるから」


 何本かは犠牲になってしまったが、北斗のおかげで絡まった髪は救出された。

 恭しくもしっかりとお礼を言ってからようやく正しい姿勢に戻って服を整えつつ、突然やってきた北斗に疑問を投げかけた。


「塩原さん、どうしたんですか? もうすぐホームルームはじまりますよ……?」

「北斗」

「……え?」

「『塩原さん』って呼んでる。北斗って呼んでよ」

「あご、ごめんなさい……北斗、さん」

「いいのいいの。徐々に慣れていけばいいんだからさ」


 北斗は特に気にした風もなくそれだけ言うと、ニッコリ笑いながら前の席に座る。当然その席は北斗の席ではなく、1組の男子の席だ。

 幸いその席の男子は不登校らしく、姿を見たことはない。


「で、何で来たかって言うとね、どうしても気になっちゃったから今すぐに確かめたいことがあって」


 そう言うと北斗は、ずずいと顔を近付けたかと思うとすぐに、鼻から肺いっぱいに空気を吸い込んだ。


(……やっぱりだ、私の思った通りね! きっとこれに惹かれたから美南ちゃんに声をかけたんだ)


 それは北斗が嗅いだことのある香り。全てを包み込んでくれるかのような、安心感を感じさせるもの。

 彼女はどうしてもこれを確かめたくて、僅かな時間しかないホームルーム前にも関わらずわざわざ隣のクラスへ赴いたのだった。


「美南ちゃんは私と同じ匂いがするのよね」

「同じ匂い、ですか……?」


 そう言われた美南は使っているシャンプーが同じものだったのだろうかと率直に捉えたが、そうではなく、むしろ彼女がひどく気にしている部分に大きく踏み込んでいた。


「うんそう。緑と土の匂いって言うのかな? 母なる大地の香り、みたいな」

「ひぐ」


 それを聞いた途端、変な顔をしたまま美南は瞬間冷凍されてしまった。


 そう——彼女はどうしても〝田舎育ち〟という肩書きを隠していたかったのだ。

 小さい頃、祖母と一緒に遠くで働いている母親に会いに行った先で、通りすがりの子供に指差されてひどく笑われた思い出があったから。

 が、ものの一週間で、しかも初対面の相手に、見事に看破されてしまったというわけ。


 そして運悪く、カバンにしまっていた携帯電話が鳴り響いてしまう。マナーモードにし忘れていたらしい。


「お、おばあちゃん……!? なんで今……?」

「今時ガラケーとは……美南ちゃんやるわね」


 携帯を開いてみると、着信は大好きな祖母からだった。

 もうすぐホームルームが始まる時間だし、今は北斗とお喋りしている。電話には出てあげたいが、学校のため出るわけにはいかない。


 ——はずだったのだが、慌てすぎて通話ボタンを押してしまう。


『あ〜もしもしみーちゃんかい? まちばでちゃ〜んとやってっかちっとばーし心配になっちゃっで、電話しでみだんだずや』


 電話先で孫が大いに慌てふためいていることなどつゆ知らず、祖母はのんきな様子だった。


「も、もしもし! こっちはだいじだけ〜、ばっぱは心配しすぎなんだ〜! あんまし気にしすぎると体に触るけ、ごっこと畑さ行ってつちっこ触るなりうなるなりすんだ。こっちはガッコあっから、ばんがたまた電話すっぺ。んじゃあとでね」


 早口でまくしたてるようにそう言うと、返事を聞かずに電話を切った。

 そして〝ゴッツンッ!〟と机に額を強打させた。


(うわぁ痛そう)


 と素直に心配する北斗を他所に、そんなことはどうでもいいとばかりに額を擦り付ける。


(はぅ……もうダメだ……! 恥ずかしくて死にそうだよぉ……!!)


 白い耳まで真っ赤に染めて、視線から耐えるように縮こまる。

 電話の着信音、訛りに訛ったこってこての栃木弁、おまけに額を机に強打させる音が教室にこだまして、無駄に注目を集めてしまった。


(どうしよう……塩原さんにも恥ずかしいところ目の前で見られちゃったよぅ……)


 あまりにも恥ずかしくて、一度では飽き足らず何度でも額を打ち付けたい衝動に駆られる。痛みで多少は誤魔化せるような気がしたのだ。

 だから頭をもう一度持ち上げようとした、その時——、


「カ・ワ・イ・イ! 美南ちゃんメッチャ可愛い今の! もうサイッコーよ!」

「……へ?」


 ぐっと親指を突き立てて、ほんわかとした満面の笑みを浮かべる北斗。彼女の心の中は溢れんばかりの幸福感で満たされていた。


 顔を上げた美南の瞳は潤んでいて、今にもしずくがこぼれ落ちそうな中、目の前には満面の笑みが。


(笑わない……んだ?)


 訛った方言など、ずっと笑われると思っていた。

 実際、周囲からはクスクスと小さな含み笑いの息が聞こえてきているのに、この少女はむしろ「可愛い」と当たり前のように褒めてくれた。

 美南にとって、これ以上に嬉しいことはない。


 まるで——自分の全てを受け入れてもらえたようで。


 この人になら、ついて行ってもいいと思えた。きっと楽しいところ、面白いところへと導いてくれる。

 そんな確信にも似た予感を……ハッキリと。


 胸からこみ上げてくる嬉しさを噛み締めていると、チャイムと同時に担任の先生の男性教師が教室に姿を表す。


「ほーらさっさと席つけ〜。……ん?」


 教師は教室の異様な雰囲気をすぐに感じ取り、その原因を突き止める。


「ずっと空席だったのに……誰かいる!? そうか……やっと登校してくれたか、鈴木!」


 北斗を見て、不登校の生徒〝鈴木〟が登校してきたと勘違いして、感極まったような声を上げる。

 教室を出るタイミングを完全に逃した北斗は、アドリブを決行することに。


「はい! やっと登校してきました、鈴木です!」

「んなわけないだろ。さっさと自分の教室戻りなさい」

「ハイ……」


 さすがにクラス担任が自分の教室の生徒を見間違えるはずはなかった。そもそも男女が交互になるように席順が決まっているので、余ったりしない限り女子が連続することはないのだ。


 トボトボと美南の教室を出て自分の教室に戻り、そこでも遅れてきたことが理由で北斗がまた怒られたことは、言うまでもなかった。

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