栃木県同好会?
4月11日。ある高校にて、入学式から一週間が経過した。
ちらほらと、頭上と地面をピンクに染める桜が見受けられる中、真新しい茶色の制服を着た新一年生達が抜けきらない緊張の面持ちを携えて立派な校門を次々とまたいでいく。
まだまだ制服に着られているような印象を受ける中、同じく新一年生ながら堂々たる立ち姿で待ち構えるようにして、校門近くの脇で仁王立つ女子生徒の姿があった。
彼女の名は、塩原北斗。人々が迷わぬよう道行を示せるような立派な人になってほしいという願いを込めて付けられたその名の通り、まっすぐとした揺るぎない双眸を携えている。
さらに彼女の胸の内には大きく燃え上がるようにして、とある〝信念〟が渦巻いていた。
それは——、
(栃木のことをもっと知ってもらう!)
——大き過ぎる郷土愛だった。
彼女のまっすぐ過ぎる視線の矛先は、新一年生達に遠慮容赦なく突き刺さっている。
何やらよからぬ雰囲気を敏感に感じ取って、彼女の視界に入らぬよう、目を伏せ身を縮こませてそそくさと通り過ぎる生徒が多数。
その中には当然上級生も含まれている。
(まずは仲間を調達しなきゃ。2人くらいがちょうどいいよね。三人寄れば文殊の知恵ってやつで)
どうせなら引き込む仲間は地元である栃木のことをあまり知らない人がいい。知らないけど、興味は無くもない、くらいがちょうどいい。
その方が、色々と都合よく事が運ぶ。
栃木を紹介できる。理解が深まる。仲間が増える。そして絆で結ばれる。
最初から詳しい人がいたんじゃ、布教する楽しさが削がれてしまう。
それでは意味がないのだ。
(誘うならバランスよく男女かな? 私は女だから男1人になっちゃうけど、別にいいよね)
人間観察をする目にしては血走ったような瞳を差し向けて、自分のお眼鏡にかなう人をギョロギョロと探す。
(ん、あの人……!)
そして見つける。
今後の事も考えてか、微妙に大きい制服を纏った幸薄そうな男子生徒。
北斗は早速声をかけるべく、ロックオンして一歩を踏み出した。
*
宇都宮真央は、無駄に大きい校門前の脇に佇んで、深呼吸をしていた。彼の名前は女の子のようだが、男子の制服を着ている通り、見た目も中身も立派な男である。
しかしその女の子のような名前がコンプレックスとなり、真ん中ではなく隅っこを好むようになってしまった。
そのため影は薄く、幸も薄い。自身がそうあろうと努めているので当然だが、どういうわけか今日はいつもと違った。
タイミングを計り、意を決したように歩き出す真央。
ちゃんと隅っこを歩いている。おまけに人の影になるように立ち位置を意識しているので、見つけようと思ってもそう簡単に彼を見つける事はできない。
——はずだった。
(え……なんかあの人こっちにきてない!?)
並み居る学生を猛烈な速度で押しのけて、文字通りまっすぐこちらへ突っ込んでくる女子生徒がいた。
足取りは強く、鼻息は荒く、目は鬼のよう。
後半に連れてやや誇張気味だが、彼の目にはそのように映っていた。
最初はただこちらに向かって猪突猛進しているように見えるだけで自分は関係ないと思っていたのだが、距離が近付くに連れて刺さるような視線だったものがレベルアップし、実際に身体中を刺しているような感覚に襲われ始める。
この時、彼は思った。
(これ……逃げられないやつだ……)
《にげる》のコマンドを選択しても《しかし回り込まれてしまった!》の繰り返しが延々と、心が折れるまで続く。
絶望的な心境のまま、しかしそのまま素通りしてくれる事を祈っていた。
ターゲットしているのはきっと自分ではなく前を歩いている人。顔も名前も知らない人なのに、自分に用があるとは思えなかった。
そんな風に冷や汗を垂らしながらも素知らぬフリして歩いていたら、目の前にその女子生徒が強引に割り込んできて進む足を止められた。
「ちょいあなた」
「な、なんでしょう……?」
やっぱり突き刺す視線の矛先は自分だったのか……と天を仰ぐような気持ちになりつつ、努めて平静に応答する。
身長は女子の平均くらいだろうか。彼は意図的に背を丸めて縮こまっているため姿勢が悪く、視線の高さは同じ程だが、真央よりは小さい。鎖骨あたりでゆらゆら揺れるお下げも似合っている。しかし、それよりも目に付くのはその胸囲だった。
——大きい。
漫画やアニメみたいに谷間が見えてしまうような〝バインバイン〟ではないが、少なくとも学年でトップクラスの大きさだろう。真新しい制服を内から押し上げているのが見て取れる。
「私は総合進学部大学進学コース1年2組の塩原北斗よ。あなたは?」
「え、と……。その隣のクラスの宇都宮真央です」
いきなりの自己紹介に驚いた真央だが、それよりも隣のクラスの人だったことに驚く。
入学してまだ一週間しか経っていないが、これだけ目立ちそうな人がいて知らなかったとは。
「マ・ジ・で・か! やっぱり私の目に狂いはなかったわ! 自分が怖いくらいね! ヒャッホウ!!」
塩原北斗と名乗った女子生徒は歓喜の叫びを上げて二重の意味で飛び跳ねる。周囲の目が激しく上下する胸に集まっている事にも気付かないくらいに嬉しいようだが、それを目の前で見ている真央の方がむしろ恥ずかしかった。
「もう絶っ対あなたに決定! これは確定事項だからね! おめでとう! そしてありがとう!!」
「いや何の話ですかね!?」
どんどんテンションが尻上がりになっていく北斗。全然話についていけないまま、何かが彼女の中で確定したらしい。
満面の笑みで両手を握ってきて振り回してくる。
「何って決まってるじゃない!」
そして彼女は声高らかに宣言する。
人目もはばからずに堂々と。さも当たり前のように。
「我らが〝栃木県同好会〟メンバーの、記念すべき第1号にあなたが選ばれたのよ! 国宝級の名誉よ多分! 具体的には『輪王寺大猷院霊廟』くらいの!」
(分っかりずらっ?! 多分って! いろいろ突っ込みたいところがありすぎてダメだ!)
興奮気味に早口で唱える北斗。
とりあえず、
「どうも……」
と、それだけ言った。
「ちょっとちょっと、もっと喜びなさい! 栃木が世界に誇る国宝の一つなのよ!? あの荘厳たる美しさは見る者全てを圧倒する素晴らしさに満ち溢れているの!」
「いや、僕見たことないし」
その、どこかにある『何とかかんとか』を語る彼女の瞳は遠くを見るようにうっとりと光り輝いていて、どうしてこの素晴らしさが理解できないの!? とでも言いたげだ。
が、見たことも聞いたこともない何かを理解する方が無理な話だし、訪れた事もないので真央が圧倒されるはずもなく。
むしろ北斗の、体当たりで分厚い鉄板すらぶち抜きそうな勢いにこそ圧倒されていた。
(きっと愛郷心の塊なんだなこの人……)
今までの言動でそれとなく、彼女のひととなりに当たりをつけた真央だが大当たりもいいところだった。
人目につかないように過ごしていたら自然と養われた観察眼の成果が遺憾なく発揮された瞬間である。
「よーし、この調子であと一人捕まえるよ! こっちきて!」
無理やり手を引かれ、脇道へ。
(つまりあと一人、僕と同じ目に遭うわけだ……)
まだ見ぬ誰かに同情しつつ、先ほど北斗が言っていた『何とかかんとか』とはどんなだろうと、密かに想像を働かせてみるのだった。