神殿での戦い
神殿での戦い
「……」
長い沈黙が中庭にこめている。
魔女が中庭に出てきたばかりの小さな人影を、上空から見下ろし、その人物は鋭い視線で見上げる。
一瞬、空中に幻の火花が。
でも、不意にその沈黙が破られた。
「そうか、そういうつもりなのね! いいわ! 分かったわ! お前がそういうつもりなら、もう容赦しないわ!」
魔女が沸騰した! 顔を赤く染め、火を吐くように神殿の方を睨みつける。
って、フィオーリアが出てきたから、もう中にはだれもいないはずなのだけど……
魔女、勘違いなんだ!
アンタが探している相手は、ここにはいないんだ!
でも、オイラの声は魔女には届かない。
「この期に及んでも、まだ逃げ隠れするつもりね! いいわ、もう! 頭にきた!」
魔女は腕を自分の懐に突っ込んで、それから勢いよく何かを取り出した。
黄色く薄いピラピラのなにか。
魔女はその手の中のものをすばやい動作で地面に投げつける。
それは、矢のように一直線に地面に向かって宙を走り、そして、地面に突き刺さる。
な、なんだ? なにを投げたんだ?
オイラは、地面に突き刺さっているものを見極めようとした。どうやら、呪符のようなもの。黄色い紙に青い色で絵にも似た文字が描かれている。
――ボコッ、ボコッ、ボコッ
と、その呪符の周囲では、地面があちこち盛り上がる。まるで、地面から無数の泡が立ったかのよう。
そして、見ている間にドンドン大きくなる。
普通の泡なら、ある程度大きくなれば、パチンとはじけて消えていっちゃうのだけど、この地面の盛り上がりは、そうはならなかった。
子供ほどの大きさにまで膨らむと、急激にしぼみ、一つの形をとる。
二本ずつの手足に丸い頭。そう、人間と同じ形に。
魔法生物だ!
魔女のヤツ、魔法生物を生み出しやがった! それも、庭にできた全ての泡から。つまり、無数に!
最初にできた魔法生物たちはズボッと地面から足を抜くと、手近にいる人間たちに向けて、左右に揺れながら近づいていく。
その背後では、すかさず、また新たな土の盛り上がりが発生し、膨らんでいく。
「れ、レオン、アイツらだ!」
裏木戸の方から、ジョゼフィーヌの声が。
「ああ、分かってる」
うなずきながら、スラリとレオンが腰の剣・スプラッシュソード*+1を抜いた。
もしかして、町外れに襲来した魔物ってのは、こいつらと同類ってことなのか?
そのとき、魔女の肩にとまっているカラスがバサリと羽を広げた。
――カァアアアア~~~~!!
開始のゴングのように、その鳴き声が庭中に響き渡った。
そうか、土から生み出されたこの魔法生物たちと戦ってきたから、ここへ来たときに、レオンたちは泥まみれだったのか。
オイラがそう、気がついた途端、最初に生まれた魔法生物たち、一斉にレオンへ飛び掛っていった。
――ブゥ~~ンッ
豪快に空気を切り裂く重低音な音が辺りに響き、一瞬遅れて、魔法生物たちの体が、上下別々になる。
すぐに、魔法生物たちの体がボロボロに崩れた。
でも、すぐに、新手が現れ、レオンに襲い掛かる。
――ブゥオ~ンッ
また一旋。刃の届く範囲にいた魔法生物たち、崩れ去る。
よ、よわい! この魔法生物たち、弱すぎ!
でも、弱いとはいえ、後から後から、無数に湧き出て、襲いかかってくる。
ふと見ると、裏木戸の方、ジョゼフィーヌも自分の剣で戦い、魔法生物たちを倒していっている。
もちろん、オイラやフィオーリアにも、魔法生物たち襲いかかってきたけど、動きが遅いので、なんとか逃げて、レオンの背後に回りこむことができた。
「ほれ、ほれ、人間ども。もっと急いであたしのゴーレムちゃんたちを倒さないと、すぐに、この庭中がゴーレムちゃんだらけになっちゃうわよ。オホホホ」
頭上から楽しげな声が降って来るのが、ちょっとカチンとくる。
ともあれ、こんな相手ならレオンやジョゼフィーヌたちでも十分に戦えるが、倒しても倒しても新手が現れる。いくら倒しても、無限に魔法生物たち(魔女のいうゴーレムちゃんたち)が発生するようだ。まだまだ、レオンもジョゼフィーヌも元気だとはいえ、このままでは、いずれ二人とも疲れて、動けなくなるかもしれない。
このままじゃやばいかも!
オイラの懸念は、レオンも感じていたようで、
「おい、これ、どうすればいい?」
剣を振り回しながら、背後のフィオーリアに訊いてくる。
「ん? そんなことぐらい簡単なことよ」
どこかのんびりとしたお気楽な口調。
こいつ、今が危機的な状況だって、分かってないのか?
イラッとしているオイラの横で、相変わらずこの場にふさわしくないゆったりとした口調で続ける。
「さっき、アイツが投げつけた呪符を地面から抜き取って、破きゃいいのよ」
その声を背に聞きながら、レオンがうなずいた。
「わかった。危ないから、私から離れるな!」
そう言って、前進を始める。すでに、体中、泥だらけ。
「ええ、いいわ。後ろの守りは、あたしに任せて」
トンと薄い胸を叩く。でも、その眼、なんか、オイラに据えられているのだけど……
なんか、嫌な汗が……
って、フィオーリア、なんで、オイラの柄に手を伸ばす!?
なんで、オイラを体の前で構えるの!?
なんで、なんで……!?
「こら、箒! アイツらをぶっ倒すんだから、クネクネ曲がって逃げるんじゃないの!」
トホホ……
オイラは全身泥まみれ。
フィオーリアのヤツめ! オイラをおもいっきりぶん回しやがって! 眼が回った。吐き気が……
オ、オエェェェ~~~~
毛に柄に泥がぁ~ 気持ち悪ぅ~
レオンとフィオーリア(とオイラ)はズンズン突進していく。
相手の魔法生物は弱く、レオンが振り回す剣に当たるだけで、崩れ、後に泥の山を作っていくが、なにしろ数が多い。さすがのレオンも腕の振りに疲れが見えてきたような。
「ムッ! おい、見つけたぞ。さっき魔女が投げつけた呪符」
「じゃ、それを引き抜いて、破って!」
「分かった」
了承の返事をしたのはいいのだが、なんどかフィオーリアの言うとおり、足元の呪符を取り除くためしゃがもうとレオンは試みた。だが、そのたびに魔法生物たちがレオンに襲い掛かってくる。
「うむ、ちょっと無理だな。そっちでなんとかできないか?」
剣を一振り。
「はぁ~? そんなことできるわけないでしょ! 私だって戦ってるんだから!」
「そうか……」
また剣を一振り。
前よりも一撃で倒す魔法生物の数が減っているように、オイラには見えた。
その分、背後にいるオイラたちの方へ回り込んでくる魔法生物たちが多くなって……
「エイッ! エイッ! エイッ!」
フィオーリアがかわいい声を上げながら、オイラをブンブン振り回す間隔が狭くなる。
「エイッ!」
「ウオッ!」
オイラの泥まみれの毛の付け根の部分に、なにか泥とは違う硬い感触あったような。
「いてぇ~! なにすんだ! この陰険魔女!」
魔法生物の中の一匹が悪態を吐く。
……
……っ!?
魔法生物がしゃべるだと!
意外な出来事に一瞬、フィオーリアの手がとまり、あんぐりと声のした方を見つめた。
その一瞬生じた隙に、横手から敵の一匹が、フィオーリアに飛びかかってくる。
あぶないっ!
――ビュンッ!
次の瞬間、そのフィオーリアに飛びかかろうとしていた魔法生物が、空中で左右真っ二つに切り裂かれていた。
途端に、形が崩れ、どさりと泥の塊がフィオーリアの足元に落ちる。
今度は新手がオイラたちの眼の前に飛び出して。
「キャッ! 来るな! こないでよぉ~!」
オイラを振り回して、目の前のすこし大きめの魔法生物の頭を殴る。ポカポカと。
って、ポカポカ?
相手は泥だから、殴ってもグチャグチャって感じの音しかしないはずなんだけど、それに、なんかオイラに伝わる衝撃は泥のようなやわらかいものじゃなくて、なんかもっと硬い感じ。
「い、痛っ! 痛い! 痛い! フィオーリア止めろ! 叩くな!」
目の前の魔法生物・泥人形の口から悲鳴が……!?
「なっ! なんで! なんで、しゃべるのよ! 近寄るな! こっち来るな!」
もう乱れ打ち。他の魔法生物たちは一切無視で、目の前のすこし大きめのヤツだけをポカポカポカポカ……
「痛い! 痛いって! やめろ! やめろよ! 根暗魔女! 腐り女!」
「はぁ~ だれが、陰険で、根暗で、腐り女ですってぇ~! だれが、貧乳ですってぇ~!」
「って、だれも、貧乳なんて言ってないだろ!」
「あー、言った! 今、言った!」
「お、お前なぁ~!」
って、この声は!
オイラ、目の前の泥人形の正体に気がついた。たぶん、フィオーリアも同じ。こいつを殴る力を若干弱めているから。でも、殴ること自体は止めない。
フィオーリアに殴られながらも、目の前の泥人形、オイラたちに飛びかかろうとする魔法生物たちをどんどん持っている剣で切り倒し続ける。
「って、いい加減、止めろ!」
「はぁ~ なによ、それは! ご主人様であるレディーに対して、してもよい口の聞き方だと思っているの? 最近の騎士ってヤツは、ほんと、なっちゃいないわね! 恥を知りなさい、恥を!」
「チッ! うるさい! この乳ナシ! 折角、俺が助けに来てやったのに、なんだよ、その言い草! まったく!」
――プッチン!
あっ、なにか切れた。フィオーリアの中でなにかが切れちゃった……
そのあと、襲い掛かってきている魔法生物たちが、思わず引いてしまうほどの惨状が出現したのはいうまでもない。
ナムナム……
ともあれ、全身泥まみれのジョゼフィーヌの合流によって、フィオーリアの負担はほとんどなくなった。
「で、呪符はどこ?」
「俺の足の間だ」
見ると、レオンの両足の間に黄色い紙切れが。
「分かったわ。抜くわよ」
フィオーリアはしゃがみ、細いその指でその黄色い呪符を掴み、引っこ抜いた。
――スポンッ!
途端に、周囲でふくらみ始めていた土の泡がしぼむ。もう、新しい泡も沸いてこない。でも……
「ソイヤッ!」
――ブゥウウウン!
まだ、まだ襲いかかってくる魔法生物たちがいる。すぐに、ジョゼフィーヌが文句を言い始めた。
「おい、こいつら、まだ動いてるぞ!」
「当たり前じゃない。まだ、あたし、呪符を破いてないもの!」
「って、なら、早く破け!」
「うっさいわね! アンタ、何様のつもり? いっぺん死んでみる?」
「はぁ~? なにいってんだ、こいつ?」
「なによ!」「なんだよ!」
また、いがみ合いを始めそうなフィオーリアとジョゼフィーヌだったが、
「ハァ~、悪いが、二人とも、いちゃつくのはそれぐらいにしてくれないか?」
二人が言い争っている間に、一人で残り全部の魔法生物を始末し終えたレオンが、ため息混じりにそうつぶやくのだった。
「はぁ~ なんで、あたしが、こんなオカマ野郎といちゃつかなくちゃいけないのよ!」
「それは、こっちのセリフだ! なんで、俺が、こんな無神経ゴミ女と!」
「あらあら、こんなときに仲間割れ? まあ、みっともないこと。うふふふ」
そのとき、上空の魔女が余裕たっぷりに下の人間たちに話しかけたのだけど、
「このマザコン!」
「チビ!」
「ゲイ野郎!」
「性悪ッ!」
「甲斐性ナシ!」
「陰湿女!」
そんな魔女を無視して、額をつき合わせて言い争いを止めないガキ(失礼、お子様)二人。
「こらー! そこのチビども、あたしを無視すんなぁ~!」
もちろん、魔女の言葉なんて、やっぱり二人の耳には入らなくて、
「ストーカー野郎!」
「はぁ? だれが、だれにストーカーしてんだよ!」
「あら、それをあたしの口から言ってほしいの?」
「なんだと!」
「なによ!」
魔女とレオン、敵と味方、立場が違う者同士ながら、同じように苦笑をうかべ、思わず、深い同情の視線を交し合っていた。
「……」「……」
「ともかく、思ったよりも短時間で、よくあたしのゴーレムちゃんたちを倒せたわね。褒めてあげるわ」
「ふんっ! アンタになんか褒められても、うれしくなんかないわ!」
元々、レオンは必要なとき以外あまりしゃべらない無口な性格。ジョゼフィーヌはというと、今のフィオーリアとの言い争いで声をからしている。
だから、魔女との受け答えはフィオーリアが担当するのが、自然の流れだった。
「あら、そう。でも、こんなのはまだまだお遊び程度よ。うまく倒せたからって、いい気にならないことね」
「フンッ! そっちこそ! 後でほえ面かいても知らないんだから! あたしの瞑想の邪魔をしたことを、たっぷり後悔させてあげるわ!」
って、いくらなんでも、わざわざ魔女を挑発しなくても……
でも、なんだ? なんだって魔女はライティングの魔法で神殿の屋根すれすれのところに灯りを生み出しているのだ?
「あらあら、ちっさいのに、元気だこと。じゃ、次はこれであたしに面白い見せ物でも見せて頂戴!」
どこからか、キラリと月の光を反射する金属質の小さなものを3つ取り出して、指に乗せ、一度に弾いた。
――ピィイイイ~~~~ン!!
澄んだ高い音が神殿の中庭に響き渡る。
その金属質の物(弾丸)は、魔女の指先を離れ、一直線に庭へ向かう。
でも、その先には、オイラたちの肉体はなく、ただの地面があるだけ。もし、オイラたちの体を狙っていたのなら、レオンがすばやく剣を振りぬいて、その弾丸を空中で叩き落していただろうが、全然方向が別。レオンはピクリとも動かなかった。
一体、なにもない地面にあんな弾丸を撃ち込んで、なにをするつもりなんだろうか?
まさか、またさっきみたいに魔法生物を発生させるのか?
魔法生物を発生させて、オイラたちを襲わそうというのだろうか?
魔女が放った弾丸は地面へ一直線に飛んでいき、突き刺さった。
魔女が魔法で発生させた灯りのせいで、中庭の中を長く伸びたオイラたちの影がある辺りに。
「ねぇ! いい? 心を無にしなさい。そうすれば、何も起こらないから」
フィオーリアが、小声でレオンたちに呼びかけている。
ってことは、フィオーリア、あの弾丸はなにか、これから何が起こるのか、知っているのか?
弾丸は、フィオーリアとレオン、ジョゼフィーヌの影の中に突き刺さった。
フィオーリアの陰に突き刺さった弾丸、地面に小さな穴を掘りはしたが、何も起こらず、まったくの変化ナシ。
その隣、レオンの影に突き刺さったものは……
出来上がった穴の周囲の地面が徐々に盛り上がってくる。
って、また魔法生物かッ!?
レオンが、魔法生物の出現を阻止しようと、剣を抜いて詰め寄る。
一旋!
地面の盛り上がりが上下に断ち切られる。でも、まるで何事もなかったかのように、地面は盛り上がり続ける。
「ムダよ! だから、心を無にしなさいって、言ったのに!」
「ムッ! スマヌ!」
「いいわよ、別に謝らなくても……」
レオンはフィオーリアを背後にかばうように、後じさりしてきた。
うん、レオンはホントいいヤツだ。キチンとオイラたちを守ろうとする。
一方、ジョゼフィーヌの影に突き刺さった弾丸はというと、やっぱりレオンのものと同じように盛り上がっている。
「フンッ! まだまだ修行が足りないわね」
「うるさいッ!」
「あらあら、自分の未熟さが顕わになったからって、八つ当たり? まあ、なんてお偉い騎士さんなんでしょ」
「あんな風に突然、心を無にしろって言われて、だれがすぐにそんなことできるんだよ!」
「あーら、うふふふ。見て、あたしの影」
「む、むむむ……」
ジョゼフィーヌ、歯噛みしてる。
うんうん、分かるよ、その悔しい気持ち。
「お、覚えてろよ~ 月夜ばかりじゃないんだからな!」
って、おいおい! お前は、聖騎士目指してるんだろ?
レオンの影の中の土の盛り上がりは、さっきのゴーレムたちのときとは違って、一つきりだが、大きさはずい分違う。大人の人間ほどの大きさにまで膨らんだ。
「おい、このあと、なにが出現するんだ?」
「ああ、あたしにも、なにが出るかは分からないわ」
「なに?」
って、おーい!
「だって、あの魔弾は、突き刺さった影の持ち主の心の中を探って、影の主がそれまでに戦ったなかで一番の強敵だと思っている敵と同じ力を持つ者が出現するのだもの。アンタにとっての一番の強敵がなんなのかなんて、あたしは知らないわ!」
「な、なるほど……」
レオンとフィオーリアが悠長に話しこんでいる間に、盛り上がった土は、急速にしぼみ、人の形を取り始めた。
「来るッ!」
「気をつけてね。でも、アンタが今ここに生きているってことは、以前、その敵をアンタが打ち破ったってことなんだから、大した敵じゃないはずだわ。きっと」
「ああ、分かった」
顔の表情を引き締め、出来上がりつつある敵に剣を向ける。でも、その背後では、
「あのバカが余計な小細工をしていなければね……」
最後、なにか不吉なことをレオンに聞こえない小声でつぶやいていた。
レオンの前の土の盛り上がり、急速にしぼみ、人の形を取った。無駄な肉がついていない引き締まった姿、レオンと同じような冒険者の格好。
「やはり、か…… いや、この場合は当然というべきなのか」
その形を見た途端、レオンがつぶやいた。どうやら、レオンにとって予想の相手だったようだ。
やがて、その冒険者(?)に、今度は色がついてくる。浅黒い肌の色。短く借り上げた黒い髪に、黒い瞳。なめし革の胸当てをあて、大剣を構えている。
ただ、その黒い瞳の中には光がなく、底知れない虚無のみが宿っている。
ゆらりと体を震わせた、途端に、全身から立ち上る強烈な殺気がレオンを襲う。
「ぐぐっ、御前試合での屈辱、今、晴らさん!」
冒険者が叫んだ。だが、それを耳にしたレオン、とても申し訳なさそうな様子。
「すまぬ。まだ、思い出せないんだ。どこで戦った、ジャスティス?」
たちまち、冒険者の顔に血の色がのぼった。
「お、おのれー! ゆ、許さん!」
そして、泥冒険者・マーティン・ジャスティスが動いた。
――カァアアア~~~~!!
また、カラスが鳴く。羽をバサバサと羽ばたかせながら。まるで、キックオフのホイッスルの代わりのように。
ジャスティスは、レオンめがけて突進してくる。
一気に間合いを詰め、上段から、気合を込めて振り下ろす。
「ソイヤッ!」
その剣を下から払い上げるように、レオンが剣を振り上げる。
――カキーン!
火花が散った。レオンが左へ跳ぶ。
「ムッ!」
全身の力を込めた振り下ろしだったので、ジャスティスはレオンをすぐには追撃でず、振り下ろした格好のまま、首だけがレオンの跳んだ方向を追いかける。
レオンは、自身の脚力だけでなく、ジャスティスの剣を受け止めたときの反発力も使って跳んだので、すこし滞空時間が長くなり、その間に、次への着地後の動作の準備ができていた。
地面への接地と同時に、大きく地面を蹴り、剣を横に構えたまま、ジャスティスの側面へ走りこむ。
そのまま、腕を力いっぱい振り抜いた。
剣が真横に一閃した。
その軌跡上にあったのが、ジャスティスの脇腹。大きく割っていた。
「ぐ、グオォォォ~~~~」
ジャスティスが顔をゆがめ、口から獣じみた悲鳴が出る。
やったか!?
だが、すぐに、残念でしたとでもいうようにニヤリと笑った。オイラたちが見ている間に、割られた脇腹で泥が盛り上がり、すぐに元の状態に戻る。
「修復機能つきか!?」
思わず、レオンの口から驚愕の声が。
「そりゃそうよ。もともと、そいつは泥だもの。魔剣でもなければ、いくら斬ってもムダよ」
「って、そういうことは、もっと早く言ってくれないか?」
「別にいいじゃない。今、伝えたんだから」
「……」
レオン、複雑な顔をしている。
わかるよ、その気持ち。ウンウン。
そんなレオンに向かって、ジャスティスが無造作に接近していく。
「死ね!」
レオンののどをめがけて、突きを繰り出すが、レオンは首をひねって、器用によける。
でも、首をひねる動作は上半身だけの動き、一瞬だけ下半身の動きがどうしても遅れてしまう。足がとまる。
そこを逃さず、ジャスティスの剣が膝を狙ってくる。
レオンは後ろに跳んだ。
すぐに、レオンがかわすのを織り込み済みだったかのようなジャスティスが間合いを詰めた。レオンとジャスティスの剣がガッチリとかみ合わさる。
今度は、力押しになった。
「む、むぅ~~~~」
「ふ、ふしゅぅ~~~~」
二人の動きがとまり、顔を真っ赤にして、力任せに相手の体を剣ごと押し合う。
傍から見ても、二人の筋肉が盛り上がっているのが分かる。
たぶん、この二人の間にフィオーリアなどが立っていたら、またたく間にペシャンコにつぶされてしまうだろう。
ふたりとも、動きをとめ、荒い息遣い以外のなんの音も発していないというのに、近寄りがたいものがある。恐怖すら感じる力と力の激突。そして、迫力。
不意に、力を込めて、真っ赤になっていたジャスティスの顔に笑顔が浮かんだ。
直後、ジャスティスの体が泥に変わる。もちろん、その剣も。
レオンの剣は、大した抵抗も受けずに、ジャスティスの泥剣を通り抜け、ジャスティスの泥の体に突き刺さる。
だが、その一瞬後、ジャスティスの体が、元の人間の形に戻った。もちろん、剣も。
いまや、レオンの剣は、ジャスティスの体に刺さり、抜き取れないが、レオンの目の前には、さっきの力押しの格好のままの構えられているジャスティスの剣が……
「コレで終わりだ! 死ね!」
躊躇なく、ジャスティスの剣が振り下ろされた。
レオンは、間一髪のところで、横に転がって、その剣をよけた。
――チッ!
レオンを仕留めそこね、ジャスティスが舌打ちする。
だが、レオンも無傷ではいられなかった。見る見る左肩が赤く染まり始めた。
「クッ……」
それを見て、ジャスティスの顔に笑みが広がる。それから、自分の体に刺さったままのレオンの剣をゆっくりと引き抜いた。
いまや、ジャスティスは両手で二本の剣を構え、レオンの手元には剣がない。その上、レオンは手負い。
どう見ても、レオンには勝ち目がない!
くっ! こんなところで、レオンがやられてしまうのか!
オイラは歯噛みする思いで、ジャスティスを睨んでいるしかできない。
もし、介入しようとすれば、オイラなど、たちまち切り刻まれ死んでしまうだろう。オイラ、死にたくはない。
もし、ここで、このままレオンがやられてしまうと、生き残ったジャスティスは、今度は、オイラたちに襲い掛かってくるだろう。その場合も、やっぱり、オイラたちには死しか待っていない。
レオンを助けても、助けなくても、オイラたちは死んでしまう……
く、くそー!
オイラはやけくそ気味に突進を始めようとした。
だけど、そのオイラの柄を強く握って、押しとどめた者があった。
フィオーリア。
フィオーリアが、オイラを掴んで放さない。
なっ…… どうして、どうして、こんなときに?
見ると、フィオーリアは薄く微笑んでいた。
「レオン、そいつを倒すには、首の後ろにさっきの魔弾が埋まっているから、それを取り出せばいいのよ」
フィオーリアの言葉に、レオンが振り返ってうなずいた。
オイラ、気がついた。振り返ったレオンの表情には、絶望の色も、焦りの色もない。どこか、余裕のようなものすら漂っている。
まだ戦えるっていうのか? こんな絶望的な状況だというのに?
レオンが静かにゆらりと立ち上がった。殺気のようなものはとくに感じない。どうやら、眼を閉じているようだ。
「死ねぇ~!」
そのレオンにジャスティスが襲い掛かる。両手に持った剣を風車のごとくブンブン振り回して、レオンを切り刻もうとする。
――ブン! ブン!
二本の剣が空気を切る音が聞こえている。
でも、その二本の剣はレオンの体に当たらない。
正確にレオンの体があった空間を捉えているのだが、体に届く寸前にフットワークを駆使して紙一重でかわし続ける。
レオンは、ひらりひらりとかわしながら、しだいジャスティスに近づいていった。
しだいにジャスティスの眼に恐怖と焦りの色が。
やがて、ジャスティスに額をぶつけるようにして懐に手を入れたレオンが立った。
即座に懐から手をだし、ジャスティスに抱きつくように体を密着させる。
「や、やめろ!」
ジャスティスが悲鳴を上げるが、その首の後ろに巻きつくようにレオンの腕が伸びる。そして、その手には、なにか金属質のものが握られていた。テーブルナイフ大の金属片。
その金属片を首の後ろで引く。
――カチッ
なにかがぶつかりあうような小さな音がオイラにも聞こえた。
「ギャァアアアァァァァ~~~~!!!!」
ジャスティスの口から断末魔の悲鳴が。
その途端、レオンの腕の中でジャスティスの体が溶けた。泥となって、地面に崩れ落ちた。
そう、レオンが勝ったのだった。
「ほう、大したものね」
上空から魔女の感心したような声が降って来た。
「あの二刀流をまったく体に当てずによけきっちゃうなんて、すごいわね」
「当たり前じゃない! あんな両手持ちの大剣を片手でブンブン振り回したりしたら、バランスを崩しちゃうし、振り回すスピードも遅くなっちゃうわ。もう、そうなったら、よけるのって案外簡単なものよ」
「ん、なるほど、確かにそうだ。が、でも、あんなこと普通じゃなかなかできないわよね?」
「まあね。でも、なにしろレオンだから」
「ほう。そいつはそんなに強いの?」
「ええ、そうよ。エリオットに聞いた話では、王都での大会で優勝したらしいわ」
「へぇ~ そうなのか。じゃ、やっぱり、全能力2割増しじゃちょっと足りなかったのかねぇ~」
「……やっぱり」
「あら、アンタ、気がついてたの?」
「当然じゃない! 魔弾で出現させられるのは、過去に戦った強敵だけだから、キチンと鍛錬している戦士たちにしたら、とっくに凌駕してる相手になるのだもの。役に立たないわ。だから、魔弾使いってヤツは、能力を大幅に高める改造をほどこすってのが常識ってものよ」
「あらあら、小さいのに物知りね。褒めてあげるわ」
「フンッ! もう一度言うわ! アンタに褒められても、うれしくないわ!」
「まあ、元気のいいお嬢ちゃんだこと」
ふふふと魔女が笑っているが、ふっと別の方向を指差す。
「でも、そんなことより、あっちの方はいいのかしら? ずい分、ピンチのように見えるのだけど?」
オイラたちは、魔女の指差す方向をみた。
そういえば、さっきから誰か忘れていたような。
オイラたちが眼にしたのは、地面に倒れ伏したジョゼフィーヌを足蹴にしている見慣れた黒髪の少女の姿。
……
たちまち、フィオーリアの顔が憤怒に染まる。
「ちょ、ちょっと! なんであたしがアンタの一番の強敵なわけ? 信じらんない!」
そう、さっきの魔弾でジョゼフィーヌの前に現れたのは、フィオーリアだった。
「どういうことよ! アンタ、どういうつもりよ! まったく、もう! 絶対、アンタの来世をゴキブリにしてやるわ! ゴキブリになって、下等な人間どもにペシャンコに踏み潰されなさい! そして、なんどもなんどもゴキブリに生まれ変わって、そのたびに、人間たちに殺されてしまいなさい!」
などと、一人、怒りに燃えるフィオーリアなんだけど……
たぶん、この場にいる全員が、同じことを考えていたのじゃないだろうか?
――いや、むしろ、ジョゼフィーヌの相手がフィオーリアなのは、それで正解だ。
って。
憤然とした足取りで、本物のフィオーリアがジョゼフィーヌの元へ移動する。
そして、
ゲシッ! ゲシッ! ゲシッ!
なぜか泥フィオーリアと一緒になってジョゼフィーヌを蹴りつけるのだった。
お、おーい……
やがて、ジョゼフィーヌは失神した。
気を失ったことを確認すると、フィオーリアズはなぜかハイタッチを交わす。
って、おーい!
と、見る間に、泥フィオーリアが姿を崩し、泥へ戻った。後には、魔弾が一つ月の光を受けて、残されていた。
当たり前といえば当たり前の話だったのだ。
泥フィオーリアの姿を支えていたのは、ジョゼフィーヌの心の中の敵なのだから。ジョゼフィーヌが失神してしまえば、心そのものがなくなり、当然、姿を維持するなんてできなくなるのだった。
ってことは、さっきレオンが倒された後のことを心配していたけど、そんな心配はいらなかったようだ。
なにはともあれ、神の祝福を! この泥に塗れて横たわる哀れな子羊に! アーメン!
「あきれた…… お前、そいつは仲間じゃないのかい?」
魔女が心底うんざりしたような顔をして、フィオーリアを見ている。
「フンッ! あたしを怒らす、このうすらトンカチが悪いのよ!」
足元に横たわるジョゼフィーヌを蹴飛ばして、そっぽを向いた。
「ま、まあ、いいけど……」
って、いいんかい!
ふっと、魔女が神殿の方をチラリと見た。一瞬だけ、その美しい顔に不思議そうな表情を浮かべ、また、オイラたちに向き直る。
「さて、お遊びは、まだまだ終わりじゃないわよ。折角だから、もっと楽しまなくっちゃね」
って、今まで、遊んでいるつもりだったのか……
そりゃそうか、この魔女の本当の実力からすると、本気になれば、オイラたちなんて、一撃で葬りされることだろうな。
し、しかし、さっきの壮絶な戦いの中で、レオンが負傷してしまったし、ジョゼフィーヌは気絶中。オイラたち絶体絶命のピンチ!
う~ん……
「じゃ、行くわよ」
内心焦りまくり中のオイラを気に留めることなく、魔女は楽しげに声をあげ、また、何かを地面に投げつけた。
くしゃくしゃに丸めた赤い布。よく見ると、表面に黄色い何かの文字が書き込まれている。
やっぱりオイラたちがいる辺りとは全然別の方角。それも、今回は、遠く離れた庭の隅。
その方角にあったのは……
名前もしらない可憐な小さな白い花が咲いた草。雑草。
「チッ! あのバカ、トマスめ! 草むしりの手を抜いているから!」
って、それって、お前が言うか?
いつも日焼けするだとか、草の汁がついて肌が荒れるとか、適当なことを言って、草むしりなんて絶対に手伝おうとはしない、お前が?
たぶん、このとき、この場で、同じ感想を持った者は、オイラだけではなかったと思う。たぶん……
ともあれ、魔女の投げつけた赤い布、雑草のすぐ手前で、バサリとひろがり、そのまま、巻きつくようにして、雑草に覆いかぶさった。
一瞬の静寂があたりを包む。
町を襲う魔法生物と人間たちの戦闘の音、ずい分近くなってきた。
そよと風が吹いた。
その途端だった。小さな花が咲いた雑草に覆いかぶさった布が、一瞬にして消えた。
……ムッ!?
雑草が妙な輝きを放ち始める。
な、なんだ? なにが起こるんだ?
オイラたちの見ている目の前で、雑草が左右に揺れ始め、その揺れ幅が、しだいに大きくなる。くねるように、もがくように。
動きが止まった。
――ボワンッ!
妙な効果音とともに、雑草が一回り大きくなる。
それを短期間に何度も繰り返し、可憐な小花をつけていた名もなき雑草は、ついに神殿並みの大きさにまで巨大化するのだった。
「さあ、お前、そこの小生意気な人間たちを、ひねりつぶしておしまい!」
魔女が、オイラたちを指差して、その怪物草に命令した。
――グォオオオ~~~~!!
体と一緒に巨大化した花びらを震わせて、魔女の命令に応える。
そして、体をさらに大きく左右に振った。
――ボコッ!
体を振った振動のせいか、地面が割れ、割れ目から、何本もの緑色のツルが現れて、人の背丈ほどあるような巨大花の周りで、不気味にうごめき踊る。
「ホーホッホッホッ! ホーホッホッホッ!」
魔女が、その様子を眺めながら、狂ったような笑い声を上げるのだった。
「レオン、どう、戦えそう?」
フィオーリアがレオンに声をかける。レオンは、ジャスティスに割られた肩を布キレで縛り上げている。その作業が終わると、もとジャスティスを形作っていた泥の中に埋もれている自分の剣を黙って拾い上げる。
って、たとえ、立ち上がるのだけで精一杯でも、構える剣の先がフラフラと頼りなく揺れているとしても、いまレオンに戦ってもらわないと、オイラとフィオーリアだけじゃ、勝負にもならないと思うのだけど……
がんばれ、レオン! オイラたちが生き残るために、がんばれ!
――カァアアア~~~~!!
カラスが片方の羽を上げながら、プレイボールを宣言する審判のように庭中に鳴き声を響かせた。
「ほら、アンタ、いつまで寝てるのよ! 起きなさいよ!」
フィオーリアが、しゃがんで気絶しているジョゼフィーヌの胸倉を掴み、激しく前後に揺さぶる。
「ウッ、ウウ……」
「ほら、起きろ! 朝だぞ! 起きろ!」
「ウッ、ウウ。ママ、分かったよ。そんなに激しく揺さぶらないでよ」
「って、だれがママだ! あたしはアンタみたいなバカな子を産んだ覚えなんかないわ!」
あっ、また殴った。
フィオーリアに殴られた衝撃のせいか、途端にジョゼフィーヌが眼を開ける。
「えっ? な、なに?」
「やっと、起きたか。こののろま!」
ジョゼフィーヌ、不安げにキョロキョロとまわりを見ます。
「えっ? ここはどこ? ……そういえば、ボクはだれ?」
「チッ! 寝ぼけてやがる!」
フィオーリアは舌打ちすると、ジョゼフィーヌの眼を覗き込んだ。
「いい、アンタは、世にも醜いオカマ野郎、ジェシカ・ラングイックよ。場末の夜の町で見かけた色男に色目を使ったら、気持ち悪がられて、殴られて、こんなところで気絶していたの!」
「そ、そうなのか…… ぼ、ボクは醜いオカマのジェシカなのか……」
ジェシカ? オカマ野郎? なんか、わざわざウソを教え込むフィオーリアに、いろいろな悪意が感じられるような。
「ボクは、醜いオカマだったのか…… み、見ないでくれ。頼む、ボクをそんな眼で見ないでくれ」
ジョゼフィーヌが哀れな声でフィオーリアに懇願する。が、フィオーリアも慈愛に満ちた眼をして、悲しげにジョゼフィーヌを見ている。
「大丈夫よ。あなたがどんな醜くても、きっと立派に生きていけるわ」
「そ、そうなのか…… ボクがオカマでも、情けない人間であっても、立派に一人で生きていけるのか! 青き血の流れる偉大なる貴族のように、国王のいとこにして、この国一の大貴族の父のように!」
こぶしを固めて、雄々しく立ち上がり、明後日の方向をむいて宣言した。
って、おいおい。
「ボクは、立ち上がるのだ! この世界を守るために! あの黒髪のチビ貧乳のクソ魔女の悪の手を断ち切るために! いざ行かん! 真の平和と愛に溢れる世界を創るために! げふっ!!」
「調子に乗んじゃないわよ! だれが、貧乳のクソ魔女だって? アンタ、いっぺん死んでみる?」
って、チビはスルーなのか……
フィオーリアにはたかれた後頭部をさすりながら、ジョゼフィーヌは振り返った。
「てへっ」
「フンッだ! 全然、可愛くなんかないわよ! まったく、もう!」
フィオーリアとジョゼフィーヌが、バカバカしい掛け合いを演じている間、怪物花は攻撃なんかしない。案外、律儀な性格なのかもしれない。
ともあれ、ジョゼフィーヌが剣をとり立ち上がった。
「ほら、アンタ、それでも、落ちぶれたとはいえ、騎士の端くれなんでしょ?」
「だれが、落ちぶれてんだよ!」
フィオーリアはジョゼフィーヌの突っ込みを華麗にスルー。
「なら、騎士道精神に則って、可憐な乙女であるあたしを守って、あいつを倒してきなさいよ」
そのまま、ジョゼフィーヌの背中を押す。
「なっ、なっ、なっ!」
ジョゼフィーヌはたたらを踏みながら、一二歩前へ。でも、必死の形相で振り返った。
「なにするんだ! 危ないだろ!」
そのジョゼフィーヌを安心させるかのように、落ち着いた声でフィオーリアが応える。
「大丈夫よ。そいつは図体こそでかいけど、見た目だけなんだから」
「えっ!?」
「どんなにでかいって言っても、所詮はそいつは草、雑草よ。アンタの剣で茎の部分を切り払ってしまえば、すぐに枯れて動かなくなるわ」
フィオーリアは天使のようにニッコリと微笑んだ。
ジョゼフィーヌは、その微笑に勇気を得たのか、怪物花の方に向き直る。
「そ、そうなのか…… 分かった。やってみる」
「頑張って」
「おし、そこで見てろよ! 毎日、レオンに剣の稽古をつけてもらっているボクの本当の実力を見せてやる!」
ジョゼフィーヌは剣のつかを握りなおした。
「うん、がんばれ!」
「絶対、ボクが倒してやるからな! 見てろよ!」
「うん、うん。期待してる」
「あんなヤツなんか、一撃でしとめてやる!」
「そう、その意気」
「雑草なんか、ちょちょいのちょいだ!」
「そうそう」
「草ごときに、ボクが負ける……」
ピキッ!
「ええい! いつまでグズグズしているつもり! いい加減、突っ込め!」
そして、フィオーリアがジョゼフィーヌの背中を蹴り飛ばすのだった。
フィオーリアに蹴りつけられ、ジョゼフィーヌは突撃していった。
ジョゼフィーヌの突撃に気がついて、怪物花の方も、ようやく攻撃を開始する。
花弁のまわりでうごめいていた緑色のツルたちが、一斉に向きを変え、ジョゼフィーヌに向かって伸びてくる。
そのツルを、身をかがめたり、体を反らしたり、あるいは、持っている剣で切り払ったり。ジョゼフィーヌ、レオンに剣を習っている、日々鍛錬を怠っていないという言葉がウソでないということを見せ付けるかのような華麗な動きを見せていた。
でも、その見事な動きを、背後のフィオーリアは見てもいない。
オイラを掴むと、トコトコとレオンのもとへ歩み寄っていって、なにやら耳打ちを始めた。
――あたしが合図したら、アイツの根元に現れる赤い布を狙って、アンタの懐のテーブルナイフを投げつけて、切り裂いて!
レオンが『分かった』というように、眼だけでうなずいた。
その間もジョゼフィーヌの前進は続いている。
左に跳び、右を切り払い、ツルの攻撃をうまくかいくぐる。
やがて、根元まで到達した。
「ふんっ! 見たか! ボクにかかれば、コレぐらい、簡単なことだ!」
その大声が聞こえたのか、ようやくフィオーリアたちもジョゼフィーヌを見る。
そして、剣を大きく振りかぶり、必殺の一撃を怪物花の茎へ!
――カキーーンッ!!
茎に打ち付けた剣、切り払うどころか、その分厚い緑色の装甲に弾き返された。しかも、
「グッ! グォオオーー!! オォォォ~~~~!!!!」
苦悶の表情を浮かべたジョゼフィーヌが剣を取り落とし、絶叫を上げる。今の衝撃で腕がしびれているようだ。
「な、なんでだよ! ただの草じゃなかったのかよ!」
自分で、そう口にした途端、ハッと顔を上げた。すごい形相でフィオーリアを睨んだ。
睨まれた方のフィオーリアは、まるでそれを予期していたかのように、動揺もなく、冷静な様子。それどころか、よく見ると薄く笑みなんか浮かべていて……
「お、お前、だましたな! よ、よくも!」
「なに言ってるのよ、人聞きの悪い。あたしは、アンタの剣で茎を切り払えば枯れて、倒せるとは言ったけど、だれもアンタの腕前で茎を切り払えるなんて言ってないわ」
「な、お、お、お前……」
呼吸困難になったかのように、口をパクパク。
「そんなことより、いつまでもそんな済んだことにこだわっていると、危ない目に遭うわよ」
って、済んだことって言っちゃうのか? そんな言葉ですましちゃうのか?
でも、フィオーリアの言うことも、一面の真理で、憤怒の表情で睨みつけるジョゼフィーヌの体のすぐ近くに、いつの間にか、たくさんのツルが集まってきている。
そして、あっという間に、ジョゼフィーヌの体や手足にツルが巻きついた。
「せ、セバス―― ジョゼフィーヌ!」
レオンが思わず、悲鳴のような声をもらす。
ジョゼフィーヌは、オイラたちの見ている前で、身動きを封じられ、体を持ち上げられていくのだった。
「は、放せ! 放せ!」
必死にジョゼフィーヌが抗議の声を上げているが、怪物花はそんなこと気にしない。
ジョゼフィーヌの体を花の近くまで引っ張り上げた。
怪物花の花びら、さっきまできれいな純白だったものが、いまや毒々しい血の赤に染まっている。しかも興奮しているかのように、プルプルと震えているようにも見える。
その花びらにこすり付けるようにジョゼフィーヌの体を上下させる。
まるで、かわいらしい人形に頬ずりしているかのように……
「や、やめろ! やめろよ!」
怪物花は一瞬、うれしげに全身を震わせた。それから、ジョゼフィーヌの体を花からすこし離して、しげしげと観察を始める。たぶん、どこかに眼でもあるのだろう。
ジョゼフィーヌの体は、いまや泥と花粉まみれ。それでも、気品と美しさをそこはかとなく感じさせるのは、さすがというべきだろうか?
手足を拘束され、身動きを封じられた美少女剣士。気がつくと、一幅の絵になる光景がそこに出現していた。
ただ、あんまり表には出しにくい絵だけど……
「うん、美しい光景ね」
上空で魔女がうっとりとたのしそうにつぶやいているし。
そんなジョゼフィーヌの体をすこし離して鑑賞し、満足したのか、怪物花、今度は拘束に加わっていない余ったツルをジョゼフィーヌの体に近づける。そして、衣装上から卑猥に撫で回す。
「や、やめろ! ヘンなことするな!」
ジョゼフィーヌの眼に嫌悪の光が……
「や、やめて! いや! いやーー! ああん。いやぁ~!」
体中をツルが這い回る。
「あっ、いや、だめ! ……あっ」
ジョゼフィーヌの口から、しだいに妙な声が……
「えっと……?」
レオンが戸惑った様子で、隣に立っているフィオーリアに説明を求める。
フィオーリアは憮然とした表情を浮かべ、横をむいてツバをペッと吐き出した。
「なにをやっているんだ? これは?」
ジョゼフィーヌが『あっ、あっ』と妙に色っぽい声を上げているのをあごを使って示す。
「フンッ! 決まっているでしょ!」
なにが、どう決まっているのだろうか?
「ヘンタイ魔女が、魔法と趣味と自分の嗜好で生み出したツル性触手型魔法生物なのよ。もう、それ以上は説明するまでもないでしょ」
「……」
うん、今の説明で十分によく分かったと思う。そして、この後のジョゼフィーヌの運命も、すべて。
衣装の上から撫で回すのを十分に堪能しおえたのか、怪物花、今度はツルの先端を衣装の隙間にあてがう。
それを察知して、ジョゼフィーヌが悲鳴を上げる。
「だ、だめー! それ以上は、やめてーー!!」
でも、もちろん、怪物花は止めるわけもなく、ツルの先端が衣装の隙間から、中へ。
「あっ、だ、ダメェ~ そんな、そこは、そこは……」
衣装の下のことなので、オイラたちには、見えず、正確にはなにが行われているのかはわからない。ただ、
「ああっ! ダメぇ~~!!!!」
ジョゼフィーヌがひときわせつなげな声を上げた瞬間、突然、怪物花の全ての動きが停止した。
――?
凍りついたように動かない。
不意に、根元の方から這い上がるように震えが伝わり、全身に広がる。
次の瞬間、一斉にジョゼフィーヌに巻き付いていたツルが引き抜かれる。
何本かのツルで、押し飛ばすようにして、ジョゼフィーヌの体を庭の隅に投げ捨てた。
「ようやく、アイツが男だって気がついたみたいね」
ポツリとフィオーリアがつぶやいていた。
見ていると、怪物花の全身に一斉にブツブツが浮かび上がっている。
「なんだ、あれは?」
「ああ、あれは人間で言うとサブイボってヤツね」
「サブイボ?」
「そ、アイツの鳥肌みたいなものよ。きっと、あのバカの体を触っていて、よっぽど気持ち悪いものでも触っちゃたのね。かわいそうに」
う~ん……
可哀そうなのはだれ? 怪物花? ジョゼフィーヌ?
そんな疑問にだれも答えることもなく、
「それより、もうすぐよ。準備して!」
よく見ると、全身が鳥肌で覆われた怪物花、根元の方でくっきり赤く四角い形が浮かび上がってきている。
さっき魔女が投げつけた布と同じ大きさのようだ。
「今よ!」
フィオーリアの合図に、抜く手も見せずに、レオンが腕を振った瞬間、その先から金属質の光の線が伸びた。一直線に、その赤い四角に伸びていく。
一瞬遅れて、赤い四角の部分にテーブルナイフが突き刺さり、震えた。
見事に、赤いものを切り裂いていた。
――グワッ!! ガァアアア~~~~!!
たしかに空気を震わせているのだが、決して音として感知できない無音の断末魔を上げて、怪物花はのたうちまわり始める。
苦悶を表現するかのように、むちゃくちゃにそのツルを振り回す。
塀の一部がツルに当たって壊れた。
レオンが、フィオーリアを背後にかばい、近くに伸びてきたツルを剣で切り落とす。
切り落としたツルは、しばらく地面でうごめいていたが、やがて、動かなくなった。
そして、最後に、怪物花自体が横倒しになった。
――シュゥウウウ~~
空気が抜ける音が庭全体に広がり、オイラたちの見ている前で怪物花が縮んでいく。
ついに、怪物花が横たわっていた場所に、しおれた名もなき雑草があるだけになった。
そう、オイラたちはまた勝ったのである。
庭の隅で膝を抱え、金髪のカツラをずらしたまま、背を丸めてさめざめと泣くジョゼフィーヌを残して。
「ぐすんっ、ぐす。ひ、ひどい。もう、お嫁にいけない……」
そして、だれも、そんなジョゼフィーヌに突っ込みをいれないことが、より一層の哀れさを誘っていた。