捜索開始!
捜索開始!
朝になった。
オイラは掃除道具入れから抜け出し、庭に出て、井戸にもたれかかって、昇ったばかりの太陽を眺めている。
赤々と燃える大きな太陽。ひんやりと爽やかな空気が、オイラの体を優しく包み込む。
「ただいま……」
いつものように、シルフさんが疲れた力のない声をかけてきた。
「お帰り」
「今日も空振り」
「うん。みたいだね」
「ねぇ? こんなこと、まだ続けるの? 全然犯人を捕まえられる気がしないのだけど? 犯人のシッポすらつかめないのに……」
シルフさん、相当うんざりしているようだ。
「あ、うん。それがさ」
オイラは昨晩あったことを話す。
なんか、ちょっと申し訳ないような。昨日の犯人は、シルフさんでもオイラ自身であっても、事前の準備もなしに捕まえるなんて不可能に違いない。
大体、相手は姿を消すことができるだけの能力を持つヤツ。おそらくご主人と同じ魔女。昨晩は、飛行の魔法だとか、ペーターの体を空中で静止させたりだとか、いくつかの魔法を自在に使っていたみたいだしね。
ともあれ、そんな魔女が掃除道具入れを荒らしまわるなんてヘンな話だ。それに、昨日の様子からだと、掃除道具入れを荒らしながら、他の魔女を探してもいるようだ。
でも、しかし、普通に考えて、掃除道具入れを荒らすことで、魔女なんかが見つかるのだろうか?
もしかして、この世には小人ぐらいの大きさのとても小さな魔女なんかがいて、どこかの掃除道具入れに住みついてでもいるのだろうか?
もし、そうなら、一度会ってみたいかも。
ぐふふ。
ある日、掃除道具入れの扉を開くと、そこには可愛い赤いほっぺの小さな小さな魔女がいて、オイラを中へ招待してくれ、紅茶なんかをふるまってくれる。
オイラと魔女は同じように掃除道具入れに縁のある仲間同士。そんな関係から、気安くおしゃべりをし、魔法についてあれこれと情報交換したりして、温かい友情を育むようになるのだ。
うん、素敵な関係。
ぐふふ。
「ふんっ! アンタを自分の住処の掃除道具入れに招待した魔女は、世にも不思議な魔法を使う箒なんてものを眼にして、持ち前の好奇心がむくむくと湧き上がり、アンタに紅茶を振舞うようなフリをして、実はそれは睡眠薬入りで、アンタが次に気がついたときには、柄も毛も全部バラバラに分解され、魔女によって徹底的に調べられているのだわ」
って、お、おーい! シルフさん……
「でも、綿密に隅々まで調べたにも関わらず、魔女にはなぜアンタが魔法を使うことができるのかなんて分からなくて、最後には柄を割って中を調べてみようとするの。そう、アンタはそうして、そんな哀れな最期を遂げるの。そのホコリっぽい掃除道具入れの中で…… ホント、可哀そうに。グスッ!」
……
「あ、あのー? なにか、シルフさん、オイラに腹を立てていらっしゃいます?」
「ああん? 何言ってるの? なんで、私がアンタなんかに?」
すごくとげとげしい感じ。いたたまれない。
「大体、なにが小人ぐらいの大きさの魔女よ。可愛い赤いほっぺだって? いい気なものだわ! 所詮、魔女は魔女だっていうの! 性悪でずるがしこくて、残酷なのよ。ロクなもんじゃないわ!」
ま、まあ、たしかに…… オイラの知っている魔女といえば、ご主人ぐらいなものだけど、だれかと友情を育むなんて、正直、想像もできないわけで……
「それに、掃除道具入れに住んでいるなんて、根性が捻じ曲がっているに決まっているじゃない! ハンッ! お茶に招待だって、笑わせるわ!」
う、うぐぐぅ~~~~
って、ちょっと待った。今、なにげにすごくひどいことを言われた気がする。
掃除道具入れに住むものが、根性が捻じ曲がっているって。
それって、オイラの仲間たちに対しての侮辱以外のなにものでもないような。
これは、怒っていいところだよね? いいや、怒るべきところだよね?
オイラのことならともかく、仲間が侮辱されたんだもんね。
おし、怒るぞ! 怒るぞ! さあ、怒るぞ!
「フンッ! なにが『怒るぞ!』よ。怒りたいにはこっちの方よ! 毎晩、毎晩、私を夜の寒空の下、一人で駆け回らせておいといて。なによ! いまさら、犯人は姿の見えない、私には捕まえることができない魔女だなんて!」
ぐっ…… それを言われちゃ、反論できないわけで。
毎晩、町中を見回るように頼んだのはオイラだし、それに応えて、昨晩もシルフさんはへとへとに疲れきるまで、犯人を捜していてくれていた。
「ご、ゴメン……」
「なによ! あやまらないでよ。まったく、もう!」
シルフさんはそのまま、オイラから離れていったようだった。
オイラの周囲からプリプリと怒っているシルフさんの気配が消えた。
ちょっとだけホッとしたのは事実。やっぱり、周囲に不機嫌な者がいないというのは、平和でいいものだ。
「って、なによ、それ?」
「ゲッ!?」
背後からシルフさんの声が……
つい今、オイラから離れていったんじゃなかったの!?
そんな機能があれば、愛想笑いの一つでも浮かべて振り返りたいところなんだけど、もちろん、そんな機能の持ち合わせはない。
ご主人め! あのグータラ魔女め! こういうときのために、いろんな機能をつけてくれればよかったのに!
「はぁ? なによ、それ? アンタ、ふざけてるの?」
「い、いえ、その、そんなわけでは……」
オイラはゆっくりと振り返った。
朝の爽やかな空気に包まれた日当たりのよい庭の一隅に向かっているはずだというのに、イライラとしたドス暗いオーラが、オイラの前に渦巻いているのが見えるかのようだ。
「フンッ! まあ、いいわ」
ぐっ…… なんか、声が冷ややか。
「さっき、言い忘れてたから、戻ってきたのだけど、昨日の夜、私も犯行のあった直後の現場に出くわしたわよ」
えっ!?
「アンタが魔女だって言ったから、今理由が分かったけど、私も犯人の姿を見なかったわ」
ああ、やっぱり……
「町の西の方、ヨーゼフ通りのあたりを見回っていたら、通りに面した商店の一つから、大きな音がしたので急いで見にいったの」
そうか、昨日はフィオーレ神殿だけでなく、ヨーゼフ通りあたりも被害にあったのか。あっちの方も、今まで一度も被害があったなんて噂を聞かなかった場所だ。やはり、犯人の魔女は一度荒らした場所は荒らさないのかな?
「そうね、そうかもしれないわね」
シルフさんも同意見のようだ。
「でね、私、昨日は妙なものを見たわよ」
「妙なもの?」
「そ、妙なもの。うふふふ」
な、なんだ? シルフさんは、なにを見たんだろう?
う~ん……
ちょっと考えたけど、手がかりがまったくない。当然、分かるわけがない。
「ふふふ、降参?」
「うん、まったくのお手上げ」
「私ね、その商店の中に飛び込んでみたのだけど、もちろん、犯人の姿なんて見えなかったわ。でね、だから、もう逃げ出した後だと思って、引き返して外へでたのだけど、その商店の屋根の上にね、私見ちゃったの。ふふふ」
なんか、もったいぶってるなぁ~ オイラをじらせて、なぶって楽しんでるって感じ。
ハッ!? さては、さっきシルフさんがいなければ平和でいいって考えたことを根に持っているのか……!
「って、アンタ、さっき考えていたのは、腹を立てている者がそばにいなければ平和でいいってことでしょ? 私がそばにいなけりゃってじゃなくて!」
えっ? そうだっけ?
「信じらんない! なによ、まったく。このいけ好かない箒め!」
途端に、オイラの体の周りの空気が渦を巻き始め、それにあおられて、オイラの体もクルクル回り始める。
「ギョエェェェ~~~~ や、やめてくれぇ~~ め、眼がまわるぅぅ~~~~」
散々、シルフさんにいじめられてしまった……
ともかく、眼が回って、気分が悪くなっているオイラに構わず、シルフさんが言うには、
「私ね、その屋根の上で、鳥を見たのよ。それも真っ黒な大きなカラス」
カラス?
「そ、カラス。カラスって、夜中はどこかの森の中で休んでいて、町にいないじゃない。でも、昨日は町にいたの。それも、被害のあった商店の屋根の上に」
……
どういうことだろう? この町でカラスを見かけること自体は、珍しいことではないけど、でも、夜中に見るというのは……
カラスは、高い木の上に巣を作る鳥なので、木があまりない町中を夜間飛び回るなんてことはない。夕方になると、巣をかけることが可能な木がたくさんある南の森へみんな帰っていく。それに、大体、鳥目なハズだから、夜は眼が見えないわけだし。町中でぐずぐずしているはずはない。
にも関わらず、シルフさんはカラスを見かけたという。
これは一体……
そ、そういえば、以前、オイラ、ご主人の小屋から飛んで戻ってくるときに、カラスに追いかけられたことがあったっけ。
あのときは、シルフさんが撃退してくれたけど。オイラを追跡したカラス。そして、奇妙な掃除道具入れ荒し。
なにかの関連がありそう…… いや、ありそうじゃなくて、絶対に関連がある。
とすると、あの姿の見えない魔女が探しているのは、やっぱりオイラ?
でも、そいつが口にしていたのは、他の魔女に対しての文句ばかりだったし。
う~ん……
ナゾが増えた。
「ともかく、ちゃんと伝えたわよ。カラスのこと」
「うん、分かった」
そして、今度こそ本当にオイラのそばから、シルフさんは離れていったようだ。
でも、用心深いオイラはちょっとだけ考えてみる。
ホント、シルフさんはいい精霊さんだ。素敵なオイラの仲間だ。感謝、感謝だ。
もちろん、オイラのこの考えに対して、シルフさんからの反応はとくになく。というか、もし、近くにいたとしても、面とむかってこんなことを言われたら、あの照れ屋のシルフさんなら、照れてリアクションできないだろうしね。
というわけで、反応がないのは想定の範囲内。
それから、次に。
でも、シルフさんはあの短気な性格なんとかならないのかな? すぐにプリプリ怒っちゃって、参っちゃうよ。
もし、近くにシルフさんがいれば、すぐにオイラの体を空気の渦が取り巻いて、さっきみたいに眼を回すはめになるはずだけど、今回は、そんなことはなく。
ってことは、本当に、シルフさん、オイラのそばから離れていったってことだろう。
うん、これなら安心。身の危険を感じずに、自由にモノを考えることができそう。
オイラはようやく、ホッとすることができたのだった。
犯人は、姿を隠すことのできる魔女。
その魔女の狙いは、掃除道具入れに隠れる魔女を探し出すこと。でも、そんな魔女なんて、本当にいるのだろうか?
う~ん……
そして、この魔女の周囲にはカラスがいて、夜中だというのに、町に来ている。
さらに、オイラは、以前、カラスに追跡された経験がある。
これは一体…… なんか、ナゾだらけだ。
わけがわからん!
う~む……
いくら頭をひねっていても、分からないものは分からないわけで、仕方なく、オイラは目立たないように、礼拝所側の壁際へ移動する。
ヘタに、目立つ井戸のそばにい続けたりすると、トマスに見つかって、また掃除道具入れに放り込まれかねないしね。
礼拝所の壁際なら、日が当たって、気持ちいいけど、立ち木が邪魔して周りから死角になり、見つかる心配が少ない。
今日は神殿学校のない日。
いつもの日課なら、そろそろご主人の小屋へ飛んでいって、畑仕事をする時間だが、今日はさすがにそんな気分がおきない。
畑仕事に精をだすよりも、昨日の荒らし事件について考える方が、大事なような気がする。あくまでも、オイラの勘だけど。
もし、こんなときに、ご主人が小屋にもどってきていて、オイラが働いていないのを見つけたりしたら、オイラ命がいくつあっても足りないだろうな。
なんて、恐怖が心のどこかであるのだけどね。
結局、午前中ずっと、その場所でオイラは姿の見えない魔女のことを考え続けた。
魔女の狙いはなにか?
その正体は?
カラスとの関連は?
オイラをカラスが追いかけた理由は?
どれにも答えなんて見つからないし、それを導き出す手がかりもない。
あるのはナゾだけ。
う~ん……
一歩も前へ進んでいないような気がする。というか、実際そうなんだけど。
こんなときは、誰かに相談したいところだが、オイラが相談できる相手といえばシルフさん。だが、こういうことに関しては、絶対に役に立たない。これは確信を持っていえる!
とすると、残された道は、なにも考えずに行動するのみなのかもしれない。
じゃ、なにをすべきか?
まずは、姿の見えない魔女を捕らえなければ。
幸い、相手は一度襲った場所をもう一度襲うような効率の悪いやり方をとってはいないようだ。
つまり、昨日、犯行があったフィオーレ神殿やヨーゼフ通りでは、もう犯行がおきないってこと。
ということは、そこに住んでいるオイラの存在を相手の魔女に知られる心配は考えなくてよいだろう。
また、今晩犯行が行われる可能性のある場所をある程度は限定することができそうだ。
これまでに犯行が行われていない地域が次の標的にされるって事なんだから。
ってことは、今まで犯行があったという噂がない地域を中心にワナを張り巡らせておけば犯行現場で魔女を捕捉することができるかもしれない。
でも、相手は魔女。オイラの使えるような魔法で正体を見破るワナとして役立つものってあるだろうか?
これには、すぐに結論が出た。
ワナとして使える魔法はない。あったとしても、魔女だけでなく、無差別にだれにでも被害を与えてしまうような攻撃魔法になる。住人たちが普通に出入りしている町中で使うと、関係のない住人たちまで被害を与えてしまうことになるのがオチ。
――使えないな。
オイラはそう結論付けた。
とすると、オイラにできることは、犯行現場へいち早く駆けつけ、オイラ自身が、直接姿を消す魔法を解除してみせて、取り押さえるしかないのだろうな。
相手は魔女だし、正面からぶつかっていっても、たぶん、オイラごときがかなうような相手ではないかもしれない。けど、相手は姿を消す魔法を使って、だれにも見つからないと安心しているはず。そんなところへ、不意を突いて姿を消す魔法を打ち消してみせれば、一瞬混乱して対応が遅れるに違いない。そして、その後も後手後手に回り、案外、うまく相手を取り押さえることができるかもしれない。
とすると、オイラが今考えなきゃいけないのは、どうやって、いち早く犯行現場を見つけ、その場所へ急行していくかってこと。
オイラは考えた。
そして、昼頃になって、その解決策を思いついたのだった。
それから、午後いっぱいをつかって、オイラは、町中を駈けずり回った。まだ犯行があったという噂のない地域に警戒網を張り巡らせるために。
ぐふふ。これで、今晩は、魔女をつかまえることができるかもしれない。
その日の夕方には、オイラは西に広がる畑と、その先の地平線に陽が沈むのを、待ち遠しく思いながら眺めているのだった。
心地よい疲れと期待を胸にして。
夜になった。
オイラは町の中央市場付近の空き地に待機している。
今までに犯行が行われていない地域は、まだいくつもあり、町のあちこちに散らばっている。
どの場所で犯行が行われたとしても、すばやく現場に駆けつけるには、北の川近くのフィオーレ神殿よりも、町の中心部に近い中央市場周辺で待機している方が好都合だった。
陽がとっぷりと暮れ、辺りは真っ暗。
近くに夜中も明るい飲み屋街があるが、オイラのいる空き地周辺にまで、その光は届いてこない。
今宵の月は半月がすこし膨らんだ更待月。真夜中になる前、遅い時間に東の山の端から昇ってくるはずだが、まだ、その時間にはなっていない。
それに、空も全体的に薄ぼんやりと曇っているから、たとえ、月が昇ってきたとしても、その光で、モノの輪郭が明らかになるなんてことはないだろう。
「待機の時間って、ちょっと暇ね」
オイラのかたわらで、シルフさんが退屈そうな声を出している。
「ああ、だね。でも、まあ、仕方ないよ。これも相手しだいだし」
「そうね」
さっきから何度同じような会話を繰り返したことだろう?
オイラもいい加減飽きてきた。
早く、姿の見えない魔女、行動を起こさないかな。手持ち無沙汰が過ぎる。
「ああ、もう! ちょっと私見て回ってくる」
そう言って、シルフさんがオイラのそばを離れるのも何度目だろう?
ちょっと苦笑しつつ、
「いってらっしゃい」
「うん、いってきます」
オイラのかたわらで風が動いていった。
オイラが昼間、警報機代わりに仕掛けてきたのは、虫型のゴーレムたち。
泥でできた小さな体に木の羽が生え、高速で空を飛ぶことができる。
そいつらを、今まで犯行が行われていない地域の掃除道具入れに隠し、ドアが開いたら、飛び上がって中央市場近くの空き地にいるオイラの元へ来るように命令しておいた。
虫型のゴーレム。ハエぐらいの大きさ。
いくら魔女だとはいえ、暗がりの中、そんな小さなモノが飛び上がっていったぐらいなら、気がつくこともないだろう。
大体、掃除道具入れの中身をぶちまけて、大きな音を立てている最中。こんな小さなゴーレムの羽音に気がつけるはずもない。
だから、飛び上がった後、一直線でオイラの元へ虫型ゴーレムたちが飛んで来るだろうし、その飛んできた方向を見極めて、オイラも急行すれば、犯行の直後、まだ魔女が現場を離れる前に、そこへ到着することができるはずだ。
オイラは周囲をキョロキョロと見回し、虫型ゴーレムが飛んでくるのを今か今と待っていた。
突然、オイラの周囲で風が動いた。
「く、来るわよ!」
やっとか、遅かったなぁ~
のんびりと思考したオイラだったけど、
「バカ、なに、のんびりしてるのよ! アンタのゴーレムだけでなく、後をつけて、カラスも来るのよ!」
へっ?
「だから、カラスが追いかけてくるの!」
事態がいまいち飲み込めない。
どういうこと? カラスが追いかけてくるって?
「アンタの虫、見つかったのよ。ほら、見えてきたわよ」
たしかに、東南の方向、オイラの虫型ゴーレムの気配がする。その向こう、暗い空を背景に、その空よりももっと暗いものが宙に浮かんでいるように見えなくもない。
チッ! オイラの自慢の虫型ゴーレム見つかったのか。
舌打ちしたい気分だけど、そんな機能はない。
代わりに、慌てて呪文の詠唱に入った。
虫型ゴーレムを追いかけて、ぐんぐん黒い影が大きくなってくる。
短期間で詠唱が完了する魔法なんて一つしかない。オイラは躊躇なくその魔法を唱えていた。
そして、カラスが空き地の上空に達したとき、オイラの呪文は完成した。
――ディガ、ムンディア!
そう、ファイアーボールの魔法。
慌てていたので、火球の大きさを十分に調整できていない。予想以上にでかいファイアーボール。空き地サイズ。
アチチ……
もうちょっとで、オイラの毛が火球に飲み込まれるところだった。
この魔法を使い続けると、いつか、オイラ自身がファイアーボールに飲み込まれ、焼き尽くされてしまうかも……
不吉な予感が、オイラの柄を駆け上がる。
――ブルルルッ
ともあれ、突然、空き地いっぱいの大きさの火球が発生したのだ、空き地に向かって突進してきたカラスは咄嗟に避けることもできるはずがなくて……
「ガァアアアーーーー!!」
驚愕の悲鳴を上げて、カラスはオイラの作ったファイアーボールに飛び込んでいった。
あちゃ~ ちょっと可哀相なことをしたかも。
生きたまま焼き殺され、こんがりと肉を焼き上げられたジューシーな焼き鳥の完成だね。
向こうの飲み屋街にもって行けば喜ばれそうだけど、後でどこかに穴を掘って、丁寧に埋葬してあげなければ……
オイラは、無用な殺生をしたことを心の中でわび、カラスの冥福を祈るのだった。
そして、ファイアーボールが縮み。
――ポンッ!
マヌケな音を立てて、消えた。
空き地に所々生えた雑草たちを焼きつくして。
「ちょっと、なによ、あれ!?」
シルフさんが驚きの声を漏らす。
次の瞬間、
「カァアアーー!!!!」
空き地の上空を飛び回りながら、カラスが勝ち誇ったように鳴いていた。
えっ?
カラスは無傷だった。
オイラのファイアーボールが利かない? そんな、バカな!?
オイラは自分の見ているものが信じられなかった。
眼があれば、その眼を疑っていることだろう。
でも、カラスが元気に飛び回っているのは紛れもない事実なわけで……
「あれ、見て!」
えっ? どれ?
俺は、空き地の上空を飛び回るカラスの姿を凝視した。そして、シルフさんがなにに気がついたか分かった。
カラス、腹の部分になにか護符のようなものを貼り付けている。
どこかの国の文字のようなものを黄色い紙に赤い字で書いたもの。オイラが知っている文字ではない。まったく読めない。それどころか、どこか禍々しい気配を感じさせるようなオーラが発散されている。
「きっとあれのせいね」
「ああ、たぶん。なんだろう?」
「呪符かなにかかしら?」
「さあ? なんだろう? たしか、東の方の国では、紙に魔力を込めて特別な文字を書き込むことで、付与魔法と同じ効果を発揮させるとか、ご主人の書斎の本で読んだことがあるけど……」
「きっとそれね。それで、あんたのファイアーボールを無効化したのね。あのレオンの魔剣みたいに」
「ああ、たぶん」
「ってことは、もう一度アンタが魔法で攻撃しても、ムダね」
「ああ、おそらくな」
「ったく、しょうがないわね。じゃ、私、ちょっと行ってくるわ。その間に、逃げなさい」
「ああ、ありがとう。シルフさん」
「いいわよ。お礼なんて。貸しにしといてあげるから」
「……」
「そのうち、利子をつけて返してもらうわ。楽しみにしてるから。うふふ」
そ、それは……
オイラはそんな楽しげなシルフさんの声を聞き、ちょっと不吉な感じがして、柄が震えた。
ま、まさか、あんなことや、こんなことを……?
ちょっと、ここで詳しく書けないようなことを想像してしまう。
「って、なによ! 私が、そんなことをアンタに要求するわけないじゃない! バッカじゃない! ヘンタイ!」
たはは……
――カァァアアアーーーー
カラスは相変わらず空き地の上空を飛びまわっている。
どうやら、その視線は、オイラにしっかりと据え付けているようで、オイラが動こうとすると、途端にカラスもオイラの動く方向へ飛んでいき、その上空で旋回する。
チッ! オイラの動きをあくまでも逃がさないで上空から居場所を監視し続けようというわけか。
でも、それなら、空き地に下りてきて、オイラに直接攻撃するなり、その鋭い爪や太いくちばしなんかで押さえ込む方がはるかに効果的だと思うのだが?
それをしないってことは、こいつ、オイラの実力を測りかねて、警戒しているのかな?
それとも、援軍が到着するのを待っているのか?
援軍? 姿の見えない魔女か……
どんな魔女なのか、オイラには分からないが、こんな呪符を使うような魔女。その実力・知識は侮れないもののはず。そんなのが到着してからでは、ご主人に作られた魔法生物でしかないオイラに勝ち目があるようには思われないし。
ってことは、できるだけ早く、この場を脱出しなければ!
もう一度、魔法を使って、攻撃するという手は利きそうもない。
シルフさんの攻撃、効果があるといいのだけど……
――カァァアアアーーーー キャギャッ!?
と、不意に、勝ち誇った様子で上空を飛んでいたカラス、妙な声を上げた。
羽をばたつかせる。でも、次の瞬間には、バランスを崩し、大きく高度を落とす。シルフさんの攻撃が始まったのだろう。
シルフさんの突進が突風となってカラスを襲い、安定的な飛行を不可能にする。
「シルフさん、ありがとう! 助かる!」
「早く、逃げて!」
「おお! じゃ!」
オイラはシルフさんに声をかけて、空き地の外へ飛び出していった。
さっき、オイラが巨大なファイアーボールを放ったせいで、空き地の周囲には、近くの飲み屋街から酔っ払った野次馬たちが集まってきている。その人ごみの中へ飛び込み、オイラは逃げていった。
「んが? なんか今、俺の脇を箒が駆け抜けていったずら?」
「はあ? なに、酔っ払ってるんだべ、お前? 頭大丈夫か?」
「だよな。んなわけないずらよな……」
酔っ払いたちの声を背後に聞きながら、オイラは町中を駆けて行った。
――ハァ、ハァ、ハァ
オイラは荒い息を弾ませて、フィオーレ神殿の脇の路地の陰にたたずんでいる。
どうやら、カラスの目は完全に撒いたようだ。
ぐるりと見回しても、オイラを見つめている視線を感じたりはしないし、逃げている最中も、オイラを追いかけている姿はどこにも、もちろん空にも見なかった。
中央市場の近くの空き地から逃げ出したオイラは、はじめのうちフィオーレ神殿の方向とはまったく違う方角へ駆け出し、町の世話役を務める有力者が所有する空き屋敷へ一旦逃げ込んだ。
オイラを追いかけているものがあれば、おそらくその家がオイラの隠れ家だと思ったことだろう。
でも、オイラはしばらくその家の中で隠れ、だれも追ってくる様子がないことを確認してから、裏口から外へ出、時間をかけて、フィオーレ神殿まで戻ってきたのだ。
なにしろ、相手は姿を消すことができる魔女。それぐらいの用心をしておいた方がいいだろう。念のため。
ちょうど、最初にオイラが逃げ込んだ屋敷の庭では何匹かのノラ猫が住み着いており、のんびりとあちこちでくつろいでいたが、オイラが逃げ込んだ後も、特におかしな反応をしたりはしなかった。
覚えているだろうか?
フィオーレ神殿に掃除道具荒らしの魔女が襲来したとき、姿が見えないはずなのに、ペーターが魔女に飛び掛っていったことを。
オイラは、それを覚えていた。
魔法で姿を消すことができても、猫にはその居場所が分かるようだ。
たぶん、匂いか何かがするのだろう。
猫は犬ほどではないにしても、結構匂いに敏感な動物なのだし。
あるいは、着ている服同士がこすれるかすかな音でも捉えていたのか?
なんにせよ、猫の様子を見ていれば、オイラを追いかけている者がいるかどうか分かるってものだ。そして、そのときは、猫に怪しげな様子はなかった。
オイラは誰にも追われていないと確信し、ホッと一息をつく。
が、すぐに息を止め、大きなため息を吐いた。
「ちょっと、なによ、そのため息は?」
シルフさんの声だ。
「あ、シルフさん、いたんだ」
「そうよ。アンタがここまで戻って来るずっと前にここに戻ってきていたわ」
「どうだった、あのカラスは?」
「ふふふ、散々遊んできてあげたわ。何度もクルクルひっくり返したり、吹き飛ばしたりしてあげたから、目を回して、どこかへ飛んでいっちゃったわよ。ふふふ」
なんか、すごく楽しげな声。思う存分いたずらできたから、シルフさん的には大満足なんだろう。
「そ、そうなんだ……」
「ちょっと、なによ、その沈んだ声は?」
「えっ? あ、ああ……」
そう、オイラは沈んだ気分でいる。
あんなに昼、自信満々で張り巡らせた警報網を、相手は簡単に見破り、逆に、それを利用して、オイラの居場所を知ろうとした。いや、もしかすれば、もっと悪くて、オイラを捕まえようともしていたのかもしれない。
しかも、オイラの放ったファイアーボールはまったく通用しなかったし、シルフさんがいなかったら、オイラはどうなっていたことか……
完全に、オイラの完敗だった。
ゴーレムもファイアーボールも、オイラの魔法は相手には全然通じなかった。
オイラは敗北感に深く浸り、屈辱感にまみれていた。こんな状態で、どうして楽しげに振舞うことなんてできるだろうか?
沈うつな沈んだ気分になるのは当然だった。
「もう、なによ。暗いわね」
「仕方ないだろ。オイラの完敗だったんだから」
「ああ、そうね。その通りだったわね」
ぐっ……
そんなにはっきりとあけすけに事実を指摘してくれなくても……
もっとこう、オイラが落ち込んでいるのだから、優しい言葉の一つでもかけて、慰めてくれてもいいだろうに。オイラとシルフさんは、もう結構長い付き合いになるのだから。
「はぁ? なによ、それ? なんで、私がアンタなんかを」
「……」
「甘えないでよ! 私、そんな女々しいヤツなんか嫌いなの! もっとこう、どんなときでも自信満々で、はっきりしたヒトが好きなだけよ」
ぐっ……
「どんなにピンチになっても、胸張って、『がはは』って笑って乗り越えていっちゃうようなね」
なんと言うか……
「だから、アンタもピシッと胸張って、前向いて進んでいきなさい! アンタなら、それぐらいのこと簡単にできるでしょ?」
え、えーと……
「ほら、メソメソしているヒマがあるんなら、次の手をなにか考えなさいよ! それがアンタの役割でしょ?」
オイラの柄を突風が襲った。人間なら、背中をドンと叩かれたようなものか……
そう考えた途端、思わず、
「フ、フフフフ……」
笑みがこぼれる。
そうだよな。落ち込んでいる場合じゃないよな。次の手を考えねば!
今回の失敗にだって、なにかの手がかりやヒントみたいなものが必ずあるはず。しっかり検討して次の機会に活かさなくちゃね。
そうでなくちゃ、世界でも稀な魔法を使う、生きている魔法の箒の名がすたるってもんだ!
オイラは、妙な活気が柄にみなぎるのを感じていた。
なんだか、やれそうな気がしていた。
それもこれも、シルフさんのおかげだ。
「シルフさん、ありがとう!」
「フンッ! 私、アンタに感謝されるようなことなにかした? 分からないわ」
ホント、この風の精霊さんは素直じゃないんだから……
――翌日。
今日は神殿学校の日。
朝から町中の子供たちがフィオーレ神殿の礼拝所に集まり、読み書き算数なんかを勉強している。
一体、あの姿の見えない魔女は何者なんだろうか?
カラスを使役し、東方の呪符のようなものを使いこなす。
どうやら、この町で他の魔女を探しており、その魔女は掃除道具入れに住んでいるのか?
わからない。
なにもかもわからない。
おそらく、オイラよりも段違いに魔法を使いこなすことができる。
う~ん……
昼の間、礼拝所の窓の近くで考え続けた。
でも、いくら考えたところで、答えがでるはずもなく。神殿学校が終わり、昼食後、フィオーリアが自室でいつもの瞑想を始めたところで、オイラはご主人の小屋へ行くことにした。
昨日は結局ご主人の小屋へ行かなかったわけだし、今日は行かないといけない。畑や納屋のゴーレムの様子を確認しておかなくては。
オイラは、飛行の魔法を使って、神殿の中庭から飛び上がり、まっすぐに東の山を目指した。
小屋に着くと、納屋からゴーレムたちを連れ出し、指示を与える。それから、小屋の周囲を見て回る。どこにも異常はないようだ。
まあ、当然か。
この小屋の周辺にはご主人が張った結界が張り巡らされており、ご主人以外の者が近づくのを拒んでいる。
この小屋の周辺へ自由に出入りできるのは、ご主人自身や、ご主人が特別に許可した者だけなのだ。
当然、小屋を荒らそうと悪意をもって近寄るものは結界を突破することはできないし、小屋やその畑、納屋になんらかの被害を及ぼすなんてできない。
ともあれ、そうであるなら、なんでオイラが自由に出入りできるのか、改めて考えると不思議なんだけど……?
「って、当たり前じゃない。アンタはアンタの主人が生み出した魔法生物なんだから、いってみれば、アンタの主人の分身みたいなものよ」
それがシルフさんの意見だった。
そうなんだろうか? オイラってご主人の分身? ぐふふ……
でも、じゃ、なんでシルフさんが出入りできるのだろう?
「決まってるじゃない! 私は精霊界の存在よ。魔女の魔法の影響なんて受けないわ!」
……
そ、そういうものなのだろうか?
オイラは、小屋にもどり、ご主人の書斎に入って、いろいろと本を調べる。
姿を消す魔法、ファイアーボールを打ち消す呪符。
あるわ、あるわ……
姿を消す魔法は、単に呪文を唱えるだけの方法や、魔法のマントなど道具を使う方法。
呪符の方も、東方の秘術であったり、南方のまじない札であったり、古今東西様々な方法が開発されていた。
もちろん、魔法除けの呪符だけでなく、幸運をもたらす護符、死者を思いのままに操る魔札、魔法生物を生み出す秘符などなど、たくさんの種類がある。
これは、研究のし甲斐があるテーマかもしれない……
よし、今度、ヒマがあったら、いろいろと挑戦してみよう。オイラはそう決めた。
陽が傾き、辺りが暗くなってくる。
オイラは机に広げた本を閉じ、本棚の元あった場所にそれらを戻した。
それから畑へでる。
うん、ゴーレムたち順調に働いている。
雑草を引っこ抜き、魔法植物たちに水をやり、肥料をばら撒く。
もちろん、それ以上に、大事な魔法植物の茎を折り、根こそぎ引き抜き、雑草に水と肥料を与えている……
本当に、本当に……
――ガーーン!
明日も来て、仕事をしなおさなくては……
卒倒しかけているオイラには聞こえていた。
「アハハハハハハ……」
だれかの大笑いを。
オイラはご主人の小屋から飛び上がった。
ふと、どこからか視線を感じる。
周囲を見回す。いたっ! 近くの森の木の枝だ。
「今日もいるわね」
「ああ」
「どうする? やっつける?」
なんだか、舌なめずりするようなワクワクしているかのような声でシルフさん言う。
うん、きっとまた好きなだけいたずらできるとでも期待しているのだろう。ホント、悪趣味な……
ウワッ!
突然、オイラの体の回りに突風が!
「失礼ね! だれが悪趣味なのよ!」
あ、あははは……
愛想笑いをもらすオイラを再度クルクル回転させてから、シルフさんはカラスへ向かって行ったようだった。
あのカラスも可哀そうに…… こんな精霊さんに眼をつけられて。
オイラは、カラスの対応をシルフさんに任せて、フィオーレ神殿へ戻ることにした。
一応、念のため、神殿のある西へまっすぐ飛ぶのではなく、南西の方角へ向かう。ある程度飛んだところで、フィオーレ神殿の方角へ進路を変えるのだ。
こんなことで相手が騙されるとは思わないが、警戒しておいても損はないだろう。
今頃、カラスはシルフさんに散々もてあそばれて、ひどい目に会っていることだろう。
どんなに、魔法除けの護符を体に貼り付けていたところで、魔力とは別の存在である精霊の力を避けることなんてできないはずだ。
うん、あのカラスに同情しちゃうね。
オイラは、ほくそ笑みながら、夕焼け空の中を飛んでいくのだった。
ずい分、飛んできた。
山間の森に囲まれたご主人の小屋の辺りとは風景が一変し、オイラの眼下には大きな湖がいくつも広がっている。
だいぶんと南よりにまで飛んできたようだ。というより、そろそろ針路を変更して、北へ向かわなくては、神殿に陽があるうちにたどり着くことなんでできないかもしれない。
オイラは、空中でとまり、体の向きを変えた。
だが……
うをっ!!
目の前に黒い影がある。気味の悪い薄ら笑いを浮かべ、血色の悪い顔の老婆がオイラを見つめている。
「ホホホ、ついに捕まえたわよ。いい加減、逃げ回ってないで観念しな!」
って、ここは空の上、なんでこんなところに人間が? それも、こんな年齢も分からないほどしわくちゃの婆さんが?
まるで、ご主人みたいなよれよれの薄汚れた格好……
ただ、ご主人と明らかに違っているのは、そのポッチャリとした体型。太っている。
ハッ!?
よく見ると、その老婆、オイラと同じような形の箒にまたがっている。それに、膝の上にマントのようなものをかけている。
「ほら、観念してジッとしてないと、あたしのきつい一発をお見舞いするわよ。フフフ」
なんだか、すごいプレッシャーを感じる……
そう、ご主人と同じ魔女だった。