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奇妙な荒し

奇妙な荒し


 オイラは、礼拝所の庭側の外壁にもたれていた。近くには窓がある。

 今日は神殿学校の授業の日だ。朝早くから子供たちが続々とフィオーレ神殿に集まってきている。

「おはよう」「おはよう」

 開いた窓をとおして、礼拝所の中から子供たちの元気な挨拶が聞こえてきている。

「ちょっと、アンタいい加減に覚えなさいよ! そこはあたしの席よ! どきなさい!」

「うるさい、チビ!」

「はぁ~? また、あたしにぶっ飛ばされたいの?」

「フンッ! やれるものなら……」

 どこの窓からも離れた薄暗い奥のほうから、バチンッボコッという大きな音が聞こえてくるのもいつものこと。チラリと窓からのぞいてみれば、大柄な少年が腰をさすりながら、後方の席へ移動していくのが見えるはずだ。

 たぶん、その顔はだらしなくにやけているだろうけど……

 一方、窓辺の近くの太陽の光が燦々とふりそそぐ一角に陣取っているのは、華やかな美少女たち。

 明るく軽やかな笑い声を振りまいているミザリーやいつも外を飛び跳ねているような活発でお転婆な女の子ジェシカ。他にも何人かの少女たちが集まって、あれこれおしゃべりの花を咲かせている。

 その美少女たちの中心にいて、周りの美少女たちをも圧倒するような究極の美をあたりに振りまいているのは……

 太陽の光をキラキラと反射させるゴージャスな金髪を揺らして、細い指をそのやわらかい頬にかわいらしく当て、小首をかしげている美少女、ジョゼフィーヌ。

 礼拝所にいる少年たちのほとんどは、チラチラとこれらの美少女たちを盗み見、自分がこの少女たちの話の輪に加われればどんなに幸せだろうと、かなわないと分かっている望みを胸に抱いているのだった。

 もちろん、彼らの耳は、少女たちが話す一言一言を絶対に聞き漏らすまいとしている。

 もし、万一、そんな少女たちの会話の中に自分の名前がでたりしたら、その日、その少年は、最高に幸せな一日を過ごすことになるし、仲間たちから英雄のように崇められ、祝福され、うらやましがれるのが常だった。

 一方、そんな少年たちの様子をジト眼で眺めながら、美少女たちの輪に入り込めない、入り込むだけの自信がない少女たちは、暗い呪いの眼の色をして、不満げに鼻を鳴らしているのだった。


「ねぇ? 知ってる? 例の事件、今朝もあったんだってぇ」

 美少女たちは、自分たちが礼拝所の中にいる少年少女たちの憧憬や嫉視の対象であることを最初から承知している。

 そして、そういう眼を向けられれば向けられるほどに、声に張りがでて、艶やかさが磨かれ、華やかさが一段と増していく。

 今もそう。

「え? 例の事件?」

「そう、あの、ほら、こないだ私の家であったヤツ」

「ん? なに? なんだっけ?」

「ほら、朝起きたら、掃除道具入れが荒らされていて、お掃除道具が床にぶちまけられていたって、ほら」

「ああ、あれ。そういえば、先週、私の家もそんなことあったよ」

「へぇ~ そうなんだ」

「パパもママも、てっきりうちのいたずら好きな猫の仕業だろうって言ってたのだけど」

「そういえば、前に、私のうちも」

「え? そうなの?」

「うん、朝起きたら、箒とかちりとりとか、散らばっていたんだぁ」

「あ、やっぱり? やっぱり、町中で起こってるのねぇ」

「うん、そうみたいね。気味悪いね」

「うん」

「でね、その事件、今朝も起きたみたいでね。朝、朝食のパンを買いに行ったら、家の近所のパン屋のクランさんちが被害にあったんだって」

「へぇ~ ジェシカのところって、ボシュレム公園の近くだよね?」

「うん、私の家の裏にその公園があるのよ」

 どこの国にあっても、パン屋は朝早くからパンを焼いており、町の人々に朝食用の焼きたてパンを売っている。

 ジェシカの家の近所のパン屋クランも、今朝は朝早くから起き出し、パンの生地をこねていた。

 長年の修練の結果、空気が入り込まないように丁寧に慎重に、それでいてすばやくパンの生地がこねあがっていく。

 と、突然、表の店の方から大きな音が……

 驚き、慌ててこねるのを中断して店の中の様子を見にいってみると、奥の掃除道具入れの扉が開いており、箒やモップなどの掃除道具類が床に散らばっていった。

 毎朝(といってもまだ真夜中だが……)、起きだすと最初に店を綺麗に掃除し、キチンと掃除道具をしまい、掃除道具入れの扉がしっかりと閉じているのを指差し確認するクランだったので、こんなことが自然に起こるなんてありえない。

 ってことは何者か侵入者がいて、掃除道具入れを荒らしたのか?

 でも、今、店の表側のドアはカギがかかっており、窓もよろい戸が閉まっている。出入りできる入り口は作業場に通じるドアだけだが、今クランが入ってきたばかり。

 ってことは、犯人はまだこの店の中に?

 ということで、すこし怯えながらも(本人は捕まえてやる気まんまんでと話していたようだが)店中をあちこち探しまわったのだが、結局、掃除道具入れを荒らした犯人を見つけることはできなかったらしい。

「きっと姿のない犯人なんだよ。事件だよ! ミステリーだよ!」

「ハハハ、まさか、きっと猫か何かが暴れたんだよ」

「でも、クランおじさんのところは猫なんて飼ってないもん!」

「でもなぁ~ 姿がないなんて、ちょっと信じられないなぁ~」

「あぁ! ジョゼフィーヌちゃん、ジェシカのこと疑ってるぅ!」

「え? あっ? そんなことないよ。そんなこと……」

「ウソだぁ~! ジョゼフィーヌちゃんのこと、私、友達だと思ってたのに! ショックぅ~! しくしく」

 ジェシカが大げさに泣きまねをしてみせる。けど、その途端……

――グゥゥゥ~~~~

「え?」

「キャァァ~~~~ 今のなし。聞いてないよね。うん、聞いてない!」

「えっと、なに、お腹鳴ったの?」

「キャァァ~~」

 ジェシカは恥ずかしげに両手で顔を隠すのだった。

 パン屋のクラン、つい犯人探しに夢中になりすぎて、パンこねが遅れ、焼きの作業にも影響し、パンの焼き上がりが店の開店に間に合わなかったそうな。

「おかげで、今朝はパン食べられなかったよぉ~ 朝食抜きだよぉ~ 腹ペコだよぉ~」

 そうして、ジェシカはまた盛大にお腹の虫を鳴らした。

――グゥゥゥ~~~~


 最近、この町では奇妙は出来事が頻発している。

 毎晩、町のどこかの家で掃除道具入れが荒らされ、中身が床にぶちまけられているのだ。

 もちろん、だからといって、それで誰かが困るわけでもないし、町の人でも全然気にもしない人の方が多いのだが、でも、奇妙なことは奇妙だし、気持ち悪い出来事だ。

 町の中をお化けが徘徊していて、いたずらをしてまわっているだとか、掃除嫌いの召使い女がそれを主人にとがめられ、自ら命を絶った後、その怨念が幽霊となり、毎晩、掃除道具に復讐しているのだとか、いろいろな噂が町を飛び交っていった。

 ま、中には、「こんなつまらない出来事が噂となって町中に流れるなんて、他にすることのないヒマ人が多いってことね。フンッ!」などと、馬鹿にしたような眼をして鼻で笑う黒髪の自称魔女もいたのだが……

 でも、しかし……

 掃除道具入れが荒らされる……って、それって、もしや?

 オイラは生きているとはいえ箒。本来なら、掃除道具入れに入っているべき存在。

 でも、まさかねぇ~?

 大体、その犯人が万が一にもオイラを見つけようとしているとしても、それでなにかの役に立つってわけでもないのだろうし。それともなにか、オイラの知らないことが裏で進行中だとか?

 まさかねぇ~?

「そんなのあるわけないじゃない! バカバカし!」

 シルフさんのさもバカにしたような声が聞こえる。

「あんた、どんだけ、自分が大物だと思ってるわけ? たかが、箒の分際のくせして! フンッ、笑っちゃうわ! 笑いすぎちゃって、お腹がよじれて死んじゃうわよ!」

 って、そこまでバカにしなくても……

 ともあれ、幸い(なのかな?)、まだオイラたちのいるフィオーレ神殿の掃除道具入れは被害にあっていないが、この先どうなることか?

 今、被害にあっていないからといって、この先も被害にあわないという保証はないのだ!

 オイラは、朝の太陽の光を全身に浴びながら、考えにふけるのだった。

 ちょうど、礼拝所にエリオットとトマスが入ってきた。

「さ、今日も授業をはじめましょう!」


 授業は順調に進んでいった。

 途中何度も礼拝所の中にグゥゥゥ~~~~というかわいい音が鳴り響き、クスッと失笑が漏れる。

 窓際の席でいつもは活発で元気な少女が、そのたびに、眼に涙を浮かべてうつむいていた。

 ふっと、庭の方に眼をやると、神殿の飼い猫ペーターがバルコニーから出てくるところ。

 いつもの庭の井戸のかたわらに陣取り、あたりを鋭い警戒の眼で見回していたレオンがすぐにその姿をみつけ、チチッとちいさく口を鳴らす。

 いつも背中に担いでいた大きな剣の姿はもう見当たらないが、なめし皮の胸当てをつけ、薄汚れた茶色いマントに身を包み、ボサボサの長髪を後ろで束ねたその姿は、荒くれ冒険者風。

 でも、ペーターを見つめるその顔は……

 気持ち悪いにやけ面で懐から取り出したジャーキーを差し出している。

 ペーターも慣れたもので、レオンの姿を見かけると、うれしげにトコトコと小走りに駆け寄っていくのだった。

 ニャーゴ♪ スリスリ

 ったく! 今でもオイラの姿を見かけるたびに、毛を逆立てて威嚇するくせに! あのバカ猫め!

「あら? 嫉妬してるの? やーね、あんなのに嫉妬するなんて。うふふふ」

 オイラの毛を風がそよがしていく。

「そ、そんなんじゃないよ!」

「ふふふふ、どうかしら?」

「……」


 ペーターはレオンに背中をなでられながら、ジャーキーをかじっている。

「どうだ、うまいか? たんと食え。まだまだあるぞ」

 ニャーゴ♪ ムシャムシャ……

 ったく、見ているだけで不愉快な!

「あら、そう? いい光景じゃない。猫好きな冒険者とその冒険者になつく猫なんてね」

「フンッ! オイラにはヘンタイ親父とエサくれる相手ならだれにでもシッポを振るいけ好かない畜生野郎にしかみえないけどな」

「ふふふ、なら、アンタも、あの子にエサをあげればいいじゃない?」

「フンッ! だれがあんなヤツに!」

 そのとき、ふっと思いついた。そういえば、礼拝所の中にもノラ猫並みに腹をすかせているのがいたっけ。

 あんなヤツにエサをやるくらいなら!

 オイラは小さく呪文を唱え、ペーターの鼻先にあるジャーキーに魔法を……

 魔法が効力を発揮し、ぷかぷかとジャーキーが宙へ飛び上がっていく。

 ペーターが眼を丸くして目の前のジャーキーを見つめている。

 このままじゃ、美味しいおやつが空へ逃げていく!

 ペーターは前脚を伸ばした。

 ジャーキーを押さえた途端、ペーターの肉球から地面の感触が消える。自分の体も宙に浮かび始めたのだ。

 たちまち全身の毛が逆立ち、パニックになった。

 ニャガーー!?

 思わず前脚をジャーキーから放した途端、ペーターの体は重力に引っ張られ、地面に落ちた。でも、さっきの恐怖はまだまだ忘れられない!

 毛を逆立てたまま、牙を剥き、手近な獲物に爪を向ける。

 そう、さっきまでペーターを満足させるように優しく背中をなでていたレオンの手を!

 爪が一閃。

――シャァァアアアーーー!!

 そのまま、ペーターは逃げていくのだった。

 一方、レオンはというと、さすがに毎日の鍛錬を欠かさない武人だけあって、ペーターに引っかかれるようなマヌケなマネはしない。

 ペーターが牙を剥いた瞬間にはすばやく手を引っ込めていた。

「って、おい! ったく! 気分屋め!」

 小さく舌打ちして、逃げていくペーターの背中を見送っているのだった。

 相変わらず、にへらとした笑い顔をしたまま。

 ちょっと、気持ち悪い……


 オイラの魔法にかかったペーターの歯形付きジャーキーはというと、ペーターから逃れ、そのまま宙を飛んで庭を横切る。

 そして、開いた窓から礼拝所の中へ飛び込んでいった。

 しばらくして、窓の向こうで誰かがつぶやいているのが、オイラに聞こえてきた。

「ああ、おいしい…… レオン様! 私の王子様!」

 甘い甘いつぶやきだった。

「けっ! ただのファイアーマン(消防士)じゃねぇか!」

 複数の憎悪の声とともに……


 その夜、オイラは礼拝所にいた。

 今晩もまたフィオーリアは祈祷台の影で一人瞑想している。

 両足を組み、両手で印を結んで、半眼を開きながら、ゆっくりと深い呼吸を繰り返す。

 なにが楽しくて、毎晩こんなことをしているのだろうか?

 じっと座っているだけ、なにもしない。

 フィオーリアの同級生の女の子たちなら、今ごろそれぞれの床につき、夢の国を訪れているころだろう。

 世界中の様々な綺麗な花が咲き誇るお花畑に座って、鼻歌を歌いながら楽しく花冠を編んでいるだとか、あるいは、お菓子でできた小屋の主になって、口の端にクリームやチョコレートをつけながら、甘い甘いお菓子を口いっぱいに頬張っているだとか……

 もしかすれば、すらりとしたスマートな衣装を身につけたファイアーマンと王宮の舞踏会でダンスを踊っている夢をみている少女だっているかもしれない。

 なのに、この漆黒の髪をもつ少女は眠りもせず、かといって、遊ぶわけでもなく、ただ黙々と瞑想三昧。

 う~む……


 昼は昼とて、今日は授業が終わり昼食をとった後、そそくさと自室へひきこもり、夕食まで部屋から一歩も外へでなかったみたいだし。

 オイラはその間にご主人の小屋に戻って、あの役立たずどもを引き連れて畑仕事をしていたので確かなことはいえないのだけど……

 もしかすれば、部屋の中でもフィオーリアは瞑想をしていたのかもしれない。

 なんのためにそんなことをするのだろうか?

 毎日、全然体を動かさないけど、運動不足になって、いずれ体を壊してしまうのでは?

 もし、そんなことになったら、オイラ、ご主人様にどのようなむごい折檻をうけることになるのだろうか……

 ブルルッ!

 たまには、フィオーリアもジェシカたちのように、外を飛び回って遊んでくれるといいのだが。

 この神殿の司祭見習いのトマスも心配なようで、たまにそう注意する。でも、

「乙女の肌には太陽の光は大敵なのよ! シミそばかすの原因になるのよ! 小さなうちから気をつけない、将来とても悲しい目にあうはめになっちゃうのよ!」

 だって……


 だとしても、トマスも、この神殿の主・エリオットからフィオーリアの面倒を任されているのだから、もっと毅然とした態度で接すればいいのに。頼りないというか、なんというか。

 トマスが年長者としてフィオーリアに家事を手伝うように言いつけても、素直にそれに従って、手伝おうとは絶対にしない。

「フンッ! なんであたしがそんなことをしなきゃいけないのよ! それは下賤なアンタが、アンタの憧れていらっしゃる尊敬すべきエリオット司祭様から直々に与えられた大切なお仕事なんでしょ? アンタから奪っては悪いわ。だから、アンタの大事な大事なエリオット様が、まずないとは思うけど、アンタのよこしまな下心を満足させてくれることを期待して、しっかりと働きなさい!」

 ふんぞり返って、皮肉交じりに、そう答える。

 それでも、しつこいと、

「アンタ、知ってる? こないだの新月の晩、あの黒マントの男、エリオットにね……」

 そうニヤニヤ笑いを浮かべてフィオーリアが話し始めるだけで、トマスは顔を歪めて逃げていくのが常だった。

「クソガキ! フィオーリアのアホ! 罰当たり娘!」

 って、どっちが子供なんだか。


 そういえば、フィオーリアを目の仇にする人間がこの神殿に頻繁に出入りするようになった。

 例のセバスチャンだ。

 かつて、フィオーリアの命を狙って、護衛のレオンになんども暗殺を繰り返させたが、いまでもそのときの感情のしこりが残っているようだ。

 セバスチャンは、相変わらずエリオットの実家のガシュー商会にすんでおり、たびたび夕食の席へエリオットから招待される。そして、その席でフィオーリアと顔を合わすと、そのたび、お互いにそっぽを向き合うのだった。

 もっとも、エリオットが同席している場所では、お互い相手を無視しあう程度で済むのだが、セバスチャンにとって自分を格好よくみせたいと願うエリオットが席を外すと、途端にお互い口汚くののしりあってしまう。

「この泥棒猫! 腐れ魔女! いつかお前をボクの刀のサビにしてやる!」

「フンッ! その前に、アンタを魔法でネズミに変えてやるわ! ペーターに追い回されて、食べられてしまえばいいのだわ!」

 そのくせ、セバスチャンはお人よしというか、なんというか…… 正直に言ってしまえばバカというしかないわけで。すぐにフィオーリアのウソにだまされて、泣いて逃げていく羽目になるのだった。

「エリオットがアンタのいないところで、アンタのことなんて言ってるか知ってるの?」

「な、なんだよ、いきなり……」

「今朝だって、朝食の席で『いつもあんな格好しちゃって、あの子本当に頭大丈夫なのかしら? もしかして、ああいう趣味なのかしら…… ホント、見ているだけで気持ち悪いわ。吐き気がしそう』だってさ。かわいそうに、涙ながしていたわよ。」

「う、ウソだ! 母上がそんなことを言うはずない!」

「あら、ウソじゃないわよ。なんなら、トマスも一緒にいたから、確認してみれば」

「そ、そんなはずは……」

「あ、トマス、ねぇ、今朝、エリオット泣いてたわよね」

 ちょうど食堂の前を通りかかったトマスに話をふるのだが、トマスは食堂の中の子供たちが何の話を交していたかなんて、まったく分かっていなくて『えっ?』という表情で立ち止まる。

 その顔をすがりつくような表情でセバスチャンが見つめていると、

「ああ、そうだったな。司祭様、悲しげに泣いていたな。おかわいそうに……」

 なんて、声が聞こえてきたりして……

 明らかに、普段のトマスより甲高くか細げな声な上に、フィオーリアのいる辺りから聞こえてくる声なのだけど、たちまちセバスチャンは、絶望の表情を浮かべて、

「う、うそだぁ~~~~!!」

 なんて、絶叫を上げて食堂から逃げていくのだった。

 やれやれ……


 オイラはそんなことをいろいろ思い出していた。

 その間も、まったく身動きもせず、祈祷台の影で瞑想にふけっている。

 ホント、見ているこっちが退屈になってくる。肩が凝る。

 今日はシルフさんも近くにいないし。

『なにかすることがないだろうか?』と、あたりをキョロキョロ見回すが、なにもないし……

 そこに広がっているのは、夜の帳の中、シーンと完璧な静寂に包まれた礼拝所の長ベンチたちやフィオーリア以上に身動きもしないフィオーレ女神の像だけ。

 もちろん、オイラの魔法を使って、そういったものを動かせるが、動かしても特に楽しくもないし、気晴らしにもならない。

 あ~あ……

 なにかないのかな?

 退屈だ! 退屈だ! 退屈だ!


 こんなときには、いつもオイラのそばにいて、話し相手になってくれるのはシルフさん。

「チェッ! シルフさんにあんなことを頼むんじゃなかったな」

 オイラは小さく舌打ちする(つもり)。

 このところ、掃除道具入れを荒らすヤカラが町に出没しているので、数日前からオイラはシルフさんに頼んで、夜の間、町を見回ってもらっているのだ。

 でも、まだ全然、手がかりのようなものをつかめないみたいで、いつも明け方、声に疲労を滲ませて神殿に戻ってくる。

「ただいま……」

「お帰り。ご苦労様」

「今日も空振りだった……」

 それがこのところのオイラたちの朝の挨拶だった。

 ところで、シルフさんは下位の風の精霊であり、上位の精霊のジンなどと違って、本来ならだれも話したりできないはずなのだが、なぜかオイラはシルフさんと話すことができる。

 たとえ、ジンが相手だったとしても、精霊使いの素質を持っていなければ、話しどころか気配を感じることすらできないというのに……

 おそらく、オイラが自我に目覚めたあのご主人の実験で、一緒に金色の煙を浴びたせいなんじゃないかと、オイラは睨んでいるのだが、本当のところはどうなのだろう?

 あの時、オイラやシルフさんだけでなく、机だとか小屋の壁だとかも、煙を浴びているはずだから、オイラと意思疎通が図れてもいいはずなんだ。だけど、オイラが今まで何度となく呼びかけても返事すらない。まったくの沈黙。

 もしかして、なにかしゃべれない原因でもあるのかな?

 それとも、彼らはオイラやシルフさんと違って、あのとき生きていなかったから、金色の煙を浴びても意味がなかったとか?

 なら、今度、彼らに前に覚えたゴーレムの魔法をかけて、かりそめの命を与えてやれば、すでに自我をもっているはずだから、しゃべりだしたりするのだろうか?

 どうなんだろう? ちょっと期待しているのだけど……


 オイラがフィオーレ神殿から空を飛び、小屋の前に降り立った途端、小屋から声が聞こえてくるんだ。

「おはよう。箒さん。今日もいい天気だね」

 それにオイラは挨拶を返す。

「おはよう。今日は絶好の畑仕事日和だね。今日も一日精をだして、ご主人のために頑張らなくちゃね」

「うん、そうだね。ファイトだよ。ボクも応援してるよ」

「ああ、ありがとう! オイラ頑張る!」

 うん、なんて性格のいい、小屋さん。感動だ!

 いつも雨風を防いで、中のものを守るように立っているから、いろいろと気配りが上手で、あたたかく励ましたりしてくれるのだろうな。

 いつもオイラが近くにいる性悪なガキどもや、皮肉屋の精霊さんと違って、本当にいい仲間だ!

 つづいて、小屋に入ると、

「やあ、箒くん、久しぶりだね。元気にしていたかね」

 机さんのシブい声が聞こえてくる。

「うん、机さんも相変わらず、元気そうだね」

「ホッホー、うむ。わしももう年じゃてあちこちガタがきておるがの。お前さんがたがなにかと手入れしていてくれるもんじゃから、なんとかやっていけておるのじゃ。お前さんがたには、感謝してもしきれんのう」

「いや、そんなことないよ。机さんには、いつもお世話になっているのだから、感謝するのは、オイラの方だし」

「いやいや、わしの方が感謝しないとの。ありがたいことじゃ」

 なんて、どっちがよりお世話になっているかで穏やかに言い合ったりして……

 で、机さんは、いつも書物を置いたりしているので、結構、学があったり、知識があったりして、オイラになにかとチエを貸してくれたりするんだ。

 ホント、小屋さんも机さんも頼りになるいい仲間だなぁ~

 うんうん。

 今度、小屋へ行ったら、絶対ゴーレムの魔法を試してみなくちゃね!


 夜の空気がゆっくりと冷えていく。

 礼拝所の表通りに面した両開きの出入り口の方からは、ときおり酔っ払いの奇声や通り過ぎる馬車の音ぐらいしか聞こえてこない。

 静かだ。

 フィオーリアは彫像にでもなったかのように、ピクリとも動かない。

 その小さな胸がゆっくりと上下しているのを見ない限り、まるで生きていないかのように見える。

 夜の闇を凝縮したような漆黒の髪に縁取られた人形と見まごうばかりの整った顔立ち。

 礼拝所に今入ってくる人間がいたなら、顔だけが祈祷台の影に浮かんで見え、腰を抜かすほど驚くに違いない。

 もっとも、今までトマスとエリオット以外で、こんな時間に礼拝所に入ってきた人間なんていないのだけど……


 と、突然、

――ガタッ! ドンガラガッシャーーン!

 な、なんだ!

 驚いたのはオイラの方だった。

 なにか、大きな物音が聞こえてきた。

 どこからだ?

 少なくとも、礼拝所の中からというわけではない。

 見ると、フィオーリアはさっきと同じ格好で、相変わらず瞑想を続けている。泰然自若。さっきの大きな音なんて、オイラの夢幻の中のもので、実際には、なにも異変などおきていないようだ。たぶん、フィオーリアは礼拝所が火事になっていたとしても、瞑想を続けているのかもしれない。

 でも、オイラには確信がある。さっきの音は絶対、オイラの幻覚ではない。

 その証拠に、なにかカラカラと転がるような音がまだ続いているし。

 どうやら、その音は、礼拝所の奥、廊下側のドアの向こうから聞こえてくるようだ。

 そのドアの向こうにあるものといえは…… 掃除道具入れ!

 オイラはできるだけ足音を殺し、そのドア脇に立つ。それから、音を立てないように慎重に毛でノブを回して、ドアに隙間を作る。

 見えた!

 廊下の床に掃除道具入れが横倒しになり、近くに箒やモップ、雑巾などがぶち撒かれている。バケツなどは、ぶち撒かれた勢いがあまりに強かったのか、いまだにカラコロと音を立てて、転がっているし。

 な、なんなんだ? だれが掃除道具入れなんかを……

 ハッとした。そうか、ついにフィオーレ神殿にも、あの荒らしの犯人があらわれたのか!?

 オイラは、廊下を凝視する。でも、その荒らしの犯人の姿はみえない。

 どういうことだ? 犯人は、掃除道具入れをひっくり返した後、すぐに逃げていってしまったのか?

 オイラに見つからないほどのすばやい身のこなしができるヤツなんだろうか?

 ……

 考えてもわからない。とにかく、オイラの仲間といえなくもない掃除道具たちをこのまま撒き散らしたままでいたのでは、寝覚めがわるい。

 ため息をついて、オイラがドアのノブを大きく回そうとしたそのときだった。

 ふっと横倒しになった掃除道具入れの影で何かがうごめいた。

――フッシュュューーーー!!

 この声は…… ペーターか!?

 ペーター、四肢を踏ん張り、毛を逆立てて、虚空の一点にむかって威嚇の声を上げている。

 と、

「シッ! あっちお行き! このバカ猫めっ!」

 ペーターが睨んでいるその空中の一点から声が聞こえてきた。

 女の声だ。しかも、かなりしわがれて、ガラガラになっている老婆の声。もうほとんど忘れかけているけど、ご主人に似ている気がしないでもないような……

 って、もしかして、ご主人がもどってきたのか!?

 どうして、こんなところに?

 あ、もしかして、オイラが小屋にいないので、探しにきたのか?

 でも、なぜここが?

 ハッ!? もしかして、オイラが小屋におらず、こんな場所にいるのに腹を立てているのか?

 ってことは、もし、このまま、オイラがのこのこ外へ出て行ったりしたら、ご主人の怒りをもろに浴びて、折檻をうけるってことじゃ……

 折角、オイラに与えられた命を奪っていってしまうってことじゃ……

 たちまち、オイラの体が震えだす。

 い、イヤだ! そんなのイヤだ!

 オイラ、死にたくない! まだまだ死にたくない!

 でも、この体の震えをなんとかしないと、ガタガタ音を立てていれば、いずれご主人にみつかるかもしれない。


 一方、掃除道具入れの近くでは、相変わらず、ペーターが虚空を睨み、うなり声をあげているのだが、急に、

――ニャゴォォォーーーー!!

 空中に飛び上がった。爪が全開だ。

 とすると、ペーターには、相手の姿が見えているのだろうか?

 ドアの影から見ているオイラにはなにも見えないのだが?

 ただ、なにもない空っぽの空間が、ペーターの前にあるだけ。

「フンッ! およし、バカ猫」

 突然、ペーターの体が宙でピタリと止まる。ペーターはパニック状態。

――ギャギャ! ニャガッ!?

 急に、ペーターの体が、前転し、一回転する。次の瞬間、ペーターの体は、ドサッと背中から廊下に落ちた。

 もう、ペーターには戦闘意欲なんてものはない。

――ニャゴニャ! フニャ~~~~

 情けない声を上げて、逃げていくだけだった。


「ったく、バカ猫め! 手間取らせるんじゃないわよ!」

 舌打ちの音とパンパンと手を叩くような音が聞こえた。

 やがて、

「チッ! ここも違うようね。あいつめ、一体どこに隠れて居やがる!? 見つけたら、ただじゃおかないわよ!」

 忌々しげな声。

 って、ことは……

 オイラ、見つかったりしたら、どんな目にあうことになるのだろうか?

 考えるだにおそろしい…… ガクガクブルブル。

「あのアマめ!」

 ガクガクブルブル――

 ……

 ……えっ!?

 あ、アマ? アマってことは…… アマっていうのは、普通、女性に対して使う言葉だよね? ってことは、このご主人が探しているのは『女』?

 オイラは箒だけど、性別的には……どっちなんだろう? じ、自信がないけど、たぶん、どちらかといえば、『男』だよね?

 もっとも男箒だとか、女箒なんて話にも聞いたことないけどね。

 とすると、オイラを指して、『アマ』っていうのも、ありえるのかな?

 う~ん…… わからない。

 ……

「あの貧乳、ガリガリ婆め! 腹黒うそつきめ! いけ好かないクズ魔女め!」

 え、え~と……

 このご主人が探している相手って、もしかしてオイラじゃないのかな?

 大体、オイラにはおっぱいなんて元からないし、当然、貧乳なんて罵倒されるいわれはない。たしかに、ガリガリではあるけど、婆といわれるほど、見た目、年をとっているってわけでも。

 どこぞの礼拝所で瞑想している少女なら、腹黒だとか、うそつきだとか言われるのがぴったりだけど、オイラ、ご主人にウソついたことなんて一度もないし。大体、ご主人が小屋にいるときに、ご主人に話しかけたこと自体、一度もないわけで……

 そして、クズ魔女って、オイラ魔法が使えるけど、それはご主人がどこかへ消えていった後からの話なので、ご主人がクズ魔女とののしるほどに、オイラが魔法を使えるなんて知っているはずもないのじゃないだろうか?

 ってことは、もしかして……?

 このご主人、オイラのご主人じゃないのか?

 ただの姿が見えない、掃除道具入れ荒しの犯人ってだけじゃ?


「クソッ! あいつめ! どこにいやがる! クソッ!」

 虚空の声は忌々しげにそうつぶやいてから、なにか呪文のようなものをくぐもった声で唱え始めた。

――クカタラソ、ベート、キウホ

 飛翔の呪文!?

 ってことは、ここから逃げていく気か?

 オイラは慌てて、呪文の詠唱に入る。

 荒らしの犯人が逃げ出す前に、なにか攻撃魔法をぶち当てて、足止めし、相手の正体を見破らねば!

 でも、オイラの呪文の詠唱、まだ半ばというのに、

――ベート!

 飛翔の呪文の最後が聞こえてきた。

 間に合わなかった。

 ちょっとだけ空気が動いた気配がした。そして、その空気の動きが治まったころには、もう、そこにはなんの気配もなかった。

 もちろん、バケツもすでにコソッとも動いてはいないのだった。


「あっ! なんだよ! だれだよ、こんなことしたの!」

 ようやく、廊下の向こうに寝ぼけ顔のマヌケ面が現れた。トマス。

 だぶだぶの寝巻きを着て、枕を抱きかかえている。

 ぐっすり眠っているところに、掃除道具入れが倒される大きな音がしたり、ペーターが騒いだりしていたので、目が覚めたのだろう。

 でも、あれだけの音がしても、すぐに飛び起きて、様子を見に廊下へ出てこないなんて……

 ホント、頼りにならないヤツ!

 ともあれ、トマス、横倒しになった掃除道具入れを建て直し、廊下に散らばっている箒だとか、モップだとかをしまいなおし始める。

「フィオーリア? フィオーリア? こっち来て片付けるのを手伝えよ! どうせ、礼拝所にいるんだろ?」

 もちろん、フィオーリアは返事なんてしない。

「ったく、無視かよ! 相変わらず、いけ好かねぇ~ヤツ! そんなんじゃ、ロクな死に方もしないぞ、きっと!」

 やがて、掃除道具入れを片付け終わったが、念のため、辺りに片付け忘れたものがないかどうか見回す。

 廊下には、もう何もない。

 一応、礼拝所のドアの向こうを確認して……


「フィオーリア、もうこんな時間なんだから、そろそろ寝ろ。明日も早いぞ!」

 もちろん、返事なんて期待してないから、軽く肩をすくめてみせて、それからドアを閉めた。そして、手に持ったものを掃除道具入れに無造作に放りこんで、自室へ戻っていくのだった。

 そう、フィオーリアに声をかけながら、トマスが礼拝所のドアの脇で見つけたものを掃除道具入れに。

 つまり、オイラを……

 く、屈辱だぁ~!



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