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駅、犬、チーズバーガー

作者: 赤城藍


 家までの長い列車の旅で、見慣れた景色から忘れていた景色になって、もう一時間もすれば、また見慣れた変わらない景色になるだろう。家族には私が戻るって電話してある。久しぶりだから、もしかしたら駅のホームで待っているかもしれない。

 そう考えると、自然笑みがわき上がってくる。

 いくつかの駅を通り過ぎ、または停車して、たくさんの人たちが乗り降りをしている。そんななか、私は意識ごと、すっかり変わったっていう新しい駅で、すでに両親と楽しく話していた。

 あと一時間。到着時間まであと少し。春の、暖かい日差しが窓から差し込んでくる。柔らかくて、心地よく、思わずまぶたが重くなりそうなくらいにいい天気。

 「お姉ちゃん。眠っててもいいよ。私が起こしてあげる」

 目の前から、妹の楽しそうな声がした。そういえば最近、レポートとかで忙しかったから、疲れているのかもしれない。少し眠ってしまおうか。妹がいるなら、たぶん大丈夫だろう。

 けだるく手を振って私は、静かに目を閉じた。そういえば、妹もいたんだっけ。元気にしてたかな、さっきは忘れちゃってごめんね。大好きなチーズバーガーあげるから、許してね。


 気がついたらすっかり故郷の駅に着いていた。慌てて起き上がって荷物を取って電車から飛び降りた。そこはもう、私が知っている駅のかけらもなくなっていた。花屋も、公園もペットショップも待ち合わせに使っていた犬の銅像も。

 まるで、別の駅になっていて、何ともいえない不安がこみ上げる。そうだ、あのパン屋はまだあるだろうか。妹とよく通った、チーズバーガーのおいしいパン屋。

 私が探してきょろきょろしていると、母親が満面の笑顔で、父親が不思議な笑顔を浮かべて、肩をたたいてきた。何か忘れているような気がしながらも、私は両親の車に乗り込んだ。あちらでの生活をあれこれ聞いてくる親の話に答えながら、あのパン屋を探していた。

 路上には犬を連れた女性が歩いている。散歩だろうか、日傘を差してふわりふわりと白いワンピースを揺らしていた。

 ああ、そうだ。ベスだ。何か足りないと思ったら。犬のベスだ。元気だろうか。私が出て行った頃はまだ子犬だったけど、私のことは覚えているのだろうか。噛みついてきたらいやだな。

 ま、私もあんまり覚えてないんだけどね。こんな気持ちのいい日だ。散歩に連れてってやろう。そうだ、妹も連れて行こう。久々に、姉妹水入らずもいいだろう。

 その角を曲がれば、もう私たちの家だ――。


 ――「久しぶりだね、お姉ちゃん」

 あたしは拝んでいた手を下ろして、話しかけた。線香のにおいがふわりと空と混じっておく。

 持ってきた袋から、およそこんなところとは不釣り合いなものを取り出してそっと備えた。ビーフとチーズの香り、安っぽい作りのチーズバーガー。それも四つ。

 「お姉ちゃんも好きだったもんね。まったく、子供っぽくて、ドジなんだから」

 電車事故から十四年間。一人になったあたしは、今もこうしてみんなが好きだったあのパン屋のバーガーを備えている。何もかも変わってしまったこの町で、唯一変わらないここにくると、まるで一緒にいるような感じがしていた。あたしはまた、目を閉じて手を合わせる。いいにおいがして、あっという間にそれは無くなっていた。

 『一つ残しておくから、ちゃんと食べるのよ』

 声がして目を開けると、一つだけのチーズバーガーがちょこんと残されていた。


 家に戻ると、もうだいぶ年寄りになったベスがだらりと体を横にしながら庭の芝生の上で耳をぴくりを動かして、あたしの帰りを迎えてくれた。いつものベスの反応。普段着に着替えて、あたしはベスと一緒に庭から見える空を見上げていた。春の空らしい、白いもこもこした雲がぷかぷかと浮かんでいる。

 突然、ベスが立ち上がり、同じように空を見たあと、あたしを見上げてきた。ちらりと、時計を見るとまだ散歩の時間ではない。だが、リードをくわえて見上げるこの動作は、散歩に連れて行ってくれとサインだ。

 「どうしたの。まだ散歩の時間じゃないでしょ?」

 ベスはただじっとこちらを見ている。お行儀よく座り、しっぽも振らずにただ見ている。

 まあ、いいか。なんだか気分もいいし。お日様も暖かい。

 頭をなでてから、ベスのリードをとる。ベスはうれしそうな顔をして立ち上がった。

 「お姉ちゃんも、一緒に散歩しようよ、なんてね」

 あたしの方がもうお姉ちゃんなのにね。

 庭先に優しい春風が吹く。ベスが低くしゃがれた声で一つ鳴く。何となく足が軽くなって、どこまでも行けそうな気がした。今日はどこか寄り道していこう。珍しく、駅に行ってみようかな。

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