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伝説のレフリー津久田健次郎、悪役令嬢に転生す。  作者: 南蛇井


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7/82

学院舞踏会・断罪イベントの開幕 ――誰もが破滅を予感し、ただ一人だけ状況を理解していな

――華美な装飾と、張り詰めた不穏な空気


 学院の誇る大広間は、今夜ほど豪奢な表情を見せたことがない。天井一面に吊り下げられた魔導灯は、櫛の歯のように整然と連なり、淡い光を粒子の霞に変えて空間へ降らせていた。その輝きが、貴族子弟たちの宝石や刺繍糸に反射し、床全体をきらめく“光の海”へと変貌させている。


 本来なら、この眩さは祝祭の象徴となるはずだった。

 しかし、今夜の空気は正反対だ。


 華美を飾る光とは裏腹に、場の空気は妙に冷え、鋭さを帯びていた。あたかも、招待客全員が“処刑の開幕”を心得ているかのような、沈黙に似たざわめきが続く。目を合わせれば、皆どこか怯えたように視線を逸らし、緊張と期待がないまぜになった表情を浮かべている。


 廊下の陰、カーテンの向こう、大広間の端――どこにいても、囁き声が耳に刺さる。


 「今日よね……」

 「レティシア様、ついに……」

「王太子殿下はもう決めておられるとか……」


 断罪の二文字が、まるで空気そのものに刻まれているかのようだった。


 学生たちは肩をこわばらせ、落ち着かない視線を交わしあう。

 だがその頭上には、魔導灯の光があまりにも無邪気に降り注いでいる。


 ――緊張で呼吸すら浅くなるのに、見えている景色は祝祭。

 その矛盾が、大広間全体を奇妙な舞台装置へと変えていた。


 まるで、華やかな装飾の下に隠された刃が、今にも抜かれる瞬間を待っているようだった。


――本人だけが「通常営業」


 大広間の入り口近く。

 魔導灯の光が幾重にも重なり、まるで舞台のスポットライトのように床へ円形の輝きを落とす。その中心へ――レティシア・フォン・アルディシアは一歩、ゆっくりと踏み入れた。


 本来なら、この瞬間、会場は「ついに来た」と色めき立つはずだった。

 だが、その登場はあまりにも“普通”で、あまりにも落ち着きすぎていた。


 裾の長いクリーム色のドレスをさらりと持ち上げ、姿勢は無駄にほどよく伸び、歩幅は控えめなのに確信的。動揺も、怯えも、開き直りもない。

 いや、むしろ――他の令嬢より堂々としている。


 その瞬間、大広間にざわめきが走った。


 「え……なんであんな普通に歩いて……?」

 「泣いて縋るんじゃ……?」

「いや、覚悟を決めた顔? でも……違う、雰囲気が全然違う……!」


 レティシアのこれまでの悪評を知る者ほど、今日の彼女を“知らない人物”として見てしまう。

ただ歩いているだけなのに、そこに宿る静かさと均整が異様に映るのだ。


 ――しかし、当の本人はそんな騒ぎとは無縁だ。


(……この格好、まだ慣れねぇな。裾長すぎて踏みそうだし。

 姿勢固定されるタイプのコルセットってやっぱりやりづらいわ……)


 健次郎は完全に“道具の違和感”に意識を割いており、断罪イベントの気配には一ミリも気付いていない。


 そして会場に向けて軽く一礼した。

 その動きは優雅……ではなく、リングに上がる直前の礼とほぼ同じ重心の落とし方だった。


 当然、それは令嬢としては型破りだ。

 だが、不思議と無駄がない。曖昧な迷いも、気負いもない。

 その真っ直ぐな所作が、見ている高位貴族の神経に妙な圧をかける。


 「……何、この威圧感……?」

 「レティシア様って、こんな人だった……?」


 周囲のざわめきが、まるで小動物の群れのように揺れ続ける。


 ――ただ一人、中心にいるレティシア(健次郎)だけが、

 “いつも通りすぎる平常運転”で、異様なほど静かだった。


――断罪イベント専用のヒロインムーブ


 大広間の中央。

 王太子ローデリックの一歩後ろに、聖女候補アーニャは、まるで凍える小動物のように身を縮めて立っていた。


 淡い桃色のドレスに包まれた肩は、レティシアが近づくたび小刻みに震え、白い喉が緊張でひゅっとすぼむ。

 頬には涙の光が薄く宿っているのに、必死にこらえているのがわかる。


 ――泣かない。

 ――今日で、すべてが終わるんだから。


 アーニャは何度も自分に言い聞かせていた。

 舞踏会が始まる前から、心の中ではもう“最終決戦”に臨むつもりだった。


 (殿下が……殿下が私を守ってくださる……)

 (レティシア様は……きっと、きっと怒鳴ってくる……)


 その覚悟は、痛いほどに真剣だ。

 胸元のブローチを握りしめた手は汗ばんでおり、指先は力の入りすぎで白くなっている。

 思い込みだとしても、アーニャ自身にとって今は紛れもなく“人生最大の裁きの場”であった。


 彼女の張り詰めた空気は周囲にも伝播する。

 近くの貴族子弟たちが息をのみ、令嬢たちは扇子の影から不安げに舞台の中心を見守る。

 ざわめく声は自然と小さくなり、会場全体が“これから何かが爆発する”予感に支配されていく。


 ――ただ一人、肝心のレティシア(中身:健次郎)だけが、

 この緊張の渦に気付かず、足さばきの練習をしている気持ちで歩いてきていることなど、

 誰も知らない。



――「僕が守る!」とドラマ主人公のつもり


 王太子ローデリックは、誰よりも早く緊張で胸を膨らませていた。

 姿勢は常よりも一段と堂々として見えるが、その実、肩に力が入りすぎて鎧のように硬い。


 アーニャを背後に庇い、一歩前へ出る。その動きは劇的で、まるで舞台役者の“主役登場”の所作だ。


 (よし、大丈夫だ。落ち着け。今日は彼女を守る日だ……!)

 (アーニャの涙も、苦しみも、僕がすべて断ち切るんだ……!)


 ――彼の頭の中ではすでに完璧な脚本ができあがっている。


【ローデリックの脳内シナリオ】

 1. まず、レティシアの悪行を厳しく糾弾する。

 2. 次に、アーニャの潔白を高らかに宣言。

 3. レティシアが逆上して取り乱す。

 4. そこを冷徹に切り捨て、婚約破棄を言い渡す。

 5. 最後に、会場から賞賛の眼差しを浴びる。


 ――完璧。主役そのものだ。


 もちろん、ローデリックなりに正義感もある。

 アーニャを守りたい情熱も本物だ。

 だが、その半分以上は“自分の理想の英雄像”に酔っている部分でもある。


 (絶対に守るぞ、アーニャ。僕がいる限り、君はもう泣かせない)


 決意で胸が張り裂けそうなその瞬間――

 視界の端に、ゆったりとした足取りで近づいてくるレティシアの姿が映る。


 その表情は驚くほど穏やかで、

 取り乱す気配などどこにもなく、

 むしろ“何かを観察している審判の顔”すらしている。


 ローデリックは知らない。

 もうすぐ、自分の“英雄劇場”が崩壊することを。


 そしてその原因が、

 レティシアではなく、

 「健次郎の職業病」だということを。


――レティシアだけが、ひとり別ジャンル


 大広間の空気は、極限に張りつめていた。

 ひそやかな視線が一点に注がれ、

 涙を堪える者、覚悟を固める者、息を止める者――すべてが“断罪の瞬間”を待っている。


 ……にもかかわらず。


 レティシア(中身・健次郎)だけが、

 その緊張感をまるで別物として受け取っていた。


 (なんだ、このギスギス感……)

 (誰か喧嘩でもしたのか? それとも大会前の控室みたいな雰囲気?)


 

 「いや喧嘩は今からで、お前が中心なんだよ!!」


 そのずれっぷりは、視点が変わっただけでコントのようだった。


 ◆ 周囲の感情

 ・王太子ローデリック:

   「アーニャ、僕が必ず君を守る……!!(覚悟MAX)」

 ・アーニャ:

   「もう、終わらせなきゃ……でも怖い……(涙目震え)」

 ・取り巻き貴族たち:

   「あの悪女、ついに終わるぞ……ゴクリ」

 ・ギャラリー全員:

   “歴史的断罪の瞬間を見る観客の眼”


 ◆ レティシア(健次郎)の感情

 (なんか、みんな張りつめてんな……)

 (大会でもないのに、こんな観客の空気ある?)

 (……いや、今日そんな重大イベントあったか?)


 ――本気でそう思っている。


 まさかここがゲーム世界の“悪役令嬢断罪イベントの舞台”で、

 自分が破滅の主役であるなど、露ほども思っていない。


 むしろ、

 (この空気、放置すると揉め事になるな……)

 (あとで誰か泣くやつだ)

 と、“現場の空気読み”として完全に別ジャンルの感想を抱く始末。



 後に健次郎が審判モードで断罪イベントを粉砕する伏線

 として静かに効いてくる。


 そして堂々と歩くレティシアの背に、誰も気づかない。

 主役のはずの彼女が、今この瞬間だけは、

 舞踏会の物語ではなく、リングの物語に生きていることを。



――大広間全体が「その時」を待っている


 王城の舞踏会場――

 さきほどまで色彩と音に満ちていた空間は、

 王太子ローデリックがひとつ大きく息を吸い込み、

 ゆっくりと前へ踏み出した瞬間、

 まるで見えない手で締め上げられたように緊張へと変貌した。


 ざわ……とあった微細なざわめきさえ、

 その場に吸い込まれるように静まっていく。


 王太子の靴が床を踏む音は、

 広間の天井へ跳ね返り、

 儀式の合図のように響いた。


 アーニャは胸元のブローチを握りしめ、

 かすかに震える指先を必死で隠そうとしていた。

 彼女の周囲の貴族子弟は、

 “いよいよ始まるぞ”と言わんばかりに息を呑み、

 教師陣に至っては、

 普段の冷静さをかなぐり捨て、王太子の動きを固唾を飲んで追っている。


 ――誰もが悟っていた。

 これは、悪役令嬢レティシア断罪の幕開けだ。

 この瞬間のために数多のフラグが積み上がり、

 涙も怒りも決意も、この場に向けて研ぎ澄まされてきたのだと。


 にもかかわらず。


 ただ一人、その中心にいるはずのレティシア(中身:健次郎)だけは――


 (お、なんか始まるっぽいな)

 (この人数集めて講演でもするんか?)

 (王太子が講師って豪華すぎんだろ……)


 と、まったく別ジャンルの誤解をしていた。


 舞踏会の緊張ではなく、

 体育館で始まる“校長講話”くらいのテンションで構えている。


 しかし、このどうしようもなく的外れな無自覚こそが、

 王太子ローデリックが用意していた完璧な断罪計画を、

 後々根こそぎ狂わせる最初の歯車になる。


 大広間が息を止めて見守る中、

 レティシアだけが一人、別の景色を見ていた。




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