気づき
「では、入っても良いですよ。」
僕はチェルシーの合図で中に入る。
「綺麗に片付いたね。」
「いえ、部屋には何もありませんでしたよ。」
僕は気を使ったのだが、彼女は無かったことにしたみたいだ。その方が懸命だろう。いくらシスターであっても、親代わりの情事など目に入れたくもないはずだ。
「それで、これからどうするの?」
「ああ、ここで待っていたらクレアが戻って来るかもしれないから、待ちたいとこだが。」
しかし、そうもいかない。僕達にはあまり時間が無い。クレアの代わりに捕まっているエリエルが処刑されるまで、あと数日。それまでに真犯人を見つけ出し、源泉を復活させなければならなかった。
「じゃあ、とりあえず源泉のあった場所にでも行ってみる?」
「入れるのか?」
「そのままであれば、入れます。でも、まぁ十年前の場所だから、今もそのままかはだいぶ怪しい。無駄足になっちゃうかもしれないけど、どうする?」
確認するべきか。合流を優先するべきか。
まずは、最悪のパターンを考える。最悪なのは源泉を確認をしたが、何も手がかりは得られず、クレアとも入れ違い、もしくは合流に失敗し、体力を消耗する事だ。
いや、違うな。本当の最悪は、道中モンスターに遭遇、どちらかが死ぬ事だ。
つまり、ここでまず優先すべきは、安全の確保だろう。次に戦力の増強。武器か何かがあれば、好ましい。
次に魔力消費の少ない魔法の体得だ。これは魔力は感知出来る様になっている事からして、直ぐにでも可能だろう。
技術的には。問題は僕の現実味だろう。クレアとエリエルの指摘は最もだ。意志の下に再出力しなければ魔法は体得不能だ。しかし、僕は幻術を体感したが、未だに魔法に現実味を感じていない。依然と同様にどこか、非現実の様な創作の中にいる感覚が抜けないのだ。
だからこそ、魔法の体得は内容を構想しておき、必要になるまで保留だな。このままでは恐らく失敗し、ただ体力、生命力を消費するだけだろう。
「ねぇ聞いているの?」
考えこんでいた僕に、不機嫌そうにチェルシーが声を掛けた。
「ああ、そんな事よりも、まずは身の安全を優先しよう。」
「そんな事よりって、何その言い方。」
「あっ。ああ、すまない。言い方が悪かった、まずは身の安全をより優先するのが良いと思うんだ。どうかな?」
「まぁいいんじゃない。身の安全の確保をしないと、クレアやエリエルを助ける事も出来ないからね。特にユウキは魔法も使えないから、貧弱だもの。」
謝ったのにも関わらず、チェルシーの機嫌は益々悪くなる。
「確かに僕はまだ魔法は使えないが、この環境下なら、チェルシーだって大した魔法は使えないだろ?」
「なにそれ、私の魔法が大したことないって言いたいの?」
チェルシーの発言がさらに鋭利になっていく。
「そうじゃない。源泉がないから魔力は限られている。だからこそ、魔法にばかりは頼れない、という話をしているだけだ。」
「そんなのわかっている。でも、言い方があるでしょ。」
「だから、それに関しては謝罪しただろ? 蒸し返すなよ。」
「はぁ? 何蒸し返すなって。今のさっきの話でしょ、蒸し返してなんかない。」
「だから、その話は終わっただろ? 謝ったじゃないか。」
僕は呆れて、ため息が出る。
「謝ったから終わりなの? 心が籠ってないじゃない。どうせクレアの下着とか見て興奮してたから、話を聞いてなかったんでしょ。ユウキお兄ちゃんの変態。」
この一言が我慢の限界だった。
「はぁ!? 反論出来ないからって、意味わからない事言うなよ。」
「意味ならわかるでしょ。ってか、反論しないってことは本当に興奮していたんだ。私はクレアやエリエルの事を本当に心配しているのに、裸なんか妄想しちゃって馬鹿みたい。」
この後もしょうもない言い合いは続き、この日は結局なにも出来ず、部屋の中にいた。
何度かそっけないやり取りをしたが、一言二言のみで、まともにコミュニケーションは取れていない。
明日になれば機嫌も直るだろうと、僕はこの事について考える事を辞めた。
翌朝、目が覚めるとそこにチェルシーの姿はなかった。慌てて部屋を見渡すが、やはり本人の姿はない。
すぐに追えば見つかるかもしれない。と、ドアの前に向かう。そこには書置きがあり、こう書いてあった。
「昨日はごめんなさい。少し早く目が覚めたので、源泉を見てきます。何か手がかりがある事を期待して待っててね。チェルシーより。」
この書置きを見た時、僕は深く後悔と怒りに苛まれた。何故あの時、折れなかったのかと。チェルシーがここまで焦っている事に、何故気が付かなかったのか、自身への怒りで目の前が眩んだ。
無意識に噛みしめ過ぎた奥歯。回る目。額に浮き出た血管。すぐにでも失神しそうになるも、つま先で踏ん張り頭を下げ、意識を保った。
ここで無意味に倒れても意味が無い。後悔しても変わらない。自分に怒っても好転する訳がない。
冷静に。まずは冷静に。ゆっくりと深呼吸し、状況を整理する。
チェルシーは合理判断が出来ていない。物事の論理的な理解を、クレア達を心配する思いが、阻害している。本来、彼女はとても賢い子なのだ。少なくとも、こんな無茶をする様な子ではなかったはずだ。つまり、これは僕の落ち度だ。
その兆候は修行場にいた時には、既にあったのに気が付かなかった。
あの時、彼女は焦っていた。明らかに、冷静に考えればわかる事も、何度も説明を求めていた。
その冷静でない状態で、源泉の跡地に向かった。急がなければ手遅れになる。
まずは、彼女の後を追おう。
地面がぬかるんでいたから、足跡がまだあるかもしれない。
僕はドアを開け、部屋を飛び出した。その次の瞬間、何かにぶつかり、尻もちをついた。
一瞬、何が起きたかわからなかった。昨日までは何もなかったはずの場所、そこにぶつかると言う意味。
僕は数秒遅れて、現状を理解した。チェルシーよりも絶望的な状況に身を置いている事に。
僕の目の前には、大きな、とても大きな獣が立っていた。それだけなら住民にもいるだろう。しかしそうではない。明らかに異質な見た目をしている。
目はギラつきつつも、どこか虚ろで、皮膚は分厚く、針の様な髪の毛をしている。口元には大きな牙と涎を垂らし、尾の先には、こん棒の様な硬質な瘤。更には前兆は五メートルは優に超え、手には炎の爪を備えている。
これが、モンスター。確かに、言葉に違わない化物だ。僕はここで死ぬかもしれない。
心臓が早くなる。鼓動がうるさい。 全身から吹き出した汗を、拭いもせず、目の中に入る。が、それでも僕は目を閉じることはない。それほどまでに、全神経をそのモンスターに向けるも、何も出来ない。
ただ、ひたすらに己が非力さを呪うばかりだ。
その巨大なモンスターが鼻を鳴らし、涎をまき散らしながら、腕を振り上げ、襲い掛かって来る。
その瞬間、目を閉じた。僕は死を覚悟し、来世がある事を願った。意外な事に。僕は自分が思う以上に、生きていたいと思っている事を自覚した。
—ドシン。何かが崩れる様な音がした。
僕は薄っすらと目を開け、目の前のモンスターが去っているかを確認しようとしたが、そこには意外な人物が立っていた。
「ユウキ、久しぶりね。でも、再会がこんな形だとは嫌だわ。こんな情けない姿見られて気の毒。」
そこにはクレアがいた。僕は半泣きになりながら、無我夢中で剣を握る彼女の腰に抱き着いた。
「うわぁぁ。チェルシーが、チェルシーが。」
僕は情けない事だが、助けに来たはずのクレアに助けられ、子供の様に泣きじゃくった。
クレアはとりあえず部屋に一緒に入り、落ち着くまで話を聞き、そして慰めてくれた。僕が落ち着くまで何度も慰めてくれたのだ。
ここからの話は、本当に情けなく語れないので、割愛する。
とにかく、僕はクレアに現在の状況を説明した。
先ほど、クレアが切り刻んだモンスターの肉を食べながら。
ちなみに、味は意外にも癖がなく、とても美味しかった。
「それで、チェルシーだけで源泉の方に向かっちゃったんだ。」
食事を終え、僕は上着を着ながら話した。
「それは危険な状態ね。私も見に行ったけど、あそこはモンスターが多すぎて、ちかづけなかったの。それもゴブリン。」
クレアも着替えながら話した。
「あのゴブリン?」
「それ以外に何がいるのよ。」
「なら、なおさら心配だ。命よりも心的なダメージを受けているかもしれない。」
「そうね。私はゴブリン相手じゃなくて、助かったわ。数が多いもの。」
「そんな事よりも、早く助けに向かわないと。」
「待ちなさい、何の準備をせずに向かえば、それこそ全滅よ。」
焦る僕の発言をクレアは諫めた。
「じゃあどうすればいいのさ。時間がないのに。」
手に汗が溜まる。
「魔法よ。あなたには、魔法を使える様になって貰うわ。それなら、一人でも戦えるでしょ?」
「いや、それは出来ない。まだ僕は魔法を現実の存在だとは、認識できてないんだ。」
クレアは固く握りしめていた僕の手を、上から包む様に握る。
「大丈夫。今なら出来るわ。あなたが出来ないのは、あなたが現実で知らないものを、魔法で使おうとしているからよ。」
クレアは続ける。
「それに、ユウキはまだ一度も試してはいないでしょう?」
「それは、そうだけど。」
僕はまだ、確かに試していない。だが、それは成功する姿を想像する事すら出来ないからだ。
「大丈夫。あなたが知っている事。あなたが現実だと思える事を魔法として出力するのよ。」
僕が知っている事。何だろうか。そんな魔法になる様な大層な事は知らないのだが。
「まぁ少し考えて見ることね。急ぎなさい、あまり時間は無いわよ。」
「クレアは答えを知っていそうだね。」
「ええ、知っているわ。だけど、最初に気づいたのは、エリエルだけどね。」
クレアは平然と答えた。
「知っているなら、教えてくれてくれよ。それにエリエルだって? 彼女に聞いた時は、クレアに聞けって話すだけで、何も教えてくれなかったのに。」
「本当にそれだけ?」
どういう意味なのだろうか。魔法の説明を受けた時、彼女は確かにクレアに教えて貰えと話していた。
クレアは続ける。
「それにただ答えを教えられたものは身に付かない。これは自分で見つけないと意味ないのよ。いつまでも、口を開けて待つだけの受け身な姿勢では、これ以上の成長はない。」
僕が知っている事、それを魔法に。しかし、僕が知っている事なんて、魔法のない日本での記憶しかないのだが。
あ、そういう事か。
僕が使える魔法とは何か。エリエルは既に見抜いていたんだ。
彼女は天才を自称するだけの事は、あるかもしれない。
たったあれだけの話で、僕だけが使える魔法を見抜いていたのだから。
「やっと気が付いたようね。そう、それでいいのよ。さぁ、魔法を習得したら、チェルシーを。いや、この街を助けに行くわよ。」
こうして、僕は考えうる限りの一番戦闘に使えそうな魔法を、習得したのだった。
魔法とは、とても簡単で、ありふれたもの。当たり前すぎて、見落としてしまうくらいに簡単な事だった。不可思議な事はする必要はなかった。
ただ、僕だけの魔法を考えれば良かったんだ。




