変化
時間は少し遡る。三人が修行場に向かう途中にこんな会話があった。
「だからね、魔法を習得するには、受けて見たらいいと思うわ。ユウキはどこか魔法を現実的なものと感じられていないのよ。」
クレアは言い聞かせる様に続ける。
「エリエルから聞いているはずだけど、一度魔力を取り込み、意志の下に魔力を再出力する行為が魔法なのよ。この意志は現実のものだと信じる事も含まれている。」
「つまり、僕は魔法の存在を信じられていないから、僕の魔法は存在できないと言う事?」
「そうよ。それ以外にも魔法の具体的な効力の範囲や規模、そして使用する生命力の量などを出来るだけ具体的にする必要があるわ。そのつり合いが取れて初めて魔法を体得できるのよ。」
クレアはタバコを指揮棒の様に左右に振りながら、得意げに説明する。
「つまりユウキが魔法を使える様になるには大きく分けて二つ。一つは、魔法が現実に存在する事を実感する事。もう一つは、魔力を身体の中に取り込む感覚を学ぶこと。普通はそんな事を意識しなくても出来るはずだけど、たまに出来ない人がいるのよね。」
「クレアみたいに?」
エリエル急な反応に不意を突かれ、吹き出し、たばこを落としてしまった。
「私は関係ないでしょ!」
「まぁそうだけどね。一応、言っといておいただけよ。」
「まったく、もう。」
クレアは落としたタバコを拾い上げ、吸い殻を消し、新しいタバコを咥えた。
「それらを同時に解決する方法が一つだけあるわ。」
僕は慎重に生唾を呑んだ。魔法を使えるかもしれない期待感と、少しの不安がそうさせたのだ。
「それは…」
「火球をぶつけ続けるのよね!」
「そんなんやったら、死んでしまうわ!」
エリエルの無茶な回答に思わずツッコミを入れる。が、クレアは意に介さずに、続けた。
「それも良いけど、もっといい方法があるわ。」
…いいのかよ。心の中でそう呟いた。だが、そのもっと良い方法とは一体なんだろうか。
「ケガをせず、ましてや死ぬ危険性のないものよ。」
死ぬ危険があったのか。やはり火球だけはやめてもらおう。さすがに命は惜しい。
「もったいぶらずに教えてくれよ。」
「せっかちね、わかったわよ。それは私の幻術魔法を受ける事よ。」
「まぁ良いけどさ、もし途中で見破ってしまったらどうするんだ? 魔法を簡単に見破ってしまったら、余計実感できなくなってしまうんじゃないか?」
「大丈夫よ。絶対に見破れないから。」
僕の疑念をクレアは歯牙にもかけず、一蹴する。
「じゃあ出来たらどうするんだ?」
クレアが自信満々に答える。
「ユウキが望む事、何でも一つしてあげるわよ。」
「言ったな! 何でもだからな!」
「その代わり、見破れなかったらユウキにも私のお願いを何でも聞いてもらうからね。」
これが、修行場に着くまでに行われていた会話だ。つまりは魔法体得のため、僕は幻術を受けていたのだ。
「フフン。ユウキには何をして貰おうかしら?」
幻術と現実の境界線が曖昧だ。幻術が解けた今でも、あの生々しい情動と感触がありありと残っている。それと同時に、魔法を掛けられた瞬間の全身を魔力がめぐる感覚。暑さで乾ききった喉を癒す、その時の全身をめぐる冷たさ。それを何倍にも激しく、鋭くした様な感覚だった。
この複雑な体感が魔法というものの存在を強く感じさせた。この僅か五分の体験は、今までの人生全てを足しても足りない刺激的なものであった。だからこそ、もう既に魔法を体得するのは出来るのだと確信出来る。魔法は既に僕の中では偶像ではなく、身近なものになっている。
魔力の感触が、混濁した記憶が、沸かされた情動が。そして、今この時の幻術で、体感した全ての感触や感情が、全て消え失せているという事実。それら全てが魔法は現実に存在し使う事が出来るのだと、教えてくれたのだ。
それは、生まれ変わったかのようなものだった。どこか異質に感じ、疎外感があったこの世界も、今やどれも身近に感じる。クレアやエリエルも、この修行場も。この街の源泉の存在、芳醇な魔力も。それどころか、懐かしさすら感じている。
理解した。僕はこの瞬間、本当の意味でこの世界の住人に成ったのだと。
「大丈夫? ぼーっとしているけど。」
壁にもたれかかり俯く僕を、エリエルは少し心配そうに顔を覗き込む。
「ああ、大丈夫。ちょっとびっくりしちゃって。」
「そうなの。まぁ無理もないわ、あんなに強烈な幻術魔法、魅了を掛けられたのだから。廃人になってもおかしくないのよ?」
僕は驚愕し、クレアの方を見た。何もない斜め上を見てタバコを咥えている。が、そのタバコには火がついていなかった。
「おい、まじか。そんな危険な魔法をかけたのかよ。」
クレアは慌てて弁明する。
「だって仕方なかったじゃない。絶対に見破られたくなかったのよ!」
「廃人になったら、どうすんだ馬鹿野郎! 本末転倒だろうが!」
僕は未だ落ち着かない感覚の中、感情任せにクレアを怒鳴りつけた。
「…ごめんなさい。」
意外にも素直な反応だった。まぁ人ひとりを廃人に仕掛けたのだから、そんな反応にもなるか。まぁ、クレアは蘇生魔法を掛けられる様だし、どうせ生き返らせれば良いという考えだったのかもしれない。
そんな事を考えていた時、エリエルが言った。
「廃人になったら、蘇生魔法は効果ないんだから、本当に気を付けてよね。」
そんな事が許されて良いのだろうか。このシスターこそが悪魔なのではないか。蘇生魔法が使えないのならば、本当に取り返しがつかないじゃないか。エリエルがまともな感覚を持っていたから、僕は助かったのかもしれない。最初はエリエルが異常なのかと思っていたが、実の所、本当におかしな人物はこいつだったか。
いや、どっちもどっちな気がして来た。
「今日はもう疲れたから、休んで魔法は明日にしよう。」
既に疲労困憊。ここから、新たな魔法の体得をする余裕はない。特に魔法の体得は生命力を用いる。こんな状態では危険なはずだ。
僕は二人の返事も聞かず、修行場を後にした。
その日は、この後の記憶はなく、気が付いたらベッドの上にいた。どうやら、部屋の要望は通っていたらしい。さて一晩寝て、今日はやっと魔法を体得する日だ。しかし、起きようにも身体に力が入らない。
どうしたものか。どれだけ力を込めても、腕はダランとしたまま、布団すら捲る事は出来なかった。どの道、食堂へは行かなければいけないのだからと、無理でも身体を揺すり、ベッドから這い出ようとした次の瞬間、全身に激痛が走った。
その痛みは、単なるケガや筋肉痛の様な痛みではない。神経を直接嬲られているかのような痛み。痛いと認識する前に、のけ反ってしまう。そのせいで更に痛みを感じ、連鎖する。まるで、拷問を受けている様な代えがたいものだった。
僕は気が付かないうちに絶叫したのち、失神した様で、身体は動かない様に固定され、部屋にはエリエルとちーちゃんが介護兼見張り役として呼ばれたらしい。
そのついでに身体が動かない理由について、エリエル達から話を聞かされた。どうやら初めて魔力を体内に流し込むと、激しく痛むらしい。成長痛の様なもので、しばらくすると治る。だが、本来は少しずつ流し込み、慣れさせていくのに対し、僕の場合、無理矢理にこじ開け、一度に大量の魔力を流し込んだのだから、その反動は凄まじいものになったのだとか。
「まぁ今は寝ときなさい。どうせ何も出来ないんだから。」と、辛辣な声が聞こえる。首が回せず姿を見る事が出来ないが、恐らくは声の主はエリエルだろう。
「まぁ安心しなさい。数日もすれば、痛みも取れているわ。」
エリエルなりの気遣いなのだろうか。
「ちーちゃんもお世話するからね! だから安心してね、お兄ちゃん。怖くないからね。」
こんな幼い子どもにこの様な声かけをされると、逆に傷付く。ちーちゃんにとって、僕はどう見えているのだろうか。まるで弟扱いされている様だ。しかし、そんな懸命な少女を無視するわけにもいかず、最低限の返事だけする事にした。
「ありがとう。じゃあ少し休ませてもらうね。」
「うん! まかせて!」
元気の良い返事と共に、ちーちゃんは僕の腕を力強く握った。あまりの痛みに僕は意識を失う。
次に目が覚めたのは、身体の痛みが取れた数日後だった。
部屋には誰もおらず、話声も聞こえない。それどころか物音一つ聞こえず、教会内は閑散としていた。子供の声や様々な生活音、ベルの音やピアノの音で騒がしかったはずなのだが、これは一体どういう事なのだろうか。
「エリエル? クレア? 誰かいないのか?」
大声でドアの向こうに問いかける。しかし、返事はない。悪ふざけか、何かだろうか。しかし、悪ふざけにしては、その静けさは異様だった。この部屋は教会入口からは、最も遠いはずの孤児院の更に奥にある部屋だ。それなのに、教会入口から聞こえる隙間風が聞こえる。身を隠したとしても、ここまで物音がしない何てことがあるのだろうか。
僕は何故かする胸騒ぎを抑え、ベッドから出た。身体はすっかり軽くなり、何一つ不調がない。この世界に来た時よりも身体は軽くなっていた。こんなに身体が軽いのは、子供の頃以来かもしれない。
不調の無さへの感動もそこそこに、僕は教会全体を散策する事にした。しかし、どれだけ探しても誰もおらず、眠りに着く前と同一だとは思えない程、荒れた教会だった。いや、それだけでは到底説明つかない。荒らされただけならば、ここまで酷くはならないだろう。壁一面に不気味な紫色の植物達が根を張り、獣の爪痕と血痕がそこら中に残されている。建物全体が湿気ており、天井から緑の水滴の様なものが垂れ、辺りは異様な雰囲気に包まれていた。
人が住んでいたとは、到底思えない、どんな廃墟よりも悍ましい。
僕は走った。教会の外へと一目散にただ駆けた。教会の中がこの様になっているのだ。街はどうなっているのか確認せずにはいられなかったのだ。
数日。本当に数日だったのだろうか。僕の寝ていた間に何があったのか、到底想像もつかない。そんな光景が町全体に広がっていた。街の住人は愚か、全てが荒廃し、どこもかしこも不気味な草木が生え、血生臭い腐敗臭が漂っている。かつて、ゲームで見たどのダンジョンよりもおどろおどろしく、地面に広がる謎の粘液の感触が不快感をより一層際立たせる。
僕の記憶の中で一番近いものがあった。全く同じではない。そもそも共通点すら見つからない。しかし、その中に漂う空気だけは同一なのものだ。
幼い頃に学校に張り出された、戦争の資料。その中にあった地上戦で築かれた死体の山。それが町中に広がっている。その一枚の写真の中に漂う空気。それと同じ様に感じたのだ。まるでその写真の中に入ってしまったかの様に。
そんな風に感じた。
これが現実に存在する魔界に類似した存在。まさにダンジョンなのだと、脳は理解したのである。
理解した後、当然の疑問が浮かぶ。「ダンジョンならば、モンスターはどこにいるのか。」と、無意識に口に出る。
この異様な只ならぬ雰囲気に血痕、爪痕がそこら中にある。モンスター達はここにいた、もしくは今もいるはずなのだ。
「ここにいたら、まずいかもしれない。」そこに思考が至った瞬間、背後から水分を含んだ物音が聞こえた。
呼吸が早くなる。背後からの音は徐々に近づいてくるにつれて、物音は一層大きくなり、草木と布が擦れる音が聞こえる。その物音が足音だと気が付いたのは、腕を掴まれた後だった。
僕は酷く情けない悲鳴を上げ、腰を抜かす。地面に溜まっていた、粘液が服に染み、下半身をひんやりとさせた。が、僕はそんな事には気が付かない。
「情けない声上げないでくださいよ。折角の再開なんですから。」
女性だった。僕は胸を撫で下ろした。
「ここは危険です。早くこちらへ。」
女性は深くフードを被り、顔が確認できない。
「ちょっと腰が抜けちゃって。」
「本当に情けないですね。やはりクレアが正しかったです。」
クレアの名前に腰が抜けていた事も忘れ、彼女の肩を掴んでいた。
「彼女の事を知っているのか!?」
「なんだ、立てるじゃないですか。」
彼女は笑いを含んだ震えた声で返答した。どこか彼女の声は聞き覚えがあったが、思い出せない。
「あ、そうか。お前エリエルだろう。確か変装が得意だったはずだ。」
「エリエルお姉ちゃんじゃないよ。本当にこの声を覚えていないの?」
どこかで聞いたことのある声ではある。が、どうにも思い出せない。
「まぁいいや、早く移動するよ。ここじゃあ、危ないから。」
彼女に腕を引かれ、駆け足で裏路地の方へと移動する。街の裏路地は不気味な植物で茂みになっている。彼女の指示通りに通路を進み、奥へ奥へと進み、一つの何気ないドアの前で立ち止まった。
「ここに皆がいるのか?」そう僕が聞くと、彼女は静かにと唇に人差し指を立て、首を横に振った。
彼女はドアに手を触れず、その隣の壁に手をかざし、少し光らせた。
魔法だ。そういえば目が覚めてからというもの、一度も魔法を見ていなかった。更には眠る前には感じていた、清廉な魔力の源泉。それが全く感じない。感じるのは、淀み膿んだ魔力だけだった。
「出来たよ。先に入って。」
彼女がそう言うと、壁に僕を押し付ける。一瞬障壁の様なものを感じたが、直ぐに柔らかくなり、壁の中に沈んでいった。
息が出来ない。巨大なスライムの中に入ったの様な全身を潰す圧迫感を感じている。壁の中でもがき、苦しさが限界に達する直前、その束縛から解放された。
視界が開け、呼吸が楽になる。頭に酸素が回り、自身がどこにいるかが理解した。修行場である。
「気が付いた?」
後から追いついてきた、彼女が問いかけた。
「ああ、ここは修行場だろ? 何でそんな回りくどい事をするんだ。普通に教会から向かえば早かったのに。」
「荒れた教会を見たでしょ。あそこで安全だったのは、あなたが寝ていた部屋だけなのよ。」
彼女はため息をつき、フードを取る。どこかで見た事のある顔つきをしている女性だった。
「思い出した? 私よ。少し大人になったけど、面影は残っているでしょう?」
「どこかで見たような。」
「もういいわ。お兄ちゃんってば可哀想な人だと言っていたけど、頭も弱かったのね。」
その毒舌に内心イラついた。が、助けてもらった手前、怒るに怒れない。しかし、この物言いは、やはり聞き覚えがあった。
「あ。お前もしかして、ちーちゃんなのか?」
彼女は嬉しそうに笑顔を作った。
「やっと思い出してくれたのね。もう少し遅かったら、ここに置いていくとこだったわ。」
見た目が余りにも変わっていたので、気が付かなった。あんなに小さかったちーちゃんが、同世代程度になっている。胸は大きく膨らみ、背は僕よりも大きく、全体的に少し筋肉質になっていた。…少し嫌味っぽくもなった。
「あんなに可愛かったのがなぁ。エリエル達の悪い影響か。」
「何よその言い方、その目は。やめてよね、いくらお兄ちゃんでも少し気色悪いわ。」
やはりあいつらの悪い影響で、性格が歪んでしまった様だ。僕はため息をつき、頭を掻いた。
そんな僕を見て、ちーちゃんは涙ぐんでいる。
「でも、無事でよかったわ。あの時、一緒に逃げられなかったのをずっと後悔していたの。だから、お兄ちゃんが目が覚める頃に、迎えに行けるように今まで頑張っていたんだ。だから、よかった。」
何があったのかはわからない。しかし、 それでも彼女が僕の為に行動し、気を病んでいた事は伝わった。僕はそれだけで嬉しかった。
「良いんだよ。結果的に無事なんだから。ありがとう、ちーちゃん。」
ちーちゃんは、声を震わせ、僕に抱き着いた。
「お帰り! ユウキお兄ちゃん!」
抱きしめる彼女の力は、意識が失う前に受けたちーちゃんからの握手以上に強く感じた。
「ただいま。」
僕達はしばらく干渉に浸った後、さらに奥へ進み、皆がいるとちーちゃんが言っていた避難場所へと向かった。




