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試練

 朝露で床が湿る。それが床を冷たくさせ、まどろんでいた僕を現実世界に引き戻す。そうして時間は過ぎてゆき、次第に子供たちの乱雑な足音が床を伝う。


 僕は寝る事を諦めた。目の下を黒くしたまま、毛布に包まりながら行き交う大小様々な足に注目せずに、ただその一点を眺めている。その一つが近づいている事を見てはいながらも、声を掛けられるまでは、眠気からか反応する事が出来なかった。


 「ねぇ、何でお兄ちゃんは廊下で寝ているの?」


 女の子の幼い声。それが頭の上から聞こえる。


 「…ちょっと、エリエルに部屋を取られちゃってね。」


 「えー、お兄ちゃん可哀想だね。ちーちゃんが注意してあげよっか?」


 何とも愛らしい。大きな瞳で僕を覗き込み、眉を吊り上げて正義感に燃えている。


 「でも、エリエルはとても悪い魔女だから、そんな事言ったら鍋にされちゃうよかもよ?」


 僕は冗談めかして言った。


 「ひぃ。でも、でも、このままだとお兄ちゃんが可哀想だもん。ちーちゃんは負けないよ。だから、安心してちーちゃんの後ろに隠れていて。」


 彼女は怯えながら、僕の頭を撫でる。頭を撫でられたのなんて久しぶりだ。最後に撫でられたのはいつだろうか。記憶にない程昔にあった様な気がする。しかし、思い出すのは拳骨で作られた、たんこぶの痛みだけだった。


 「ねぇ、私を悪者に仕立て上げるのはやめて。」


 一晩中開く事が無かったドアが開き、怪訝そうなエリエルが出て来た。


 「いや、昨日僕にした仕打ちを忘れたのかよ。完全に悪魔の所業だっただろうが。」


 悪態をつき合っていた所に、女の子が両の拳を握りしめ、大きな声で割って入った。


 「エリエルお姉ちゃん! ダメなんだよ、お兄ちゃんを苛めるのは。クレアも言っていたもん。お兄ちゃんは大人だけど、ちーちゃんよりも弱い存在で可哀想な人だから、優しく守ってあげなさいって。だから意地悪はダメなんだよ!」


 純粋無垢な優しさから、クレアのにじみ出る悪意にエリエルは腹を抱え、息が出来ないほど笑う。そんなエリエルの様子に、ちーちゃんは大層ご立腹だ。


 「そうやって、怒られているのに笑っちゃダメなんだよ! もっと怒られちゃうんだから。お兄ちゃんみたいに、シュンってしていなきゃダメだよ。」


 それを聞き、エリエルは一層大きな声で笑った。笑い過ぎて逆に泣いている。


 「いやぁごめんね。そうだね、これからはこの可哀想なお兄ちゃんには優しくするからね。だから、お姉ちゃんの事許してくれる?」


 エリエルはそう言いながら、指で目に溜めた涙を拭い、少女の頭を優しく撫でた。


 「うん! 良い子だね! エリエルお姉ちゃんは!」


 二人の微笑み合っている光景は、とても微笑ましいのだが、まず二人とも僕に謝って欲しい。あなた達の笑顔の裏で傷付いている人がいるのです。


 そうしたやり取りが続く中で、教会中にベルの様な音が響いた。


 「あ! 早く食堂に行かなきゃ。お姉ちゃん達も遅れたらダメだよ、ご飯なくなっちゃうから。」 


 そう言い残し、ちーちゃんは駆けていった。


 「走ったらクレアに怒られちゃうわよ。」


 エリエルがそう言うと、同時に案の定、通りがかったクレアにぶつかり、叱られた。僕達は仕方なく、ちーちゃんを庇う為、クレアに弁明するも、エリエルの昨晩の行いもバレてしまい、三人まとめて叱られてしまうのだった。




 さて、食事を終えた頃、僕とエリエルとクレアは教会内にある修行場に移動していた。修行場の場所は教会入口を越え、教会内を素通りし、孤児院を越え、その奥にある大きな庭。そこの茂みにポツンと小さな掘っ立て小屋の中の本棚を倒すと、階段が現れる。その階段を降りた先に位置する扉の魔法を解除し、中に入ると修行場だ。

 何故ここまで厳重な理由は、クレア曰く魔法を把握されるという事は、個人の弱点や手札を晒す事になるとの事。つまり、修行でどんな魔法を習得しているのかを観察されれば、その相手には何も出来ず、常に先手を打たれる事になる。そうなれば、戦闘において致命的なのだ。それだけではない。日常でも催眠や脅迫に使われかねない。目立つ場所での魔法習得とは、全ての暗証番号を一つの紙にまとめ、それを目立つ場所に持ち歩くという蛮行に他ならないのだ。勿論、かつて僕が行ってきた事だが、案の定紛失し、何十もの番号を全て変更する羽目になったのは、言うまでもない。幸いにも悪用はされなかったが、あの時の大変さと心的ストレスは計り知れない。つまり、何が言いたいのかというと、その愚かしさと結果を身を持って知っていると言う事だ。そして、同じ轍は踏まない。


 「だから、何の魔法を習得したいかは、誰にも教えない!」


 強情な僕を前に、クレアとエリエルは呆れた表情でため息をついた。


 「いや、教えてもらわないと、何も手伝えないのだけど。」


 クレアの発言にエリエルも同調する。


 「そうだよ。ユウキの警戒心もわかるけど、私達を信用してもらわないと、ずっと魔法の習得は出来ないままだよ。一人で習得なんて何年かかるかわからないわ。」


 「だってお前らは僕の弱みを知り、利用するつもりなんだろ? 知っているからな!」


 エリエルとクレアは顔を見合わせた。


 「もしかして、昨日の事を怒ってるの? あれは誤ったじゃん、ごめんね。でも仕方ないじゃない、初対面の男と一緒の部屋なんて、何されるかわかったもんじゃないもの。」


 クレアも続ける。


 「そうね。私の配慮が足りなかったわ。謝るから、まずは信用してちょうだい。ね? 良い子だから機嫌直して。」


 僕を宥めようとしているのだろうが、完全に逆効果だ。煽っている様にしか見えない。


 「じゃあ、今日は僕がベッドに寝るから。」


 クレアが答える。


 「いいわ。もう一つ、部屋を用意しましょう。」


 「いや、そうじゃない。エリエルが廊下で寝るんだ。あの薄い毛布でな!」


 その言葉を聞いた瞬間、エリエルが掴みかかってきた。


 「はぁ!? 何でそうなるのよ! 別にベッドで眠れたらそれでいいでしょ!」


 「良くないわボケ! 僕がどれだけ寒かったか、身をもって知るいい機会だろ。」


 「嫌よ。そもそも私に大恩がある事を忘れてるんじゃないでしょうね? ユウキが独りで途方に暮れていたのを、この教会を紹介したのは私なのよ!」


すぐさま、僕は反論する。


 「はい、違いますー。僕が世話になったのはドボスですー。」


 「いや、だからそれが私だって何度も言ってるでしょ? ってか見てただろ!」


 僕は目を開けたまま瞼の裏に向け、エリエルに白目を見せる。


 「うるせー! ドボスはもっといいやつだったわ! 僕のドボスを返せよ!」


 「はぁ!? あんなおっさんの何が良いのよ! この美少女の良さが分からないとか、本当にありえない! この私の最高傑作なのよ!」


 エリエルは怒鳴りながら、自身の身体を艶めかしく弄る様な手真似をする。僕はそれに反論しようにも、彼女の色気のある所作に見惚れてしまい、しどろもどろになってしまった。そんな僕の姿を確認し満足したのか、エリエルは誇らしげに胸に手を当て、話した。


 「フン。やっぱりこの姿いいんでしょ。さっきの暴言は照れ隠しとして受け取っておくわ。」


 一段落ついたところで、クレアが口を開く。


 「もういいかしら。そもそもあなたが魔法を学びたいからと、この修行場と時間を割いているのに、やる気がないのなら私は帰るわ。二人だけでして頂戴。」


 「申し訳ございません。」


 僕は考えるよりも早く、親相手にやり慣れていた、綺麗な土下座を行っていた。


 「もう二度とふざけませんので、許してください。クレアさんがいないと何も出来ないのです。もし問題があれば、このエリエルが何でもしますので。」


  「ちょっと何で私なのよ!」


 流れる様な弁明にエリエルが間髪入れず突っ込んでいた。


 しかし、僕の弁明はクレアには効果があった様で、少し照れ、それを隠そうにも隠し切れずに、嬉しそうにしていた。


 「ま、まぁ今度からは気を付けるように。」


 ちょろい。もしかしたら頼られる事が好きなタイプか。それで、教会に訪れた悩める男を片っ端からストーカーしているのか。


 エリエルが僕の耳元でぼそっと囁いた。


 「あーあ、やっちゃった。」


 血の気が引いた。クレアと長い付き合いであるエリエルのその一言が、この後の展開を想起させたのだ。


「今までの誰よりも情熱的な一言を、まさか付き合いの浅いユウキから言われるなんて、予想外だわ。」


 嬉しそうに身体をくねらせるクレアにエリエルは白々しく同調する。


 「そうね。ユウキがそんなにクレアの事思っていたなんて予想外だわ。一目惚れかしら?」


 「やめて。照れちゃうじゃない。」


 顔を真っ赤にしながら、エリエルの肩を叩く。すると、肩は反時計回りに回転し、足は地面を離れ、壁に激突し、悲鳴をあげていた。


 「でも、今は魔法の修行ね。ほら早くやるわよ、エリエル。それとユウキ様❤」


 僕の名前の後ろにだけハートマークがついた様に聞こえたのは、気のせいだろうか。




 「では、まずは魔法の原理ですが、それはエリエルから聞いていますね?」


 クレアは丁寧に話す。僕は彼女の態度の変化が気持ち悪く、エリエルに耳打ちをする。


 「なぁ、何で急に敬語なんだ?」


 「ああ、クレアは尽くしたいタイプなので、好意を持つと敬語で控えめなシスターらしい態度になるんですよ。」


 それにしても、この変わり様。ほとんどの男性が逃げ出すのも無理はない。たった一言の軽口で、これほどまでに態度を変わるのは、重い通り越して恐怖を覚える。


 「なぁ、今からでも撤回するわけにはいかないかな?」


 エリエルはギョッと目を見開き、慌てて耳打ちを返す。


 「絶対やめて。何度も殺されては生き返らせ、死ぬよりも辛い目に合いたいの?」


 一段と厳しいトーンで話すエリエルに、僕の置かれている状況を再認識した。クレアの粘着体質は想定の範囲を超えており、まさか命の危機にまで発展するとは、思いもよらなかった。エリエルは更に続ける。


 「無事に生活したかったら、彼女に気づかれない様にこの街を出るか、もしくは彼女と一生添い遂げるかのどちらかよ。」


 その一言が、心臓を締めつける。脈が普段よりも大きく感じ、まるで鼓膜が心臓になってしまったかの様。頬から汗が一滴流れ、口内に溜まった唾を飲む。


 「そんなに緊張しなくても良いんですよ。ユウキ様、魔法は慣れとイメージが大事なんです。リラックスしないと駄目ですよ。」


 クレアが発した、この一言で意識が現実に引き戻された。


 エリエルから伝えられた事を不意に連想した、クレアからの残酷な仕打ち。その想像から引き戻された。しかし、その強烈な内容は、引き戻された今でも、しっかりと心に刻まれた。


 「まずは深呼吸をしましょう。ユウキ様、深呼吸ですよ。」


 僕はクレアに促され、呼吸を整える。自然と恐怖感は薄れていった。先ほどの話はエリエルの想像。推測の域を出ないものだ。そう考えると、今目の前にいるクレアも依然よりも柔らかく、より親しみやすくなっただけだ。そう考える事にする。


 思えば、僕が誰かから好意を向けられた時は、決まって問題のある人だった。クレアがまだそのような人だと決まったわけではない。もしかすると、エリエルが誤解しているだけで、とても純粋な心を持っているだけなのかもしれない。見た目は絵画の様に端麗なのだ。さらに、子ども好きで、面倒見がよく、好きな男性を立てる事も忘れない。理想的な女性ではないか。まぁ、多少の二面性はあるが。


 そこまで考えが至った時、エリエルの疑わしい視線に気が付いた。


 「何?そんな目を細めて、どうかした?」


 エリエルは僕から視線を外した。


 「いや、なんか甘い考えしてそうだなって思ってね。いや、そう言い聞かせているのかな。」


 「そんな事ない。僕は至って冷静だよ。」


 「それならよかった。クレア相手に普通の恋愛に発展して、幸せに暮らしていけるなんて考えているのなら、正気を疑うとこだったわ。」


 「はは。そんな訳ないだろう?」


 図星である。が、それのどこが悪いのか。


 「そうだよね。好意を向けられただけで、そんな幻想を抱くのはよほど愛に飢えている人か、性欲が抑えきれない猿だけだわ。」


 僕はどちらでもない。が、誰かに愛されていたいと思うのは、決して悪い事ではないし、好意を嬉しく思っても何も悪くない。そう、何も悪くないはずだ。特に美人からの好意を嬉しく思わない人などいないはずだ。


 「何をこそこそと話しているのかしら?」


 クレアがギラリとした笑顔でエリエルを射抜く。その直後、滝の様な汗をかき、僕と距離を取った。離れる直前のエリエルの手は震えていた。過去に似たような事で、恐ろしい事でもあったのだろうか。


 「じゃあ、続きをしましょうか。まずは習得魔法を絞る所からです。」と、クレアは両手を叩き、仕切りなおした。その後の魔法の訓練は、余り集中を欠いた。


 一度は恐怖を感じた対象だったが、手取り足取り教えられていく内に、警戒心すら薄れ、好意を意識してからというもの、エリエルの警告は完全に忘却の彼方に追いやられていた。


 日が落ちた頃、修行場から出た。その頃にはエリエルが辟易するほど、甘い空気が僕とクレアの間には流れていた。クレアは修行中にも意味もなく、腕を抱き胸を押し当て顔を近づけていた。悪くない。実に悪くない。初対面のタバコをふかしていた記憶は消え失せ、僕はいつの間にか、彼女の虜になっていた。彼女の事以外考えられないのだ。


 その後も一晩中彼女の事を考えていた。食事をしていても、風呂に入っても、誰かと雑談をしても。何をしていても、常に彼女の事が気になってしまう。腕に残る豊満な感触。密着した時の髪から香る甘い匂い。柔らかな唇に何とも言えない魅力を感じてしまうのだ。一体どうしたのだろうか。常に頭を支配されているかの様に、クレアの事しか考えられない。もうそれ以外いらないとまで考えてしまう。


 次第に息が切れ、汗が吹き出し、顔が紅潮する。鼓動が早まり、今クレアが目の前にいれば、僕は我を忘れて彼女に溺れてしまうだろう。


 「何しているの?ユウキ様。」


 背後からする声。背中には柔らかな感触。しかし、何やら違和感がある。本来あるべき感触が無いのだ。二枚の布の感触、それが無く、人肌が直接触れた温度が背中に伝う。その温度が全身に広がり、理性を失わせた。


 その瞬間。振り向いたのと同時に僕の視界は赤黒く染まり、景色が宙を舞う。


 しかし真に宙に舞ったのは、景色ではなく僕の方だと気づいたのは、切り離された身体が映った瞬間であった。そこで意識が途切れる。


 ふと気が付くと、僕は修行場にいた。


 その場に居合わせるクレアが、放心する僕に話しかける。


 「やっぱり私の言った通り、最後まで幻術に気づけなかったわね。」


 


 現在の時刻は、三人が修行場に入ってから、五分も過ぎてはいない。

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