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欺瞞

風の音だけが、鳴り響いている。




 湿った岩や地面が、手先や足先を冷やした。




 厳密な時間はわからないが、恐らく夜が明ける直前だ。外に出れば、空がしらしらと明るくしているだろう。




 そんな時、突如としておでこに衝撃が走った。




咄嗟に 「いてっ。」と口から零れると共に、上半身を起こし、辺りを見渡す。




 「早く起きなさい、移動するわよ。」




 目の前には、手をデコピンをしたであろう形にさせた、エリエルの姿があった。




 僕はそんな彼女を睨みつけ、おでこをさすりながら、苦言を呈する。




 「もっと、優しく起こせないのかな。しかも、この寒さで休まっていない。もう少し休んでからにしないか?」




 「何を言っているのかしら。奴らが寝静まった頃だから、意味があるんじゃない! それにクレア達を早く助けないと、本当にゴブリンの孕み袋にされてしまうわよ。私達には、それだけ時間がないの。お分かり?」




 エリエルは、わざとらしく同意を求め、僕を急かした。




 少し寝起きで苛立っている神経を、逆撫でされ、内心が乱れる。だけれど、その乱れた内心とは裏腹に、言葉遣いは丁寧に話した。




 「そうですね。なら、早くまいりましょうか。お嬢様が暴力的になる前にね。」




 丁寧ではあるが、攻撃的な語気を彼女が受け取ったのか、こう返事をする。




 「仕方ないわ。ユウキは叩かないと前に進まない、馬の様な畜生なんですもの。昨日もチェルシーの鞭で打たれながら走っていた訳だし。」




 「なっ、鞭で打たれていたのは、エリエルもだろうが。」




 「フン。急がないと、次はお尻を打つわよ。」




 エリエルは人差し指を立て、その先でゆらりと火を灯した。




 その指を僕に近づけ、狙いを定めている。慌てて身支度を済ませ、キッチリと背筋を伸ばした。




 「準備出来ました。」




 危ない。もう少しで、尻を焼かれるどころか、穴まで炙られる所だった。そんな事をされたら、もはやゴブリン退治どころではない。一生涯、地べたに座れず、用を足す時に絶叫する事になるだろう。




 「冗談はともかく。まずは移動するにもこれからどうするか、それを考えましょう。」




 彼女は、冷や汗をかく僕を他所に、仕切り直した。




 それに応じる様に、僕も真剣な声色になる。




 「やはり手掛かりは、あの広場。あそこに何かあるかもしれない。」




 「それは危険よ。私達は一度、足を踏み入れている。万が一にも、広場に入ってしまったら、それで洗脳されてお終い。それに、あの広場に術者がいるよりも、この状況から考えるに、広場自体に魔法が掛けられていて、術者は別の所にいる可能性が高いわ。」




 先ほど立てていた人差し指。その指と他の指も広げ、指先から手のひらへと炎を移す。エリエルは自説と共に、その火を握り消した。




 その自説は確かに説得力があった。毎度、あの狭い広場に隠れ、見張り、誰かが二度侵入する度に魔法を掛けるとは到底思えない。即ち、あの洗脳は広場自体に掛けられている魔法だ。反論も余地もなく、正しい様に思える。


 だが、しかし僕はそれに反論する。




 「それは違うな。あの広場付近に術者は必ずいるはずだ。僕ならそうする。」




 「なら、ユウキが馬鹿なだけよ。あそこで毎回魔法を掛けるなんて、非効率なだけの無意味な行為をする訳がないわ。」




 「そうじゃない。僕が言っているのは、魔法はあの広場に掛けられているが、術者は、そこにいる。広場の先が最も安全な場所だからだ。」




 エリエルは眉をひそめた。




 「広場の先って、何もなかったわ。あるのは壁で、何もない……。」




 「そう、あの広場の先にある壁の向こうだ。」




 僕は考えていた。何故一度目ではなく、二度目なのか。魔法の負担を軽くするための制限でもあるだろう。だが、この制限は二度の侵入を想定してないと、絶対に設定しない。




 つまり、この魔法は仲間を助けるために引き返してくる事を想定している。そして、何故引き返してくるのか。もっと言えば、何故洗脳した者達を幽閉せず、野放しにしているのか。




 洗脳した者を隠した方が、御しやすいはずなのだ。目標を探し回らせた方が、消耗させる事ができる。さらに、洗脳した者を解放していれば、すぐに洗脳の存在を知られる事になり、警戒されるだろう。




 そう、わざと警戒させているのだ。わざと、洗脳の存在を教えている。




 一度奥地まで侵入させ、洗脳した者を見せ、対峙後に撤退。洗脳した術者の存在を気づかせる。




 では、この巣穴で最も安全な場所はどこか。




 それは、必然的に最も警戒しつつ、洗脳者との対峙を避けるであろう侵入者にとって、最も避ける場所を通らなければ、たどり着けない場所が最も安全なのだ。




 「あの壁の向こうが、最も侵入者が寄り付かない、安全地帯だ。だからこそ、術者はそこにいる。最も避けなければいけない、障壁として広場を設置しているからこそ、あそこにいるだけで、この罠は完成するんだ。」




 エリエルの方から、生唾を呑む音がした。




 「つまり、もしも看破したとしても、壁の向こうにいれば、侵入者は自ら洗脳されにくる。この巣穴自体が蟻地獄の様になっているのね。そして、二度の侵入をしなければ、術者の方へいけない。気づいた時には時すでに遅し、という事。」




 「否、攻略できる。」




 僕は自信ありげに笑った。が、エリエルは不服そうだ。




 「自分で言ったのよ。広場を通らないと術者の方へはいけないって。どうやって攻略する気?」




 「侵入しなければ良い。あの広場の地面に触れさえしなければ良いんだ。」




 「あのね、魔法はそんなお粗末なものじゃあないわ。空間に魔法がかかっていたとしたら、あの空間に入った瞬間に洗脳されるのよ。広場の地面に触れなくてもね。」




 「いいや、あの魔法は広場の地面に掛けられている。思い出してほしい、クレアが洗脳された時の事を。」




 クレアが洗脳されたのは、空間に侵入した時ではない。洗脳されたのは、地面につま先が触れた時だった。一瞬、身体が硬直し、僕に剣を投げた。もし、空中で洗脳されるのなら、宙に浮いたまま僕の首を狙ったはず。




 「つまり、洗脳は地面に触れさえしなければ、掛からない。そこが唯一の弱点だ。」




 エリエルの頬に、一滴の汗が流れる。




 「そうまでして術者が身を隠すのは、自身が死ぬと洗脳が解けるから。」




 エリエルの口角がひく付き、きらりと八重歯が見える。




 「……確かに十分に準備をしたら、攻略できる。」




 エリエルは座り込み、顎に手を置いた。




 「移動は中止よ。ここで、準備をしましょう。ゴブリン共を殺す準備を。」




 エリエルの目は虚ろになっていき、口は半開き。その口から唾液が溢れ、唇から零れ、胸に垂れても、それを拭おうともしなかった。そして、うわ言の様に、ブツブツと何かを言っている。




 それほどまでに、彼女は思考に集中していた。




 僕が何を言っても、エリエルには届かない。仕方なく、僕はその場に寝転がり、自分で出来る事をすることにした。




 僕のいた世界。その世界で、役に立ちそうなものを必死に思い出す。それが、この窮地を切り抜ける最大の鍵だ。




 この巣穴の見せかけの欺瞞に気が付いたとしても、クレア達に広場は守られているはず。それを切り抜け、二人を食い止め、エリエルが壁を破り、術者を殺せるかは、僕の魔法次第なはずだ。




 この準備が必ず命運を分ける。




 僕は今一度、思い出す事に集中するのだった。




 




 それから少しの時が立った。上から雫が落ち、僕の額に落ちる。「冷たッ。」と言ったその時、エリエルが興奮気味に話しかけて来た。




 「ユウキには、今から言うものを準備してほしいの。」




 エリエルはそう言うと、つらつらと要望を言い始めた。が、要望は一度に覚えるには余りにも多かった。




 「まずは武器ね。殺傷能力よりも制圧出来るもの。それと足止めが出来る罠の様なものも必要ね。それと——」




 「まっ待て。えっと、まずは武器、武器で、次は……。」




 僕は仕方なく、何度も聞き直し、彼女が望むものに当てはまるものを、出来るだけ一つ一つ生成していく。




 その過程で何度か家族を思い出し、吐き気がしたが、何とか飲み込んだ。




 巣穴の空気が暖かくなり始め、再び冷えた時、僕達の準備が完了した。




 僕の額には、いくつもの汗が大粒に成っていた。それを拭い、へたり込む。




 僕達は、生成した物を全身に身に着ける。ズッシリとした重みを感じ、足の骨が、地面につきそうな感覚を感じていた。




 「さぁ行こうか! クレア達を助けにね!」




 エリエルは大きな声で僕に話しかけ、手を差し伸べる。




 その声がこだまし、巣穴の奥に響いていく。その奥で、クレアとチェルシーが、響いた音を聞き、ニヤリとしたかもしれない。




 僕はその手を取り、緊張が混じった笑顔を作ったのだった。

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