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洗脳

 広場から鳴る音が、聞こえない。


 それほど、遠くまで離れたのだろうか。僕は周囲を確認し、辺りには水滴の音しか聞こえない。


 安全を確認した所で、僕は抱きかかえたクレアを下ろした。


 「おいっ、生きているか?」


 僕はそう声をかけ、彼女の胸に耳を当てた。すると、ドクン、ドクンと心臓が動いている。


 僕はそれを聞いて、緊張で堅くなっていた表情が緩んだ。


 「クレア、起きろ。」


 彼女の頬を軽く叩き、肩を揺する。


 「んっ。んんぅ。」と、彼女は寝言の様な声を発し、眉間にしわを寄せている。その後、すぐに気持ちよさそうな寝顔に戻った。


 僕はそれを見て、無性に腹立たしく思い、鼻をつまんだ。すぐに彼女は苦しそうな顔になり、突然目を見開いた。


 すぐさま僕の手を払いのけ、目いっぱい息を吸い込んだ。急いで吸い込んだからか、彼女はせき込み、自身の口を抑えている。


 「何をするの! 死ぬところだったじゃない!」


 そうやって、クレアは僕の顔を見るよりも早く、怒った。


 「気持ちよさそうに、寝ているからだ。チェルシーがあんな事になっているのに。というより、本当に死ぬかも知れなかったのだから、まずは感謝しろよ。」


 そう言って、彼女を諫めた。


 「あ、ユウキ。あなただったのね。そんな事より、外のゴブリンは倒せたの? まさか、逃げて来たんじゃないわよね。」


 彼女は訝しむ様な目で、僕を見ている。


 助けて貰って、よくもまぁその様な顔が出来るものだ。


 「倒したに決まっているだろ。クレアの方こそ、何で倒れていたんだよ。しかも、洗脳されたチェルシーの足元で、血まみれになってさ。」


 「そう! チェルシーが大変なのよ。ゴブリン共は倒したのだけど、チェルシーと再会して、それで……。」


 クレアは眉間にしわを寄せ、考え込んでしまった。


 彼女は、意識を失う前後の記憶がぼやけ、思い出せない様だった。


 僕はクレアから聞き取るのを中断し、エリエルの話、チェルシーの話など、ここまでの経緯を簡単に説明する事にした。


 クレアは黙って聞いていたのだが、チェルシーの話。正確には僕とエリエルの予想なのだが、それを聞く時だけは顔を歪めていた。


 「なら、早く戻りましょう。魔法がほとんど使えないエリエルには、チェルシーは荷が重いわ。」


 クレアは身体の向きを変え、広場に向け、歩き始めた。


 ここまでは、概ねエリエルの作戦通りだ。上手く行っている。だが、このままクレアと戻り、幻術を掛ける。だが、本当にそれでいいのだろうか。


 「いや、キングゴブリンの攻撃を一瞬ではあるけれど、相殺出来る程の魔法が使える。チェルシーの足止め程度は、わけないはずだ。まずは、チェルシーを元に戻す方法を考えなければ、チェルシーを救えない。」


 僕の反論を聞きながらも、クレアは足を止めない。


 「だからこそ、戻るのよ。エリエルが魔力に変換できる物質を、どれだけ持っているかはわからない。けれど話を聞く限り、ユウキの魔法と同等の威力を持っているのだとしたら、もうほとんど底を尽きているはずよ。」


 「それで、一時しのぎは出来ても、チェルシーは救えない。」


 「それしか選択肢が無いの。ユウキは魔法初心者で、加減なんて無理。それに、こんな所で、あんな威力の魔法を放ったら、この洞穴が崩壊して、生き埋めにされかねない。」


 確か、エリエルも似たような事を言っていた。


 「だから早く戻らないと、危険だわ。」


 そう言って、クレアは足を早め、血が染みた服の裾に泥が跳ねる。


 「幻術をチェルシーに掛けろ。」


 「え?」と、クレアが聞き返す。


 「だから、チェルシーに幻術を掛けるんだ。エリエルがそう言っていた。」


 「何で、それを早く言わないのよ! エリエルはそれを織り込んで作戦を立てていたのよ!」


 クレアは一層、泥を跳ねさせた。しかし、僕にはこの作戦に、一つの懸念があった。


 「ああ、エリエルはそう言っていた。だが、この作戦は幻術がチェルシーに懸かる前提の話だ。」


 「私が掛けられないとでも?」


 クレアは足を止め、振り返り、僕の胸ぐらを掴んだ。


 「そうじゃない。もし仮に、チェルシーが受けた洗脳が解けないなら、その上から幻術を掛ける事が出来るのか?」


 「当然出来るわ。どんな洗脳を受けていたとしても、幻術とは関係ないもの。洗脳された価値観の元、幻術を見せる事は出来る。」


 「じゃあ逆に、幻術の上から洗脳も出来るのか?」


 「何が言いたいの?」


 僕はクレアの手から服を剥がし、襟を整えてから言った。


 「そのままの意味だ。あの洗脳に術者がいるのであれば、クレアの幻術からすぐに逃れる方法がある事になる。つまり、このまま戻って幻術を上からかけても、すぐに、上書きされ、元に戻される可能性があるって話だ。」


 「だけど、このままではエリエルが危ないわ。だから、私に幻術を掛けさせたい。そうでしょう?」


 「だが、こうも言っていた。変装魔法で戦線離脱が出来ると。」


 「それは次善策でしょ。私がいるのだから、当初のまま行くべきよ。」


 「それが、出来なかった時の話をしている。チェルシーの額には、他のモンスターにもあった刻印があった。」


 「それは当然でしょ。同じ洗脳を受けただけ。同じゴブリンの巣穴の中にいたんだから。」


 クレアはそう言って、僕に手のひらを向けた。


 「その刻印はゴブリンには無かった。」


 「だから、当たり前でしょ。同属に洗脳する必要はないもの。」


 「じゃあ、あの刻印は誰が付けたのか。」


 「それは、当然ゴブリンの誰かよ。もう全部私が切ったのだけどね。それか、外にいたゴブリンのボスね。それも、ユウキが倒したのだから、術者はもう死んでいるわ。」


 クレアは、当然の様に言う。が、その発言が、僕に核心を持たせた。


 「なら、何で僕やクレアに同じ洗脳を掛けないんだ? それが出来る場面はあったはずだ。そうした方が楽に勝てたのに、そうしなかった。何故か?」


 これまで即答してきたクレアは、初めて黙り、顎に手を当て、考え込んだ。


 その黙ったクレアを他所に、僕は続ける。


 「つまり、掛けられなかった。掛けられる人が他にいる可能性が高い。そして、それは広場限定なのかもしれない。」


 先ほどまで、考えこんでいたクレアが口をはさむ。


 「それは飛躍しすぎだわ。ユウキの話では、私達に洗脳しなかったからと言って、術者が存在して、ましてや広場限定なんて馬鹿げている。可能性としては複数体でしか発動出来ないのかもしれないし、不意打ちで死んでしまったかもしれない。ユウキの話は根拠が薄いわ。」


 「あそこは、ゴブリンの死体の数が異常だった。クレアが言う様な事なら、広場をそこまで厳重に警備されている理由は、何故だ。」


 そう、僕達がここまで見たゴブリンの死体は、ポツポツとあったが、山の様に積み重なっていたのは、あの広場だけだった。


 キングゴブリンが、種の脅威である僕と戦闘しているにも関わらず、何故ここに兵を集めているのか。その者達が死ねば、打てる火の玉が増え、キングゴブリンは僕に勝てたかもしれなかったのだから。


 あの狡猾で姑息ではあっても、決して愚かでも、馬鹿でもなかった。


 利があれば、どんな事でもするキングゴブリンが、理由があって行わなかったのだ。


 つまり、それを行う事が出来ないのだ。


 それがゴブリンという種の急所ならば、行わないのも理解できる。


 「つまり、ゴブリンのボスはキングゴブリンではなく、洗脳を行う事が出来る奴だ。この洗脳を掛けられる人物が死ねば、子が増やせないのだとしたら、この不合理な行動にも、理由はつく。」


 そこまで僕の話を聞き、クレアは頭を傾げた。


 「もしも、ユウキの言う通りなら、その広場に入った時点で、洗脳されちゃうんじゃない? ユウキも私も何もされていないのは、おかしいよね。特に私に至っては、失神していたのだから。やっぱりユウキの推論は、不完全よ。」


 そう言い、また広場に向かう。仕方なく、そのすぐ後ろから、後を追った。


 僕はクレアの物言いに、反論できなかったのだ。彼女の言う通り、僕達がここにいる時点で、僕の推論は間違っている。


 しかし、何処か引っかかる。何か一つ足りないものがある気がして、ならないのだ。


 「ただ、あの広場が特別な何かであるのは確かだ。警戒して、安易に飛び込むのは危険だよ。」


 「わかっているわ。広場に入るのは一瞬だけ、洗脳をする隙すら与えないわ。それから、外に誘き出してから戦闘に持ち込むのよ。」


 クレアは更に早く走る。僕との距離が開きはじめ、あっという間に広場に着いた。


 僕は何かに引っ掛かりながらも、足を速め、広場には少し遅れて着いた。


 広場では、服を少しずつ剥がされ、辛うじて致命傷を避け、耐えているエリエルがあった。そして、エリエルの服の切れ端を握り、恍惚とした顔をしているチェルシーも姿も見える。


 「エリエ——」


 僕がそう言いかけた時、クレアは広場の外から飛び上がり、一瞬にしてチェルシーと距離を詰め、切りかかる。——その時だった。


 クレアが広場に足を着けたその時。おでこが光り、チェルシーと同じ刻印が刻まれた。


その瞬間、僕の頬に何かが掠めた。


 頬が熱を帯びる。次第に何かが伝う。


 僕はその温かい液体が何なのか知っていた。鉄の臭いが辺りを包む。


 僕のすぐ横にある、武骨な柱にクレアの刀が刺さっていた。


 「残念、ハズレ。頬じゃなくて、首なら真っ二つだったのに。」と、クレアの声が、広場に響いた。


 クレアは次第に恍惚とした表情に変わり、頬を染め、歪んだ笑顔でこう言う。


 「男なんていらないわ、ゴブリン様に献上できるのは女だけなのよ。」


 その下卑た笑顔は、キングゴブリンにそっくりだった。


 


 僕はこの時、頭の中で引っかかっていたものが解けた。


 洗脳に必要なのは、広場への二度の侵入なのだと。


 しかし、気づいた時には、何もかもが遅かったのだ。


 


 

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