表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/13

待ち人

 キングゴブリンを撃破した後、僕は緊張が一気に解けたからか、虚脱感に襲われていた。それもそのはず、初めての魔法の発動で、長時間の使用かつ、一瞬の隙も見せる事も出来ない、張り詰めた緊張。それらから一気に解放され、これまで溜めた疲労を感じるのも、無理はなかった。


 呆然としている僕に、エリエルは腰に手を当て、見下ろす。


 「何、呆けているの? 早くクレアの後を追わないと危険よ。ゴブリンの巣穴に向かったんでしょ?」


 彼女は、キングゴブリンの業火を上手く相殺したのか、手足と背中の一部に、軽い火傷程度の負傷で済んでいた。


 「そうだけど、少し気が抜けて、力が入らないんだよ。」


 「せっかく、華麗に倒したというのに、恰好が付かないね。」


彼女は僕を一瞥すると、ゴブリンの巣穴の方に、歩き出した。


 「おいっ、待てよ。一人じゃ危ないだろ。」


 「そんな休んでいる時間はないの。私が牢屋から抜け出した事を知れば、街の住人が追ってくる。そうなれば、クレアは助からない。」


 僕は、巣穴に向かうエリエルの背中を追った。


 「待てよ、僕も行くから。一人じゃ危ないだろ。」


 「そう。抜けた気は、戻ったの?」


 エリエルは、こちらを見ずに答えた。


 「素直にお礼も言えないなんて、不自由な人だね。」


 「そんな事、全てが解決したら、いくらでも言ってあげるよ。まだ気を抜くべきじゃないってだけよ。」


 「確かにな。」


 僕は何となく、大きなものを成し遂げた気でいたが、実のところ、何も進展していないのだ。本来の目的から逸れ、モンスターを倒しただけだ。


 目的である、チェルシーも、この街の源泉の消失原因も、消失させた真犯人も、何もわかってはいないのだ。


 僕は背筋を伸ばし、深く息を吐いた。


 「じゃあ、行こうか。」


 僕は、緩んだ顔を再び引き締めた。


 「少しは、マシな顔になったわね。」


 「マシってなんだよ。さっきもいつもと同じだったろ?」


 エリエルは首を横に振る。


 「さっきまでは、緩み切った、腑抜けた顔をしていたわ。」


 「それは言い過ぎだろ、少し休んでいただけじゃないか。」


 そんな反論をするが、エリエルは鼻で笑った。


 「それは、どうだか。ユウキは十年で何も成長していない様だからね。」


 「主観的には、一瞬だったんだ。それに、成長していなくとも、僕はここでやめる程、無責任な人間じゃないよ。」


 彼女は、豆鉄砲でも食らったかのような顔をし、少し考えてから、頷いた。


 「確かに、そうね。ここまで付き合ってくれただけでも、お礼を言うべきなのかもしれないわ。」


 そう話している内に、僕達は巣穴の目の前に立っていた。


 「ありがとう。そして、さようなら。ここで見捨てたあなたは、責任感のある、正しき人だわ。」


 「何で、そうなるんだ! 最後まで付き合うって言っているのに!」


 そう言うと、彼女の後を追う様に、巣穴に入った。


 巣穴の入口が小さくなった頃、僕がエリエルに追いついた。すると、彼女は僕の方に振り返る。


 「ついてきたってことは、覚悟が出来たのね。」


 「ああ、最後まで付き合ってやるよ。」


 高らかに声を上げるエリエルに、僕は深く頷く。


 「そう、死ぬ覚悟があるのよね! 私の盾を買って出てくれるとは、何て懐の深い人なの。安心して逝ってね。」


 「そんな覚悟はねぇよ!」


 僕の怒鳴り声が、こだまする。やっと、声が止んだ頃、彼女は口に指を立て、僕を睨みつける。


 「静かにしなさい。ここはモンスターの巣穴だった場所。何が出てきても、おかしくないんだから。」


 「いや、エリエルのせいだろ!?」


 「行動には責任が伴うものよ。ユウキが無責任でないのなら、大きな声を出したという結果も、あなたの責任として受け入れるべきだわ。」


 自分を棚に上げて、なんという言い草だろうか。


 「しかし、エリエルは変装で迷惑を掛けても、責任なんか取らないじゃないか。」


 そんな僕の指摘を受けるが、エリエルは当然の様に言った。


 「私は無責人な人間だから、それでいいのよ。私はいかなる責任からも、逃げ続けるの!」


 人として、それでいいのだろうか。よくもまぁ、そんな無責人な発言を、堂々と口にできるな。と、感心すらしてしまいそうになる。


 ——グジョル。と、下の方から音が鳴った。


 液体を多分に含んだ、何かを踏んだのだ。僕は足元から伝わる、柔らかな感触。     その正体を、僕はすぐに知った。


 その踏んだものに足を滑らせ、地面に手を着いた。その時、手にも同じ様な柔らかなものが触れたのだ。


 手には、ネットリとした液体がまとわりつく。その泥の様な感触を不快に思い、手を顔に近づけた。


 赤黒い手。所々に軟組織の様なものが付着し、強烈な鉄の臭いの奥に、生臭さが


 潜んでいる。それが鼻を突いた。


 僕はむせながら、踏んだものを確認する。


 潰れた肉片。それは、僕の靴の底と同じ跡がつき、赤黒い液体に浸っている。よく見ると、その肉片の下には白濁液が固まっている。


 辺りを注意深く確認すると、沢山の肉片が、撒き散らしたかの様にあった。


 「……気持ち悪い。」と、そんな言葉が、ついつい、口をついて出ていた。


 「ゴブリンの肉片が、混じっているわね。クレアがやったのかしら。切り口が鮮やかだわ。」と、エリエルは、冷静に分析し、推論を立てていた。


僕は、そんなエリエルに構う事なく、嗚咽していた。が、今日は何も口にしていないので、何も吐けなかった。


 この生臭い臭いが、ある日の母親の浮気相手が、僕に寄越した、使用済みのそれを思い出させ、吐き気を催させるのだ。


 「情けないわね。さっき、こいつらの親玉を殺していたのに。」


 「いや、この肉片もだけど、その下にあるものが、気持ち悪いんだ。」


 「ああ、それはゴブリンの巣穴だもの。彼らがメスを攫い、洗脳するのは、繁殖が目的なのよ。そもそもゴブリンは、それだけの為に、生きているかの様なモンスターだからね。」


 つらつらと解説するエリエル。その解説が、さらに僕の気分を悪くした。


 その様子を見て、エリエルは言う。


 「ここに来るまでにも、こんな感じの液体は、そこら中にあったわよ。気づかなかった?」


 「気づいていたなら、早く言ってくれよ。触ってしまったじゃないか!」


 「そんな事言われても、ゴブリンの巣なんだから、言われなくても、想像つくはずでしょ。」


 そう言い、エリエルは再び歩き出した。


 「早くしないと、置いていくわよ。この量の肉片があるとなると、クレアが近くにいるかもしれないわ。」


 「ちょっと、待ってくれ。」


 僕は記憶と共に、せり上げる胃液を、必死に抑え込んだ。


 「早くしてよね。」そう言って、先を急ぐエリエル。その後を速足で追う。所々ぬかるんだ地面に、足を取られながらも、やっとのことで、エリエルに追いついた。


 「いきなり、立ち止まって、どうしたんだ?」


 そう、問いかけるも、返事はない。


 「何か見えたのか?」


 やはり、エリエルは返事をしなかった。


 僕は仕方なく、彼女の横にまで歩いていき、エリエルの目線の先を見る。


 そこには、開けた広場があり、夥しい数のゴブリンや、様々な種類のメスが山になっていた。


しかし、僕を凍り付かせたのは、そんなものではない。その先にあるもの。広場の中央にいる、二人の女性だ。


 一人はシスター服が赤く染まり、血の海に倒れている。それを見下ろしている裸の女性。


 その二人は、間違いなく、クレアとチェルシーの二人だった。


 そう、僕が探していた、二人の無残な姿だった。


 僕は、その異様な二人を見た瞬間に、声を上げる。いや、上げようとした。それを察したエリエルに、口を塞がれた。それと同時に、横にある、ゴブリンの死体の山。その陰に押し倒された。


 「静かにして、気づかれる。」


 エリエルは小声で言った。僕はそれに頷き、塞がれていたエリエルの手を、二回叩き、合図した。


 そうして、エリエルの手が離れるや否や、僕はエリエルに聞いた。


 「なんで隠れるんだ。クレアがあそこにいるのに。」


 「チェルシーの額の刻印を見ていないの? あれは、ゴブリンの洗脳の印よ。あれを受ければ、心身共にゴブリンに忠誠を誓い、死ぬまで尽くすの。今のチェルシーに見つかれば、襲い掛かって来るわ。」


 「なら尚更、クレアを助けなきゃいけないと。あそこにいれば、危険だ。」


 エリエルは、死体の山の陰から、向こう側を見て、チェルシー達の様子を伺っている。


 「冷静になりなさい、クレアがあそこにいる理由を。」


 「なんだよ、それ。」


 エリエルは、観察からこちらに戻り、目線を合わせ、手を握り、言い聞かせる様に言った。


 「察しが悪いわね。良い? チェルシーは私達が来る前から、ああしていた。つまり、クレアは、私達をおびき出す餌の可能性がある。そうではなくても、ずっとああしているなら、今の所、クレアには危険が無いってことよ。」


 「……なるほど。」


僕は顎に手を当て、納得したかの様に頷く。しかし、何処か引っかかる。


 「それと、もう一つの可能性。最悪で、一番可能性が高いのが—」と、エリエルが言いかけるより、少し早く、僕はその可能性を思いついていた。


 「クレアが既に死んでいるかもしれない。」


 それは、エリエルと同時に言っていた。


 僕は、自身が発した、言葉の意味を理解するのを、一瞬遅れた。


 その間にエリエルが、こう提案する。


 「まずは、安否の確認よ。決めつけるのが、一番いけない事よ。冷静にね。」


 しかし、その冷静な提案は、僕の耳には届いていなかった。僕にあるのは、クレアが死んでいるかもしれない。その事だけが、何度も思考に入り込み、考えがまとまらない。


 次第に呼吸を早め、息が苦しくなる。その苦しさを解消しようと、更に激しく吸い込むも、吸い込んでいない様に、感じた。


 揺れる意識の中で、遠くの方で、エリエルの声がする。「深呼吸をして。息を整えるの。」僕は、かろうじて、それを理解した。


 息をゆっくりと吸い込む。ゆっくり吐く。すると、いつの間にか、強張っていた全身の力が抜けていった。落ち着きを取り戻し、思考が戻って来る。その頃には、ハッキリと、エリエルの言葉を捕える事が、出来る様になっていた。


「……それで、どうする? このままじゃ、気づかれるのも、時間の問題だぞ。」


「私が囮になるわ。ユウキはその間に、クレアの安否の確認、救出して。」


 「大丈夫なのか? 僕が囮になっても、良いんだぞ。」


 「いや、それじゃあ駄目よ。私なら、変装で、いつでも逃げ出せる。それにユウキの魔法じゃあ、この狭い空間では不利よ。それに、攻撃的過ぎて、チェルシーが死んじゃうかもしれない。」


 エリエルは真剣な眼差しで僕を見つめ、僕の両の頬を、両手で包み込む。


 「だから、あなたにかかっているわ。クレアが生きていたら、起こして、チェルシーに幻術を掛けて。死んでいたら、その死体と共に、一度引きましょう。」


 「……引き返して、どうするんだ?」


 僕は生唾を呑む。その飲み込む感覚が、違和感として喉に残った。


 「一か八か、私が生き返らせる魔法を習得を試みるわ。」


 「それが出来なかった時は——」僕は、その先を言う事が出来なかった。その最悪な未来を言葉にしたならば、現実になってしまいそうな気がしたからだ。


 その可能性が高ければ、高く感じる程、そんな気になる。


 外も、この中も、負の魔力に包まれている。そんな中での魔法の習得は、不可能に近いのだ。魔法を発動させるのでさえ、魔力の生成から始めなければならない。それに加え、意志を保ち、自身の身体を開発し、体得するのは、更に難しくなる。例え、それらが成功したとしても、生命力の代償は大きいはずだ。


 だからこそ、僕はこう言った。


 「大丈夫だ。クレアはきっと、生きている。生きているよ。」


 少し間を置き、エリエルも口を開く。


 「そうね。それに掛けましょう。」


 僕達は死体の山に張り付き、お互いに顔を見合わせた。互いに頷き、合図を送る。その後、エリエルが先に飛び出した。


 「やあ、待たせたわね! ご機嫌はいかがかしら?」


 エリエルのその大きな声は、巣穴中に広がり、反響した。


 その後の長い沈黙の中、チェルシーが口を開いた。


 「……貴様など待ってはいない。エリエル、貴様もゴブリン様に献上する。」


 「何て聞き分けが良い女なの、チェルシー。ゴブリンのハーレムの一端に成り下がるなんて。どうせ、ハーレムに入るのならば、ユウキのに成ればいい。そこのクレアと親子共々、彼の相手になるがいいわ。」


 おい、適当な事を言うなよ。と、思っていた時、チェルシーは語気を粗目に、エリエルに返事をする。


 「気持ち悪い事を言うな。あの男に何が出来ると言うんだ。部屋に散乱したクレアの私物に、興奮しておきながら、私には何もしない男だぞ。そんな腑抜けよりも、男らしいゴブリン様の元にいた方が、幸せだろうが。」


 お前もひどい言い草だな。それは洗脳されているからなのか、どっちなのだろうか。と、そこまで考えていたが、僕は自身の役目を思い出し、死体の山を移動し、チェルシーの背後にまで、回り込もうと、移動する。


 エリエルは、さらに会話を続けた。


 「そんなケダモノが好みなの? 趣味が悪いわね。確かに、ユウキの物は逞しくはないけど、努力はしているのよ。」


 お前は何でそんな事まで知っているんだ。


 と、そこまでエリエルが話した時、チェルシーは声を荒らげた。


 「うるさい! 貴様の話など聞かない。私はここにいるのが幸せなのだ! 誰の言う事も聞かない。それ以上口を開けば、貴様を八つ裂きにするからな!」


 チェルシーは獣になったかの様に、涎を垂らし、睨みつける。


 「いいえ。黙らないわ! あなたが苦しんでいるのは、ゴブリンの洗脳の刻印のせいなのだから。だからこうして——」


 そこまで言いかけた時、チェルシーはエリエルに飛び掛かった。


 その隙に、一人になったクレアを抱え、僕は戦線を離脱した。


 広場を背にした僕は、背後から聞こえる、衝撃音や声などが入り混じっている騒音を、聞かない様に、離れたのだ。


 その音が聞こえないくらい、遠くに退避するまで。


 その音を、聞こえない振りをした。それを自分に言い聞かせたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ