偽りの聖女は救わない
「聖女様、お客様がお待ちです」
「そう、すぐにいくわ」
そういえば、面会の時間だったことを思い出しました。
私はそれまで眺めていた書類を机に置き、応接間へと向かいます。
応接間には、騎士団長がすでにいらっしゃいました。
「ごきげんよう、団長様」
「ああ、聖女も体調には問題無いようで何よりだ」
彼の表面だけの心配を受け取り、目を笑みの形へと動かします。
嘘ですね。体調を崩していてほしかったという落胆が伝わります。
「お菓子などいかがですか?」
団長への最低限の礼儀として、お菓子を机の上に置きます。
もちろんお菓子は買ってきたものです。こんなやつに自分の手料理をふるまうことなんてするものですか。
そして、この地位についていればお金は入ってくるものなのです。
「それではいただこうか」
団長は自分の部屋のようにソファに座りながら、お菓子を口に放り込んでいきます。
――私にはそう見えるというだけです。団長は外聞などというものを気にしまくるので、他の方から見ればお行儀がいいように見えるのでしょう。
しばらくたって、団長は「喉が渇いた」というように食べるお菓子のジャンルを変えました。
これを無視することもできますが、それでは聖女としての品性が疑われてしまうでしょう。放置すれば後々ぐちぐち言われる未来が見えるようです。
……はぁ。面倒くさいですが、お茶を出すことにしました。
後ろに控えるメイドをハンドサインで呼び寄せます。
「お茶を出して差し上げて」
すぐに紅茶の入ったカップがでてきます。ソーサーが団長の敵対勢力の象徴色なのは、私のせめてもの抵抗です。
お茶とお菓子がひと段落つくと、団長が紙束を差し出してきました。
メイドによる検閲を終えると、私の手に渡ります。
この男、過去に触れると麻痺する毒を塗っていた前科があるのです。
紙束の一番上を見ると、付箋が貼り付けられていました。
「体調崩したら娘と代われ」
――そうですね、こいつの野望はそれですものね。
気にせず、下の紙束を読み進めます。
内容は、今度執り行われる「聖水の儀式」に関するものです。
聖水を生成する儀式なのですが、私がすることは水に力を込めるふりをすること、それだけです。
「どうだ、やれそうか?」
「私がやる以外に何かあるのですか?」
「ならいい。内容は理解したか?」
「そうですね。力を注ぐだけですしね」
団長は少し顔をしかめると、そのまま無言でうなずきました。
そして、退席するときに私にだけ聞こえる声でつぶやきました。
「この偽物聖女が」
――そう、私は本物の聖女ではないのです。
◇ ◇ ◇
馬車の窓の外には、長閑な田園の風景が広がっています。
空は明るく、雲が適度に太陽を隠して涼しくしているようにみえます。
なのに私の気分は真っ暗。
――すべてはこの役のせいです。
私は偽物の聖女。
予言された聖女は別にいます――が、その聖女は働く気がないそうですね。
曰く、上級貴族だから働かなくても生きていけるのだとか。
いや働けよ、と思ってしまいます。
でも、この役をやめるわけにはいきません。
やめても戻るところがないからです。それに、元聖女が国内にいてもいいことなんてないでしょう。追放される未来しかみえないのです。
長く続く道を走っていると、向こうのほうに跪いている親子が見えました。
横に貢物らしきものもあるので、確実に聖女に頼みごとをするつもりでしょう。
「違う道で行って」
すぐさま御者にそう命令します。
仕方がないのです。
いくら助けたくても助けることなどできません。
私は偽物の聖女。世間一般で言われているような力は何も持っていません。
それに、のちのち聖女と交代することになった時のことを考えると、個人的に顔や声が知られてしまうのは困るのです。
今のところそんな予定は、私にも彼女にもありませんが。
目的地は、とある田舎の農村でした。
馬車から降りると、子供があぜ道を走り回っているのが見えます。
どうやらこの時期になると毎年疫病がはやるそうで、それを止めるために聖水を作ってほしいということだそうです。
もちろん私に聖水を作る力はありません。
だから、他の場所でとれたきれいな水と入れ替え、力を込めるふりをするだけの仕事なのです。
村の入り口をくぐると、そこには住民全員が跪いていました。
先ほどまで走り回っていた子供たちも、全員。
――彼らは思いもしないでしょう。目の前の聖女が何の力も持たない下級貴族だとは。
内心そんなことを思いながら、よそ行きの微笑みを貼り付けます。
「歓迎してくださりありがとうございます。さっそく儀式を始めましょう」
ヴェールで顔を隠し、マスクをつけて声を曇らせます。
完璧な聖女のできあがりです。
村人の用意した水かめをこっそり回収し、同じかめに入った別の水とすり替えます。
周りから好奇の視線が向けられる中、私は儀式の開始を宣言しました。
やることは多くありません。
まず、すり替えたかめへと手をかざし、なにやら込めていそうな雰囲気を出します。
そして、補佐役が村人から見えない位置に「どらいあいす」を置くのです。
この「どらいあいす」は最近隣国から輸入されたもので、私たちの目に見えないものを固めたものだそうです。
隣国では建物ほどの大きさだったものが、この国に運ぶと手のひらサイズになってしまうため、とても高価な代物です。
――よく偽物の聖女にそれだけのお金をかけられますね。
タイミングよく「どらいあいす」を袋にしまい、聖女が力を込めたように見せかけます。
すると……ほら、村人が畏怖の目でこちらを見てくるのです。
これで、私の役目はおしまいです。
さっさと馬車に乗って帰路につきます。
なにかあってはいけないですから。
◇ ◇ ◇
応接間に呼ばれると、そこには団長が座っていました。
「どうされましたか?」
「どうしたこうしたもない。このまえ聖女が出向いた農村で、今年は病に倒れる人がいないそうじゃないか」
「聖水を与えましたからね」
私がそう言うと、団長は机に大きく手をつき立ち上がりました。
「お前に聖水を作れるわけがないだろ!」
――いや、あれは聖水ではありませんからね?
「あの病は汚染された水が原因でした。汚染されていない水を使っていれば、病にかかる心配はありません」
「そんなはずはないッッッ!聖水を作れない聖女は交代して、娘が本当の聖女として君臨するんだ……!」
そう。団長はいかに私を聖女の座から引きずり降ろして「予言の子」である娘を聖女とするかに腐心しているのです。
「そういいますけれど……あなたの娘は聖女を望んでいませんよ?それに、聖水を作れない聖女が病人を出さないことに成功しています」
団長は大きく目を見開くと、好戦的な顔を見せました。
――どうやら、団長のあがきはまだ続くようです。
私は、これからも周りの嘘を背負って生きなければなりません。
ふと空を見ると、黒い雲の隙間から明るい光が差し込んでいました。