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緑青島の殺人  作者: 髙比良実
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晴天の霹靂

1992年10月某日、小説家岸辺の元にとある招待状が届く。その差出人は、かつて人気映画の主演俳優として名を馳せた道源兼光。かくして彼が住む孤島、緑青島で開催される誕生日会に参加することになった岸辺と編集者三宅だったが、島に到着して早々当人から本当の招待理由を告げられる。それは、2年前にこの島で発生した未解決事件で亡くなった妻雪子の死の真相を探ることだった。



扉が叩かれる音がした。開けた扉の隙間にいたのは、先生。


「おはようございます。もう起きていたんですか。珍しいこともあるもんですね」


時刻は午前七時二十分—朝食の時間までかなり時間がある。


「ああ、昨夜はぐっすり眠れたから」


先生がこの時間に起きているなんて。昨夜一睡もせずに朝を迎えたと云われる方がまだ納得ができる。しかし、紺のYシャツの上から濃緑色のカーディガンを纏ったその佇まいからは、二日酔いの影響をまるで感じない。


「それで、こんな朝から一体どうしたんです?」


「少し話をさせてもらっていたんだよ」


答えたのは、扉の隙間から顔を出したご主人だった。


「よく眠れたかい?」


兼光はパイプを片手に穏やかな調子で云った。


「はい、おかげさまで」


「それは良かった。さっそくなんだが、昨日の話をしたいから、用意ができたらシアタールームに来てくれないか。場所はダイニングルームの隣だから」


三宅が返事をすると、主人はまたぞろパイプを銜えて廊下を歩いて行った。


部屋の中へ戻った三宅に続いて、岸辺も安楽椅子に腰掛ける。


窓辺に立った三宅は、水滴のついた窓を拭いた。昨夜から降り始めた雪は深夜にかけてさらに勢いを増したようで、外界は既に白一色に染められていた。積りに積もった雪は、とうに膝の高さまでを埋めてしまう程に見える。降りやむ気配は未だない。


「雪、かなり強まりましたね」


「ああ、この猛雪では警察の到着もかなり遅れそうだ」


岸辺は窓の向こうの銀世界を眺めながら、煙草に火をつけた。


「ご主人とは何を話していたんですか」


「別に、昨日の話の確認だよ。話の続きはこれからさ」


三宅はバッグから着替えを取り出す。


「先生はあの手紙、どう思います?雪子さん殺害の動機としては、やはり遺産狙いなのでしょうか」


「主人の話を聞いた限りだと、雪子氏は恨みを買うような人では無かったようだし、道源家のような富豪一族内の殺害動機としては、遺産狙いという可能性が高い。だが、遺産狙いなら主人をまず狙うはずだろう」





一階に下りた二人は、昨夜夕食を摂ったダイニングルームの前を通り過ぎ、シアタールームの前で止まった。扉の前には多田が立っており、二人に向かってお待ちしておりました、と一礼をして扉を開ける。


小学校の教室程の大きさのその部屋は、帝国劇場をそのまま小さくしたような瀟洒な雰囲気で、五×五の計二十五個の臙脂色のシートが並んでいた。縦五列のシートは奥に行く毎に一段高くなっており、階段状になっている。防音壁の上方では、等間隔につけられた黄金色の照明が煌々と輝いている。そして、席の向かいの壁一面を埋めたスクリーン。まさに、劇場を様式そのままに縮小したような部屋だ。


「やあやあ、朝早くから悪いね」


主人は前からも横からも三列目の、丁度正方形の中心に位置する席に座っていた。


主人の右隣に座った岸辺の後に続き、三宅は右端の席に腰を下ろした。


「いえいえ、しかし何故ここなのですか?」


岸辺が尋ねた。


「誕生日の朝にはいつも、ここで映画を鑑賞することにしていてね。それにここなら、他の誰かに話を聞かれてしまうこともないだろう。君達にした依頼や、昨日の手紙についてはまだ誰にも話していないんだよ。君たちはあくまで、取材でこの島に来たと云うことになっているから」


「成程。しかし、こんな立派なシアタールームとは思いませんでしたよ。本当の劇場と何ら遜色ないです」


岸辺越しに主人の方に顔を向け、三宅は興奮気味に云った。


スクリーンが面した壁一枚を隔てた裏側は廊下になっており、スクリーンの左右にはそれぞれ出入り口がある。先程通った左出口からはダイニングルームや中央ホールの方に出ることができ、右の出入り口に出るとすぐに二階に繋がる階段がある。実際の映画館と同じように、通路口は一度九十度に折れることで、扉が開いても外の光が差し込まないような構造になっている。


多田は、階段を上がって客席後方の映写室へと歩いて行く。

主人は上機嫌な様子で朗らかな笑みを浮かべる。


「そうかい、なら良かった。拘った甲斐があったよ。前までは雪子や俊典、隆平も一緒に映画鑑賞をしていたんだがね・・・。ここ数年で息子達も飽きてしまったらしくて」


「飽きてしまった・・・とは、どういうことですか?」


三宅の子供のような質問の応酬を宥め、主人はパイプを吹かした。


「まあ、見ればわかるよ。もう始まるから」


やがて、部屋全体の照明が明度を落とし、劇場特有の緊張感のある静寂が生まれた。


主人は微笑を浮かべたまま、視線を正面のスクリーンに戻す。


その途端背後の映写機から放たれた光線が暗闇の中を走り、スクリーンに映し出された。


朧げな色調で構成された、ノイズ混じりの味のある画面。波の打ち付ける岩を背景に配給会社のロゴが映し出され、再び暗転した。その後間もなく、連続的な大太鼓の音と共に画面に映し出されたのは、提灯と燃え盛る江戸の町。この作品は見覚えのある———主人道源兼光がかつて主演を演じていた、あれだ。


「おお、これは」


三宅は高揚気味に呟く。


彼の名を世に知らしめるきっかけとなった時代劇ドラマ、『大江戸惨殺譚』。その劇場版のフィルムのようだ。


「ああ、毎年この日の朝には家族でこれを見るのが決まりだったんだよ。役者の道を退いた決断に悔いはないが、この作品は特に思い入れがあってね」


このドラマは道源寺鳳史演じる主人公、豆太郎が大江戸に蔓延る悪を成敗していくと云う物語なのだが、世間で人気を博した大きな要因は、豆太郎と二人の女性、滝と廉を取り巻く恋愛要素だった。豆太郎が働く万屋の店主の娘であり、幼馴染である滝と、豆太郎に敗れた悪代官の一人娘である廉。初めは滝と順風満帆な道を歩んでいた豆太郎だったが、中盤から登場する廉によって二人の恋路に暗雲が立ち込める。父親の仇として豆太郎への復讐を誓った廉だったが、忍び込んだ万屋で謎の爆発に巻き込まれ、瓦礫に押しつぶされていたところを豆太郎に助けられたことで、彼に対して相反する二つの感情を抱くことになる。物語が進むごとに二人は徐々に距離を縮め、終盤では江戸から遥か遠くの孤島に幽閉されてしまった滝を救うために共に旅に出る。そして、最終決戦の末滝を救い出した豆太郎は、どちらか一人を選ばないといけない苦渋の選択を迫られることになる。今思えば一笑に伏してしまうような滑稽な設定なのだが、当時の視聴者は手に汗握りながら、豆太郎の決断を見守っていたらしい。また、奇抜なタイトルとは違って残酷な描写はそこまでなく、老若男女楽しめる作品だ。


「では、私は朝食の用意に行って参りますので、終演後にまた」


映写室から階段を降りてきた多田は主人にそう呟くと、左側の扉から出て行った。


「おお、来ましたね。相変わらず二枚目ですね」


三宅は画面に視線を釘付けにしながら呟いた。


小賢しげな瞳に、丸々と肥えた贅肉。典型的な姿をした悪代官が、行燈に照らされた大量の小判を眺めながら、下卑た笑みを浮かべている。裏取引の現場だ。突然、緊迫したBGMと同時に障子の裏に人影が映る。それに気づいた悪代官の誰何する声。


開かれた障子から逆光と共に姿を見せたのは、豆太郎————若き日の道源兼光だ。


幼少期の記憶の中のそれよりも遥かに精悍な顔つきで、思わず心臓の鼓動が早くなってしまいそうなほどの二枚目振りだった。主人の顔に目を向ける。やはり、そこには画面に映る美青年の面影がありありと残っている。


「流石の名演です」


岸辺は横に座る主人に向けて呟く。


「それはどうも。この時は確か—二十九歳の頃だったかな。この一年後に雪子と結婚して役者業を退くことになったのだが、この頃の私はまだそんなこと知るよしもなかったよ」


そう云って主人も視線を画面に戻す。


何人もの侍に囲まれ、漸く豆太郎が刀を抜いたかと思うと、目にも見えぬ早業で敵の喉笛を的確に切り裂き、一瞬の隙も与えることなく始末していく。


そうして部下を一掃した豆太郎は、腰を抜かして後ずさる悪代官に刃の鋒を向けた。


「どうして、突然役者業を引退することになったのですか」


岸辺は尋ねた。


「それは少し話が長くなるな」


場面は暗転し、—。


「あれ、暗転長くないですか」


暗転して約二十秒が経過。本来であれば、次の場面が映されているはずだが、未だにスクリーンに映像は映し出されない。シアタールームは一切の光源を失い、殆ど完全な暗闇に包まれていた。


「おかしいな。最近あまり使っていなかったから、映写機の調子が悪いのかもしれない」


左方から主人の困り果てたような声が聞こえる。


「故障ですかね。一度照明をつけましょうか」


岸辺が提案する。


「いや、少し待っていてくれ。映写機を見てくる」


そう云って主人が立ち上がりかけた時、再びスクリーンに光が灯った。


映し出されているのは、いつもの万屋。暗転直後のシーンのようだ。


「おや、大丈夫みたいだな」主人はふうっと一息ついて腰を下ろす。


「あ、来ましたね」三宅の視線は既に画面に戻っていた。


任務から戻ってきた傷だらけの豆太郎の元に駆けつけた店主の娘、滝。


それを演じているのは、若き日の雪子氏だ。二年前までここで暮らしていたという引退後の彼女がどのような容姿をしていたのかは分からないが、さぞ麗しい女性だったのだろうと容易に推測できるほど、画面に映る雪子氏の美貌は圧倒的だった。


「私と雪子はこの作品で初めて出逢った。そこで彼女に一目惚れしてしまってね。猛烈なアタックの末彼女も受け入れてくれたよ。そうして私達は深く恋に落ちた。それはもう、今後の役者人生すら捨て去ってしまってもいいと思うほどに。しかし、私達の結婚の障壁となった問題が他にあった。それが彼女だ」


「えっ」


画面に映ったのは、亡骸となった悪代官に身を寄せる一人娘、廉だった。


「確か、青柳さんですよね。彼女と何かあったんですか?」


三宅は画面と主人を交互に見遣る。


「『青柳加那』、それは役者名だな。—恥を承知で話そう……この頃の私は遊び好きだった。酒に女、それにクスリにも手を出したりして、事務所に叱られることも少なくなかった」


三宅としても彼にそんな一面があったことは意外だった。今回の取材前に予習として見てきた、当時の彼が写る映像資料から、真面目な好青年という印象を持っていたからだ。 それだけに、これまで抱いていた、彼の誠実な人物像が崩れていくような、複雑な感情を抱いた。


主人は声の調子を幾らか落として続ける。


「雪子と出会う前、この廉を演じた彼女—灰原楓と私は恋仲にあった。とは云っても、ほんの一時的な関係で、当に私の心は雪子に移っていた。しかし、向こうは真剣だったようで、雪子と私の熱愛を知った彼女は豹変し、私達に色々な嫌がらせをしてきたのだ」


画面の中では、父を失った廉が自らの拳を握りしめ、豆太郎への復讐の言葉を口にした。


「嫌がらせとはどのような?」


真剣な面持ちで三宅は尋ねた。


「どこで知ったのか、雪子とのランデブーの場に現れるんだよ、それも二、三回どころではない。その頃の彼女は精神的に病んでいたのかもしれない。この作品の雪子の単独撮影中に、機材の事故で雪子は足に怪我を負ったことがあったんだが、私はこれも彼女の仕業だと踏んでいる。その影響もあって、雪子は車椅子での生活を余儀なくされていた。まあ、その時の私は雪子さえいてくれれば、世間からの評判などどうでも良かったから、俳優『道源寺鳳史』としてのキャリアを終わらせることも厭わなかった。だから、これまで稼いだ二人の金でこの島を購入し、急遽引退会見を開いて逃げるように役者人生を終えたんだ」


これが、昨日主人が云っていた——切羽詰まった状況、だったということか。


「結局、灰原さんとの件は大丈夫だったのですか」


少し岸辺が眉を顰めているのが見えたが、三宅は質問を続けた。


「ああ」


主人は淡々と答えると、途端に声の調子を上げて、


「それに、面白い話があるんだよ。俊典と真希さんの出会いについて、何か聞いたかい?」


「え、お二人の出会いですか?聞いていないと思います」


「おお、そうか。実はね・・・」彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて何かを口にしかけたが、途中で口を噤み、

「いや、折角だから、後で本人達に直接聞いてみるといい」


「そうですか」


岸辺は相変わらず視線を画面に向けたまま呟いた。事件とは関係なさそうな情報には全く関心が無いらしい。


「他にも色々とトラブルがあってね。この作品のヒットを受けて、続編の制作が決定していたのだが、私達の引退発表のせいで白紙同然になったと。プロデューサーの白沢さんにはお世話になっていたから、大変申し訳ないことをしたと思っている」


聞けば聞くほど、このご主人にも色々と問題があるような気もしてくるが、依頼人である以上その気持ちは伏せておかねばならない。


「だから続編の主人公は、豆次郎に代わっていたんですね」


『大江戸惨殺譚』では結局、豆太郎は、幼馴染の滝と結婚することを選択したが、婚前の最後の仕事で命を落としてしまい、二人が結ばれることなく最終回は終わった。誰も予期しなかったこの結末に視聴者からの非難が殺到したという。そして、続編として制作された『大江戸鏖殺譚』では、豆太郎の息子の豆次郎が主人公となっており、豆太郎と滝には隠し子がいたという後付け感満載な設定となっていた。ただそれも、主演俳優の突然の引退という青天の霹靂になんとか対応しようとした製作陣の努力の結果だったのだろう。


「白沢さんからは、頼むから役を続けてくれないかと、何度も懇願の電話を貰ったんだけど、結局彼は私達の降板を承諾し、善後策を講じてくれたよ」


世間を席巻した役者二人の突然の引退発表には、芸能界と世間の両方が多いに驚愕した。

恋は人を盲目にするとは云うが、時代の寵児二人の恋となると、それ程までに大きな影響を与えてしまうのかと、三宅は関心した。


「当然なのだが、界隈では私に対して恨みを抱くものも少なくなかったから、そんな業界に入った隆平は大変肩身が狭かったらしいんだ。でも、白沢さんが手引きしてくれたおかげで、今や脚本家として大成した。彼には本当に頭が上がらないよ」


「優しい方だったのですね、その白沢さんっていうのは」


岸辺はにべもなくそう返す。


「まあこんな感じで、今思えばあの頃に私はあまりに若く、若さゆえに多くの愚行を冒した。そして、それゆえに周囲に多大なる迷惑をかけた。多くの人間から恨みを抱かれるのも仕方あるまい」


主人はスクリーンを眺めたまま云った。


ご主人が必要としているのは、相談ではなく懺悔なのかもしれない。


「ただ、雪子は何も悪くないのだ。彼女はいつも私の我儘についてきてくれただけで、何の罪もない」


そこで主人は神妙な面持ちで息を呑み、


「だからこそ、雪子の死の真相が知りたい。どうして、雪子は死んだのか。死ななければならなかったのか。それが私の最後の望みだ」


先程までとは一転、嘆願する主人の表情には一切の威厳はなかった。


「任せてください」


何故そのような今生の願いを自分たちに託すのか——と云う疑問はさておき、三宅は身体中に力を込め、主人を精一杯励ますように云った。その隣の岸辺も同じ疑問を浮かべているようで、若干ぎこちない笑みを浮かべていた。


そこで、突如緊迫したBGMへと変わった。


視線を画面に戻すと、万屋の屋根裏に潜んだ廉が、仇である豆太郎を観察していた。豆太郎は滝を含む仲間達との食事中で、当然気付く様子もない。廉は大きく深呼吸をすると、懐から取り出した吹き矢を左手で構え、真下に座る豆太郎向けて狙いを定めた。そこで、スクリーンの画面が暗転し、劇場が完全に暗闇に包まれた。


「だが、犯人だとめぼしき人物が・・・」


—————ふと、その時。


「ぐふぁ」


突如主人の口から、言葉にならない呻き声が発された。即座に岸辺と三宅は左方の主人に視線を向ける。


主人がどのような動きをしているのか視認できないが、彼の悶え苦しむ声が響く。主人の奥の———左通路の暗がりの中を誰かが駆け降りていく足音。主人の処置のために席を立った二人も思わずその足音の方を目で追った。


やがてスクリーンに切り替わった場面が映し出されると、その音の持ち主の姿がスクリーンの前に現れ、左から右へと駆け抜けて行き——背後から爆音が聞こえた。そして画面が突如切り替わり、スクリーン一体を真紅が埋める。


何かが燃えたぎるような、鮮やかな紅蓮。


「後ろだ、後ろ」


岸辺の声がした。彼はスクリーンとは間反対の、映写室の方を向いていた。


「火事だ」


映写室の鏡の向こう側では、何やら炎が揺らめくような光が輝いている。


そこで、三宅の背後——廊下へと続く通路口の扉が閉まる音がした。


岸辺は視線を横に戻し、席に座ったまま蹲っている主人の首に手を置いた。スクリーンを埋める非情な真紅に照らされた主人は、ピクリとも動かない。


「駄目だ、亡くなっている」


岸辺は少しの間主人が手で押さえていた首の部分に顔を近づけたが、すぐに顔を上げ、


「君は多田さんを呼んで消火を頼む。僕は逃げた奴を追う」


そう云って岸辺は、あの人影が消えたと思われる右側の通路口の方へ駆け出した。


今まで経験したことがない緊急事態に三宅の頭は真っ白になっていた。


多田さんは確か、朝食の用意を手伝いに隣のダイニングルームに居ると。


漸く思考と肉体が繋がった三宅は大急ぎで左側の通路口からシアタールームを出た。


開け放たれていた扉からダイニングルームの中へ入り、使用人を探す。その時、丁度厨房から出てきた多田と目が合った。


「どうなさいましたか」


取り乱した三宅の表情を見て、多田も何か異常事態を悟ったようだった。


「た、大変です。ご主人が・・・それに火事も」


未だかつてない状況に、思うように口がまわらない。


「消火器はありますか」


三宅の口から漸く出た言葉を聞くと、多田はすぐさま盆を置き、傍に設置されていた消火器を手に取って部屋を出た。


「何があったのですか」


傴僂の老使用人は必死に肉体を前に動かしながら尋ねた。


「ご主人が……誰かに殺されました。あと映写室で火事が」


「何ですと?」


シアタールームに入った三宅は、多田から受け取った消火器を抱えて、懸命に階段を昇った。階段の先の扉を開け、映写室に入る。手前のシアタールーム全体の照明用ボタンを全て押した。燃えていたのは、やはり映写機。映写機についた火がスクリーンに映し出されていたのだろうか。慣れない手つきで消化器の栓を抜き、ノブを力任せに握る。程なくして火は消えた。鉄の焦げるような異臭が蔓延する。


三宅は息つく間もなく踵を返し、階段を降りて多田の元へと向かう。


黄金色の照明が煌々と輝く下で、主人は顔を歪ませたまま床を見つめている。


「兼光様、兼光様……」


既に亡骸となった主人の傍に膝をついた多田が、何度も名前を呼びかけていた。


「二階に犯人の姿は無かった。既にどこかへ姿を隠したのかもしれない」


通路口から入ってくる岸辺が叫んだ。後ろには小山内と鴨川の姿もある。小山内は殆ど寝巻きのような服装で、寝癖も目立つ。まるでつい先程叩き起こされたかのような出立ちだった。主人の姿を捉えるや否や、小山内は血相を変えて主人の元へ近寄った。


「どうして」


一瞬驚嘆の表情が浮かんだが、すぐさま表情を引き締め、遺体の確認を始める。


「見てください、ここ」


小山内は、兼光の首の左側部を指指した。


岸辺と三宅は多田の後ろに回り込み、項垂れている主人の首に顔を近づける。その左側部には、小さな針のようなものが刺さっていた。上映中主人の右側に座っていた岸辺と三宅からは、丁度死角になっている位置だった。


一見しただけでは気付かないほどの細い針で、その針の刺さった周辺の皮膚が僅かに変色している。


「何ですか、これは」


三宅は疑問をそのまま口に出した。


「本当に、吹き矢でやられたようだ」


岸辺は平然と呟いた。


多田と小山内は合点がいっていないようで、二人して無言で岸辺の方を見遣る。


「上映していた『大江戸惨殺譚』の場面です。ご主人が苦しみ出す直前、丁度廉が豆太郎に向かって吹き矢を放とうとしている場面だったのですよ」


「何らかの毒が塗られた針が使われたのだと思います」


「針?」


「小山内さんは二階にいたんですか?誰か見かけていませんか」


三宅は尋ねた。


「すみません。私は岸辺さんが尋ねて来るまでずっと寝ていたので、何も」


「客人は皆二階の客室を使っていると聞いていたから全部屋ノックして確認してみたが、全員部屋にいたよ。隆平さんと小山内さんは眠っていたようだが。彼女には無理をいって直ぐに来てもらった」


「凄い勢いのノックで目が覚めて。一体何事かと思ったのですが、まさかこんなことに……」


小山内はまさに寝起きというような印象で、昨日落とし損ねたであろうメイクがかろうじて残っている。昨夜の彼女の泥酔ぶりを思い出した。


三宅は先刻の状況を説明する。


「私達がご主人の異変に気づいた直後、奥の通路から足音が聞こえたんです。階段を降りていったと思ったら、スクリーンの前を左から右に横切っていくシルエットが見えました」


二人の口から同時に困惑の声が上がった。


「私達が足音に気づいた時には、スクリーン画面が暗転し、この部屋全体が真っ暗になりました。そうして、またスクリーンに映像が映し出されたと思ったら、一面真っ赤に染まって。次に背後から爆発音が聞こえて振り返ると、映写室で何かが燃えていることに気づきました」


「全く訳が分からん」


多田は誰に云うでもなく呟いた。


「シルエットだけなら見えましたが、フードのようなものを被っていたようでした」


岸辺は無言で頷くと、視線を鴨川の方へ向け、


「鴨川さんは正面玄関の掃除をしていたんですよね」


沈痛な面持ちで泣き崩れる使用人に向かって岸辺は尋ねた。


「はい。ですが……先程岸辺様が慌てた様子で正面玄関に来られるまで、誰一人お見かけしておりません」


悲しみに震えながらも、使用人は冷静に述べた。


「つまり、犯人はこの館を出ていないということですか」


三宅は当然捻り出される結論を示す。


「そんな、ここに居る人の中に兼光様を殺した人がいると……」


多田は訴えるように云った。


「いえ、まだあの人達の中にいると決まったわけではありませんよ。始めに潰しておかなければいけないのは、外部犯の可能性でしょう」と、岸辺。


「外部犯……」


「一度館内の皆さんを集めてこの件について話して、館内をもう一度入念に調べましょう。多田さん、皆さんを呼んできてもらってもよろしいですか」


多田は不安そうな面持ちのまま頷き、歩き出した。


「私も行きます」


「申し訳ないですが、小山内さんは僕達といて下さい」


岸辺はそう云って、多田を追おうとする小山内を制止した。


中央玄関へと歩く岸辺の背に向かって三宅は尋ねた。


「その前に、一つ重要なことがある」


岸辺はこちらを振り向くことなく、歩き続ける。


「この状況での殺人、まず疑うべきは誰だと思う」


横を歩く多田の方を三宅はチラリと見た。目が合ってしまい、すぐさま目を逸らす。


「僕達だよ。三人しかいないはずのシアタールームで主人は亡くなったんだ。まず疑われるのは、その場にいた僕達だろう」


三宅は驚きの声を上げた。確かに、自分視点では、確実にシアタールーム内で四人目の存在を確認しているが、見たままを正直に説明した所で、犯人は自分達二人で、状況説明も全て偽りだとされてしまうかもしれない。


途端に全身から血の気が引いていった。犯人を探しにこの島に来たはずが、自分達が新たな殺人の容疑者になってしまったのだから。

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