緑青色の人形(二)
「主人の書斎棚からVHSを取ったのは、あなたですね」
「一体何をおっしゃるのですか」
岸辺の指摘に鴨川は眉根を釣り上げ、困り果てたような表情で抗議した。
「主人の書斎からなくなっていた「『大江戸惨殺譚』のVHS」、その行方を皆さんに尋ねた際、僕は「VHS」という言葉を意図的に省略してお聞きしました。案の定、VHSが消失したこと自体知らない方は皆、僕の質問の意図を汲み損ね、何の話かと聞き返されました。しかし、あなたは違った。あなたは初めからVHSだと認識して、返事をしていましたね」
「あなた方はあの時ご主人の書斎から出てこられましたから、VHSのことだと思うのは必然です」
岸辺は納得したように一度頷くと、
「成程。では話を変えましょう。あのキッチンのレンジに入っていたVHS、あれを入れたのは僕なんですよ」
そう云って、岸辺は内ポケットに入れていたケースを取り出した。
「え?」三宅の疑問をよそに岸辺は続ける。
「かく云うこのVHSも、『大江戸惨殺譚』のものではないのですが」
岸辺はVHSケースを包装した透明な保護シール、その内側に挟まれた表紙を取り出して広げる。それは、『大江戸惨殺譚』のポスターだった。見たところ、本物のVHSケースの表紙と画が全く同じである。ちょうど良い大きさのポスターを折り畳んで、ケースの保護シールの内側に挟まれていた他作品の表紙と入れ替えることで、あたかも『大江戸惨殺譚』のVHSケースであるかのように見せていたのだろう。
「これを、多田さんにお願いして夕食の準備の際にレンジの中に入れてもらったのですよ。そして、セットしていたタイマーで全員の注意を引き、回収したこれを皆さんの前で見せました、偽物だと気付かれないように一定の距離を保った上で」
全員を席に座らせた上でこのケースをお披露目したのは、このためだったのだろう。
「犯人はこれが偽物だと気付かない限り、自分が回収したはずのVHSがレンジの中に入っていたことに動揺し、何か不審な反応を示すのではないか、—そして、自分が持っているはずのものを確認するのではないか、と考えました。そしてこのVHSを見て、唯一明確な反応を示したのが、あなただった。まあ、あなたはこれを自室に保管していましたから、犯行の証拠を隠している自室に侵入されたと思い込んで狼狽したのでしょう」
岸辺は一度煙草の煙を吐き出した。
「だからこそ、あなたは咄嗟の機転で、スクリーンの裏にあったリモコンを隠した」
使用人は礼儀正しく座ったまま、何も云わない。
「リモコンは初めからスクリーンの裏にあったのでしょう。しかし、あなたはスクリーンに隠れてリモコンを懐にしまい、部屋に置いたままだったと虚偽の申告をした。そうしてリモコンの回収を口実に部屋に戻り、犯行の証拠を漁られたのか確認しようとした」
「既にご存知でしょうが、先程僕はあなたの部屋にて本物の『大江戸惨殺譚』のVHSを発見しました。勝手に部屋の中を漁ったのはお詫びいたしますが。そして、あなたの案じた通り、確かにこのVHSには、シアタールームでの謎を解く鍵がありましたね」
先程の映像で観たように、確かに犯人は自らの犯行に通じるあの映像を確認されることを案じ、VHSを隠していたようだが。
「兼光氏を殺害するため、あなたは予めシアタールームに入り、いつも兼光氏が座る席の後方に身を潜めていた。そして映画の上映中に背後から毒矢を吹いて殺害した。兼光氏を殺害するタイミングは爆発のシーンの直前の暗転中。その直後の『画面の左端から右端へ走っていく人影』の映像と共に、フィルムに発火する仕掛けによって証拠を消し去った。兼光氏の死に加えて、その仕掛けと爆音、発火騒ぎによって僕達は完全に狼狽し、それが映像であるとも気付かずに、左通路から出ていくあなたの姿を見落としてしまった。そうして、見事に術中に嵌った僕が虚像を追って右通路から二階へ上がった時には、あなたは隣室にいた多田さんと小川さんの目を盗んで玄関ホールに戻っていたのですね」
岸辺はそう云うと、窓の方に視線を向けた。
「ただ、その直後あなたは予想外の不運に見舞われた」
ただどこか一点を呆然と見つめる使用人に、岸辺は問いかける。
「今朝僕等が逃げた犯人を探し回っていた時、あなたは玄関ホールに居た。本来であれば、犯行後すぐに館から脱出し、船で逃走するつもりだったのではないですか?この孤島での計画を長年練っていたのであれば、船での逃走という選択肢を考えるはずですし。しかし、予想外の豪雪によって館外への脱出を拒まれた。それ以降も頻りに扉の状態を確認していたのは、扉が空き次第逃げ出すためだった。そうですよね」
岸辺は新たな煙草に火をつける。
「何を仰っているのか、分かりかねます」
使用人は未だ合点がいかない様子で眉を吊り上げる。
「そうですか。なら僕があなたの計画を代弁しましょう。まず今から遡ること三年前、あなたはこの館を訪れた。そして、雪子氏を殺害するまでの半年間、あなたは敢えて、不審な行動や素振りを取ることで、兼光氏を中心とした周囲の人間に不信感を抱かせた。それは事件当夜もまた然り。あなたは雪子氏の殺害後、自らが第一発見者を装って他の人達を事件現場に集めた一方で、館に火を放つことで全員を港に避難させた。これは全て、鴨川さんと入れ替わることを前提にした自作自演だったのですね。舞台は本土に移り、警察署にて個々で事件の取り調べを受けていた矢先、あなたは姿を消し、その直後で鴨川さんと入れ替わったのでしょう」
岸辺は鋭い視線を向けながら云う。
「ちょっと待ってください。その、入れ替わったってどういうことですか?」
「要するに、この人は鴨川黎子ではない。鴨川さんの皮を被った別人だ。自分の犯した罪を全て『鴨川黎子』がしたことにしようとしていたのさ。少し待ってくれ、じきに分かると思う」
岸辺はそこまで云うと、向かいに座る使用人の反応を伺った。
彼女は机上に置いた両手を少し上げ、無言で先を促した。
「ちょっと、ちょっと待ってください。では、黎子さんは?黎子さんは今どこにいるんですか」
多田の質問を皮切りに三人の視線が使用人に集まった。が、彼女は何も答えない。
岸辺は顔を俯けた。
「残念ながら、鴨川さんは恐らくもう……」
小川は膝から崩れ落ちた。目を閉じたまま首を横に振り続けている。
岸辺は少しの間それを眺めていたが、やがて視線を犯人に戻した。
「入れ替わりによってあなたが罪を免れるために不可欠な条件があります。まずは、入れ替わり以前に、警察の疑いの目を自身に向けさせておくこと。しかし、警察到着前にあなたが犯人であることが判明してしまったら、身体を拘束されてしまい、入れ替わりは不可能となる。だからこそあなたは、難解な方法で雪子氏を殺害することで、容易に犯人に辿り着かせないようにした。結果として、警察さえ手を焼くことになったわけですが」
岸辺はそこで一度ゆっくりと紫煙を吸い込み、吐き出した。
「二つ目の条件は、入れ替わりを行う場所です。ここで、一見不可解に思える火災についての謎が解けます。初めは、ただ館内に残った証拠を消滅させるために火をつけたのだと考えました。しかし、それにしても館を半焼させてしまうと云うのはあまりに過剰だと云わざるを得ません。ただそれも、第二の犯行のためだったと考えれば納得できる。まず前提として、入れ替わりをこの島で遂行するのはまず不可能です。そもそも、あなたの計画において一番の障壁だったのは、兼光氏が外界から断絶した孤島に住んでいたことだった。勿論、事件の取り調べのために一時本土の方へ移行しますが、取り調べが終わってしまえば、兼光氏はこの島に戻ってしまう。だからこそ、あなたはこの館を燃やすことで、兼光氏に緑青島を捨てて本土に住むように仕向けた。本土であれば、いくらでも兼光氏に近づくことができますからね」
「そんな・・・」
岸辺の発する言葉の間を縫って、多田の震える声が微かに聞こえてきた。
「その点、兼光氏の行動は予想外だったのかもしれません。緑青島の邸宅を放棄して本土で生活し始めると踏んでいた主人が、事件後間もなく多田さんと共に島に戻ったのですから。それによってあなたは、別の使用人として、緑青島に戻らなければいけなくなった。ですがその点で云えば、兼光氏が多田さん以外の使用人三人を本土に住まわせたというのは、あなたにとっては好都合だった」
顔を歪ませた多田が頭を抱える。何が何だか分からないというような面持ちだった。
「兼光氏が全員に嫌疑をかけたことで、この館の再建が完了するまでの間、あなたと鴨川さん、小川さんは本土に残って暮らすことになった。あなたはその期間に鴨川さんの住居を突き止め、殺害し、あなたは顔を鴨川さんそっくりに整形した。生憎、あなたと鴨川さんは身長や体格、年齢も殆ど同じ。更に鴨川さんには身寄りがないため、入れ替わりによって生じる様々な違和感を他人に悟られるようなこともなかった」
つまりこの犯人は、名を変え姿を変えて、今日までの約一年間を鴨川黎子として過ごしていたと云うことになる。
「—そうです。私が二人を殺しました」
使用人が遂に口を開いた。と同時に三宅は戦慄する。
途端に、彼女の声色や話し方、仕草全てが、先程までと別人のように変わったからだ。
「黒田由美、1939年7月21日生まれのO型。1963年の4月7日から使用人としてこの島で働き始め、翌年1964年の3月12日に辞職。道源雪子さんの殺害動機は、兼光氏への復讐。兼光氏を殺害した理由も同様です」
使用人はぼんやりと宙を見据えながら諳んじた。
「他の方には危害を加えるつもりは微塵もございませんし、これ以上罪を重ねるつもりも御座いません。—もしご所望でしたら、警察の到着までどこかに軟禁していただいても構いません」
使用人は一切の抵抗を見せず、従順な態度で頭を下げた。
多田はどうしたものかと岸辺に視線を送る。
岸辺は黙ったまま、煙草を灰皿に押し付けた。
「皆さんをお呼びしましょうか。詳しい話はその後でお聞きします」
そう呟くと、三宅の方に顔を向けた。
「軽く事情を説明して呼んできてくれないか。—真希さんはまだ動かない方がいいだろうから、俊典さんには事情を説明した上で真希さんの介護を続けるように云ってくれ」
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