緑青色の人形(一)
本話から解決篇となります。
これまで館を揺らさんばかりに吹き荒れていた風雪も落ち着き、端に置かれたヒーターの暖気も相まって、場違いにも穏やかな雰囲気に微睡みかける。
早ければ、明日の朝には警察が到着する。この夜を越えさえすれば、ここから出られる。途端に緊張から解放され、不安の隙間を塗って希望的観測が湧き上がってくる。
宙ぶらりんになってしまった現状、何かできることはあるのだろうか。
三宅は隣に座る岸辺の方を見た。宙を見据えながら、煙草の煙を吐き出している。
何を考えているのかは分からないが、その目は心なしかいつもより開いていた。
「このまま明日まで、警察の到着を待っていればいいんでしょうか」
これまで自問していた疑問を岸辺にもぶつける。だが、岸辺は曖昧に首を傾げるだけだった。
「そうだ。折角ですし、あのVHSを確認してみましょうか」
「ん?...ああ、そうしようか。リモコンは見つかったのかな」
「鴨川さんに聞いてみましょう。あ、でも他の人を呼んでもいいんですかね。一応、俊典さんは各自部屋に戻れと云っていましたけど」
「構わないだろう。俊典一家さえ巻き込まなければ大丈夫さ。それにもう心配の必要もなくなる」
「どう云うことですか?犯人が分かったんですか」
「それを今から確かめるんだよ」
岸辺は少しの間何か考え込んだ末、
「多田さんと鴨川さんに協力をお願いしようか」
岸辺は席を立った。後を追うように三宅も立ち上がる。
部屋を出た岸辺は、まず鴨川の自室に向かって廊下を歩いていく。
が、部屋に着く前に鴨川の姿が見えた。彼女は今朝と同じように正面玄関の向こう、玄関口近くの窓際に立っていた。
「どうしたんですか」
三宅は玄関口に向かいながら尋ねた。
その声に鴨川は一度身体を竦ませたが、二人の姿を確認すると、
「ああ、お二方でしたか」
安堵した様子で云った。
「扉が開くようになっているのではないかと思って確認してみたのですが、まだ駄目ですね。雪が凍ってしまっていて、却って開けるのが困難になってしまっております」
「明日は晴れるようですから、昼頃には警察もここに来られると思いますよ」
三宅は励ますように云った。
「そうだと良いのですが、まさかこんなことになるとは・・・」
不安げにそう呟くと、突如思い出したように、
「どうなさいましたか?」
岸辺が答える。
「リモコンは見つかりましたか?」
「あ、ええ。お騒がせしてしまい申し訳ございませんでした」
使用人は、濃紺のワンピースの左ポケットからリモコンを取り出した。
「それはよかった。実はもう一つ鴨川さんにお願いしたいことがありまして、先程のVHSを確認するために協力をお願いしたいのです」
鴨川は不安と警戒の混ざった表情で首を傾げる。目の前の二人が犯人かもしれないと訝っているような怯え具合だった。
「しかし、俊典様は各自部屋に戻るようにと」
「彼らにさえ干渉しなければ大丈夫ですよ、多分」
鴨川は不安げな面持ちで頷くと、踵を返した岸辺の後を追うように歩いていく。
自室に戻っていた多田にも要件を伝え、四人はダイニングルームに戻ってきた。
使用人二人は小慣れた手つきで、映写の準備を再開した。やがて、垂れ下ったままになっていたスクリーンに、見覚えのある光景が映った。
岸辺は二人に感謝を述べ、着席を促す。
多田は安心した様子で一度溜息を吐いて席についた。鴨川もそれに続く。
彼女はしきりに視線を部屋の出入り口に向けていた。思えば、いつ犯人がこの部屋に入ってきてもおかしくはない。
やがて配給会社のロゴが消え、本編が開始した。暗闇の中で行燈が揺らめく。
「おや、これは」
三宅が呟く。VHSはやはり、『大江戸惨殺譚』のものだった。
映像は今朝劇場で観た映像と全く同じで、何も変わった様子はないようだ。
尚更、犯人がどうしてVHSを返したのかという謎は深まるばかりである。
疑問をそのまま口にしたが、正確な返答はなかった。黙々と鑑賞を続ける。
「少しシーンを飛ばしますか?」
多田が提案する。
「ええ、いいと云うまで早送りをお願いします」
画面では人々が倍速で動いていく。
「飛ばしちゃってもいいんですか?何かメッセージがあるかもしれないのに」
三宅は先生に尋ねる。
「そんなメッセージなんてないよ。第一、VHSの改造なんてできるわけないだろう。仮に、犯人がそのような専門技術を持っていたとしても、メッセージを映画の途中に挟むというのもおかしい。普通なら、映像の中身ごと変えるか、映画の前に映像を差し込むはずだし」
スクリーンには、今朝観た映像が早送りで流れていく。
やがて、岸辺の掛け声で一倍速に戻された。
それは丁度、戦闘を終えて豆太郎が万屋に帰還したシーン。それは、今作のヒロイン滝が初めて登場する場面でもある。
「一体何を確認しようとしているんです?」
再び席についた多田が尋ねたが、視線はそのままに岸辺は「まあ」と言葉を濁した。
屋根裏に潜んだ廉が映し出された。冷血な視線を、階下の豆太郎に向けている。
そして彼女は吹き矢を構えた。視点は一点、亡き父の仇を捉えていた。
今朝はこの直後、丁度廉が吹き矢を放とうとする場面で、突如主人が本物の吹き矢で襲われ、映像も火事によって中断されてしまったのだったが。
「—これだったんですか」
三宅は画面を注視したまま呟いた。その画面には、主人の殺害後にスクリーン画面を横切っていった人影が映っていた。
「犯人はスクリーン前を横切っていたわけではなかった。あのシルエットはただ、映像の中の人影だったと」
廉が矢を放つか放たないかの瞬間に一度暗転した後、場面は別の場面に切り替わっていた。そこには、豆太郎が倒した悪代官に仕えていた忍者が、万屋の裏側から駆けていく姿があった。忍者の上半身が左側から右側へと駆けていく様子が、定点から撮られている。その姿は、今朝目撃した犯人だと思われるシルエットと完全に一致していた。
「つまり、あなた方は、この人影を犯人だと勘違いしていたと?」
多田は困惑した面持ちで訊いた。
そして、万屋の軒下に設置された爆薬が映ったのも束の間、燃え盛る火炎と共に轟々たる爆音が響いた。爆発の衝撃で吹き飛ばされるも、主人公補正によって難を逃れた豆太郎一行は、同じく爆風で吹き飛ばされ、瓦礫に押しつぶされていた廉を救助した。
「ええ、そのようです。本当に申し訳ない」
岸辺は自嘲気味に頭を抱えた。こんな幼稚な子供騙しに自分達が引っかかってしまったことに唖然とする。それと同時に、その場にいながら主人の死を防ぐことができなかったことに自責の念が込み上げる。
「であれば結局、犯人の姿は見ていないということですか・・・」
「そうですね。まさに犯人の計画通りになってしまったようです。ですが、犯人は意図して、場面が切り替わるあの暗転のタイミングで吹き矢を放ったのでしょう。次の画面が爆発の映像だと分かっていたから。そう考えるなら、犯人は当然シルエットとは反対の左出口から出て行ったはずです。そして、一連の偽装を悟らせないためにフィルムを燃やし、VHSを隠蔽していたのです」
「じゃあ、どうして犯人はこのVHSを私達に渡したんです?犯人が直々に、この人影の正体を教えてくれたようなもんじゃないですか」
三宅は尋ねたが、岸辺は宥めるように頷くだけだった。
「その前に、確認したいことがあるのですよ」
岸辺は新たな煙草を銜えて火をつけると、鴨川に視線を向けた。
「二年前の事件の犯人は黒田由美さんであると考えています。しかし、動機が分からない。彼女は三十年後になって、この島に戻って真紀子さんを殺害。そして、事件後に自らの命を絶った。DNA検査で遺体は彼女であると判明している以上、彼女は間違いなく亡くなっている。—では何故、黒田由美さんは、このような不可解な行動を取ったのか」
自分の思考を整理するようにそう云うと、
「鴨川さんは、黒田さんの動機について思い当たる節はありませんか?」
岸辺は視線を上げて尋ねた。
鴨川は恐る恐る口を開く。
「事件前の黒田さんは、どこか様子がおかしかったんですよ。私は、若い頃の彼女を知りませんので、具体的にどのような変化があったのかは存じ上げませんが、精神的に参ってしまっているというような印象を受けました」
岸辺は一度頷くと、
「では、レンジに入っていたVHSケース—あれは誰が入れたのでしょう」
「さあ」
鴨川は曖昧に首を傾げる。
既出している情報だけで、目新しいものはないようだ。
「申し訳ありませんが、特にお力になれそうもありません」
使用人は申し訳なさそうに視線を落とす。
岸辺はそれに答えることなく、何か考え込んでいたようだが、やがて、
「そうですか」
落胆するようにそう云うと、視線を上げた。
「もうそろそろいいでしょうか。一連の動機について、できればあなたの口から聞きたいのですが」
鴨川は困惑した表情で岸辺を見返す。
「・・・どう云う意味でしょうか」
「主人の書斎棚からVHSを取ったのは、あなたですね」
三宅のメモ(黒田由美略歴)
1944年4月 誕生。
1962年?月 (18歳) 高校卒業後友人と上京。役者を志す。1967年4月 (23歳) 道源家に勤める使用人として緑青島で働き始める。
1968年3月 (23歳) 使用人を退職。福島の母親の元に戻り一緒に暮らし始める。
1968年6月 (24歳) 瑛太郎と結婚。
1969年5月 (25歳) 娘ちはるを出産。
1969年?月 (25歳) 家族で和菓子店を出店。
1972年?月 (29歳) 娘の小学校入学を機に由美も経営に参画。経営が軌道に乗る。
1989年2月 (44歳) 癌が発覚。精神的な問題を抱える。
1990年6月 (46歳) 家族の元から突如失踪、再び緑青島で働き始める。
1990年11月(46歳) 道源兼光の誕生日に、道源雪子を殺害(?)
1991年2月 本土での生活中に失踪、行方不明に
1991年 7月 青木ヶ原樹海にて、遺書と共に白骨遺体で発見される。
三宅のメモ(緑青島略歴)
1961年?月 兼光(30)と雪子、役者業を引退し結婚。緑青島を購入、俊典誕生
1962年3月 緑青島の邸宅に移住。多田、他二名と共に勤務開始
1963年8月 隆平誕生
1967年4月 黒田由美(23)勤務開始
1968年3月 黒田由美、退職
1982年9月 小川、勤務開始
1985年10月 鴨川、勤務開始
1989年6月 黒田由美(46)使用人として再び働き始める
1990年11月15日 道源兼光、手術のため、多田と共に本土の病院へ
1990年11月16日 兼光の誕生日前日、俊典、真希、美香、隆平、小山内、緑青島を訪問
1990年11月17日
午前一時 最後までダイニングに残っていた隆平、小山内が部屋に戻る
午前二時頃 鴨川、正面階段を上る黒田を目撃
未明 雪子、死亡
午前三時 黒田、雪子の遺体を発見、鴨川が警察に通報
午前四時 真希、美香母子を除いた全員が雪子の部屋に集まる
午前四時?分 火事が発覚し、全員が館から脱出。港で警察、消防の到着を待つ
午前六時 警察、消防が到着。本土の警察所に連行され事情聴取を受ける
午前八時 兼光と多田が警察署に到着、事件の詳細を知る
1990年11月23日 本土での取り調べが一旦終了。兼光と多田、緑青島に戻り仮設住居で邸宅の再建を待つ
鴨川、黒田、小川、兼光から資金を受け取り、一時本土で生活
1991年2月7日 黒田、消息を絶つ
1991年7月15日 黒田、青木ヶ原樹海にて白骨死体として見つかる。遺書により雪子殺害を自白
1991年11月28日 緑青島の邸宅が竣工。兼光と多田が邸宅に戻る
1991年12月7日 本土で暮らしていた鴨川と小川、邸宅に戻り、再び働き始める
1992年6月21日 雪子の誕生日、俊典、隆平ら客人を招かず
1992年11月16日 兼光誕生日前日、俊典一家、隆平、小山内、岸辺、三宅が島に到着
1992年11月17日 兼光誕生日当日 午前九時 兼光、映画鑑賞中に殺害される




