三宅のメモ
1992年10月某日、小説家岸辺の元にとある招待状が届く。その差出人は、かつて人気ドラマの主演俳優として名を馳せた道源兼光。かくして彼が住む孤島、緑青島で開催される誕生日会に参加することになった岸辺と編集者三宅だったが、島に到着して早々当人から本当の招待理由を告げられる。それは、2年前にこの島で発生した未解決事件で亡くなった妻雪子の死の真相を探ることだった。
三宅のメモ(黒田由美略歴)
1944年4月 誕生。
1962年?月 (18歳) 高校卒業後友人と上京。役者を志す。
1967年4月 (23歳) 道源家に勤める使用人として緑青島で働き始める。
1968年3月 (23歳) 使用人を退職。福島の母親の元に戻り一緒に暮らし始める。
1968年6月 (24歳) 瑛太郎と結婚。
1969年5月 (25歳) 娘ちはるを出産。
1969年?月 (25歳) 家族で和菓子店を出店。
1972年?月 (29歳) 娘の小学校入学を機に由美も経営に参画。経営が軌道に乗る。
1989年2月 (44歳) 癌が発覚。精神的な問題を抱える。
1990年6月 (46歳) 家族の元から突如失踪、再び緑青島で働き始める。
1990年11月(46歳) 道源兼光の誕生日に、道源雪子を殺害(?)
1991年2月 本土での生活中に失踪、行方不明に
1991年 7月 青木ヶ原樹海にて、遺書と共に白骨遺体で発見される。
夕食の用意を待つ間に、三宅は自室でこれまで殴り書きした情報を整理し、時系列順に並べることにした。もはや文字とも判別できない字を何度も確認しながら、やっとのことで表にした。
そこで、扉がノックされた。開いた扉の隙間から顔を出した岸辺に、三宅は部屋の中へ促す。
「やはり、黒田さんが再び使用人を志望した理由は、ご主人しか知らなかったらしい————おや、仕事が早いね」
岸辺は机上に開かれたメモに視線を向ける。
三宅のメモ(緑青島略歴)
1961年?月 兼光(30)と雪子、役者業を引退し結婚。緑青島を購入、俊典誕生
1962年3月 緑青島の邸宅に移住。多田、他二名と共に勤務開始
1963年8月 隆平誕生
1967年4月 黒田由美(23)勤務開始
1968年3月 黒田由美、退職
1982年9月 小川、勤務開始
1985年10月 鴨川、勤務開始
1989年6月 黒田由美(46)使用人として再び働き始める
1990年11月15日 道源兼光、手術のため、多田と共に本土の病院へ
1990年11月16日 兼光の誕生日前日、俊典、真希、美香、隆平、小山内、緑青島を訪問
1990年11月17日
午前一時. 最後までダイニングに残っていた隆平、小山内が部屋に戻る
午前二時頃 鴨川、正面階段を上る黒田を目撃
未明 雪子、死亡
午前三時 黒田、雪子の遺体を発見、鴨川が警察に通報
午前四時 真希、美香母子を除いた全員が雪子の部屋に集まる
午前四時?分 火事が発覚し、全員が館から脱出。港で警察、消防の到着を待つ
午前六時 警察、消防が到着。本土の警察所に連行され事情聴取を受ける
午前八時 兼光と多田が警察署に到着、事件の詳細を知る
1990年11月23日 本土での取り調べが一旦終了。兼光と多田、緑青島に戻り仮設住居で邸宅の再建を待つ
鴨川、黒田、小川、兼光から資金を受け取り、一時本土で生活
1991年2月7日 黒田、消息を絶つ
1991年7月15日 黒田、青木ヶ原樹海にて白骨死体として見つかる。遺書により雪子殺害を自白
1991年11月28日 緑青島の邸宅が竣工。兼光と多田が邸宅に戻る
1991年12月7日 本土で暮らしていた鴨川と小川、邸宅に戻り、再び働き始める
1992年6月21日 雪子の誕生日、俊典、隆平ら客人を招かず
1992年11月16日 兼光誕生日前日、俊典一家、隆平、小山内、岸辺、三宅が島に到着
1992年11月17日 兼光誕生日当日 午前九時 兼光、映画鑑賞中に殺害される
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