表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
緑青島の殺人  作者: 髙比良実
15/24

遺伝子

1992年10月某日、小説家岸辺の元にとある招待状が届く。その差出人は、かつて人気ドラマの主演俳優として名を馳せた道源兼光。かくして彼が住む孤島、緑青島で開催される誕生日会に参加することになった岸辺と編集者三宅だったが、島に到着して早々当人から本当の招待理由を告げられる。それは、2年前にこの島で発生した未解決事件で亡くなった妻雪子の死の真相を探ることだった。


俊典夫妻の部屋を訪ねることができたのは、隆平の部屋を辞して間もなくだった。あらゆる線でも犯人の可能性がある二人ということで自然と手に力が入る。


「いや、随分とお待たせしてしまったようで、申し訳ない」


俊典は手前のソファの方に二人を招き入れると、向かいの安楽椅子に腰を下ろした。その後方には、眠っている美香を抱く真希の姿もある。不安げな眼差しをこちらに向けており、未だ自分たちも容疑者の範疇にいることを思い出した。それについては俊典も同じようで、口調こそ今朝より幾分丁寧になっているが、こちらに向けている猜疑心を孕んだ視線は変わっていない。


「それで、犯人はわかったのですか」


ソファに重心を預けながら、眼鏡の奥の鋭い視線が岸辺に向けられた。


「まだです。そのためにも、お二人から話を聞きたいと思いましてね」


三宅は視線を俊典の奥、母の腕の中で微睡む幼児に向けた。


「ここでは、寝ている美香ちゃんを起こしてしまうかもしれませんし、場所をどこか別の部屋に移しませんか?」


「それは助かります。向かいの母の部屋が空いているので、そちらで」


改めて娘を妻に任せると、俊典はゆっくりと席を立った。







かつて雪子氏が使っていたその部屋には、彼女の趣味が反映された純白の西洋風クローゼットや書斎机が綺麗に並べられていた。二年前の火事によってこの部屋も焼け落ちたが、再建にあたって以前の様子を再現したという。今やこの部屋で眠る者はいないが、使用人が小まめに掃除をしているからか埃の類は一切見られなかった。暖炉の上のマントルピースに置かれた鉢には、枯れかかったエーデルワイスが生けられている。


先を歩く俊典が深紅のソファを示し、三宅と岸辺は並んで座った。俊典は書斎の椅子をその正面にまで運んで腰を下ろす。


初めに二年前と今回の事件の時の話を聞き、他の証言と照らし合わせたが、特段おかしな点はなさそうだった。二年前に関しては、真希と交代で娘を寝かしつけた彼は、数時間後に黒田由美に呼ばれ、大急ぎで母の部屋に向かった。その際、奥さんには部屋に残って娘を見ておくように頼んだという。それから火事が発覚し、茫然自失状態だった弟に代わって母の遺体を担いで、燃え盛る館から脱出を試みた。そこでふと部屋に残っていた妻子のことが心配になったが、その頃にはもう黒田由美が二人を館外へ連れ出していたことで、無事に再会できたという。


今日に関しては、朝八時の時点で夫妻は目覚めていたものの、具合が悪そうな美香を案じて、事件発覚の旨が伝えられるまで一度も部屋から出ていなかったという。


一通り確認したところで、岸辺は舵を切る。


「では俊典さんの考えをお聞かせ願いたい。二年前と今回の事件、誰がどうして犯行に臨んだのか、どうお考えですか」


俊典は口を噤んだまま肩を組んだ。


「二年前の事件については、黒田さんで間違いないでしょう」


そう考える理由を聞くと、他の人と全く同じ解答が返ってきた。やはり、鴨川の目撃証言が大きいらしい。


「彼女は三年前に使用人として再雇用されたそうですが、それ以前にもここに勤めていたんですよね」


俊典は無言で頷き、


「確か僕が、まだ小学校入学前でしたから—二十五年前位ですかね。その頃に黒田さんは新たな使用人としてこの島に来ました。こんな辺鄙な島に住んでいましたし、同級生にはよく、リアル豆次郎だと揶揄われていたので、殆ど友達付き合いなんてできなかったんですよ。ですから、黒田さんにはよく僕らの遊び相手になってもらっていました。それから一年程経って、実家に呼ばれたからといって急に辞めてしまったんですよね。とても優しくしてくれる姉のような人だったので、当時は二人揃って泣き喚いたことを憶えています」


「その時の黒田さんの年齢は分かりますか?」


「子供の時の記憶ですが、まだ成人してからそれほど経っていなかったように思いますがね。あとで聞いた話だと、お金に困って色々と仕事を転々としていた時にこの仕事を見つけたそうですね。当時は他の仕事と比べてもここは払いが良かったそうですから」


「では、三年前にここに戻ってきた訳はご存知ですか」


「いえ。父からは彼女が戻ってくるとだけしか。正直、もう彼女の顔も憶えていない程に忘れてしまっていましたし、二十年も経っていたので、云われてみれば昔のあの人か・・・という感じでした。ただ、こちらも大人になっている分、あまり深く聞くことはできませんよ」


「では、一度使用人を辞めた後に何をしていたのかは聞いていませんか」


「実家に戻って働いていたとだけ聞きました。変わらず明るい方でしたが、時折妙に冷たい目をしていることがあって、二十年で色々あったのかなと思いましたね。それがまさか、母さんを殺害するためにこの島に戻って来たのかと思うと……」


俊典の声はみるみる小さくなり、溜息に変わった。


「成程・・・」


岸辺は遠慮がちに呟くと、一呼吸おき、


「ちなみに、他の方の証言であなたは現在金銭的に困窮しているとお聞きしました」


俊典はいかにも不服そうな面持ちで、眼鏡の縁に指を押し当てる。


「まあそうですが」


「それは投資が原因ですか」


鋭い目線が岸辺を捉えた。


「隆平が云っていたんですね?あいつと同じにしないでくださいよ。僕はあまり危険な道は渡りたくないタイプなので」


そして俊典は一度溜息をつくと、


「アニメーションスタジオを経営しているんですけどね。最近の不景気の影響で依頼が減っているんですよ。それで人件費削減のために泣く泣くスタッフを減らしたんですが、その分一人当たりの労力が増えて、期日に間に合わない——と云う悪循環に陥っていまして。どうにかしなければと、投資に手を出したのが間違いだった……」


結局、二人揃って危ない橋に踏み込んでいる辺り、実に兄弟らしい。


「それで、お父様に支援を頼んでいたと?」


岸辺の質問に、俊典はハッと目を開いた。


「そんなことも聞いたのですか」


やがて俊典は観念したように、


「昔はよく支援してくれていたんですけどね。スタジオを興してからは助けを求めても梨の礫です。一人前の大人として独立してほしいと云う期待から支援を辞めたというのを、後になって多田さん伝いに聞きましたが、こう育てたのはあなただろと……」


怒りを孕んだ調子で独りごちたが、途中で父のことを思い出したのか、頭を抱えながら口を噤んだ。


「ちなみに、お母様は投資の才能があったとか」


「……ああ、そうみたいですね。僕らが子供の頃に投資で随分と増やしたと、大人になってから聞きました。それ以降はお金を寝かせておくだけで殆ど手をつけていなかったそうですが。せっかくなら、コツでも教えてくれれば良かったのに」


俊典はぎこちない笑みを浮かべながらそう云うと、


「勿論冗談ですよ。両親には感謝しています」


岸辺は冷徹にも、そうですか、とだけ答えて話題を変えた。


「では、真希さんとの出会いについてお聞かせ願いたいのですが」


「真希との出会い?何故そのようなことを聞くんですか?」


「彼女の母親、灰原楓さんは昔に兼光氏と少しトラブルがあったみたいなので」


俊典はいささか心外だとでも云うように顔を顰め、


「まさか、妻を疑っているんですか」


「全員を疑っています。勿論、僕達も容疑者ですが」


岸辺の言葉に俊典は不服そうに視線を落とす。


「確かに、真希の母と親父は過去に少し諍いがあったようですね。しかし、それは僕達夫婦にはまるで関係のないことです。僕達は自分達の意思で交際を始め、結婚に至りましたから」


力強い調子で俊典はそう云うと、今度は却って説得するような声色で、


「それに真希は、自分の母親のことを全く知らなかったんですよ。父と真希の顔合わせの際に初めてお互いの身の上話をして、そこで偶然にも親同士にも面識があったことが分かったんですがね。その後は、父が灰原さんの話を妻に聞かせていたくらいでしたよ」


「兼光さんが真希さんにですか?」


三宅が尋ねる。


「そうです。妻は母親の役者時代について全く聞かされていなかったようで、全然知らなかったんです。『大江戸惨殺譚』に廉役で出演していたことも、そこで初めて知ったと。その時の妻の驚きぶりは今でも憶えていますから」


「灰原さん程の輝かしいキャリアであれば、普通なら自慢したいですよね。それも自分の娘相手になら尚更ですよ」と、三宅。


「それは僕も同感です。僕等兄弟は親父から役者時代の話を耳にタコができる程聞かされてきましたから。まあでも、親父みたいな人間の方が珍しいでしょうね」


「かもしれません」


三宅はゆっくりと頷き、


「兼光氏が真希さんにした話の中では、兼光氏と灰原さんがかつて恋仲にあったことも出たんですか?」


「—恋仲?」


俊典は、それが初めて聞いた言葉であるかのように機械的に反復した。


「そうだったんですか?親父と灰原さんが昔恋仲にあったんですか?」


俊典は愕然とした面持ちで質問を繰り返す。見開かれた双眸には動揺が見える。まさか知らなかったとは。


「あ、いや、すみません」


三宅が必死に弁解の言葉を探していたところで、岸辺が助け舟を出す。


「今朝、映画を鑑賞していた時にそうおっしゃっていました」


「そうだったんですか。それは驚きだな・・・」


未だに信じられないというような表情で、一度溜息を吐いた。


「しかし、別に問題はないですよね。・・・・うん、ない」


俊典は自分に云い聞かせるように呟くと、視線をこちらに戻し、


「親父が真希に語っていたのは役者としての灰原さんの話のみで、親父とのトラブルについては話していませんでした。後日、少しトラブルがあったということを僕には聞かせてくれていたんですが、まさか一時は友人以上の関係だったなんて・・・そんなことは知りませんでしたよ」


冷や汗をハンカチで拭いながら俊典はそう云うと、突然何かに気づいたように顔を上げた。


「まさか、それであなた達は妻を疑っているんですか。妻は何も知らないんですよ」


俊典は急に拳を強く握り、


「僕や妻が犯人だと疑われるのは断じて看過できません。ただでさえ両親を奪われたのに、妻がその犯人にされるなんて。あなた達には分かりませんか、僕達が抱えている悲しみが。両親を殺めた殺人犯の手が真希や美香にまで及ぶかもしれないと、そう考えるだけで恐ろしい」


溜まっていた感情を途端に表に出した俊典に、三宅は思わず尻込みしてしまった。


「ええ、勿論理解できます」と、岸辺。


「・・・すみません。少し取り乱しました」


俊典は正気を取り戻すと、何度も瞬きをしながら、ずれた眼鏡を掛け直した。


少しの沈黙の後、俊典は改まった調子で口を開いた。


「犯人は何が目的なのでしょうね」


それは岸辺に対する質問というよりも、自問のように思えた。


「何故犯人は両親の命を狙ったんですかね。僕は、この館内にいる人間の中に犯人がいるなんて信じられない、いや、信じたくないのです。それに、両親は僕らが生まれる前からこの島で生活していて、ここ以外の人間との関わりなんて無いに等しい。二人が恨まれる理由なんてないですよ」


その質問に岸辺も三宅も答えられずにいると、俊典は言葉を接いだ。


「どうすればいいと思います?」


三宅がその言葉の真意を捉えるより早く、俊典は自答した。


「皆別々でいるからよくないんだ。だから犯人は犯行を実行できる。警察が到着するまで、皆同じ部屋にいればいいんですよ。ほら、探偵小説なんか読んでいて思いませんか、バラバラでいるから殺されるんだって。そうでしょう」


自分も数多の小説を読んできた中で当然同じ発想を抱いたことはあるが、まさか本当に実行しようとする人がいるとは。


「どうでしょうね。犯人の目的が分からない以上、却って向こうに都合の良い状況になってしまうかもしれませんよ。最悪の場合、全員纏めて御陀仏です」


岸辺の発したあまりにも不謹慎な言葉に、


「そんな、流石にそれはあり得ない」


俊典は右拳で椅子の肘掛けを叩いた。


「犯人はそのあり得ないことを既に実行したでしょう」


俊典は顔を引き攣らせ、やがて視線を床に落としたが、拳は握られたままだった。


「申し訳ないが、父が亡くなってしまった今この家の当主は僕です。これ以上被害を出さないためにも、この案に従ってもらいたい」


父親譲りの力強い眼に圧されるようにして、三宅はソファに凭れかかった。


その横の岸辺は顔を少し傾けて、何かを思案している。


「分かりました」


岸辺の返答はそれだけだった。

励みになりますので、高評価コメントの方よろしくお願いします!『監獄館の殺人』など、他作品もありますので、よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ