次男の供述
1992年10月某日、小説家岸辺の元にとある招待状が届く。その差出人は、かつて人気ドラマの主演俳優として名を馳せた道源兼光。かくして彼が住む孤島、緑青島で開催される誕生日会に参加することになった岸辺と編集者三宅だったが、島に到着して早々当人から本当の招待理由を告げられる。それは、2年前にこの島で発生した未解決事件で亡くなった妻雪子の死の真相を探ることだった。
「さあさあ、どうぞどうぞ」
昼食を終えて部屋を尋ねるなり、道源隆平は軽い調子で二人を招き入れた。
「ずっと部屋に籠られていたと聞きましたが、もう具合はいいのですか」
三宅は部屋を見渡しながら尋ねた。間取りはどの部屋も同じようだが、年に一回は来ているだけあって、彼の趣味らしいオーディオプレイヤー類が多く置かれている。
「ん〜、そうだね。かなり良いよ」
ベッドの前のソファに二人を案内し、隆平は冷蔵庫の方に歩いていく。
今朝、父親の死を聞かされた時の青ざめた顔からは一転、今は顔全体が紅潮しており、卓上には空き瓶や空のグラスが散らばっていた。変に軽快な口調は空元気の表れだろう。
「兼光さんについてはお悔やみ申し上げます。ですが、私達は———」
「安心して。君達が犯人なんて微塵も思っていないから」
必死に弁明しようとする三宅の言葉を掻き消し、隆平は訂正した。
「では、犯人について目星はついているんですか?」
「いやあ、そういうわけではないけどさぁ。だって君たちには動機がないでしょ?もしかして、黒田さんの仲間とかだったりする?」
「そんなまさか」
三宅は大袈裟に首を振る。勿論、全員と初対面である。
「ところで、『大江戸惨殺譚』がどこにあるかご存知ですか?」
煙草を取り出しながら、岸辺は訊いた。
「えっ、どういうこと?」
隆平の口から戸惑いの声が漏れる。
「VHSの映像を確認してみたいんですけど、ご主人の書斎の棚に無かったんです」
隆平は頭を振って、
「さあ、知らないな」
「そうですか。では、事件に関する質問をいくつかさせて頂きますね」
断りを入れ、岸辺は煙草を銜えた。
「隆平さんは今朝ダイニングルームに来ていたそうですね。それはどうして?」
「ああ、それはあれだよ、水さ。昨日は飲み過ぎてしまったから、今朝目覚めた時無性に水分が欲しくなってね。だけど、あの冷蔵庫にはもう残っていなかったから、キッチンの冷蔵庫まで取りにいったんだよ」
隆平は、部屋の隅に置かれた小さな冷蔵庫を指差して説明した。
「部屋に戻ってからは何をされていました?」
「ああ、水を流し込んだ後はすぐにまた寝たよ。鴨川さんから玄関ホールに呼ばれるまでは、ずっと寝ていたけど」
「そうですか。では九時頃に足音を聞いていませんか。向こうの階段から誰かが駆け上がってくるような足音を」
岸辺は壁越しに、犯人が逃亡に使ったであろう右側の階段の方を指さした。
「さあ、そんなこと分からないよ。寝ていたからね」
「そうですか。では、話を変えましょう。あなたは金銭的困窮していたそうですね」
隆平は面食らったように吹き出した後、表情が僅かに翳った。
「遺産目当てで親父を殺したと?んなバカな」
隆平は頬を引き攣らせるように笑む。
「そんなことは思っていませんよ」
隆平は一度深く溜息を吐くと、
「確かに金のトラブルはあるよ。でもさ、あんまりこんな云い方したくないけど、親の金はいつか俺達兄弟に相続されてた訳じゃん。それがまさか、こんな形になるなんて思ってもみなかったけどさ。どうせいずれは手に入っていたもんなんだから、俺達兄弟はわざわざ殺す必要なんて全くなかったわけ。勿論、殺したいなんて思ったこともないけどね?」
「トラブルは今も健在なんですよね。であれば、いつかではなく、今必要だったのでは?」
岸辺の指摘に隆平は困り果てたように目線を外した。
「参ったな。督促状なんてここには持ってきてないからね」
暫くの間、膨らんだ髪を掻いていた彼は、
「じゃあさ、どうして両親がこんな豪邸に暮らせていたか分かる?いくら二人が役者として名を馳せていたと云っても、それももう三十年以上前の話だろう」
隆平の突飛な問いかけに、岸辺も三宅も答えることはできない。
「母には投資の才能があったんだよ。この島を購入して館を建てた時には、貯蓄の三分の二を使い果たしてしまったらしいんだ。でも、気休めに始めた投資で成功し、家族全員が遊んで暮らせる程の資産を築き上げたんだとさ。普通、それを知っている人間なら母さんを殺さないでしょ。まだ貯蓄が増えたかもしれないんだからさ」
そこまで云い終えた隆平は一度視線を床に落としながら溜息を吐き、
「全く羨ましいよ、母さんは。てっきり息子の僕にも投資の才能があると思ったんだけどなぁ」
「隆平さんは投資で失敗されたということですか?」
三宅は恐る恐る尋ねた。隆平は特段機嫌を損ねる素振りもなく、
「正解。仕事が上手くいっていたから、つい調子の乗って株取引に手を出しちゃった。そうしたらみるみる内に下落し、何十倍もの借金になって返ってきたってわけ。もう思い出したくもない」
「それで兼光氏にお金を借りようとしていたんですか」
「まあ、そういうこと。でも親父は何故か、僕が社会に出てから急にお金を渋り始めて、今僕は細々と返済してるって訳。八王子に買った家は差し押さえられてるけどね、ははは」
冗談のような軽い調子でそう云うと、今度は声のトーンを幾らか落とした。視線が合う。
「だけど誓って云える。僕は親父を殺してない。勿論、母さんもさ。当たり前だろう、いくらお金に困っていたからといって、両親を殺すなんてあり得ない」
岸辺は無言で何回か頷くと、
「俊典さんもお金に困っていたんですよね、彼も投資で失敗を?」
「さあ、確か経営しているスタジオの状況が芳しくないとは云っていた気がするけど。兄貴に直接訊いてみて」
三
「ちなみに、お二人とも役者の道に進もうという気持ちはなかったのですか」
岸辺の質問が途絶えた隙に、三宅が尋ねた。これは事件に関する質問ではなく、完全に私的な疑問だった。
「よく聞かれるよ、それ。子供の頃は僕も兄貴も役者になろうとしていたよ。小さい頃から親父の出ている作品を散々見せられてきたからね。でも僕は次第に裏方の方に興味が移って、今はこうして脚本家をしているって感じかな。兄貴も似たような感じだったと思う。親父は僕達が役者の道から外れることを反対していたけれど、母さんが説得してくれてね」
「成程、では———」
次の質問も考えていたが、横の先生が嫌そうな顔をしているのでやめておく。
「二年前の事件について伺ってもよろしいですか。大まかなことはお聞きしたのですが、隆平さんはどのように考えています?」
「先生はなかなかズバズバ質問してくるね・・・」
隆平は冗談めかしてそう云ったが、表情は昏い。
「辛い過去を思い出させるようで申し訳ないですが、今回の事件とも繋がりがあると思いますから」
「犯人は黒田さんなんでしょう。でも彼女はもう死んでるって。じゃあ今回の事件とは関係なくない?呪われているんだよ、この家。僕だったらすぐにでも売ってしまうけどね」
「あなたも黒田さんが犯人であると考えているんですね」
「どうだろうね。如何せん僕が寝ている間に起きたことだから、起きた時には既に母さんは息絶えてた。警察や皆が黒田さんの仕業だって云ってるからさ。でも、その点彼女は幸運だったかもね。彼女が自殺していなかったら、僕が殺しちゃってたかも」
隆平はこれまでと変わらぬ調子で独りごちた。返す言葉が見つからず、沈黙が生まれる。
「いやいや、冗談だよ、冗談。こんな状況じゃ笑えないかぁ」
一人で乾いた笑いを続けたのち、隆平は口を閉じて視線を落とした。
「では、隆平さんは二年前のあの日、何も見ていないと?」
「そうだね。あの日も小山内さんと遅くまで飲んでいたから、部屋に戻ってからはぐっすりだった」
隆平は少しの間物思いに耽るように部屋を見渡すと、声の大きさを幾分落とし、
「実は僕、親父を殺した犯人については検討がついてるんだよね。怪しいのがいるんだよ」
彼は、自分達以外に人がいる訳でもないのに囁くように云った。
「誰なんです?」三宅は前のめりで質す。
隆平は勿体ぶるように一呼吸置くと、
「———真希さんだよ」
不気味な笑みを浮かべた。
「真希さん・・・ですか。隆平さんもそう考えているんですね」
隆平は一瞬疑問を浮かべたが、すぐに神妙な表情に戻し、
「彼女の母親は灰原楓なんだよ。親父とも共演していた元女優なんだけど、知ってるかい?」
「えあ?」「は?」岸辺と三宅、二人の頓狂な声が重なった。目星は共通しているものの、これまで抱いていた『黒田由美、道源真希母子説』は本人を前にすることなく、灰塵と化した。
「二人してどうしたの?」
放心状態になった二人に隆平の声は聞こえていない。
やがて、意識を取り戻した三宅が遅れて返答した。
「女優『青柳加那』さんですよね。知ってます知ってます。兼光さんからも少し話を聞きましたよ」
「親父も話を・・・?それはどんな話だった?」
「確か兼光さんの元恋人で、彼が雪子さんと交際を始めてからは、二人に色々な嫌がらせをしていたんでしたっけ」
「そうそう」
隆平は満足げに二度頷くと、
「それなら話がはやい。ほら、僕って脚本家やってるから、業界の話とか入ってくるわけ。それで前に白沢さんっていう世話になってるプロデューサーから彼女の話を聞いたことあんのよ。真希さんの母親、昔女優としては結構売れてたらしいけど、多分ヤバい人だよ」
隆平は縮れた毛先を指で遊ばせながら、白沢さんから聞いたという話を始める。
「『大江戸惨殺譚』の撮影が中盤に差し掛かった年のクリスマス、白沢さんは奥さんと横浜を歩いていたのね。それで家までの帰り道、赤煉瓦倉庫の前を通りかかったら、そこで灰原楓を見つけたらしいのよ。でも彼女、何故か赤煉瓦の壁に寄り掛かって泣いてんの、しかも片方裸足で。それで白沢さんがどうしたんだって声をかけたんだけど、何も答えず、ただ泣いてんのね。彼女にとっても、白沢さんは恩人だぜ?あの映画に彼女をキャスティングしたのも彼なんだから」
そこで隆平は一度、グラスに注がれた水を口に入れた。
「それがどうしたんです?」
「まあまあ、面白いのはこれからだから、そう焦んないでよ」
急かす三宅を落ち着け、隆平は続ける。
「それでね、結局白沢夫妻は諦めて家に帰ったらしいのね。で、ここからは後日白沢さんが知人から聞いた話になるんだけど、なんと彼女、次の日の夜までずっと泣きながら同じ場所に立ってたんだって。どう考えてもおかしいでしょ。わかる?ずっとだよ、ずっと。真冬に突っ立ったまま一度もそこを離れず、飯も排泄もなし。結局、彼女その場で倒れて病院に運ばれたらしいんだけど、それで撮影も延期になったらしいね」
話終えた隆平は自慢げな表情で、二人の反応を伺っていた。
「話はそれで終わりですか?ずっと立っていた理由は?」
岸辺が尋ねる。
「さあ、後日当人に聞いても教えてくれなかったらしいんだな」
まさかのオチなし。何だか拍子抜けだ。
「元カレの兼光さんと何か関係があるんでしょうか」と三宅。
「分かんない。親父にも聞いてみたことがあるんだけど、全然知らないってさ。その時にはもう別れてたらしいし。でも、怖いよね。もしかしたら、僕の母親が彼女だった可能性もあったって考えると。勿論、僕も兄貴も、正真正銘道源兼光と道源雪子の息子だけどね」
隆平は喉の奥を鳴らすようにカッカと笑うと、
「でも、やっぱり彼女、自分を捨てて母さんに乗り換えた親父をかなり憎んでたみたいで、撮影現場でもしょっちゅう親父に付き纏ってたらしいのよ、当時付き合い始めていた母さんもいたのに。ただ、演技は卒なくこなすから、白沢さんも変に注意できなかったみたい」
「確か、雪子さんは灰原さんのせいで足を怪我したんですよね」と三宅。
「えっ、それ親父が云っていたの?あれでしょ?撮影で使う発火装置が爆発したって云うやつ。母さんはそれで怪我したらしいけど、発火装置の爆発はスタッフの管理ミスだったらしいよ」
隆平は冗談めかしく笑った。悲しみを押し殺すような歪な笑みだった。
「それで、かなり脱線しちゃったけど、そんな灰原楓の娘だから真希さんを疑ってるんだよ。顔や印象こそいいけど、彼女も母に似たヤバい一面を隠しているに違いない」
道源真希を犯人だとする証拠としては根拠に乏しいが、今の彼の心理状況を鑑みるに、どこか怒りを向ける先が欲しいのだろう。
「俊典さんと真希さんが出会ったのは偶然だったのですか?」
短くなった煙草を灰皿に押し付けながら、岸辺は尋ねた。
「どうだろうね。兄貴のスタジオに彼女が働き始めたのがきっかけだったらしいけど、その辺りのことはあんまり詳しく聞いてないんだよね。兄貴にも灰原楓の奇行話はしたことがあるんだけど、その時の兄貴は特に真希さんにゾッコンだったから、どうでもいいって一蹴されちゃってさ。まあこの辺は直接聞いてみてよ」
励みになりますので、高評価コメントの方よろしくお願いします!『監獄館の殺人』など、他作品もありますので、よろしくお願いします!