死者からの手紙
1992年10月某日、小説家岸辺の元にとある招待状が届く。その差出人は、かつて人気ドラマの主演俳優として名を馳せた道源兼光。かくして彼が住む孤島、緑青島で開催される誕生日会に参加することになった岸辺と編集者三宅だったが、島に到着して早々当人から本当の招待理由を告げられる。それは、2年前にこの島で発生した未解決事件で亡くなった妻雪子の死の真相を探ることだった。
二階の中央奥、持ち主を失ったその部屋は、昨夜よりも随分とあっけらかんとしていた。窓の外は依然白に埋め尽くされており、焦点の合わないレンズを覗いているようでもある。
「やはり、誰も入っていないようですね」
何も答えることなく部屋の奥へと進む岸辺を尻目に、入って右側一帶を埋めた棚の方へ近づいた。初日は主人の手前、じっくりと眺めることはできなかったが、小綺麗に収納されたVHSの数々は壮観だった。遥か頭上まで収納された段々には、時代劇や恋愛映画、サスペンスのみならず、見たことも聞いたこともないような洋画も散見していた。書斎の向かいにはこれまた大きなスクリーンがある。書斎の椅子で寛ぎながらVHSを鑑賞していたのだろう。一階にあれほど本格的なシアタールームを持ちながら、ここでも楽しんでいたとは。引退後何十年も経って尚、芝居への熱意は失われていなかったことが容易に窺い知れる。
「おや」
その声に振り向くと、岸辺は書斎机の引き出しを開けていた。
「どうしました?」
「見てくれ」
岸辺が差し出したのは、何かが描かれた紙だった。
「この引き出しには部屋の扉と同じ鍵が掛かっていた。兼光氏しか開けられないものだろう」
抽斗の中には、無数の封筒が重ねて仕舞われていた。どうやら、昨日届いた差出人不明の手紙の封筒と同じものらしい。何十通にも上る封筒全ての表面に機械的な字で、『道源兼光様へ』という宛名書きがあるが、差出元の住所は記されていない。
「あのような手紙が兼光さんの元に届いたのは、昨日が初めてじゃないと」
「そうだろう。いつからかは定かではないが、この人物は以前から匿名で兼光氏に手紙を送り続けていたようだ」
岸辺は抽斗の中から纏めて取り出し、書斎机の上に広げた。最も古いと思われるものから調べ始める。
「えっ、これには消印がありますね」
三宅は裏返した封筒を岸辺の前に差し出す。
「1964年、———二十八年前だな。そんな前から届いていたのか」
岸辺はその封筒の中にあった手紙を開く。
———お久しぶりです、お元気でしたか。
「これだけですか?」
拍子抜けした三宅は手紙の裏面を覗き込んだが、他の文章はどこにも見当たらない。
「まだ何通もあるんだから」
しかし、以降の手紙も同様、「天気がいいですね」や、「如何お過ごしですか」といった当たり障りのない文章が一つや二つ描かれているだけだった。
「兼光さんは返事を出していないようですね」
「どれも会話にはなっていないからな。それに住所が記されていないのだから、出したくても出せない」
消印からすると、これらの手紙は毎月一通ずつ描かれたものらしい。
文章に変化が見られたのはそれから十年、1974年に出された手紙だった。
—————いつ迎えに来てくれるのですか。ずっと待っています。
「犯人からの脅迫状・・・なんですかね・・・」
三宅は呟きながら顔を上げた。
手紙に記された文言には一切脅迫の表現は見られないが、何か事情を知っている兼光にとっては脅迫の体を為していたのだろうか。或いはただの悪戯か。
最後に出されたものは、それから300通以上を経た、1989年の4月23日に出されたものだった。
—————私が迎えに行きます。
「これ、雪子さん殺害事件の約一年半前に出されていますね。やはり、犯人からの犯行予告だったのでしょうか」
「かもしれないね」
「であればやはり、これらの手紙を出した人は黒田さんで、今朝届いたものは、亡き母親の意思を継いだ真希さんによるものですかね」
岸辺は気のない顔で肩を竦める。
昨日届いた手紙の差出人と同一なのは間違いないようだが、ここにある手紙の封筒には全て、福島県いわき市内の郵便局の消印がある。しかし、昨日の封筒にはそれがなかった。
「おかしい」
岸辺は何やら鹿爪らしい表情で、束になった手紙を見下ろしていた。
「手紙が届きはじめたのは二十八年前からだろう。だが、この館は二年前の火事で半焼した。その時兼光氏はこの島にいなかったのだから、当然火から守るために持ち出すこともできない。それなのに、どうして手紙はここに残っているのか。わざわざこの棚だけ施錠しているのだから他の人の目に触れる機会はないし、彼は僕らにさえ手紙の存在を話さなかった。手紙の存在は誰にも話していなかった可能性が高いのに」
「兼光さんは、事件の事情聴取が終わるとすぐにこの島に戻ったんですよね。運よく火事の被害に遭わなかったこの手紙が露見することを防ぐために、回収したんじゃないですか。何か他の人には見られてはいけない秘密があったんですよ」
「確かに兼光氏は何らかの理由でこの手紙を人目から隠していたようだが、二階は二年前の火事で完全に燃え、この部屋も焼け落ちた。これらの封筒が今も残っているのは、人為的な要因があるはず」
二
優に300を超える数の手紙が見つかったが、その一段下の棚にはまた異種の文書が隠れていた。
「履歴書か」
岸辺はそれを取り上げながら呟いた。名前から住所、電話番号、経歴などの欄が設けられたA4サイズの用紙、一般的な履歴書だった。それがまた何十枚も重なって仕舞われていたらしく、特に古いものは黄ばみがかっていた。緑青島の使用人になるために兼光氏による面接があったと云っていたことから、履歴書による書類審査も行っていたのだろう。何らかの事情で使用人が辞職するたびに、また一名新たに雇用するという形で補充していたらしいが、その狭い枠には割りに合わない程の応募数があったようだ。採用不採用関係なく、送られてきた履歴書はまとめてここに保存してあったらしい。
三宅は拡げた履歴書の中から一枚を取り上げる。
「これ、多田さんのものじゃないですか」
証明写真の欄には、現在の姿よりもかなり若い姿の多田が写っていた。
現在の落ち着いた印象とは程遠く、海の男らしい豪快な笑みを浮かべている。経歴の欄によると、今で云う中学校を卒業してからは、五十年以上漁師をしていたらしい。
「鴨川さんと小川さんのもあるな」
岸辺も机上に広げた履歴書を眺める。
「二人とも元看護師か」
人の人生を覗き見るようで多少の罪悪感を抱いたが、奇妙な好奇心が働いて思わず見続けてしまう。
「見てください、これ」
三宅は二枚を岸辺の前に差し出した。
「黒田さんのものですよ。黒田由美さんの履歴書です」
その一つは、23歳の彼女がここで勤める際に提出された履歴書だ。もう一つは、それから二十年以上経った彼女のもの。経歴を見ると、やはり高校卒業を機に様々な職を転々としていたようで、この島の使用人を一度退職してから、再度復帰するまでの約二十年は自営業をしていたという。
「見てください、先生」
前者の証明写真の欄には、微笑を浮かべたあどけない少女の顔が写っているが、後者には二十年分の変化が反映されている。きりっとした表情で正面を見据える彼女の顔は、やはり道源真希に似ているように思える。
「自営業ってなんでしょうか」
「実家に戻ったのは、実家の家業を継ぐためでもあったのかもしれないね」
「そうであれば余計に、この島に戻ってきたのが不思議ですね」
三宅はそのまま他の履歴書を順番に眺める。道源寺鳳史目当ての応募だからなのか、応募者の大半は女性だ。応募者の中には、彼への熱烈なラブコールを自由記述欄に書き連ねている人も少なくない。
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