共犯者
1992年10月某日、小説家岸辺の元にとある招待状が届く。その差出人は、かつて人気ドラマの主演俳優として名を馳せた道源兼光。かくして彼が住む孤島、緑青島で開催される誕生日会に参加することになった岸辺と編集者三宅だったが、島に到着して早々当人から本当の招待理由を告げられる。それは、2年前にこの島で発生した未解決事件で亡くなった妻雪子の死の真相を探ることだった。
岸辺と三宅は感謝を述べ、ダイニングルームを後にした。
「結局、二年前の犯人と今回の犯人は別人なんですかね。あまりにも黒田さんの事件前後の行動が不可解ですけど」
「じゃあ、二年前の犯人は黒田さんではないと?」
「そうです。黒田さんが犯人であるという明確な証拠が残っているわけではないですし、罪悪感から自殺したという点も気に懸かります。———そうだ。兼光さんが二年前の犯人なのではないですか。あれですよ、あれ。本土で明確なアリバイをつくりながら、島で犯行を行うってやつ。船が不可欠ですし、多田さんも共犯かもしれないですよ」
「なら、———二年前雪子氏を殺害したのは、本土にいるはずの夫だった。そして彼は今朝、雪子氏の復讐として誰かに殺されたと?」
「そうですよ。小山内さんによる姉の仇打ちです。動機まで見つかりましたね」
「まだ彼女を疑っていたのか。でもそれはないね。兼光氏は事件当時、間違いなく本土の病院にいた。病院に確認したから、もうその線は消えている」
「あっ、そうですか」
二人は玄関ホールの前を通り過ぎ、中央階段を上がる。そこで突然岸辺は立ち止まり、人差し指を立てた。
「僕の見立てとしては二つある。まず一つ目。二年前の事件では黒田由美以外にもう一人共犯者がいた。その真犯人は黒田さんを裏切って殺害し、今回も何食わぬ顔でこの館に訪れ、兼光氏を殺害したと云うものだ。二つ目は、二年前の事件の犯人は黒田由美独り。だが、彼女は警察の嫌疑から逃げきれずに自殺。彼女が抱いていた何らかの恨み、或いは意思を継いだ誰かが、彼女の成し得なかった兼光氏殺害を果たそうとしている。——というものだ。どちらにせよ、事件関係者の関係がまだ曖昧だ。それを洗い出さないとね」
「それでいうなら、俊典夫妻が怪しいんじゃないですか?金銭的問題を抱えていたそうですし、両親亡き今遺産を手にしたわけですから」
岸辺は何か思い悩むように顔を顰める。やがてハッと、驚いたような声を上げた岸辺は、三宅が懐にしまいかけていたメモ帳を取り上げた。
やがてあるページで手を止めると、その面を三宅の前に差し出した。
「黒田さんには娘がいると云っていただろう。しかし、誰も彼女の夫については知らなかった。何故夫については話さなかったのか。———もしかしたら、話せない事情があったのかもしれない」
「それはどういう?」
「娘は、兼光氏との間にできた子供だからさ」
「へ?」
合点がいかない三宅を尻目に、岸辺は推論を講ずる。
「兼光氏は若気の至りでかなり色々なことをしていたと云ってたろう。その名残で使用人との間に関係を持っていたとしてもおかしくはない。鴨川さんや多田さんのように、黒田由美もかつては彼のファンだったようだし。大凡二十年位前————兼光氏との秘密の関係によって黒田さんは命を授かった。しかし、その妊娠を公にはできないため、表向きには家族の都合として使用人を辞職して本土で出産。だが、本土に戻って彼との間にできた子供を育てている内に、彼女は段々と兼光氏の正妻である雪子氏の存在を嫉み始めた。その思いは時の流れと共に膨らんでいき、二年前、遂に犯行に臨んだというわけだ」
「じゃあ、兼光さんは黒田由美さんと不倫していたと?」
「ああ。あくまで可能性の話だが信憑性はあると思う。本来なら彼女は、雪子氏の殺害後警察の捜査を掻い潜り、兼光氏殺害にも臨むつもりだったのかもしれない」
「それなら、兼光さんはよく黒田さんを再雇用しましたね。離れて行った爆弾を再び自分の側に置くなんて」
「爆弾?」
岸辺はポカンと開けた口をすぐに閉じると、
「ああ、それは僕も考えたんだが、——妊娠のことは兼光氏にも云ってなかったんじゃないかな。元々ファンだったのだし、お金をせびるなんて発想、初めは無かったんだろう。ただ、金銭的支援なしに女手一つで子供を育てる苦労は想像以上で、怒りの矛先は自然と兼光氏に向いた。自分の苦労も知らないで、今も能能と妻と暮らすあの男、妻に隠れて不倫していたくせに、という具合にね」
「それで、再び使用人としてこの島に戻ってきたということですか。・・・でも、どうして二十年経ってから?今更って感じじゃないですか。もうその頃には、子供も成人しているわけですし」
「だからだよ」
岸辺は広角を少し上げて微笑んだ。
「黒田由美は兼光氏からの愛を独り占めするため、障壁だった雪子氏を殺害した可能性もある。だが、長年過酷な生活を送っていたなら、当然兼光夫妻の持っていた莫大な財産にも狙いをつけたに違いない」
「どういうことですか、先生。仮に遺産目当てで夫妻を殺害したとしても、その遺産を相続するのは俊典さんと隆平さんじゃないですか」
「それが狙いだよ」
「へ?」
三宅は眉を顰めて首を傾げた。俊典が隠し子?それは無い。
「その二人の他にも、まだ遺産の受け取り手がいるだろう」
「————真希さんですか」
「そう。似ていると思わないか、写真で見た黒田由美に。もし俊典さんの妻である真希さんが黒田由美の娘だったなら。黒田由美は、兼光氏への恨み辛みを長年聞かせて育てた娘を俊典さんに近づけることで、道源家の遺産を根こそぎ乗っ取ろうと企んだ。そして、雪子氏殺害は完了したものの、運悪く犯行の一部を鴨川さんに目撃されてしまったこともあって警察の疑いの目をかわしきれなくなった。だから自殺したんだ。自分が犯人だと遺書を遺すことで、共犯者である愛娘に疑いがいかないように」
「成程・・・」
三宅は、岸辺の唱えた説を頭の中で再検証していく。
「つまり、兼光さんを殺害したのは母の意思を継いだ道源真希————旧姓黒田真希さんだと」
「ああ。それならあの差出人不明の手紙も説明がつく。恐らく二年前の犯人として、兼光氏はまず黒田由美を疑ったに違いない。その心理を利用してあの手紙を出したのだろう。死んだはずの元愛人、黒田由美からの手紙だ。この一連の犯行は、母の仇でもあるのかもしれない」
そこまで云うと、岸辺は煙草を銜えライターを取り出した。
「であれば、俊典さんは・・・」
三宅は視線を落とし、呆然と呟く。
「まあ、今朝の犯人の動きも然り、まだ分からないことが多いな。今挙げた説もあくまで可能性に過ぎないし」
岸辺は肩を竦め、
「取り敢えず、俊典さんと真希さんから話を聞かないことには始まらない」
「あら、どうされました」
小川が二階から降りてくる。そこで漸く、自分たちが踊り場で立ち止まったままであることに気づいた。つい目の前の議論に熱中しすぎてしまっていたらしい。
「いえ、何でもありません。美香ちゃんの具合はどうですかね。できれば、俊典夫妻とお話したいのですが」
「どうでしょう」
小川が発したのは、それだけだった。
「どういうことですか?」
三宅の質問にも調子を崩さず、小川は淡々と、
「今はあまり宜しくないかと。度重なる心労でお二人ともお疲れのご様子ですので」
「はあ、そうですか。ありがとうございます」
三宅の感謝の言葉に一礼すると、小川は一階へと降りて行った。
その使用人の背が見えなくなるまで見送った三宅は、岸辺の方に向き直り、
「どうします?もう少し待った方がいいようですが」
「丁度いい。兼光氏の部屋を調べさせてもらおうか。何か事件と関連のあるものがあるかもしれない」
「勝手に入ってもいいんでしょうか」
二階に向かって歩き始めた岸辺の背に向かって、三宅は尋ねた。
「一応、今朝本人から許可は得ている。部屋のものは自由に調べてもらって構わない、とね」
そう云って岸辺は右ポケットから何かを取り出した。
「兼光氏のポケットから拝借しておいた」
彼が得意げに差し出したのは、鈍く光る鼈甲色の鍵だった。
励みになりますので、高評価コメントの方よろしくお願いします!『監獄館の殺人』など、他作品もありますので、よろしくお願いします!