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緑青島の殺人  作者: 髙比良実
10/24

姉妹

1992年10月某日、小説家岸辺の元にとある招待状が届く。その差出人は、かつて人気ドラマの主演俳優として名を馳せた道源兼光。かくして彼が住む孤島、緑青島で開催される誕生日会に参加することになった岸辺と編集者三宅だったが、島に到着して早々当人から本当の招待理由を告げられる。それは、2年前にこの島で発生した未解決事件で亡くなった妻雪子の死の真相を探ることだった。


俊典夫妻から話を聞くべく部屋を訪ねたが、門前払いされてしまった。聞くに、高熱で寝込んでいた美香の容態は一応落ち着いたものの、俊典は娘の元を少しも傍を離れたくないらしい。度重なる災難に疲弊し、今はとても話す気にはなれないと云うことだ。そこで、丁度美香の経過観察を終えたらしい小山内と鉢合わせ、自然に顔が強ばる。


「あら、お二方。私であればお話しできますけど」


今朝の様子からは一転、髪の毛は綺麗に束ねられており、顔全体には薄く化粧が乗っている。彼女が、犯人なのだろうか。


「そうですか、是非お願いしたいです」


三宅はそう云いながら、扉の隙間から俊典一家の部屋を覗き込んだ。


そこからは、ベッドで眠っている美香と、娘を見守る俊典の背が見えた。


「立ち話も何ですから、私の部屋でもいいですか?少し疲れてしまって」


長年医療機関に従事していただけあってか、その表情には未だに悠然とした様子が窺える。


「ダイニングルームはどうですか。あそこなら、まだ誰かしらいるかもしれませんし。いくらあなたに私達への疑いを晴らしてもらったとはいえ、私達の容疑が完全に晴れたわけではないのですから」


岸辺は少し口角を上げた。


「ええ、ではそうしましょうか」


小山内は岸辺に続き、廊下を歩いていく。


「念の為、昨夜から今朝までのことをお聞きしてもいいですか」


三宅の質問に小山内は顔を背後に向け、


「昨夜は一時頃まで隆平さんと飲んでいました。かなり話し込んでいたんですが、皆段々睡魔を催し、自然と解散に。それから部屋に戻るとすぐに寝落ちてしまって、今朝岸辺さんが来るまではずっと眠りの中にいましたよ」


確かに今朝、先生に呼ばれて劇場に訪れた彼女の服装は昨夜のままだった。







岸辺と三宅は、小山内と共に再びダイニングルームに戻った。そこには、ダイニングルームの掃除を行っている多田の他、奥のキッチンで料理を始めたらしい小川と鴨川の姿もあった。


「おや、どうかされました?」


部屋に入ってきた三人を見るなり、多田は不思議そうに問いかけた。


「小山内さんからも話を聞きたいと思いまして。私達も容疑者である以上、他の人の目に触れていた方がいいと思いましてね」


岸辺は部屋の奥、キッチンで調理を進める小川と鴨川の背を眺め、


「まだ少し時間ありませんか。多田さんもよろしければ、同席をお願いします」


「分かりました。飲み物をお出ししますので、少々お待ちください」


そう云って多田はお盆を手に、奥のキッチンの方へと向かった。


岸辺と三宅は小山内の向かいの席に腰を下ろす。


「美香ちゃんの容態はどうなんですか」


煙草を銜えた小山内に目を向けながら、三宅は尋ねた。


彼女も煙草を吸うとは。少し意外に思えた。


「ただの風邪だと思うのですが、思ったよりも辛そうで。でも、小川さんに持ってきてもらった薬を飲ませた後はかなり落ち着いて、今はぐっすりと眠っていますよ。直に良くなると思います」


小山内は柔和な笑みを浮かべながら、右手に持ったライターで煙草に火を付ける。


「ですが、俊典さんと真希さんは気が気ではない様子で、大変な憔悴ぶりでした。ずっと美香ちゃんに付きっきりですよ」


小山内はどこか他人事のようにそう云った。


「小山内さんは、この状況を心配にならないんですか」


今や監獄と化したこの館には、今も兼光氏を殺害した犯人が確かにいるのだ。昨日の夕食で顔を合わせた人達の中に。その恐怖は、これまで話を聞いた人達の言動の節々にみてとることができたが、不思議と目の前の彼女からはそれが感じられなかった。


「勿論恐怖は感じておりますし、兼光さんが亡くなってしまった現実を受け入れることができません。でも、ここ数年で感情を表に出すことができなくなってしまって、こう云う時にどのような顔をすればいいのか分からないんです」


小山内は視線を斜め下に落とし、自嘲気味に口角を少し上げ、


「姉が死んでからというもの、悲しみに類する感情が欠落してしまって」


卓上に右肘を突き、項垂れるように頭を抱えた。


「それはお気の毒に」


「御愁傷様です」


二人の偲びの言葉に小山内は軽く頷いて、


「それが・・・まさか、兼光さんまで亡くなってしまうとは」


「えっ」


三宅は閉じていた両目を開いた。


小山内は未だ合点がいっていないようで首を傾げる。


「もしかして、姉というのは」と岸辺。


「そんな、あなたが犯人じゃないんですか?———あっ」


三宅は自分の提唱した説が覆されてしまった驚きで、無意識にそう口走っていた。


瞬時に岸辺の視線がこちらに向けられた。侮蔑を含んだ視線が痛い。


「どう云うことですか?」小山内は困惑した面持ちで三宅を伺う。


「す、すみません。云い間違えてしまっただけで」


必死に訂正しようと三宅は大袈裟に頭を振った。


その横の岸辺もフォローに入る。


「すみませんね、小山内さん。こいつ、たまに訳の分からないことを云うんですよ。しかし、あなたが雪子氏の妹さんだとは」


「え、ええ。お聞きしていませんでしたか。すみません、私はてっきり聞かされているものとばかり」


これまで変化が無かった小山内の表情に、明らかな驚きの様子が表出した。


「これは失敬。すっかり失念しておりました」


キッチンから出てきた多田が云った。背後には鴨川の姿もある。


「私達にとってあまりに当然の事実でしたので、うっかりお伝えし忘れておりました」


そう云って、お盆に乗った三つのカップを各々に差し出した。


「姉とは仲が良く、昔からたびたび道源夫妻の主治医としてこの島に来ていたのです」


差し出されたコーヒーカップを口に近づけながら、小山内は云った。


「成程。では、二年前兼光氏の肝臓の異常を発見したのも、貴方だったのですね」


岸辺の質問に小山内は一度頷き、


「ええ。幸運にも発見が早かったのであまり容態が悪化していたわけではないのですが、万が一のためにも、病院での手術を薦めました」


「それで事件二日前に、兼光氏は多田さんと共に船で本土の病院に行ったというわけですね」


「ええ。あの日も例年通り、兼光さんの誕生日を祝うために皆で集まることになっていたんですが、手術が入ったことで、急遽当人不在の中催されることになったんです」


小山内の言葉に頷きながら、岸辺は一度煙草を銜え直し、


「ちなみに、兼光氏が誕生日会を欠席することが皆さんに知らされたのはいつ頃でしたか?」


「私が手術を薦めたその日の内に、兼光さんは手術の日程を決定していました。それが確か、事件日の一ヶ月位前だったと思います」


多田も、


「私達使用人もその日に知らされておりました」


「であれば、誰もが犯行までの十分な準備期間はあったわけですね」


岸辺は再び紫煙を吐き出すと、


「ちなみに、小山内さんは黒田さんの犯行だと思っているのですか」


「ええ。私はそう思います。どうして姉を殺害したのか、せめてそれだけでも知りたかったのに。———あの黒田さんは、何か様子が変だったんです」


多田は大仰に頷き、同意の意を示す。


「今思い返すと、彼女は昔とはかなり様子が違ったようでした。二十代の彼女は掃除や皿洗いなどの業務も大雑把で、粗が目立つことが多かったのです。しかしどうしてか、再びこの島に戻ってきてからはあらゆる業務を几帳面に卒なくこなすようになっており、驚きました」


「しかし、二十年経っているのであればおかしな話ではないように思えます。人間、歳を取れば色々な変化があるでしょうし」


岸辺は窓の外を眺めている。


鴨川も加勢する。


「ですよね。私は若い頃の彼女のことは知りませんけど、まだ二十代だったのですから。母親になってその辺りのことには慣れたんでしょう」


「黒田さんには子供がいるんですか」


三宅は顔を上げて尋ねた。


「ええ、確か娘が一人。彼女がそう云っていましたよ」


その後も黒田由美の家族や、本土での二十年について訊いてみたが、多田も鴨川もそこまでは知らないと云う。家族については黒田本人に何度か聞いてみたことはあったらしいが、煙に巻かれてしまったと。


「そういえばですね、もっとあるんですよ」


多田の言葉によって、話は黒田由美の変化に戻る。


「あとは・・・昔よくやっていた将棋を久しぶりにしようと誘っても断られ、好き好んでいた映画鑑賞もしなくなったりと、色々と違和感がありました」


多田はまたぞろ真剣な表情で天井を仰ぎ見た。やがて、「思い出した」と掌を叩くと、


「そうだ。客人が来ていない時は、私達使用人もここで道源様ご夫妻と食事をさせていただいていたのですが、彼女はどうしてかそれを拒み、自室で食事を摂っていたんです。兼光様が心配して理由を訊いても曖昧な返事をするばかりで。昔はそんなことなかったんですけど」


「はあ」


岸辺の反応は淡白だった。視線を小山内の方に移し、


「遺体を確認した時のことをお聞かせいただいてもいいですか。確か、三時頃遺体を発見した黒田さんに呼ばれたのですよね」


「ええ」


小山内は戸惑い気味に口を開いた。


「既に息がないことを聞いていたので覚悟はしていたのですが、いざ遺体を前にすると足がすくんでしまって・・・ですが、私の検死に間違いは無かったと思います。姉は、入り口に立つ私に背を向け、暖炉の方を向いて座っていました———」小山内は伏し目がちに検死の状況説明を始めた。


雪子は車椅子の背に凭れかかるようにして座り、両腕を肘置きに乗せた状態だった。眼鏡の下の両目と口は大きく開かれ、顔は斜め上方を見上げるように少し上がっていた。遺体には外傷はおろか、注射痕もなかった。その後の司法解剖でも同様の見解が出され、体内から毒物の反応は検出されなかった。


必死に速記を行う三宅を見かねたのか、小山内はそこで少し話をやめた後、


「両耳の上辺りの眼鏡のフレームの裏の皮膚に、押し付けられたような跡が残っていました。初めは眼鏡のフレームが皮膚に当たった跡だと思いましたが、フレームが当たった程度では到底付かないほどの強さだと警察は云っていました。恐らく、何か紐状の物を頭に巻き付けられていたようなのですが、頭を締め付ける程の強さでは全然なく、頭蓋骨にも損傷はなかったと」


小山内は両腕を卓上に上げると、右手で左手の付け根を握り、


「そして、同様の痕が両腕の付け根にもありました。姉は足が悪く、独力での歩行は不可能だったので、姉は犯人によって車椅子の肘掛けに両手を縛られて拘束されていたというのが警察の見解ですが、姉の指紋以外は検出されていないと」


「分かりました」岸辺は再び煙草ケースから一本取り出す。


「すみません、私も一本頂いてよろしいですか」


小山内の顔には先程までには無かった憔悴が見える。


「すみません」


岸辺は新たな煙草に火をつけ、銜える。


「検死の場には真希、美香母子以外の全員が居合わせていたのですよね、黒田さんの様子はどうでした?」


「ずっと不安そうにしていたのは憶えています」


「その後火事が起きたんですよね」


「ええ。警察への通報を終えて間もなく、どこかから火災が起きていることに気づき、大急ぎで館外に脱出しました。その後は午前七時までの三時間、あの港で警察が来るのを待っていました」


「警察はその場で取り調べを?」


「いえ、姉の搬送もありましたし、直ぐに船に乗せられて本土の警察署に連れて行かれました。如何せん皆が眠りに落ちていた夜中に発生した事件ですし、現場事態が消失してしまっていたので大した証言もなく、全くといっていいほど捜査は進展しませんでした。そして、島の現場捜査が優先されることになり、私達は解放されました。私のような客人は各々の自宅に戻りましたが、兼光さんは警察の反対も押し切って、捜査中だったこの島に戻ったんです。確か、多田さんもそうでしたよね」


「ええ、兼光様はどうしてもこの島を離れたくなかったようで、取り調べが終わると直ぐにこの島に戻り、半焼した邸宅の近くに簡易的なペントハウスを造らせて邸宅再建までの一年間はそこに住んでおりました。初めは警察も捜査の邪魔になるといって煙たがっていたんですが、その場で詳しい話を聞けるというので黙認状態でした」


「使用人の方も一緒に島に戻ったのですか?」


岸辺の投げかけた質問に、多田は困ったような顔で言葉を詰まらせた。


「いえ、多田だけです」


口を開いたのは、鴨川だった。


「あの時の兼光様は、自身の不在中に雪子様を亡くされたショックで大変疑心暗鬼になっていたのでしょう。事件発生時に共に本土におり、確実に犯人ではない多田さん以外は島に戻らせようとしませんでした。犯人が特定されるまでは我慢してくれと、当面の生活費と電話番号を渡されて、久しぶりの本土で生活することになりました。私や小川は身寄りがなく帰る場所なんてなかったので、各々が賃アパートなんかを借りて、邸宅の再建と犯人の特定を待ち望みながら生活していました」


「黒田さんや小川さんとは別々に暮らしていたんですね」


そこで一度、鴨川は紅茶に口をつけて、


「ええ、そうです。私達使用人の間にも猜疑心が芽生えており、それぞれから隠れるように家を借りたので、他の二人がどこに住んでいたのかは知りません」


再び一口飲み込む。


「本格的な取り調べが終わり、個々の聞き取りに縮小してから約1ヶ月後、警察の方から連絡がありました。これまで捜査に協力的だった黒田さんが急に署に来なくなり、アパートを訪ねてもいないと。それで警察から、居場所を知らないかと連絡が来たのですが、私も当然分からず・・・」


三宅はメモから視線を上げる。


「ちょっと待ってください。黒田さんにはご家族がいたんですよね。彼女はご家族の元に帰っていなかったのですか?」


鴨川は深刻な表情でカップを置く。


「ええ、ご家族の元には戻っていなかったそうです。それどころか、彼女の居場所を把握しておらず、連絡も取れていなかったと。それに彼女は、再びこの島で働き始めることを家族にも伝えていなかったそうなんです」


「へ?」


頓狂な声が漏らした三宅を尻目に、岸辺は尋ねる。


「何年も一緒に生活していた家族にも伝えずに、二十年ぶりに使用人として復帰していたと云うことですか」


「・・・そう、そのようなんです」


鴨川は怯えるような口調でそう云った。


「結局、黒田さんが見つかったのはその五ヶ月後、青木ヶ原樹海を散歩していた人が偶然発見したと。白骨化した状態でしたが、骨から採取できたDNA検査で黒田さん本人であると証明されました。丁度失踪した頃に、警察は事件の犯人として黒田さんに目星をつけ始めていたそうなので、その事に感づいて自殺を図ったのではないかと」


「だから、自らの犯行を告白する遺書が残されていたんでしょうか。でも、警察には捕まりたくないのに、犯行は認めたというのが少し気懸りですね」


三宅は負荷をかけ続けていた右手首を左右に振りながら云った。









「島に勤め始めてからは、本土に戻る機会はないのですか」


事件に関する質問を一通り終えたところで、埋め終えたページを捲りながら三宅は尋ねた。


鴨川は空いたカップや皿を片付けている。


「ええ、休みを取れるような仕事ではありませんし。時々お休みを頂くことはありましたが、本土に行くことは滅多にありません。出家しているようなものですから、病気などの止むに止まれぬ事情がない限り本土に行って何かしようとはなりませんね、わざわざ多田さんに船を出していただくのも申し訳ないですし」


「成程」


感情の籠っていない常套句を口にし、岸辺は視線を窓から戻した。


「黒田さんはどのようにして犯行を行ったのか、小山内さんはどのようにお考えですか?」


「毒を使用したのではないのでしょうか。方法は定かではないですが、殺害後に何かしらの方法で毒物を体外から抜き取ったとか」


三宅はメモから視線を上げた。


「あなたも毒だとお考えなのですか」


ここに来て、自分の推理の信憑性が高まるとは。


「ですが注射痕がないとなると、経口摂取でしょうか」


三宅の問いかけに、小山内は、


「事件後に自分でも調べてみたのですが、異なる二種類の毒を配合したものを飲ませれば、お互いがお互いを打ち消しあって効果が現れるのを遅延できるそうです。この方法を利用して自身のアリバイをつくった、保険金目当ての連続殺人犯がいたそうですが、姉の身体からは毒性反応すら出ていない。それが不可解なんです」


「ですね。毒を使用したのであれば、兼光さん殺害の件との関連性が高まりますが・・・逆に今回は、二年前と同じ手口を使用しなかったことも不思議ですね」


「ええ。今回の犯行は殺害場所から殺害手段、使用した凶器に逃走方法まで、あまりにも合理的ではない点が多すぎると思います。どうして兼光さんが先生方と一緒にいた時に実行したのか……」

励みになりますので、高評価コメントの方よろしくお願いします!『監獄館の殺人』など、他作品もありますので、よろしくお願いします!

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