9. 野草研究②
逃げ出す間もなく、男に腕を掴まれた。
無理やり立たされ仲間の男たちの前に晒される。
「うわーぉ! これはこれは、まさか女性の方からお誘いしてくれるとは」
「積極的な女、ボクちゃん嫌いじゃないなぁ」
「違います、これは着替えていただけで……! 離してください!」
「誘われた以上は答えてやらないと。女性に恥をかかせるもんじゃないって教えられてきただろう?」
手も足も出ないとはまさにこの事。男4人に囲まれ、後ろ手に掴まれたラシェルにはどうすることも出来ない。
「誰か……っ、助けて……!!」
この山奥に誰が助けに来るというのか。
それでも出てくる言葉は他に思い付かない。
「おい、口を塞げ」
「いやいや、泣き叫ぶのがまた良いんだろう」
ゲスな会話が聞こえてくる。
タライ回しにされた後、どこかに売り飛ばされるのだろうか。
だとしたら、これまでラシェルが必死に集めてきた記録はどうなるのだろう?
今日だけのではない。
5年間の記録を活かしてくれる人は現れかしら。
今自分がされている行いから目を背けるように、ラシェルの思考は現実から離れていく。
既に服は着ていない状態なので、裸にされるまでそう時間はかからなかった。
まあ、服を着ていてもいなくても、関係ないことでしょうけど。
何もかもを諦めたラシェルが瞬きをし、もう一度目を見開いた時には、取り囲む男がもう1人加わっていた。
――え?
「早くその手、離してくれない? じゃないと俺、この山1つ吹き飛ばしそうなんだけど」
「はぁ?」
「誰だ、おま……っ!?」
どんな魔法を使ったのかは分からないが、見えない力が加わったように、男4人が後ろに吹き飛ばされていった。投げ捨てられた人形みたいだ。
「エス……ティリオ……?」
驚きと混乱で、その名を呼んでしまったことにラシェルは気が付かない。呼びかけられたエスティリオは着ていたローブを脱いで、かけてくれた。
「ちょっと待っててね。今お仕置してくるから」
魔力を感じられないラシェルでもゾッとした。もし力を目で見ることが出来たなら、漆黒のベールで包まれたように、魔力が彼を覆っていただろう。
「いってぇ……なんだお前は」
「あの女の知り合いか」
吹き飛ばされた山賊達が身体を起こして、体制を整えている。手には抜き身の剣を握り、こちらとの距離を測るようにジリジリと距離を詰めてくる。
「さっきの攻撃、貴様は魔道士だな? なら残念だったな。俺たちの剣には魔法避けが施されている。魔法による攻撃なら効かな――?!」
喋っていた男の脇腹から突き出ているのは剣の先。
そのすぐ後ろには、先程までラシェルの前に立っていたエスティリオがいた。
「魔道士は剣を使わないなんて、誰が言った?」
「いつ……のまに? う゛ぁっ!!」
「お頭ぁ!!?」
背から刺された剣が引き抜かれると、男の傷口からは鮮やかな血が飛び散った。
真っ先にやられてしまった頭に続いて、2人目、3人目が間髪入れずに斬られていく。
あまりにも動きが早すぎて、ラシェルの目には何が起きているのかさっぱり分からない。
バタバタと男たちが血を流しながら倒れていく中で、4人目の男だけはエスティリオの斬撃を剣で受け止めていた。
ガキンっと金属がぶつかり合う激しい音が森に響く。
「これはすげぇや。転移魔法による瞬間的な移動からの斬撃とか、どっかの騎士か?」
男の台詞にそういう事ね、と感心している間に、ラシェルに向かって炎の渦が向かってきていた。
「きゃあぁぁっ!!」
「あっはっはっ! お前の弱点はあっちの女だろ?」
エスティリオが半端者ではないと悟った男は、狙いを素早くラシェルに変えた。
山賊達の中でも魔法の心得がそれなりにあるようで、まるで蛇のような炎の渦をラシェルに向かって放った。
一瞬にして目の前がオレンジ色に染まり、何も見えない。反射的に身体を丸めて地面に伏せたラシェルは、ぎゅっと目を瞑り、借りたローブに縋った。
…………あ、ら?
焼ける痛みも、熱さすらも感じない。
どうなっているのかと伏せていた顔を上げると、炎はラシェルの周りで燃え盛るばかりで届かない。まるで半球状の殻にでも守られているみたいだ。
「自分の弱点くらい、君に言われなくてもよく分かってるさ。だから予め結界くらいは張っておくでしょ、普通」
片手を地面につけたエスティリオが、呆れた口調で言った。
すると男の真下の地面がボコボコと動き出し、男は蟻地獄にハマった小虫のように地面に飲み込まれてしまった。ラシェルに気を取られている内に逃げ出そうという魂胆は、エスティリオには見え見えだったようだ。
さらに続いて他の3人も、地面の餌食になっていく。
「うわぁぁ! たっ、助けてくれ!! 」
「地面がっ……!!」
最後には肩から上の部分だけを残し、地面に埋まった4人。部分的な魔法だったなら、魔法避けが施された剣で弾き返せただろうが、こうも大掛かりな魔法を使われては全くの無意味だった。
身動きの取れなくなった山賊達は喚き散らしている。
「なんなんだよ! こんな魔法使えるとかおかしいだろ!!お前一体何者だ?!」
「せめて止血くらいはさせてくれ! 傷を負ったまま埋めるとか外道過ぎるだろ!」
「こんな形で生き埋めにするとか、俺たちをどうする気なんだ?」
「あーうるさい。お前たちの声すら、彼女に聞かせたくないんだよね。――少し黙ってろ」
エスティリオが煩わしそうに言うと、盗賊達の口から声が出なくなった。
口を必死にパクパクさせているが、出てくるのは空気の音だけ。悪態でもついているのか悔しそうに顔をゆがめ、エスティリオに向かって何か訴えかけている。
それには構わずエスティリオは、「お待たせ」と言ってラシェルの方へと近付いてきた。
「あ……あの方達はこれから……?」
どうするつもりなのか、というのはやはり気になる。これにエスティリオはニコッと笑って答えた。
「いいよ。好きなだけ蹴り飛ばして、頭を踏み潰してきても」
「あ……いえ、それは……遠慮させていただきます」
いくら襲われそうになったからといっても、もはや手も足も出ない無抵抗な相手を、痛め付けてやろうとは思わない。それに内3人は、既に剣で深手を負っている。
「いいの? 今ならやりたい放題だよ」
「私刑は禁じられております。魔塔主様が率先して法を犯してはなりません。余罪を含めて取り調べを行い、裁きを受けるべきかと」
「ははっ! エルは真面目だね」
エスティリオの正体を知った盗賊達が青ざめた。口の動きから「魔塔主だって?」とでも言っていそうだ。
「だってさ! よかったね、君たち。本当ならここで殺しちゃいたいんだけど、エルの言う通りにしようかな。何よりエルの前で殺生はしたくないし。兵を寄越すから、大人しく捕まっといてよ」
気軽な口調で言った
エスティリオは引き馬をしてデイジーを連れてくると、ラシェルに手を差し出してきた。手綱が握られた手と反対の左手は、立たせてもらったラシェルの腰へと回されて、ぐっと引き寄せられる。
ち、近過ぎるわ……。
馬に乗せられるわけでもなく、何故身体を密着させられたのか分からないラシェルは、内心で焦ってしまう。
「血の匂いを嗅ぎつけた獣に、食べられないといいね」
手を振りながら吐いたエスティリオの台詞に、盗賊達が必死に口をパクパクとさせて訴えかけているが、本人はお構い無し。
エスティリオが「じゃあね」と言うのと同時に、ラシェルの視界が歪み、体がぐにゃりとねじ曲がったような、それとも足元の地面が突然無くなって、ふわふわと浮いたようなとでも表現すればいいだろうか? とにかく不思議な感覚におそわれた。