8. 野草研究①
この前は本当に冷や汗をかいたわ。
でも今日は、魔塔から離れるからほっと出来そう。
ラシェルは必要な荷物をまとめながら、厩舎へと向かった。馬の使用許可証を厩番に見せてから馬を一頭馬房から出すと、その背に荷物を積み自身も背に跨る。
「今回もよろしくね、デイジー」
可愛らしい花の名前がついたその馬に挨拶をして、ラシェルは魔塔の門をくぐり抜けた。
ラシェルは時折こうして外へと出ると、野生の薬草を調査している。野生の状態ではどんな環境で育つのか、土の質や日当たり具合、温度などを見て栽培に活かすのだ。
他の栽培士に迷惑をかけないよう休みの日を狙い、農場長もそれならと喜んで許可を出してくれる。
あまり沢山の時間がある訳では無いので、予め大体のルートを決めて、調査したい薬草を絞ってきている。
薬草が生えているのは主に山の中。目的の薬草を見つけてはメモを取り、奥へと進んでいく。
ここならエスティリオと会うことはない。と、安堵の息を漏らして馬から降りた。
貝殻肥料作りをした日以来、エスティリオが農場にやって来る度に胃がキリキリとして、極度の緊張状態に晒され続けていた。
特に何かを追求されることもないのだが、それでも自分がラシェルであると見破られてしまったらと思うと気が気ではない。
いっその事、魔塔を離れ転職でもしようかとも考えたが、ようやく薬草栽培におけるデータが揃ってきている中で、それは最終手段にしようとまだ踏みとどまっている。
薬草栽培士になって5年。コツコツと試行錯誤を重ね、外へ出ては調査をし、種を選別して品種改良を行い……。
その努力が最近ようやく実り始めてきたのに、手放してしまうのはあまりにも惜しい。ラシェルのあとを引き継いでくれる人がいれば良いのだが、今のところそのような人物は見当たらない。
ラシェルが放棄してしまえば、これまで積み重ねてきたものが全て無駄になってしまう。
馬の背から荷物を降ろしてやり、「少し休憩していて」と声をかけた。
「さてと、やるわよー!」
森の中を流れる川まで来たラシェルの目的は、川の中にある。
マルガロンという水の中に生える珍しい薬草が、今回の調査の一番の目的で、ラシェルは改めて気合を入れた。
馬に乗るために下にはいていたタイツを脱ぎ、更にスカートの裾をたくし上げて結ぶと、川の中へと入っていく。
川の中に生えているのでどうしても濡れながらの調査だが、きちんと着替えは用意してきている。濡れながら川底を探り、マルガロンを探した。
「あっ、あったわ。それも結構生えているみたいね」
マルガロンは丁度開花の時期を迎えていて、スズランのような形の淡いピンク色の花が、水の流れで揺れている。
採取したものを農場へと持ち帰り、増やせないかと試し始めて3年。これがなかなか上手くいかない。
大抵はひと月もすれば枯れてしまうので、魔法薬の材料を売る店でもなかなか手に入らない。特に生の状態のマルガロンは貴重な材料となっている。
乾燥状態でも良ければ川から採取し、乾かしたものでもいいのだが、マルガロンは生の状態で使った方が格段に効果の高い魔法薬が出来るらしいので、農場長にも栽培方法を是が非でも見つけて欲しいと言われている。
「どこに生えているマルガロンも、水深は1mない位みたいね。水温は21℃、川底は……」
ザブザブと川の中へ入って計測をしたり観察をして、何か栽培のヒントになりそうなことを岸に置いておいた用紙にメモをしていく。
思いつく限りのことを書き記したラシェルは、記録用紙をカバンに閉まってから着替えを手にした。
万が一、着替えている途中に誰かが通りかかったりでもしたら、恥ずかしい。
山道から外れたこんな場所に、人が通る可能性はほとんどないが、念の為、茂みの影に隠れて服を脱ぐ。
「下着までびしょびしょだわ。でも比較的浅瀬にしか生えていないのが救いね」
本当なら焚き火でもして身体を暖めたいのだが、あまりのんびりしていると日が暮れてしまう。着替えたらすぐに出発しなければと、替えのワンピースに手を伸ばそうとしたところで、人の話し声が聞こえてきた。それも、男性の声だ。
「お頭! こんな所に馬がいますぜ? 」
「本当だ、そっちには荷物もあるな。中身は?」
「えーと……。なんだこりゃ、よく分かんねぇ事が書いてある紙ばっかりっすね。あっ、金が入った袋ありましたよ。えーと……くそっ、銅貨がちょっと入ってるだけかよ」
「こっちの袋は、っと……あっ! 魔晶石が入ってますよ」
どうしようかしら……。
声の種類からして4人? お頭と呼んでいたらから、もしかして山賊かもしれない。
急いで服を着てしまいたいが、今動くのは危険だ。見つかれば余計に不利な状況になる。
馬を奪われてしまったら、今日中に人里へ出られるか分からない。そう考えてみると恐ろしいが、見つかってしまう方が尚更酷い目にあう。
ここはじっとしてやり過ごすのよ。
物音を立てないよう息を潜め、男たちが去っていくのを待ってみたが、お頭と呼ばれていた男が何かに気づいた。
「これ、女物の靴だな」
――っ!!
思わず出そうになった声を、すんでのところで飲み込んだ。
ラシェルが川岸で脱いでおいた靴を見つけた男たち。にやぁっと笑い合い、猫なで声で何処へともなく話し掛けている。
「おーい、子猫ちゃん。隠れているのは分かっているんだぞー。大人しく出ておいで」
「お頭、若い女かどうか分かりませんぜ? ババアって可能性も……」
「阿呆んだらが! 靴の趣味からして、どう見ても若い女だろう。馬がここに居るんだ。そう遠くへは行っていないはずだから探せ!!」
お願い、来ないで……。
よりにもよって、なんでこの格好なのか。
まだ下着しか着ていないのに。
小刻みに震えながら息を潜め、茂みの影で疼くまっているラシェルの耳に、パキンっと枝の折れる音が聞こえた。
「あ……」
「みーつけた」