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7. ラシェルの回想③

 2人が出会ってからすぐに、お互いに呼び捨て合うほどの仲になり、エスティリオはラシェルに付いて回った。

 弟のような存在。というよりかは忠犬みたいで、他の生徒がラシェルの悪口を言おうものなら威嚇するので、なだめなければならないほどだった。

 そうやって1年が過ぎ、いよいよラシェルが卒業を迎えた日。

 アカデミーから去る前に、別れの挨拶をしようとエスティリオを探すと、案の定、2人が初めて出会った薬草畑に彼はいた。

 皇宮へ帰れば、また居ない存在として過ごさなければならない。皇帝が魔力無しの娘を恥続ける限り、それは続く。

 もうエスティリオと会うことはないだろう。


「エスティリオ」

「ラシェル、卒業おめでとう」

「ありがとう」

「魔力が必要な科目以外は全部トップクラス?」

「ふふっ、そうよ。凄いでしょ?」

「なら俺は、魔力が必要な科目は全て一番を取るよ。そうしたら、ラシェルと俺で足りないものはなくなるだろう?」

「ええ……そうね。エスティリオはエスティリオのできる範囲で」

「ラシェルはラシェルのできる範囲で」


 クスクスと互いに笑い合うと、エスティリオはラシェルの目をじっと見てきた。


「ラシェル、俺の名前はエスティリオ。エスティリオだから」

「ええ……そうね。エスティリオよね?」


 必死に何かを訴えかけるようなその眼差しに、ラシェルは閃いた。エスティリオが何を言わんとしているのか。

 

 卒業証書を授与された時点で、入学時の魔法誓約の効力は消えている。ラシェルはファーストネーム以外の名と身分を明かせるが、エスティリオはまだ在学中。彼が必死になって自分の名前は『エスティリオ』だと訴えたのは恐らく、名前が『エスティリオ』しかないと言いたかったから。つまり、ファーストネームしかない平民の出であると。

 入学当初からの立ち振る舞いや話し方から、そうではないかと思っていたので、ラシェルは意味が分かったと頷き返した。


「私の名前はね、ラシェル・デルヴァンクール。カレバメリア帝国の第5皇女なの。でも以前話した通り、魔力無しの私は父から……皇帝陛下から疎んじられているから……」


 連絡はしないで欲しい。とはどうしても言えなかった。いや、言いたくなかった。

 ラシェルはアカデミーに通う前、卒業時に絶対に誰にも身分を明かすなと、皇帝に釘を刺された。卒業する時に、仲の良かった相手にはフルネームと身分を明かし合うのが慣例となっているから。

 エスティリオに教えてしまったことが万が一皇帝に知られてしまうと、困ったことになるのは目に見えている。

 だから手紙などの連絡はしないで欲しいと言うべきだったが、あとの言葉が続かなかった。 

 エスティリオとの縁をここで終わりにするには、あまりにも辛く悲しい。

 

 本音を言えば、皇宮には戻らず自由に暮らしたい。

 だがラシェルが実行に移せば、皇宮に残してきた母はどうなってしまうのか。一人寂しく、あの宮で暮らさせるだけでは済まないかもしれない。もしも戻らないラシェルの代わりに罰を受けたら……。

 

 言葉に詰まったラシェルの手を、エスティリオが握りしめてきた。


「俺の事、忘れないで」

「忘れない。忘れられるわけがないでしょう? 元気でね」


 アカデミーと、そしてエスティリオと別れを告げて皇宮に戻ってきたラシェルはやはり、居ないものとして扱われた。

 アカデミーでどれだけ優秀な成績を納めようと、皇帝にとってラシェルは生まれてきて欲しくなかった存在なのは変わらない。


 ラシェルが成人し、淑女となって戻ってきたことを唯一喜んでくれた母は、20歳になる年に亡くなった。


「あなたを産んで後悔したことなんて、一度もないの。だから胸を張って生きていきなさい。私の可愛いラシェル。私の為に戻ってきてくれてありがとう。これからはあなたの好きなように生きるのよ」


 魔力無しの子を産んだことで冷遇されてきた母は、嫌味のひとつも言うことなく、亡くなる寸前までラシェルに愛を注いでくれた。

 だからこそ自分の地位や身分全てを捨てることなど、惜しいとは思わないし未練もない。たとえ今より厳しい生活が待っていようと、自分を誇れるように生きていきたいから。

 

 皇宮を出、旅費を稼ぎながら旅をし辿り着いた魔塔。

 エスティリオが途方もない魔力を持つ人だとは知ってはいたけれど、まさか新しい魔塔主となって再会するとは思ってもみなかった。

 

 平民から魔塔主という比類ない存在になった彼に比べて、ラシェルは皇女から平民となり、容姿も名も変わった上に、おまけに呪いにまでかけられている。

 あまりにも自分とは正反対な道を辿ったことが可笑しくて、なんだか笑えてしまう。

 それは別に自嘲しているのではなく、単純に、人生何が起こるか分からないものだという面白さからだ。


 貝殻を叩く手を止めたラシェルは、隣の部屋にある薬草置き場へ行くと、袋を2つ持ってきた。


「魔塔主様、よろしければこちらのハーブティーをどうぞ」

「これはエルがブレンドしたの?」

「はい。こちらは緊張を和らげリラックス効果が期待できるお茶で、夜眠る前に飲むとよろしいかと思います。ミルクで割ってお召し上がりになるのもいいですね。もう一つはフレッシュで爽やかな香りのするブレンドで、朝の寝起きに飲むと頭がスッキリしますよ」

「なんでまた突然?」

「無礼を承知で申し上げますが、少しお疲れのようにお見受けいたしました。先程ストレス発散とも仰っておりましたし。差し出がましいことをして気を悪くなさったでしょうか?」


 本当ならエスティリオの仕事を手伝ってあげたいくらいだが、ただの使用人にそれは出来ない。ならば少しでも気分が良くなるようにと、オリジナル配合のハーブティーを選んで持ってきた。


「まさか。ありがたく貰ってく」

 

 エスティリオは大事そうに袋を受け取ると「いい香りだね」と言ってクンクンと匂いを嗅いでいる。

 

「無くなったらまた貰いに来ていい?」

「魔塔のものは全て、魔塔主様のものでございますよ? 許可など要りませんわ」

「……ならエルも? 」

「え?」

「エルも俺のもの?」


 エスティリオが何を言おうとしているのかよく分からず、目をぱちぱちとさせて呆けてしまった。

 

 エルも俺のものって、一体どういう意味かしら??

 もしかしてからかっている?

 エスティリオは異性に、そんな冗談を言って反応を楽しむ歳になったのかと感慨深くなる。まあ少し、悪趣味だけれど。


「そうですね……私の主人は魔塔主様です。主人が使用人をどう使おうと自由ですから、そういう意味では魔塔主様のものですね」


 冗談は笑って受け流す。

 ラシェルがもう一度貝殻叩きを再開すると、エスティリオも袋を近くに置いてそれに続いた。


「エルって生まれはどこなの?」

「カレバメリア帝国のマステーユ地方で生まれ育ちました」

「へぇ、名前は聞いたことがあるな。染物が有名ではなかったっけ」

「はい、私の家は染料となる植物を栽培しておりました」

「だからそんなに薬草栽培が上手なんだ」


 ラシェルは予め用意しておいた、『エル』という人物の設定で受け答えをしていく。


「なんでまた魔塔へ?」

「私の家は兄弟も多く貧しかったので、成人するかしないかという頃には結婚させて、外へ出したかったようなのですか……魔力無しの娘を欲しがる家庭はなかなか見つからず、縁談話がまとまらなかったのです」

「農民なのに? そこまで魔力は必要ないんじゃない?」

「そうでもありませんよ。明かり一つ灯すのにも魔晶石が必要ですから。料理、洗濯、湯沸し、何をするにも魔力がなければ道具が動きませんもの。魔法は使えなくても、せめて魔力がないと魔晶石代で収入が直ぐに消えてしまいます」


 魔晶石は非常に高価だ。

 魔力を注入するのがその辺に転がる石ならば、まだ少しは価格を押えられるのだろうが、水晶やアクアマリンと言った希少価値の高い石にしか魔力を貯められない。

 魔力を使い切った石にもう一度魔力を注いでもらって何度か繰り返し使用出来るが、徐々に劣化し貯蓄できる量が減ってくる。ほとんど魔力を貯められなくなった石は、新しく購入し直さなければならない。

 農民のような貧しい暮らしでは、魔晶石一つ買うのも相当な出費なのだ。

  

「エルほど働き者で賢く品のある女性なら、それでも欲しいって人は現れそうなものだけどね」

「ふふっ、魔塔主様は私を買いかぶり過ぎですよ。……それで、20歳を迎える頃にはいよいよ居ずらくなってしまって、家を出てきました」

「なかなか大変だったんじゃない? ここまで来るのは」

「そうですね。住み込みの皿洗いや掃除の仕事をしながら何とかと言ったところで。放浪生活中、たまたま魔塔で使用人をしていたという方がいて、他所で働くより余程、待遇がいいと仰っていたものですから。魔塔なら尚更、魔力がなければダメなのかとも思いながらも来てみましたが、運良く雇い入れて頂きました。先代の魔塔主様には感謝してもしきれませんわ」

「マステーユ地方かぁ。何となくの場所しか分からないな。どの辺にあるの? 例えばこれが帝国で、ここが魔塔主領として……」


 エスティリオは近くにあった紙とペンとを作業台へ持ってくると、サラサラと簡単な大陸の図を描き始めた。


「この図で言ったらどの辺り?」

「そうですね……ここが帝都だとしたら、ここにノール河とラファール川が流れていて、それからこちらがマラレア山脈。その南側のこの辺りですね、マステーユは。私がいた村はその中でも東側の……?」


 ラシェルが渡されたペンで書き加えながら場所を説明していると、エスティリオは薄らと笑いながらこちらを見ていた。その視線に気がついたラシェルは、何かおかしな点でもあるのかと首を傾げる。


「もしかして地図に、どこか間違いでもあるのでしょうか?」


 アカデミーを卒業してから随分経つ。勉学をしなくなって久しいので、もしかしたら間違いがあるのかもしれないと聞くと、エスティリオは笑いながら答えた。


「いいや、完璧。むしろ、完璧過ぎるくらいにね」

「そう……ですか……」


 何故か心臓がバクバクと音を立て、背筋に冷や汗が流れた。

 自分が失敗を犯しているのではないかという、嫌な予感。


「俺、平民の出だけどさ、自分が住んでいる場所がどこかなんて、アカデミーに入学して初めて知ってんだよね。そもそも地図すら目にしたことがないから、自分の国の名前は知っていても、地図上でどこが自分の国かすら分からなかったし」


 ――――っ!!


「エルは農村の出なのに随分と博識だね。宿屋を営んでいた俺の家よりもずっと、高等な教育を受けられたみたいで羨ましいよ」 


 綻びが出ないようにと、綿密に決めておいたことが仇となってしまうとは。知識がある分、必要ないことまでベラベラと喋り、必死になって説明してしまった。

 言われてみれば、普通の農民ならば大陸の地図など読めるわけが無い。分かってもせいぜい、自分の住む村の周辺くらいだ。学校に通うことすら珍しい中で、大陸の地図上に川や山を書き加えての説明など、普通は出来ないのに。


「あ……そう、ですね。父が物知りな人でしたので……」

「読み書きも完璧だし」


 ラシェルは更に、ぐっと奥歯を噛み締める。

 生活に困らない程度の、簡単な読み書きくらいなら農民でも親から教わるが、ラシェルは完璧過ぎた。

 他の使用人達や農場長からも、どこで覚えたのかと初めは聞かれもしたが、先程エスティリオに答えたように「父が物知りな人だった」と言えば、特段怪しまれることも無く終われた。

 皆たいして深くは考えない。読み書きの出来る人材がいるに越したことはないのだから。

 一度受け入れられてしまえば、読み書きできることを隠す必要はない。持っている能力を存分に使って記録をつけ、資料を作成し、時には農場長の仕事も手伝っていた。

 そうやってこれまで魔塔で過ごしてきたので、今更何かを疑ってくる人が現れるとは思わず、すっかり油断していた。

 ラシェルは乾いた口の中を無理矢理に潤すよう、唾液をこくりと小さく飲み込んだ。

 

「お褒めに預かり光栄ですわ」

 

 目を逸らしてはだめよ。余計に怪しまれる。


 エスティリオからの視線を真正面から受け取ると、もしかしたら心の内側でも読む魔法があるかもしれないと思ってしまう。


 そんなはずない。そんな魔法は聞いたことがないもの。大丈夫よ、大丈夫。


 自分自身に言い聞かせるが、腹の中では魔毒蟲が蠢いたような気がした。

 しばらくラシェルのことを見ていたエスティリオの手が、不意にこちらへ伸びてくる。

 何をされるのかと目を瞑りビクンっと肩を震わせたラシェルに、エスティリオは「ごめん」と謝った。


「びっくりさせた? 髪の毛、付いてたから」

「え……あ、ありがとうごいます」


 なんだ……髪の毛を取っただけだったのね。

 ラシェルの秘密がバレて、なにかされるのでは無いかとビクビクしてしまった。御礼を言われたエスティリオは、ハーブティーの入った袋を手に取った。


「そろそろ行こうかな。あまり仕事をサボっていると、怒られちゃうから」

「はい。お手伝い頂き、ありがとうございました」

 

 エスティリオが出ていった扉がパタンと閉まるのを見届けると、ラシェルは息を吐いてその場に座り込んだ。

 もう何時間もたったような気がしたのに、時計の針を見るとまだ、三十分ほどしか経っていなかった。

 

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