6. ラシェルの回想②
入学してからのラシェルは、魔法を使う科目以外は誰にも負けないようにと、必死で勉学に励んだ。
その甲斐あって、ラシェルが受けることの出来た科目では、全てトップの成績。影の主席と呼ばれ、教員からは魔力が無いことをひたすら惜しまれた。
互いの素性を知らないが故のいい緊張感と、身分とは関係なく対等に接せられる環境は非常に気持ちがよく、ラシェルはこのまま卒業しないでいたいと思うくらいだった。
魔力無しであることをあからさまにバカにしてくる人もいたが、概ね充実した日々を送っていたラシェルもとうとう最終学年を迎え、残すところあと一年となったところで出会ったのだ。――エスティリオに。
「あいつ、またやらかしたらしい。教室がめちゃくちゃになって、クラスメイトの荷物なんてボロボロになったから全部ゴミさ」
「ひぇー、俺同じクラスじゃなくて良かった。この前はからかった奴が、危うく死にかけたんだろ?」
「そうそう。魔力が異常に強いからってよく入学を許可されたよなぁ。どこの国の、どの家の者だろう?」
またあの新入生の話だわ。確かエスティリオという子の。と、ラシェルは男子生徒2人の会話に耳を傾けた。
と言っても、こそこそとしながら聞き耳を立てている訳ではなく、薬草の世話をしているラシェルに気が付かない2人が、大きな声で喋っているだけなのだが。
「ははっ、あれは多分平民の出じゃないか? 座学やダンス、マナーの授業はてんでダメ。魔法の授業以外はなんにも分かってないって噂だぜ 」
「魔力以外の全ては兼ね備えている、どこかの誰かさんとは真逆だな!」
「ああ、本当だよな。欠陥品じゃなきゃいい女なのにさ。せめて微量でもあれば良かったんだが、1と0とじゃ大違いだ。魔力さえあれば、交際を申し込みたいくらいなんだが」
「おいおいそれ、マジで言ってんのか? 確かに顔は良いが暇さえあればいつも土いじりして、どこの農民だっつぅの。どうせ魔法を使う科目を免除されているから、点数稼ぎにやってる……あっ……」
会話をしていた男性二人は、今まさに薬草畑で土いじりをしていたラシェルの存在に気がつくと、マズったとばかりに顔を歪めた。
「ごきげんよう。マエル様、ステファン様」
「あー、どうも、ラシェルさん。薬草の調子はどうですか」
「ええ、試している栽培方法が良かったようで、とてもいい具合です。今度の魔法薬学で先生が使いたいと仰っていたので良かったです」
「へっ……へぇー」
「この薬草、毎回授業で使う度に高山に登って取りに行かなければならず、用意するのが大変だったそうで。皆さんの御勉学のお役に、少しでも貢献出来る事を嬉しく思いますわ」
にっこりと満面の笑みを浮かべてみせたラシェルに、2人は「そうですか」としどろもどろになっている。
「それでは私、点数稼ぎに忙しいので失礼致しますね」
畑作業へと戻っていくラシェルの背に、「やな女」と舌打ちする音が聞こえてきた。
皇宮で存在しない者として扱われていたラシェルにとって、嫌味の一つや二つを言って返される事すら、嬉しいと思うくらいだ。
話しかけても使用人達からは完全に無視され、話し相手が母親しかいなかったあの頃に比べればずっといい。
抜いた雑草をかき集めて、今度はカモミールに霧吹きでミルクを吹きかける。
シュッシュッとひたすら霧吹きをするラシェルは、少年が花を見ていたことに気が付かなかった。ぶつかりそうになったところで「あら、ごめんなさい」と声を掛けた。
「カモミール、満開で綺麗でしょう?」
頷き返してきた少年に、ラシェルは首を傾げた。
「鐘がさっき鳴っていたわ。授業に遅れてしまうんじゃない?」
「……」
「教室の場所が分からないなら教えてあげましょうか?」
新入生だとしても入学してからそれなりに経つのだが、校内は広い。特別実習などがあると、普段使う場所から遠かったりすることもある。
「お姉さんも授業じゃないの?」
「あぁ……私はね、次の授業は魔法を使う科目なのよ。だから出る必要が無いの。ほら私、魔力無いでしょ?」
自分に魔力がある人は、相手の魔力の流れを感じ取れるらしい。特に敏感だったり優れた能力を持っていると、どのくらいの魔力量があるのかまで推し量れるという。
少年にもきっと、ラシェルに魔力が少しもない事は分かるだろうと話すと、もう一度頷き返してきた。
なんだか親とはぐれてしまった子犬みたい。
金色の瞳が不安げに揺れて潤んでいる。
はぐれて一人になってしまったと言うより、もしかしたら一人になりたかったのかもしれない。
何となくそう思ったラシェルはそっと距離を取って離れてあげるべきかと迷ったが、どうしても放っておけず、もう一度話しかけた。
「このスプレーの中身、なんだと思う?」
「中身? 水じゃないの?」
「うふふ、水だったらジョウロでかけた方が早いでしょ。答えはね、ミルクよ」
「ミルク?」
「見てこれ」
カモミールの茎や葉がよく見えるように少ししならせると、少年は「うげぇ」と気持ち悪そうに声を上げた。
「アブラムシがすぐついちゃうの。こうしてミルクをかけるとあら不思議。アブラムシ退治できるのよ」
「へぇ」
「その代わり、ミルクが乾いてアブラムシを退治出来たら、今度は同じようにお水で洗い流さなくてはだめよ。今度はカモミールが枯れてしまうから。霧吹きのし過ぎで指が痛くなってきてしまったわ」
ふふっと指をさすりながら笑ったラシェルに、少年は「撒けばいいの?」と呟いた。
「このミルクを撒けばいいんでしょ? 貸して」
そう言って少年はラシェルの手からミルクの入った霧吹きのボトルを開けると、魔法の呪文を詠唱した。
「一体なにを……きゃあっ!」
ミルクが勢いよくボトルから空中へと出てきたかと思えば、今度は細かい雫に分かれてボタボタとカモミールの上に、雨のように降り注いだ。
「あー……」
「どう? これでいいでしょ?」
ラシェルの口からは情けない声が出たが、少年は褒めて欲しいのか自信ありげな様子だ。
「あ……ありがとう。でもね、出来ればお花の部分にはかけないで、アブラムシのいる所にだけかけて欲しかったわ。ほら、上から撒いただけでは茎や葉の裏まではミルクがかかってないでしょ?」
もう一度カモミールをしならせて内側を見せると、「本当だ」としょげている。
うふふ、今度は叱られた子犬みたい。
少年にシッポと耳がついていたらきっと、力なく垂れ下がっていただろう。
「いいのよ、気にしないで。お花についたミルクは水で洗い流せばいいもの」
ラシェルの言葉に少年はピクんと反応すると、再び呪文を詠唱し始めた。
「今度は何を……??!」
魔法を使う科目を取っていないラシェルには、少年が唱えた呪文がどんな効果をもたらすものなのか、全く予測がつかない。
さっき唱えていた呪文と一緒だったかしら。と考えているうちに、今度は桶にたっぷりと汲んでおいた水が宙に浮かんだ。
先程のように撒かれるのかと思いきや、びゅうっと突風が吹いて、ラシェルは反射的に目を閉じた。
「きゃあぁっ!」
「わ、あ」
風がやんで恐る恐る目を開けると、まるで嵐が通り過ぎたかのような光景が。
作業に使っていたスプレーボトルや、ジョウロといった道具は散らかってしまっているし、抜いて集めておいた雑草もだ。カモミールにいたっては風になぎ倒されてしまっている。
「ご……ごめん、俺……またやらかしたみたい……。さっきより少し強めにして、洗い流す感じにしようとしただけなんだけど……」
金色の瞳に、涙が浮き上がってきた。
拳を握りしめて震えている。
「なんでいつもこうなるんだろう。こんなに魔力があったって、役に立つどころか全部めちゃくちゃにしてばっかりだ」
この男の子、噂の新入生かしら?
あっちこっちで魔力を暴走させては、色んなものを壊したり、時には巻き添えで生徒が怪我をするケースもあるとか。
「あなたはもしかして、エスティリオ君?」
「……そう。お姉さんも俺の事知ってるんだ」
「ええ、有名だもの。魔力量が尋常ではないって、先生たちも驚いてらっしゃったわ。魔塔アカデミーの先生方が驚くくらいだから、相当なんでしょうね」
とんでもない子が現れたと、生徒のみならず教員達の間でも話題に上がっていたくらいだ。ラシェルも名前を何度も耳にしていたので知っている。
「さあ、片付けなくちゃ。私も髪の毛ボサボサよ。あっ、あなたも髪の毛に葉っぱが付いちゃってるわ」
髪に付いた葉を取ってあげると、エスティリオが不安げに聞いてきた。
「……お姉さんは俺の事、怖くないの?」
「なぜ?」
「同級生は俺に近づくの怖いってさ。多分魔力が強すぎるから。先生は魔力を上手くコントロール出来るようになれば抑えられるし、怖がられることも無くなるだろうって言ってたけど」
「うふふ、言ったでしょう? 私、魔力がないの。だから人の魔力も感じられないわ。あぁ、でもそうね。全くという訳では無いかしら。何となくだけど、あなたからは何かしら、凄い力を持っていそうな気配くらいは感じるもの」
散らかった道具を拾いながらラシェルは、「そうだ」と思い出した。
「そういえばまだ自己紹介していなかったわね。私はラシェルって言うの。6年生よ。自分で言うのもなんだけれど、私凄く優秀なの」
「優秀? こんなところで土いじりしてるのに?」
「そっ、薬草作りの天才。あとはそうね、地理や経済学に算術でしょう? それからダンスや音楽、マナーの授業も得意だし、お裁縫に乗馬も成績がいいのよ」
男性なら剣や弓などの武術、女性なら裁縫やお茶の入れ方などの授業もある。
凄いでしょ? と笑いかけると、エスティリオはひと言呟き返した。
「でも魔力はないんだ」
「そうなのよ」
エスティリオは魔法を使って散らばった雑草を集める、なんてことはせず、ラシェルと一緒に手で拾い集めている。
「俺、こんなに魔力いらないから、ラシェルさんに分けてあげられたらいいのに」
「あら勿体ない。せっかく持って生まれたのに、人にあげてしまいたいだなんて」
「ラシェルさんだって思うだろ? 自分が持っていないものを、手に負えないほど持っているやつがいるのは不平等だって」
「うーん、そうねぇ。私は沢山持って生まれたなら沢山あるなりに、無いなら無いなりに生きていけばいいだけだと思うけど?」
「諦めてるんだ」
「どう思われても構わないわ。だってないんだもの。どんなに努力してもどうにもならないことを頑張ったって、仕方ないでしょ」
「ふぅん」
不満そうな顔をしているエスティリオ。少し苛立っているのか、集めてきた雑草を乱暴に手押し車に投げ入れた。
エスティリオはラシェルの境遇を思って腹を立ててくれているのか、それとも諦めた姿勢が気に食わないのか。
いずれにしても、エスティリオが苛立つ必要は無い。ラシェルは自分を悲観して可哀想だとは思わないし、魔力がない点については諦めていても、その他の点については諦めていないのだから。
どう説明しようかと考えを巡らせて、ある日のことを思い出したラシェルは、静かに話し始めた。
「……私が2年生だった頃かしら。魔塔主のライエ様がアカデミーにいらっしゃったことがあって、私が今みたいに薬草の手入れをしている所に通りかかったのよ。そうしたらね、いい仕事をしているって褒めてくださったの。魔法を使えるとつい、魔法に頼って雑になったり疎かにしてしまいがちだけれど、貴女の仕事は丁寧できめ細かい。育てている薬草を見ればよく分かるって」
「生き物が相手だと、魔力でどうにもならないから?」
植物や動物の量を増やしたり、成長を早くしたりなどという、都合のいい魔法など存在しない。一つ一つ丁寧に、生き物の様子を見ながら手間隙かけなければ結果が出ない。
ラシェルは魔法が使えない分、人より手間ひまを惜しむことなく作業をこなせる。
先程のアブラムシ退治がいい例だ。
魔法を使えるとどうしてもその力に頼って、ミルクをかければそれでいいと思ってしまうが、実際にはアブラムシが付いているところを狙ってかけた方が良い。もちろんアブラムシをピンポイントで狙ってかけるなんていう魔法が使えれば別だが、そんな魔法があったとしても難しすぎて誰でも習得出来る類のものではないだろう。
「そうよ」とラシェルはエスティリオに頷くと、改めて自分の考えを整理するように話しを続けた。
「魔力無しの私だからこそ出来ること。私が出来ないことは他の誰かにやって貰えばいいし、誰かが出来ないことが私に出来るなら、私がやればいい。それだけの事よ。嘆く必要なんてないの。だからね、エスティリオ君。私はあなたが沢山持って生まれたのなら、沢山持って生まれたなりに生きていけばいいと思う。私はその代わり、あなたが出来ないことをやるから」
お互いに無いものは補い合えばいいし、あるなら出し合えばいい。
ただどうしても人間は、自分より誰かを見下して優位に立ちたいと思ったり、見栄を張ったり、面倒だと怠けたり……。
ラシェルの考えはただの理想論だとは分かっているが、少なくともラシェル自身は、持っているものは惜しみなく全て出そうと思っている。
「という事だから、良ければ私が魔法以外のお勉強は教えてあげましょうか? さっきも言ったけれど魔法以外は私、凄く出来が良いのよ。それが今、私があなたに出来ること」
「もちろん嫌なら無理にとは言わないわ」と付け加えると、エスティリオはブンブンと頭を振った。
「嫌なわけない。教えて欲しい……いえ、教えてください」
それがラシェルとエスティリオとの出会いだった。