5. ラシェルの回想①
ラシェルは先日洗った貝殻を、今度は細かく粉砕してみようと道具を準備している。
エスティリオが農場長に話をつけたらしく、貝殻肥料作りを優先して良いと言われたため、他の人は畑に出ている中、ラシェルは作業小屋で仕事をしている。
貝殻は洗った後、数日自然乾燥させたものと焼いたものの2種類を用意してみた。
どのくらい細かくしたら良いのかも分からないので、試行錯誤の連続だ。
とりあえず、ハンマーで叩いて砕いてみようかしらと袋を探す。散らばらないように袋に入れた方がいいし、目の粗い麻袋ではなく皮袋がいいかもしれない。
見つけた皮袋に貝殻を入れ、更に下に布を何枚か敷いてガンガンとハンマーで叩いてみた。するとカラカラに乾燥した貝は、意外とすぐに細かくなっている。
細さの違うものを何種類か用意してみようと、ひたすらハンマーで打ち付けていると、不意に小屋の扉が開いた。
「エス……魔塔主様、申し訳ありません。騒がしかったでしょうか」
心の中では『魔塔主様』ではなく、昔のように『エスティリオ』と読んでいるので、つい口から出そうになってしまった。
慌てて言い直したことには気が付かなかったらしく、「順調?」と言って近付いてきた。
「はい、今のところは。と言っても、まだ作りはじめたばかりですが。とりあえず自然乾燥したものと焼いたものの2パターンと、それから粉の細さの違うものもそれぞれ何パターンか用意しようと思っています」
「大変そうだね。手伝うよ」
「え?」
「ハンマーとその皮袋、もうひとつないの?」
「あり……ますが……。いえっ、私ひとりで出来ますから」
まさかこんな地道な作業をやらせる訳にいかないと慌てるラシェルに、エスティリオは袖まくりしている。
「ストレス発散になりそうだからやらせてよ」
「あ……そうですか。でしたらこちらをお使いください」
自分が使っていた方の道具を渡して、ラシェルはもう一組、道具を用意するため棚を探った。
エスティリオはラシェルが先程していたように、袋の上からハンマーで貝殻を叩き砕いている。
ストレス発散……。やっぱり色々と大変よね。就任してまだ半年も経っていないんだもの。
アカデミーを卒業し、魔塔主候補だったころから前任の魔塔主に付いて修行していたとはいえ、覚えることも山ほどあるだろう。
エスティリオの顔は少しやつれ、目の下にはうっすらとクマができている。
本当に、何故こうも頻繁に農場へ来るのか不思議だわ。
アルベラの言う通り、若くもなく美人でもなく、何の社会的地位もない『エル』と言う人間に会う為に来ているとは流石に思えない。
ハンマーと皮袋を棚から取りだしたラシェルは、エスティリオの隣に並んで貝殻を砕き始めた。
「どのくらい細かくする?」
「そちらはまずは粗めに。レンズ豆くらいでしょうか。そこから徐々に目の細かいものを作っていく予定です」
「ん、分かった」
ハンマーで砕く軽快な音が、小屋に響く。
偉くなったのに喋り方が変わってないことに気がついたラシェルは、エスティリオとアカデミーで過ごした頃を思い出した。
ラシェルは生まれてすぐ皇帝に殺されそうになったが、皇宮でひっそりと暮らすことを条件に生きることを許された。
目立たぬよう小さな離宮で母と二人。時折清掃や洗濯物の為にメイドが出入りする他は、食事が運ばれてくるだけ。それもどこかで作ったものを持ってくるので、いつも冷えきっていた。
「温め直しの魔法、得意になっちゃったわ」
そう言って笑う母。
侍女のひとりも付いていない状況でも、明るくて笑顔を絶やさない人だった。
パーティーや茶会に出ることも式典に出ることも許されず、居ないものとして扱われたが、母がいれば寂しくはなかった。
ラシェルが10代に入って少したった頃だった。離宮で目立たぬよう、ひっそりと息を潜めながら過ごしていたある日、母が珍しく皇帝のいる宮へと赴いた。
「皇帝陛下にお願いがございます。どうかラシェルを魔塔のアカデミーへ通わせてやってください」
貴族の子女は大抵13歳を迎える歳に、どこかのアカデミーへと入学する。中でも魔塔が運営するアカデミーは大陸中でも最高難度で、貴族や王族であれば誰でも入れるというわけでは無く、優秀な生徒のみが集められている場所。逆を言えば優れた才能を持ち、高位の魔道士の推薦があれば、家柄とは関係なく平民でも入学できるという特徴もある。
母は他の皇子や皇女がアカデミーに入っているのに、ラシェルにだけどこへ入学させるか全く話が出ないことに焦っての行動だった。
駄目だと一蹴する皇帝に、母は食い下がる。
「万が一、皇女がどこのアカデミーへも入らないでいることが漏れれば、それこそ皇帝陛下の恥でございましょう」
「予を脅しているつもりか」
「滅相もございません。ただ陛下の威光に更なる傷が付くのは如何なものかと、心配になっただけですわ。それに魔塔のアカデミーは在学中、身分は伏せて生活をしますので、ラシェルが皇女だとは誰にも分かりません」
母がラシェルを、最難関である魔塔アカデミーへの入学を希望した理由は、ここにある。
魔塔アカデミーでは在学中、自分がどこの誰なのか伏せて生活を送る。ファーストネームだけを名乗り、どこの家の者か分からないようラストネームは秘密のまま。
それは魔塔のアカデミーが各国の子女が集まる場所で、国同士の仲の良い悪いや強弱といった複雑な関係から、生徒同士で要らぬ軋轢を生まないようにと配慮された結果だった。
入学の際、自分の身分やラストネームを明かさないよう魔法の施された誓約書にサインをする。そうすると、うっかり自分がラストネームを名乗りそうになった時などに魔法が発動し、喋れなくなるのだ。
身分を徹底して隠せるので、魔力無しの子がいると知られなくない皇帝にとっても、魔塔アカデミーへなら許してくれるだろうと踏んでの提案だった。
「魔力を一切持たぬ者の入学など、出来るわけがなかろう」
「入学の許可が降りるかどうかに、魔力の強さや有無は関係ないと伺っておりますわ」
「たわけが! 持っていて当たり前のものを持っていない奴を入学させる馬鹿がどこにいる?! お前の頭はどこまで能天気なのだ?」
「試験だけでも受けさせてやってください。ラシェルは陛下の血を引く子ですよ? 優秀な子ですから、必ずや良い結果を出すでしょう」
頑として譲る気のない皇妃に、皇帝は「勝手にしろ」と言い、ラシェルは入学試験を受けることが出来た。
入学試験には書類審査や面接の他、筆記試験や魔法の実技試験もあった。
実技試験では「魔力が無いので魔法は一切使えない」と伝えると、試験監督をしていた魔道士に無表情のまま「それでは行ってよろしい」と言われたのを覚えている。
あの時は、やはり自分には入学は無理だろうと思ったが、ラシェルの諦めに反して皇宮には合格通知書と入学許可証が届いた。
これには皇帝も驚きを隠せず、許可証が本物かどうか宮廷魔道士に確認させたほどだった。
他にも皇子や皇女は沢山いるが、全員が全員、魔塔のアカデミーへ入学が許されたわけで無い。
喜ばしい出来事ではあったが、それでもラシェルは本来ならいない存在。魔塔アカデミーへの入学を誰にも祝われることも、他の誰かへ知らされることも無く、ひっそりと皇宮から魔塔主領へと旅立った。