4. 貝殻洗い
農場近くを流れる小川へとやってきたラシェル達は、持ってきた貝殻を少しずつザルに移しては洗いを繰り返している。
「手伝ってくれてありがとう」
「えー、いいよ。それに魔塔主様にお願いされたらねぇ、アルベラ様?」
「別に。御命令に従っただけよ」
「でもさ、魔塔主様が浄化魔法でも使ってちゃちゃっと綺麗にしてくれたら、こんな仕事すぐ終わるんだけどね」
「ふふっ、そんなお暇ではないでしょ」
2人には魔力があるが、魔法は上手く使えない。
魔力があれば誰でも自由自在に魔法を使えるという訳ではなく、練習をして習得したり、本人が元々持っている資質だったりに左右される。
魔力が弱くても魔法を発現させるセンスがあると難しい魔法を使えることもあるし、逆もまた然りで、魔力が強くてもセンスがないと簡単な魔法も上手く使いこなせない。
だから世の中には魔道具という、魔力を流し込むだけで機能する便利なアイテムが存在するのだ。
魔法を使う能力に長けている者を特別に魔道士と呼び、この認定をするのは魔塔主ただ一人だけ。国は関係なく、この大陸に暮らす全ての魔道士は魔塔主から認定された者だ。
そんな多忙を極めるはずの彼に、浄化魔法をちゃちゃっとなんて言えない。魔塔主だけではない。事あるごとに魔道士達の手を煩わせていてはキリがないし、彼らの本来の業務に支障が出てしまう。
「うーん、魔塔主様、暇じゃない割によく農場の方へ来るよね」
「そう……かしら」
やはりエスティリオが頻繁に顔を出すと思っていたのは、ラシェルだけではないようだ。ナタリーの言葉にアルベラも頷いている。
「それにいっつもエルばかりに話し掛けてるし。もしかして魔塔主様、エルに気があったりして」
「そんなわけないでしょ」
「だって農場のことなら農場長に聞けばいいのにわざわざエルに声を掛けるし、今回だってエルの事手伝えって言ってきたじゃない? わかんないよォ??」
うりうり〜と肘でラシェルを押して茶化しているナタリーに、アルベラは「ばっかじゃない」と息を吐き出した。
「そうやって有り得もしない妄想で、エルを期待させたら可哀想ってもんよ。魔塔主様が庶民のエルを好きになるなんて、そんなわけが無いでしょう」
「でも今の魔塔主様って貴族とかじゃなくて平民の出なんでしょ?」
「確かにそうだけど、でも相手は魔塔主様よ。生まれはどうであれ、この世で一番高いところまで登りつめたと言ったっていいんだから。滅多なことを言わない」
魔塔や魔塔主という存在はかなり特殊だ。
魔塔主は魔力を持つ人全ての最高指導者であり、尊敬の対象となっている。どこの国にも属さない魔塔の主は、各国の王と対等どころかそれ以上の力を持っていると言っていい。
この大陸の半分近くを支配している、ラシェルの父でありカレバメリア帝国の皇帝ですら、魔塔主を蔑ろには出来ない。
そんな地位についたエスティリオだから、御相手には当然、相応の身分を持った人が相応しいに決まっている。
「それに、エルってもう20代の半ばでしょ」
「ええ。今年で26です」
「そんな年増の女を相手に噂を立てられたら、かえって失礼よ。見た目だって凡庸そのものだし」
確かにその通りなのだが、アルベラのあまりにも露骨な表現にラシェルは苦笑いしながら同意した。
「そうよ、ナタリー。失礼だわ」
「まっ、エルは薬草栽培にかけては優秀だからじゃない? 目をかけられてる理由を、強いて言うなら」
アルベラがザブザブとカゴの中の水を切りながら、ふんっと鼻を鳴らした。ナタリーはまだ納得がいかない様子で、ラシェルを見てくる。
「でもさー、エルって時々どこかいい所のお嬢様じゃないかって思うことがあるの」
「え?」
「一つ一つの所作や立ち振る舞いが、とっても綺麗なんだもの。食事をしている時なんて、どこかの貴族のご令嬢みたい」
「お……お母様が厳しくしつけて下さったのよ。少しでも良い方と縁を結べるようにって」
生まれた時から教えられてきた癖は、なかなか抜けない。
ドレスを着た時の歩き方も、喋り方も、食事の仕方も、皇宮を出てから庶民の真似をしてみようと試みたが直らなかった。
最もらしい理由を見繕って述べると、アルベラが愉快そうに笑い声を上げた。
「ははっ! 好条件で縁を結べるようにお上品に育てられたのに、薬草栽培の雇われ農民じゃあねぇ。それも行き遅れだなんて。夫も子供もいる私の方がまだマシね」
アルベラは四十過ぎ程の年齢で、結婚もしており子供も5人いると言っていた。夫が怪我で内職をするくらいしか働けなくなったので、家を夫に任せて働きに出てきているそうだ。
「前エルにアプローチしていた男性いたけど、なんで断っちゃったの?」
「ええと、そうね……それは……」
ラシェルが皇宮を出て旅をしている最中や、魔塔で働くようになってから、何度かプロポーズされたことがある。それら全てを断ったのは、相手の男性に不服があった訳ではない。
ラシェルだって一人の女性だ。家庭を持って夫と子供と幸せに暮らしたいと、夢見たことだってある。
けれど元皇女のラシェルが子供を産めば、その子は皇帝の孫だ。縁は切ったとは言っても何が起こるか分からない。
万が一存在が露呈し、後継者争いに巻き込まれたら。もしくは皇帝が殺せと命じるかもしれない。娘が欠陥品と言うだけでも恥だと思っているのに、その上平民と結婚して子供を産んだとなれば、父も黙っていてはくれないかもしれない。
だから一生、独り身のままでいようと決めている。
若い頃は時折男性からアプローチを受けたりもしたが、二十代半ばを過ぎたここ最近は、そんなこともすっかり無くなりホッとしているくらいだった。
ラシェルがどんな理由を返せば良いのかと言い淀んでいると、アルベラが訳知り顔で意地悪く口元を歪めた。
「どうせ身の程もわきまえず、もっといい男を捕まえられると思ったら、婚期を逃したんでしょ。若い頃にはよくあんのよ、自分には価値がある。もっと相応しい相手がいるはずだ、なんて勘違いをね」
「そう……その通りなのよ。うふふ、私ったら若さしか売りにするものが無かったのに、掴み損ねてしまったわ」
「ほらね、そうだと思った。ナタリーは気を付けなよ。まだ18だからって余裕ぶっていると、いずれこうなるんだから」
「はぁーい」
ザブザブと貝殻を洗う水が冷たい。
私は今、幸せよ。
不満なんて何もない。
ただ穏やかに、誰かの役に立つ仕事をして暮らせたらそれでいい。
誰かを愛し愛されたいなんて思っては、それこそ望みすぎというものなんだから。皇宮から生きて出られただけでも、十分よ。
ラシェルは貝殻の中に自分の気持ちを閉じ込めるように、二枚貝の殻をそっと閉じた。
無理に閉じたところで貝殻は、すぐにまた開いてしまうのに。