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3. 度々現れる魔塔主様

 エスティリオが新しい魔塔主に就任してから5日目。ラシェルが所属する農場には特に変わったことも無く、平穏な時間が流れている。

 当然と言えば当然の事で、農場に魔塔主がわざわざやって来ることなどこれまでほとんどなかったし、来たとしても話し掛ける相手は責任者であり、ただの薬草栽培士に話し掛けることなどまず無い。

 ラシェルが就任式の日に感じた不安や恐怖はすっかり薄れ、毎日繰り返される作業に取り掛かった。

 土を耕して種を撒き、肥料をまいて観察して。就任式の日に撒いたイワハエネトルの芽が、早速幾つか生えてきていた。


 やっぱり湿った岩壁に生える草だから、保水力の高い土に植えて発芽させるのが良いみたいね。


 よしよし、と小さなイワハエネトルの芽を愛でていると、農場にいた使用人達がいっせいに頭を下げはじめた。

 誰が来たのかと考えるまでも無い。

 仕事中でも頭を下げなければならない相手など、極限られているのだから。


「皆、気にせず作業を続けてくれて構わないから」


 魔塔主に声をかけられ、一人、二人と顔を上げて作業を再開している。


 就任したばかりだから、各部署の視察でもしているのかしら。

 

 不安になる必要は無い。農場をざっと見て回り帰るだろうと高を括り、手にしていた記録用紙にペンを走らせる。


 背、すごく伸びたのね。


 気にしてはいけないとは思いつつも、ラシェルの目は自然とエスティリオを追いかけてしまう。農場を案内する責任者の説明に耳を傾けているエスティリオに、昔の彼を重ねた。


 成長期の真っ只中だったエスティリオは、会わなかった8年の間にグンと背が伸びているが、パッチリとした瞳の可愛らしさは相変わらず。

 でもスラリとした首筋には、以前は無かった喉仏が浮かび上がり、骨格もずっと男らしくなっているのが、なんともむず痒い気持ちにさせられる。

 チラチラとエスティリオを盗み見ては、その成長ぶりに感動していると、バチンっと目が合った。今度は気がするではない。はっきりと、だ。


 いけない。つい見つめすぎてしまったわ。


 自分の主人に失礼な態度をとっていたことにようやく気が付いたラシェルは、慌てて目線を逸らした。

 皇女だった頃ならばこういう時、気軽に話しかけに行けたのに、平民となった今はそうはいかない。

 主人に嫌われれば即クビになる事だって有り得るのだから、もっと慎重になるべきだったのに。

 目線を逸らし、ただ気まずく立っていることしか出来ない。

 どんな反応をされるのかとドキドキしていると、エスティリオがこちらに向かって歩いてくる。

 不躾に見ていたことを怒るかもしれない。

 持っていた記録用紙にシワが寄るほど強く握りしめるラシェルの手から、エスティリオは用紙を取り上げた。

 そのまま紙で顔をはたかれるかも。

 ラシェルの嫌な想像に反して、エスティリオは記録用紙を見て穏やかな声で話しかけてきた。


「もしかして、君がエル?」

「……あ、はい。エルと申します」

「農場からの資料に幾つか目を通したけど、君の報告書や記録は素晴らしいね。他の者も見習って欲しいくらい」

「お……お褒めに預かり光栄にございます」


 褒め……られた?

 驚いて目を瞬かせるラシェルの手に、エスティリオは記録用紙を戻すと、そのまま農場から出ていった。

 

 褒めて、行っちゃったわ。

 

 魔法を使う科目以外は全て成績優秀だったラシェルは、褒められると最後に必ず一言付け加えられてきた。『これで魔力さえあればね』と。

 だから、ただ褒められて終わったことが珍しく、後からじわじわと嬉しさが込み上げてくる。魔塔主であるエスティリオが、エルの魔力が如何程なのか分からないわけがない。欠陥品(レモン)と分かっていてなお、褒めるだけに留めてくれた事が、ラシェルに自信を与えてくれる。

 

 エスティリオに褒められるなんて、なんだか変な感じ。昔は私が褒めてあげる方だったのに。


 もっと頑張ろうと気合を入れ、仕事に精を出すラシェルの元にエスティリオが再びやってきたのは、それから2日後のこと。

 一度来て視察していったので、もう当分は来ないだろうと踏んでいたのに、予期せぬ短期間での再訪にラシェルは狼狽えた。


「畑がロープで区切られているけど、これはどういう区分なの?」

「ブルーナセアにはどの肥料が一番、生育に効果的なのか試しています」


 畑をロープで仕切りいくつかの区分に分けて、ブルーナセアという薬草を栽培している。この薬草の花粉は魔法薬に頻繁に使用される割に花をつけるまで育つ割合が多くなく、もっと生産量を増やせないか色々と試している。


「肥料には落葉や動物の糞、油の絞りカスといったものから作った堆肥、それから小麦ふすまなど色々とあります」

「へぇ、肥料ね……。そういえば書類の中に、貝殻で作った肥料を使ってみたいから、貝殻を回収したいという案件があったな」

「子供の頃読んだ旅行記に、沿岸の地域では貝殻を細かく粉砕して畑に撒いていたという描写があったことを思い出しまして。試してみたいと思っているんです」

「やっぱりエルの立案だったか」

「?」

「書類の作成者名は農場長のルアンとなっていたから」

「あ……えぇと……立案書を作成して下さったのは確かにルアン様ですので、書類に間違いはございません」


 うっかり要らないことを喋ってしまった。

 ラシェルは案が通ればそれでいいので、成功したら誰の手柄になるかなど気にならない。

 ただひっそりと、今の仕事に従事できれば幸せなのだから。


「慌てる必要はないよ。その事で俺の彼への評価は変わらないから」

「は、はい……」

「貝殻肥料を作って使ってみる案、良い結果を期待しているから」 

「はい。ご期待に添えるよう、努力致します」



 その日から数ヶ月後、立案書が通り、農場の作業小屋には麻袋いっぱいに詰め込まれた貝殻が、幾つも並んでいる。

 

 旅行記には貝殻肥料の詳しい作り方は書かれていなかったけど、塩分が付いていそうだからよく洗った方がいいわよね。

 

 ひとりでこれだけの量の貝殻を洗うのは無理があるので、何人かに声をかけて手伝ってもらうことにした。


「ナタリーとアルベラさん、貝殻を洗いたいのだけど、手が空いたらでいいので、もし良ければ手伝ってくれないかしら」


 小屋のすぐ外にいた2人に声をかけると、ナタリーは「えー……」と顔を引き攣らせ、アルベラはあからさまに顔をしかめた。


「そこにある貝殻全部洗うんでしょう? あたし今日は疲れちゃって、手伝えないかもーなんて。あはは」

「ナタリー、はっきり言わないと。それ、あなたが余計にやってる仕事でしょ。面倒臭いから巻き込まないでよ」

「あ……そうよね。ごめんなさい。気遣いが足らなかったわ」

「ごめんね、エル」

「いいのよ。気にしないで」


 確かにこれは任されている仕事ではなく、ラシェルが好きでやっている事だ。これだけに留まらず、ちまちまと植えては色んな栽培方法を試したり、選別や掛け合わせをして品種改良を試みているのも全て、誰かに命令されたからではなく勝手にしていること。

 もちろん農場長の許可は取っているし、自分に任されている本来の仕事もこなしてはいるけれど、他の人からしたら面倒事に違いない。

 薬草栽培士というのは要するに農業に従事する使用人で、そんなラシェル達に求められることは、限られた農地でより多くの薬草を収穫することである。

 研究なんて求められていない。完全なるオプションサービス。

 長期的にみればラシェルのしていることで収穫量を上げることが出来るだろうが、『今』を生きることに必死な使用人では難しいのが現実だ。

 無償で手伝わせるのはあまりにも図々しかったと反省し、かといって2人に支払える余分なお金など持っていないラシェルは、ひとりで貝殻を洗うことにした。

 麻袋を手押し車に積んで運ぶため取りに行こうとすると、帰ろうとしていた2人が誰かと話して立ち止まっている。

 

 またエスティリオが来ているのね。


 魔塔主の仕事はすごく忙しいのでは? と思うのだが、就任して以来エスティリオは、週に何度も農場へやって来ている。そんなに薬草栽培が気がかりなのかしら、と不思議でならないが、なるべくエスティリオに会いたくないラシェルとしては悩ましい事態だ。

 

「二人は今から休憩に行くところ?」

「はい。片付けを終わらせて、お昼休憩をとるところです」

「そう。なら午後の仕事は遅れてもいいから、貝殻洗いを手伝ってあげてくれ。もしかしたら薬草を効率的に栽培するのに、とても有効な手段かもしれないからね。農場長には俺から言っておくから」


 エスティリオが頬にエクボを作りながら、2人にニッコリと笑いかけると、ナタリーとアルベラは頬を赤く染めている。

 

「わっ、分かりました。それでは手伝って参ります」

「頼んだよ」


 3人のやり取りを見ていたラシェルに気が付いたエスティリオが、小さく手を振ってくる。

 ぺこりと頭を下げて御礼をすると、「頑張ってね」と口パクしてから去っていった。

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