26. 窓から見えた景色
刺繍をしていた手を止めて、ラシェルは窓の外の景色を眺めた。
離宮から出ないようにと言われたのまではいいとして、魔塔主の世話係として付いてきたはずなのに、仕事を全くさせて貰えない。
ただ部屋でのんびりと過ごしていればいいと、食事やお茶、それから暇つぶしの為の道具や本を、アルノートが持ってきてくれるのだ。
非常に申し訳なく思いつつも、今はエスティリオに従うしかない。ラシェルが気を利かせたつもりで何かすれば、彼の計画に支障が出てしまうかもしれないのだから。
「あれは……エスティリオ?」
窓からは美しく整えられた庭園がよく見える。特に今日はよく晴れて日差しが気持ちよさそうな天気なので、エスティリオは庭園を誰かに案内してもらっているようだ。
案内しているのは誰だろうと目を凝らして見るが、遠すぎてそこまでしっかりとは見えない。
ただ着ている服や雰囲気、そして遠くに従者が控えていることから、身分の高い女性であることは間違いない。
皇宮内の庭園を案内するくらいだからきっと、王妃か皇女か……。
普通に考えたら皇女よね、きっと。
ラシェルの知っている範囲では、自分より下の皇女はリリアンヌのひとりだけ。
ドレスの色使いやデザインから自分よりもずっと年下そうに見えるので、恐らくあれはリリアンヌだ。
2人並んで噴水の辺りまでやって来たかと思うと、身体を近くに寄せ合っている。
ダメよ盗み見なんて。悪趣味だわ。
窓際から体を離して刺繍を再開するが、なかなか針が進まない。
エスティリオは以前、エルがラシェルだとずっと知っていた。これまでの言葉も態度もラシェルに向けてのもので、好きだとも言ってくれたけれど、エスティリオとラシェルの関係は、実際のところよく分からない。
お付き合いしましょうなんて話にはなっていないし、ましてや将来何かを約束した訳でもない。
まだ同じアカデミーを卒業した、先輩と後輩の間柄と見るべきかどうか……。
いけないと分かっていて、どうしても気になってしまう。
もう一度立ち上がり外を見ると、目に飛び込んできたのは、エスティリオが女性の手を取って何かをしているところだった。
「魔法の練習、かしら……」
チクリと胸に痛みが走る。
エスティリオから魔法を教えて貰うなんて、魔力の無い自分には決してして貰えない。
エスティリオがどんな表情をしているのかまでは見えない。
ただ女性の方はぴょんぴょん飛び跳ねたり、エスティリオに抱きついたりと、見るからに楽しそうだ。
リリアンヌは確か、ラシェルよりも十歳年下。エスティリオもリリアンヌも、結婚を考える年頃。
自分が親の立場ならば、娘を魔塔主と、と考えるのが普通だろう。魔塔主側からしても、皇室側からしても、互いにこれ以上申し分のない相手だ。
一方ラシェルは父親に見放され、死んだものとされた元皇女の身で、今は行き遅れたただの一般女性。
自分とは比べようもなくお似合いな二人を、ラシェルはただ窓から見つめることしか出来ない。
「エルさん、失礼します」
食い入るように見ていたので、ノックの音に気が付かなかった。ビクンっと身体を震わせて振り返ると、アルノートがお茶を持って入ってきていた。
「ティーセットをこちらに置いておきますね」
「いつもありがとうございます」
「今日はいいお天気ですよね。窓から眺めてもらうことしかさせてあげられず、申しわけないですが」
「いえ、ここからでも十分に、庭園を堪能することが出来ましたわ」
ラシェルの隣へ来て窓の外を見たアルノートが、何かに気がついたように「あ……」と声を漏らした。
「ベクレル様と一緒にいらっしゃるのは、第6皇女殿下のリリアンヌ様です。皇帝陛下とリリアンヌ様の母君が、庭園を案内するようにと申し付けておりましたので、今日がその日なのでしょう」
聞いてもいないのに、わざわざアルノートが説明してくれた。「そうですか」と当たり障りのない返事をすると、更に追加で付け加えてくる。
「ベクレル様は非常に面倒くさそうにしておられたので、何も心配することは無いかと」
「お気遣いありがとうございます」
「いえ。なにか他に欲しいものなどはありませんか?」
「紙をもう少しだけ分けて頂けるでしょうか」
「分かりました。直ぐにお持ち致しましょう」
何故こうも、アルノートはラシェルに気を使ってくれるのか。
下級官吏に過ぎないラシェルに、随分と対応が丁寧過ぎる。
「あの……アルノート様」
「はい?」
「アルノート様は何かご存知なのですか」
数秒の沈黙。
もしかしたらエスティリオから、何か聞かされているのかもしれないと思い尋ねてみたのだが、聞くべきではなかったのかもしれない。変に勘繰られる材料を作ってしまったのではと、一気に緊張が走る。
「へ……変なことをお伺いしてしまいました。忘れて下さい」
「エルさんに関して、特に何も聞いておりませんよ。私の知るあなたは農村の出の、魔塔主から抜擢された官吏だという事だけです」
「そう……そうですか。ただアルノート様があまりに私に良くして下さるので、何かあるのかと思ってしまいました」
「そういう事ですか。そうですね……強いて言うなら保身の為ですよ」
「保身……」
「近々エルさんにも、お仕えすることになりそうですので」
「私に……?」
「ただの予感です」
ふっ、と笑うとアルノートはそのまま部屋を出ていってしまった。




